玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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勇者ライディーン第49、50話 映像の原則で読み解く災厄後の最終回

輪るピングドラムや、あしたのジョーを見ていたせいで、1年越しになってしまった勇者ライディーンの感想です。
最終回は堂々の斧谷稔コンテ。監督は富野喜幸から長浜忠夫総監督に後退しましたけど、やはり最後の演出は富野。よって、これも堂々たる富野作品として認定すべきでしょう。ラ・セーヌの星の第三クールも富野作品として評価している僕ですし。
ただ、初見から1年たったので、ちょっと感想のキレ味が鈍っているのは否めない。すまん。
あらすじ
勇者ライディーン|WOWOW ONLINE
#49バラオ最後の賭け: 色・彩(いろ・いろ)
#50輝け!不死身のライディーン: 色・彩(いろ・いろ)


壮絶なネタバレを含みます。



49話。「バラオ最後の賭け」
タイトルでバラオが賭けをしているということで、バラオも不安だと主張している。バラオが絶対悪や絶対的に強いものではないということ、彼も追い詰められているということだ。
妖魔大帝バラオが自分の体の一部と巨烈兄弟の首を使って、最後の巨烈妖魔獣守り竜バラゴーンを生み出した。

真(チェンジ!!)ゲッターロボの真ドラゴンと完全に一致。


そんな怪獣がライディーンの基地、ムトロポリスに全面攻撃を仕掛け、防衛壁や迎撃砲台が破壊され、ライディーンは倒れる。
この話の見所は、そのように巨大な敵に対しての洸たちの選択だ。
洸の母のレムリアがムー帝国の遺跡である必殺兵器のラ・ムーの星を使うと、念力を吸い取られてレムリアは死ぬ。レムリアが死ぬか、ライディーンが死力を尽くして戦うかの二者択一となる。
洸はやっと再会できた母親を大事にしたいので、レムリアに自己犠牲兵器は使わせたくない。
そして、レムリアは妖魔帝国を討ちたい。で、洸は母にガールフレンドのマリが作ったストールをプレゼントするも、母のレムリアは厳しく追い返し、戦わせる。
そして、レムリアはマリに言う「厳しい母と思いますね。私も洸に笑ってやりたい。でも、厳しくしないと、あの子を守ることにならないのです。今あの子に必要なのは優しい母ではなく厳しさなのです」と。
ここら辺は長浜忠夫星一徹の女バージョンって感じがする。
アムロ・レイ星飛雄馬のように試練の連続だったからなあ、そういう風に系譜が続いているのかも。


で、ライディーンは基本的に1話の中で敵と2回戦うのだが、今回はライディーンが敵に負けて、海の底で気絶してしまう。
母は念力で洸に呼びかけます。でも、なかなか目覚めないライディーン。増大する被害。ラ・ムーの星を使わなくてはいけないのか?
やっと洸が目覚める。
その彼が見たものは、爆弾を満載し、バラゴーンの口に自分から飛び込む神宮寺力の戦闘機だった。
感動!


