玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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自死遺族の精神障害者として文章を書くこと

 僕は自死遺族である。そして精神障害者保健福祉手帳2級の交付を受けた国家認定障害者である。


 これはある意味では人生の汚点であり、隠す人も多い。障害者雇用に置いて、オープン就労とクローズ就労という選択を最初に迫られたりもする、そういう差別がハローワークのレベルでも常識として残っている社会である。
障害者枠で働きたい人が知っておくべき就活の基本: 障害者雇用アドバイザーが教える


 本来は早急に機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST11巻の感想を書くべきだが、もう夕方を過ぎてしまい、今から読むのはしんどいので、こういうエッセイで短く書く。
 また、Gのレコンギスタの主役のベルリ・ゼナムを演じている石井マークさんが適応障害による休業から復帰したという時事ネタもあるので、精神疾患について書いてみようと思う。
 

 ちなみに、石井マークさんが復帰したので今だから言うが、僕は石井マークさんが適応障害であるということについて、ほとんどネットでは言及しないようにしていた。心配はしていたが、そもそも劇場版Gレコは5年もかけて作ってる時点で石井マークさん個人よりもスタジオとか監督の問題も大きいわけで。
 まあ、5年もかけてテレビ版の殺人考察を書いていた僕もどうかと思うんだが。普通のアニメだと劇場版は1,2年後くらいなので間に合ってない俺。nuryouguda.hatenablog.com

 復帰したことはめでたいが、それがまた彼の負担になるのもよろしくないので、最低限応援する気持ちにとどめておきたい。
news.livedoor.com
 それに適応障害って言ってもかなり症状の深さに幅がある病気なので。僕は人生の半分が鬱病という長患いなので心身ともに完全に回復した日はここ20年ほど一度もない。
 精神疾患は個人差が大きい病気なので、あまり親しくない間柄(具体的には支援の射程距離外)で云々するのは単なる俗な噂話にしかならないだろうと思い、先日の富野ファンのオンライン飲み会で石井マークさんが心配されていても、僕はほとんどノーコメントで「なるようにしかならないんじゃないかな」という感じだった。
 まあ、公開は晩秋になるであろうGのレコンギスタ第三部に対してはむしろ早いと言うかもっと休んでいてもいいのではないかとも思ったのだが。まあ石井マークさんが働きたいなら働けばいいじゃないの。グラブルのエルっちも好きなので。ユグドラシル・マグナ編成を土古戦場までに作らなければ。
 僕は働きたくないので障害者という地位を利用して卑怯者と罵られても働きませんが。そのくせソシャゲでリボ払いする。(自分を過労死寸前に追いやったKLabのスクスタにセルラン1位を取らせないためにデレステで壁を作ったり、暗躍していたので)


 結局好きなアニメの主役声優と言っても他人なので成果物に金を出すかどうかくらいの応援しかできないし、特に精神疾患は個人差が大きいので推測でガタガタ噂をするのもなんか小物っぽいし。


(でも富野監督の先日のインタビューでGレコの作業は石井マークさんとは違う部分で詰まってるらしく、そこは監督責任でなんとかしていってほしい。まあそこも信じてますけどね。むしろコロナウィルスのせいでGレコ劇場版IIのブルーレイの発売が延期になったおかげで僕のブログのスケジュールも助かっている。僕はすぐ自律神経か感染症で倒れるので、まだ劇場版Iのコンテを読み込めていない)

  • 近況

 最近はダラダラソシャゲをしていたのを取り戻すかのように機動戦士クロスボーン・ガンダムDUSTの感想を書いていたのだが。ついつい文章を書くと時間感覚を忘れてしまい、てっぺん超えることもしばしば。
 昨日の富野監督のインタビューの記事も数ページのインタビューについて「富野監督はコロナウィルスやインターネットや人口やガンダムエースについて散発的な発言をしているように見えるが”強さと新しさ”というテーマでは一貫しているのかもしれない」という程度の雑感を書いただけなのだが、案外アクセスとブックマークが伸びてしまい、調子に乗って、ついたブックマークコメントを読んでいるとてっぺんを超えてしまった。
 