母の力で目覚めたが、洸が奮起したのは母の念力だけではない。神宮寺の男らしい自爆を見たから、仲間の死を無駄にしないために、と、精神力を増したのだ。
勇者ライディーン第11〜16話 - 玖足手帖-アニメ&創作-
序盤の12話の神宮寺力回で、神宮寺が洸と反目しつつも共闘する所とか、神宮寺には事故で死んだ弟がいるから人一倍家族を死なせることを嫌がるとか、前半の伏線が生かされている。
神宮寺は家族を亡くしているから、洸が母親に死なれる事を避けようとしているんだ。優しい。
でも、自分は自爆するなんて言う所を最後まで見せずに、ブルーガーに乗りこむ時にはマリに微笑んで軽口を叩きながら出撃した。ライディーンが倒れ、基地は半壊しているので、絶望的な状況だったが。
機動戦士ガンダムスレッガー・ロウの特攻にも通じる。特攻精神は富野アニメの伝統なんだなあ。鉄腕アトムのアニメ版の最終回は手塚治虫コンテだけど、あれも特攻だった。
ホント、富野は特攻を描くのが上手いなあ。しかも、富野の特攻は、特攻が特攻の場面だけじゃなく、その前後の展開と有機的に繋がっているからドラマとして上手い。他の特攻は特攻シーンだけで感動させようとするけど、富野の場合は特攻もドラマの大きなうねりの中だからな。スレッガーの恋しかり、ゴメス艦長の転向しかり、コレン・ナンダーの変節しかり。
このライディーン49話は富野コンテじゃなくて安彦良和コンテだけど。
今回の特攻は、神宮寺力がひびき洸と反目しつつも共闘してきたということの帰結としてドラマになっていた。また、神宮寺は長浜忠夫総監督になった後半では脇役になることが多く、あまり名前を呼ばれなかったのだが、今回の神宮寺はマリや洸に「ミスター」「ミスター神宮寺」と呼ばれていて、前半からの神宮寺らしさが復活している演出だった。安彦良和先生はキャラクターデザインだし、前半から一貫して絵コンテも手掛けていたからね。ライディーンらしさが染み付いてる。
だから、神宮寺が洸の母を守るために自爆するという展開に説得力とか一貫性があって、感動するのだ。
49話だしなあ・・・。神宮寺はニヒルで単独行動を好む人だけど、自分の仕事である戦闘にはプライドと責任感があって、実は心の奥底はすごく優しい。泣ける・・・。単に死ぬから泣けるんじゃなくて、そういう生き様全体が良いんだよ!
「神宮寺力、最後の仕事だ!」
仕事と言い切るのが男らしい。
だが、神宮寺は家族を亡くし、そして地球が妖魔に支配された世界で、ライディーン以外では最強の戦闘機に乗っていた男だ。彼だって妖魔を憎む気持ちは強いはずだ。だが、それを「恨み」や「使命」ではなく「仕事」と言って自爆する所に、神宮寺の最後の最後までのカッコツケが感じられて、ニクイ男だぜ。


で、洸が母の呼びかけだけでなく、神宮寺の散りざまを見て発奮し、神宮寺が敵に与えたダメージを足がかりにして勝つというのが、良い。洸が母を恋しがるだけでなく、戦友との関係を持つ戦士となっている。良い。
そして、精神力でエネルギーを増大させたライディーンは言うまでもなく敵を粉砕する。完膚なきまでに引き裂く。これは爽快。


だけど、怪獣を倒した後に「神宮寺に胸張って言おうぜ、俺たちは勝ったって」と洸が言うのが、切ない。
そして、レムリアが「まだ最大の敵、妖魔大帝バラオがいます」と厳しく告げる所が、戦争のしんどさだ。



最終回。第50話。輝け!不死身のライディーン
堂々の斧谷稔富野喜幸)絵コンテ。素晴らしい。
最初から最後まで、巨大なバラオとライディーンの死闘が繰り広げられる。すごい迫力の連続。

妖魔大帝バラオが自分の島から出てライディーンの町に迫っただけでこの津波
南南東400kmにいるだけでこれ。怖い。この世の地獄を見せるつもりか。


それに対して洸は「俺のライディーンで戦うんだ!」と飛びだそうとする。レムリアがラ・ムーの星を使って自己犠牲攻撃をすると言うと洸は「嫌だ!俺がいる限り、母さんにそんな事をさせるものか!」と戦おうとする。
そこで、

親父の鉄拳。
「まだわからないのか洸!今は、俺が、母さんが、等と小さい事を言っている場合ではない!我々の方には全地球人類の命がかかっているのだ。軽率な行動は慎むんだ!」
ヒーローで主人公の洸に対して、最終回でこの現実の突き付けっぷりの親父。
レムリアは「洸、母さんも父さんも覚悟はできています」との事。やっとのことで再会できた家族なのに、一家団欒の暇もなく、ただ戦争に勝たなければみんなが滅ぶという現実の前に戦おうとする人々のリアルさ。冷徹さ。富野演出だなあ。
冷酷な戦場と、家族の情を絡ませるあたりは長浜ロマンでもある。


それでも、近づいてきた妖魔大帝バラオの姿を見たら、洸は父と母を振り切って出撃する。
「バラオは俺が倒す!父さん、母さん、勘弁してくれ!」
敵のボスと戦うと言うのは、すごく勇敢な台詞なのに、「勘弁してくれ」という情けない台詞とセット。この絶妙なバランス。洸が無敵のヒーローと無力な少年の狭間で、最後までハラハラする。


あと、レムリア王女にして見ると、一万二千年の時を越えてラ・ムーの星を使って妖魔を討ち滅ぼすと言うことを使命として父である偉大なラ・ムー皇帝に言われていたわけだ。レムリアは自分の命を使って妖魔を滅ぼすという観念に取りつかれていたのか、洸のライディーンを戦力として見なしていないようにも見える。半分現代の人間である洸をなめているムー帝国王女のプライドなのか。それとも、子供を危険にさらしたくないという親の気持ちなのか。両方だろうか。


最終決戦なのに洸が期待されていない出撃というのは・・・。
しかし、その果敢な洸の姿を見て、レムリアは「あの子はバラオの力を知っても戦うと言うのです」「短い間でしたけど、幸せでした。」「私にはあの子を見殺しにはできない・・・」と、夫ひびき一郎博士に抱きついて泣く。レムリアもラ・ムーの星を使って死ぬ事、家族と離れることに葛藤が在るようで、その心情が複雑で、良い。良いドラマだ。
そして、洸も「俺が死んでもバラオの息の根はとめてやる」と言う。自己犠牲と言う点では、この母子は同じだな。


また、同じという点では、実はバラオとライディーンが驚くほど似通っていると言う事も富野ファンとしては見逃せないポイント。
バラオもライディーンに向かって「お前のせいで滅びた一族の恨み、今日こそ晴らしてくれる」と言う。これは、海のトリトンポセイドンと同じだ。主人公の一族も敵の一族を殺したという点では同じなのだ。善悪は相対的なのだ。ムートロンと言う超エネルギーでの独裁的発展を占有していたムー帝国と、それを妬んだ妖魔帝国の戦争はエネルギー争奪戦争であり、善悪ではない。ただの生存競争なのだ。


その同列性は映像的にも、ライディーンとバラオが格闘の中で何度も上手と下手の位置関係を変えることで表現されている。基本的に下手の悪の側から、バラオが接近しているのだが、ライディーンゴッドバードが空を飛ぶので、バラオの周りでライディーンが位置を変えるんだな。
これは、富野由悠季の映像の原則での論理の応用パターン。

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)


上手下手で印象が変わると言うのを逆手にとって、悪役も主役も上手下手を何度も交代させて、同一感覚を生み出す。上級テクニック。


また、このように何度も敵味方が上手下手を交換しあうことで、「混戦」「互角」「予測のつかないハラハラ感」も効果的に演出しているし、戦闘に緩急をつけている。ほとんどずっと戦っている最終回だが、構図やアクションの速度に変化を付けることで、退屈しない作りにしている。
ガンダムAGEはちょっと、そこら辺の上手下手が固定しすぎたレイアウトが多かったかな・・・。


また、


バラオもライディーンと同じく弓やブーメランを用いて戦うのも、この勇者と魔王が同一の存在と示しているのではないだろうか。
富野アニメにおいて、戦争とは善悪で決せられるのではなく、あくまで立場の違いであり、戦う両者は同一の業を背負った存在なのではないか、というテーゼがある。その上で力と力のぶつかり合い、殺し合いでなければ結論を出せない、というバトルストーリーの冷徹さを描いている。
これは、トリトン族がポセイドン族を奴隷にしていたという海のトリトンでもそうだし、フランスの民衆が最後にマリー・アントワネットの子供を殺そうとしてラ・セーヌの星に殺されたというのもそうだし、ジオンも連邦も同じ人間だったというガンダムもそうだ。
だから、勇者ライディーンはスーパーヒーローでスーパーロボットであると同時に、完全な善ではなく敵と同レベルの争いをするリアルな人間だということが示される。富野らしい。