 精神科医からは「10時半にはインターネットやソシャゲをやめて1時間、読書などでクールダウンして0時前に寝て8時前に起きるように」と指導されているが、物書きとして「今日中に書こうと思ったことを書かねばならぬ」というモードになるとすぐに指導を無視してしまう。そこら辺が僕がプロの物書きになれない、毎日コツコツ時間通りにやるということができないという欠点。


 そういうわけで今日はドリカムの「G」も届いたし、その記事も書くべきなのだが眠い。メンヘラのお気持ち表明をざっくり書いてさっさと寝たい。
G


 というかひどい不眠症であり、昨日は富野監督の記事でアクセスも伸びて、広告収入でリボ払いの1割が返済できそうだったり、そこそこ気分が良かったのだが、自死遺族のPTSDのせいで布団に入って寝ようとすると自動的に反射的に泣いてしまう。40手前のおじさんが7年前の母親の自殺で毎日泣いてしまうというのもかなりみっともないのだが、本当にその日にどれだけ疲れていても楽しくても、関係なく泣いてしまって眠れなくなる。
 それで脳内妹を思い起こしてラブラブな気分で寝ようとするのだが、脳内妹のイメージと母親のデスマスクのフラッシュバックが交互に出てきて脳が逆に疲れたり、寝れないことを脳内妹に当たり散らしてしまって喧嘩になってしまったり(まあ、脳内恋人だからまだマシというか、本当に他の人の家の娘さんと結婚したりして人間関係をする資格のない自分だと実感する)。


  • 病気と自殺と差別

 まあ、とにかくオタクとしてガンダムについて賢しらなことを書いてはいるが、不眠症だったり、自律神経が壊れているので不正発熱と感染症の区別がつかない体質で、放置していたら細菌性肺炎になったり、寝る前にラーメンを食べて飲酒して睡眠薬を飲まないと眠れないのでラーメンを食べていたら太った上に消化器官と肝臓がやられて、寝ゲロを頻発して窒息死しかけたり、なので今はラーメンは辞めて酒も減らして、寝る前はおかゆを食べるようにしているけど、それではやっぱり寝付きが悪くて毎晩泣きながら布団の中で悶え苦しんだり。最近は減ったけど、一時期は怪我もしてないのに神尾観鈴ちんのように体が痛んだり、手足が動かなくなって転んだりもした。
 アラフォーのおじさんは老化してついつい病気自慢ばっかりしちゃうの。



 そういうのは、まあ、あまり格好いいことではないし差別もあるので精神疾患についてオープンに語るべきではないという意見もある。それは自殺遺族についても同じ。逆に、それをテーマに特化したブログを書く人もいる。それで精神疾患や自殺への偏見をなくしていこうという政治運動もある。
若年認知症とは何か 「隠す」認知症から「共に生きる」認知症へ

 同時に「精神疾患(特に僕のような境界例人格障害者)については関わり合いにならずに距離を置くことが一番の対応策」と言われることもある。
文庫 自分の「異常性」に気づかない人たち: 病識と否認の心理 (草思社文庫 に 3-2)


 しかし、なぜ精神障害や自殺が特別視されるのだろうか?


 人生経験としては、自殺で親族の数がマイナスになることと、親戚に子供が生まれてプラスに成ることと、加減の違いでしかないのではないか?とか思う。
 もちろん、自殺については僕は責任を感じてもいる。だから汚点として隠すべきなのかもしれない。また、ブログのネタにしたら金儲けとか言われるのかもしれない。しかし、親が死ぬ話は子育てブログと何が違うのか?とも思う。(こういう感覚を持っていることが精神異常なのかもしれないのだが)
 生まれた子供はいつか死ぬ。生きている生活の話と、死ぬ話、情報として質は違っても重みにそれほどの違いはないのではないか?などとも思う。


 まあ、もちろん自慢するようなことでもないのだが。あることを語る際に「自分の親の生き方がこうだったから」と例え話に用いるのと同様に「死に方がこうだったから」という風に自殺を持ち出すのはそれほど悪いことなのだろうか?