そして、それが、王女レムリアがラ・ムーの星を使いたがらなかったり、ライディーンと洸を十数年も放置していたこと、ライディーンを終盤まで助けなかった事にも繋がっているのではないだろうか。
つまりどういうことかと言うと、ムー帝国が絶対的な善で妖魔帝国が絶対的悪ではないということだ。単に妖魔帝国はエネルギーを独占するムー帝国に反旗を翻した反乱分子で、ともに滅びた同じ古代人だと言うことだ。そして、ラ・ムーの星の正体は偉大なるムーの王ラ・ムーの念力と超エネルギー物質ムートロンの力でライディーンを巨大化させるものだった。

ウルトラマンの巨大化と同じ音w)
(ムートロンをライディーンなしの単体で使ったら、バラオが予想したように、全てを津波で押し流す広域破壊兵器になり、ムー帝国が滅亡したのと同じような災害を起こしたのではないだろうか?と、予測する)


そして、ライディーンにラ・ムーの星の力を与えて巨大化させる時、洸は母に「ラムーの星を使うな」と言ったのに、レムリアは「ラ・ムーの命令です!母の命令です!」と叫んだ。

この高貴な顔のフォーカスアップ!富野コンテ!
そして、この瞬間、ひびき洸は「日本人の洸」から「ムー帝国王族の洸」としてラ・ムーの眷属の末端として命令をされる王子になったのだ。だから、洸は母に素直に従ってラ・ムーの星の力を受け、巨大化した。高貴なのだ。ノブレス・オブリージュなのだ。コスモ貴族主義なのだ。
そして、レムリアが一万二千年に及ぶムー帝国と妖魔帝国の覇権争いに現代人である洸を巻き込む事を自覚した瞬間なのだ。レムリアは今まで、自分一人だけで妖魔帝国を倒そうとして10数年も夫と息子とライディーンを放置していた。それは、過去の帝国間戦争の因縁を現代人に持ちこまないためだったのだろうか?
しかし、レムリアは洸がそれでも命をかけて戦おうとする姿に、現代人の洸にも戦う気概を発見し、ラ・ムーの星だけでバラオを殺すのではなく、ライディーンの洸に力を分け与えようと決心したのではないだろうか?
もちろん、富野アニメらしくそういう心情説明は明示されない。だが、そういう風にも見える。

母親は「家族と一緒に暮す」為ではなく、「はるか昔から、自分の命と引き換えに、自分の責任で、この闘いを終わらせる」ために帰ってきた、と言う事実。
とりあえず、感想。: 色・彩(いろ・いろ)

この「妖魔帝国バラオ」と「古代ムー帝国」の戦いが、実は一万二千年前からの因果だとしたら、「将来に禍根は残せない。けりは必ず自分の手でつける。」と母様が心に固く誓っていたのはガチだろうし。そういう使命を持った女性を妻に迎えた父様も、いろんなことを受け入れることにしたんだろうし。子供が出来た時点で、「托すこと」と「後方の憂いを絶つこと」を決めたのだろうし。
もしかしたら。: 色・彩(いろ・いろ)

この色・彩(いろ・いろ)さん*1の見方は正しい。レムリアは自分でけりをつけようとした。だが、ラ・ムーの星だけでバラオを葬らず、ライディーンに力と同時に命令を与えた瞬間、レムリアは禍根に洸を巻き込んだのだ。


だから、ライディーンは勇者になると同時に、敵対勢力を屠る戦士としての業を背負ったのだ。
戦争とは、そういうことなのだ。綺麗な正義ではないのだ。

ライディーンめ!」

「バラオめ!」


最後の一撃の前、この両者が向かい合い、同じ中央ポジションで両者を罵る。この時、敵味方は善悪を越えて同じ存在となり、決闘するのだ。
子門正人の挿入歌で「正しい心と、歪んだ心。ぶつかるぶつかる火花を散らし」というが、どちらが正しいかということは相対的なのだ。富野主義だな!