 まあ、やりすぎると同情を期待するみたいで下品にはなるのだが。なんとなく日本社会にあるっぽい感じの「自殺や精神疾患は恥だから隠すべき。口をつぐむべき」という風潮は物書きとしては嫌なのである。母親の葬式で「自殺ではなく事故であった」とウソを付くのが大変つらい経験であった。しかも死ぬ直前の母親の精神異常を知る人にはバレていたし。
 また、母親と毎日ケンカして義理の叔父も自殺に追いやったような祖母が「娘は事故死したから過ちを犯したのではないんや」とか言うのは非常に胸糞が悪い。何が過ちだよ。お前が叔父を自殺に追いやって、その家に居られなくなってこっちの家に転がり込んできたから、こっちの家庭介護を強いられて家族間の人間関係が悪化して俺の精神が壊れたのだ。
 そういう自殺とは認めず事故死と信じている祖母が、母親が自殺したおかげで優先的に特別養護老人ホームに入居するような日本の嫌な介護点数制度の老人事情もある。祖母の妹である大叔母は母親の自殺を真っ先に知らされて、その結果、祖母よりも早く重度の痴呆を発症してサナトリウムに隔離されてしまった。悲しいことだ。自殺などの汚れを見て見ぬふりしたほうが自分の健康が守れるのだろうか…。まあ、祖母も老人ホーム内で典型的な盗難妄想を呈していたりして、狂ってはいるのだが。ほぼ毎晩、老人ホームから父親にかまってほしい電話をかけてくる程度には携帯電話などの機械を操作できる。


 とりあえず、僕はこのブログでは思いついたことを吐き出したいので、必要があれば自殺や精神疾患についても他の人生経験と特に区別せずに書く。


 それに、他の精神疾患患者や自死遺族についても、それについて隠してコソコソしなければならないなんて思ってほしくない。これは僕の善意のふりをした押しつけだけど。精神疾患患者や自殺の関係者や犯罪関係者も含めて社会だし、誰だって叩けば埃は出る。身ぎれいな、罪も歪みもない人しか発言してはいけない、みたいな社会は反吐が出るね。まあ、実際ヘドを吐きながら生きているのだが。
 手を汚しながらやっていくしかねえし、先進国は搾取の上に生きているし、みんなの手はすでに汚れているんだ。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて


  • 読者は特に気にしてないのかも。

 しかし、以下のおにいさまへ…第28話の感想は自殺直後で、親の自殺の話題を書いているのに、未だにおにいさまへ・・・の再放送とか配信のタイミングで「演出論を語り尽くした名記事」とツイッターでバズったりしている。
nuryouguda.hatenablog.com
 案外、読者というものは書き手の家族が自殺していようが関係なく読んでくれるし、他人なんて結局無関心なものなのかもしれない。


 というか、おにいさまへ…は自殺が多い話で、それを見ている期間に親が自殺したというのに、その直後も今に至るまで精神疾患を患っても思考が破綻せずに文章を書き続けている僕は大したものだと思う。信夫マリ子の親父みたいなポルノ小説家根性かもしれないが。


 ちなみに、僕は自分の精神疾患や親族の自殺について書くが、他の人が僕の家族の自殺を揶揄したり僕を「恐怖の精神障害者」とかブログに書いた場合、そいつがはてな村を代表したブックマーカーのネコラであっても普通に名誉毀損で運営に訴えてはてな村から追い出しました。


 自分の精神疾患や身内の不幸を文章にするが、それで俺をバカにするようなやつは対話の余地なく抹消する。なので、自分も他人の精神疾患についてはあまり言及しないようにはする努力をしていきたい。僕も他人を助けられるほど強くないと言うかカネがないので。金は精神病に効く!あー、でも大富豪のハワード・ヒューズも精神をやんだ晩年…。
 (まあ、ツイッター知人の殆どがメンヘラなので(というかメンヘラはメンヘラ以外を信用できない)、他人の病状を言及できなくてもアニメの話とかをする)