このライディーンからゴッドバードへの輝く一瞬の変形で、上手下手が逆転する所は本当に見事。


でも、ゴッドバードがバラオの腹を貫く時は下手から上手への動きなので、また逆転。

ゴッドバードは振り向いて、また相互横スライドのカメラワークで、ゴッドバードが上手からバラオへ。逆転に次ぐ逆転。

ゴッドバードはバラオの剣に両肩を貫かれる。
だが、そのまま突撃し、

体内からバラオを切り裂く!!!!
バラオもライディーンと同じく両肩を斬り裂かれ、死んだ。

同じような武器を使い、同じような傷を負い、両者ともギリギリのところで、ほとんど偶然のようにライディーンは勝った。バラオは何の感慨も遺言もなく、ただライディーンに殺され、爆発した。戦争とは主義主張が正しいから勝つのでもなく、強いから勝つのでもなく、ほぼ偶然、一瞬の駆け引きで勝つのかもしれない。という演出だ。
これはすごい相対主義であり、ニヒリズムであり、戦争の冷徹さを描いている。子供向けロボットアニメだけどな。爽快感はない。正義もない。ただ、闘争のみが在った。
バラオもバラオで、自分の権益を確保したいだけだったのかもしれない。そしてムー帝国はそのムートロンのエネルギーと言う権益を妖魔帝国に渡さなかっただけなのかもしれない。善悪ではなく、ただの戦争なのだ。リアルなのだ。そういう闘争では、勝利は幸福とイコールではないのだ。勝利はただ、敵の殺害という現象に過ぎない。


そして、ラ・ムーの星を使ったレムリアは念動力を失い、こと切れる。「ムートロンを大切に。平和のために使うのですよ」と言い残して。
これは取ってつけたような平和を願う感動的台詞のように見える。だが、ムー帝国と妖魔帝国との関係を善悪ではなく、ただのエネルギーの争奪戦として見ると、レムリアはムートロンと言う無限エネルギーによって引き起こされた一万二千年間の帝国間戦争の歴史を踏まえて、そのような争いの種であるムートロンを現代人の洸に託すことに警告を残した、とも見える。伝説巨神イデオンの無限力にも通じる。(富野のアイディアの引き出しはあまり多くないのかもしれない)



そして、レムリアはムーの船に乗り、人類の知らないムーの国に戻り、そこで蘇りを待つ。死ぬよりも遠い、違う世界に行ってしまう。人間には妖魔との戦争で傷ついた地球と、無限エネルギー・ムートロンが残された。


洸の絶叫、そして出崎統的かもめ!
戦争の後の勝利は苦い!


だが、

洸の父、ひびき一郎博士は言う。
「洸、また明日から忙しくなるぞ。戦いは終わったが、まだ我々には仕事は山ほどある。
 新しい町を作り、ムートロンを全人類のために役立てるのだ。
 今度はライディーンがムートロンエネルギーの中継基地となり、ラ・ムーの星と共に役立ってくれるのだ」
(完)


ラストで、ロボットが戦闘を終えて、民生用エネルギーに転用されるとは、ものすごいどんでん返しだ!脚本の五武冬史(鈴木良武)さんはザブングルGガンダムにも関わったが、なかなかすごい世界観を作るよなあ。
五武冬史論<序章>: 南極怪獣通信




だが、ムー帝国と妖魔帝国の闘争が善悪やオカルト的陰陽ではなく、ただの平等なムートロン争奪戦だとすると、これからの人類にはむしろ、人類同士のエネルギー争奪戦が起こらないように、一万二千年前の過ちを繰り返さないようにしていくことこそが本当の戦いなのかもしれない。
子供向けヒーローアニメの主人公のライディーンにとって、悪魔との分かりやすい戦いは少年時代のハッキリとした戦いだった。だが、人類の長い生活の中でエネルギーを守っていく、争いを抑止する、平和を保って行く、新しく町を復興する、そういう地道な大人の生活こそが、本当の戦いなのかもしれない。
バラオとの戦いで、ライディーンはレムリアのおかげで勝った。だが、人類がムートロンを平和的に利用していくことこそが、洸の大人としての本当の戦いかもしれない。そう、ここで勇者ライディーンと言う物語は終わり、洸の少年時代は終わるのだ。
そして、洸はおそらく祖父と父、ひびき両博士の元で協力して人類のためにライディーンを運用する仕事につくだろう。それは、父を越えるとか、そういう分かりやすい成長物語ではないが、大人になると言うことはそういうことだ。分かりやすく戦って勝ったり、父を越えるのではなく、ただ仕事をする。大人だ。
海のトリトンポセイドンを殺して罪を背負ってトリトン族の末裔としての大人になったように、ラ・セーヌの星シモーヌがフランスを捨ててただの母親になったように、ブレンパワードが地球に帰ったように、カミーユやウッソやロランがガンダムを捨てて日常に戻ったように。
富野はこういう所は一貫している。(日常に戻れない場合、アムロイデオンダンバインのように死ぬ)
戦い続ける勇者や、愛され続けるシンデレラのように、いつまでも幸せに暮らしました、というエンディングは富野には無い。「戦争の後の、終わりのない日常と言うディフェンスこそが本当の戦い」ということだ。
リーンの翼の迫水真次郎は終わりなく勇者王として戦い続ける地獄の日常だったのかもしれない。


また、ムートロンエネルギーは1976年という時代背景を考えると、原子力エネルギーのメタファーとして考える事もできる。妖魔帝国とムー帝国の闘争は、核戦争寸前の東西冷戦のメタファーか?
富野アニメって必ず核問題が出るよね・・・。


そして、原子力エネルギーと付き合いながらの、災害からの復興というエンディングなので、2011年3月11日の東日本大震災福島第一原子力発電所爆発を経験した21世紀の我々日本人にも、勇者ライディーンは古びることなく、今日的問題を描いた物語として見ることができる。
石油資源やレアメタルを争奪する戦争は今もある。
富野アニメは40年くらいは軽く乗り越えるテーマ性を持つ。それだけ我々人類が進歩していないということかもしれない。


一万二千年前のレムリアが洸に業を残してしまった事も、原子力エネルギーを数万年単位で管理していかなくてはいけない現代人の血脈の業のメタファーとして見ることができる。親子、先祖代々、財産とともに業や争いの火種も受け継がれる。生き続け、世代を紡ぐことは厳しいことなのだ。


本当に、富野アニメは見てて疲れるよな!こういうテーマ性があると!


でも、本気で考えているということが伝わって良いです。21世紀に見ても全然古く見えません。


でも、バンダイチャンネルで、2012年1月31日、今日で配信終了である。
ページがみつかりません バンダイチャンネル
惜しい!
っていうかバンダイチャンネルは月額1000円で見放題とか意欲的な事をしているのに、レンタル屋になかなか無いライディーンの配信を止めるとか、もったいなさすぎる・・・。
金払ったのに・・・。

勇者ライディーン DVDメモリアルBOX(1)

勇者ライディーン DVDメモリアルBOX(1)

勇者ライディーン DVDメモリアルBOX(2)

勇者ライディーン DVDメモリアルBOX(2)

DVDボックスを買うくらいしか見る手段が無いぞ・・・。マジで。東京の渋谷の大きめのツタヤに置いてあるかどうかというレベルだしな。
新宿のツタヤには富野が監督をしていた前半だけのVHSが置いてあった。

でも、50話も富野コンテだし、富野的なテーマ性はあるし、ほんと、大事なんだよ!!!
監督を降板させられたのに、長浜忠夫の部下の演出担当になって、必死に自分の色を出そうとしてる富野とか最高じゃないか!
マジで!!!!


さて、ライディーンでは家族で戦うという展開をラストに持って行ったが、これが無敵超人ザンボット3に繋がる。
次に見る。もう持ってる。
さて、どう戦ってくれるかな?


その前に、長谷川裕一先生のゴッドバードをやっと読める。

ゴッドバード? (CR COMICS)

ゴッドバード? (CR COMICS)

*1:ほぼ唯一と言っていいライディーンの感想サイトさん!