 それも、僕が無職の世捨て人で、精神病や自殺が知られても失う仕事も恋人もなにもないから勝手に書けるという一面もあるか。守るべき大切な人なんて持ちたくねえ。お金より何より、自分が好き勝手できるかを重視したい。


  • 信用できない私

 まあ、こういう風に僕が主張していても、やはり「精神疾患患者とは距離をおいたほうがいい」というのは処世術としてはある程度の効果はあると思う。(そもそも人と向き合うこと自体が病気の有無に関わらずしんどいし)
 また、僕自身も希死念慮を抱えているが、母親が自殺しただけで8年もPTSD不眠症に苦しんでいるので自殺は人に迷惑を掛ける。まあ、死ぬときくらい迷惑をかけてもいいとは思うが。
 なので、僕自身も僕には問題があり、僕は自分が信用できない書き手だと思っている。(まあ、国立大学時代に作ったクレジットカードの返済の不渡りを出していないので、無職のアラフォーになっても新しいクレジットカードをポイントサイトのポイント目当てに何枚も作れるという程度の信用度はある。いや、クレジットカード会社も散財させて金をむしろうとしているので、どっちもどっちなのだが)


 そういうわけで、僕は自分が人に嫌われても仕方ないし、信用されないと思っているので、なるべくアニメの感想も「映像から読み取れる事実ベース」を重視して書いていこうと思う。
だからあなたは信用できない―「リスク人間」の見分け方、つきあい方


 事実ベースで語ろうとは思うが、やはり僕は精神疾患である。脛に傷持つ人間である。なので、「事実ベースでこう見えた」と語る際に「精神疾患の患者の目であるが」とつけることは、スキあらば自分語りとそしられる部分もあるが、情報の確度を上げるためには必要なのではないだろうか。
(まあ、僕の場合は鬱病人格障害と自殺と過労とPTSD社会恐怖や幻痛や自律神経失調などが複雑に絡み合っているので、医者からも明確な診断名は教えられておらず、場当たり的な対処療法を繰り替えず日々なので、自分も自分がどのように狂っているかを性格には理解できていないのだが。障害者手帳は一応「鬱病」という大雑把な病名で取ったが。)


 どういうことかと言うと、グダちんのことは信用できないが、グダちんが書いている文章の論理展開は信用せざるを得ない。という、ヤク中の名探偵シャーロック・ホームズのような、歴史探偵を自称した無頼派坂口安吾のような書き方を目指したいのだが。
 グダちんのことは嫌いになっても、グダちんの好きなアニメは好きになってほしい。
 どうせそもそもヌ・リョウグ・ダはグロンギ族の残党の怪人だし、リントとはわかりあえない。所詮、呪われた血を分けた脳内妹だけが我が同族よ。


 そういう風に、「自分は狂っているけど、自分の言っていることの論理性は他人から評価される」という経験を積むことで、自分がどの程度正気を保てているかを測るために文章をネットに上げているという面もある。(ややこしい言い方ですが)


 芸能人も性格とか私生活や他の芸能人との関係よりも、芸を見ていきたい。
 三島由紀夫はテロを起こして自殺したけど、今も読みつがれている。(自殺したけど自衛隊を殺してないというのが大きいのかもしれないが)(我が闘争…)僕は太宰治三島由紀夫は読むとオーラが引っ張られそうなので避けている。



 でも、細かい理論を積み重ねた分析の記事よりも雑がたりした悪口の記事のほうが俗気的なアクセスが集まったりもするので、やっぱり僕自身だけでなく、僕の文章も小汚いものなのかなあ、とか思ったりもする。けど、背伸びをしても結局は思いついた範囲にしか書けないのが脳なんだよなあ。


 今回は6000文字を9時前に書き終えられたので、早めに寝る。まあ、やっぱり悶え苦しんでからでないと眠れないだろうけど。




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