玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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#翠星のガルガンティア 第07話「兵士のさだめ」動から静そして伏線

レドは地球にも棲息していたヒディアーズ、クジライカと遭遇。
一匹との戦闘には早期に勝利。ただし、ビームの水中での使用が非効率だった。今まで超強い無敵ぶりを発揮していたチェインバーだが、宿敵ヒディアーズには苦戦。結局ジークブリーカーによる肉弾戦をした。水中集団のヒディアーズの群れにはマシンキャリバー・チェインバー一機では勝算が薄い?
ここまでが動。


ここから静。アクションより会話が重視。
クジライカを神聖視して戦いを避けていたガルガンティア船団の地球人とレドの言葉での食い違い、ぶつかり合い。
ベローズとリジットから叱責を受けるレド。エイミーとベベルから情報を引き出そうとして、やはり叱責を受けるレド。
船団長と医者の懸念。


レドとチェインバーの議論。戦闘マシンのチェインバーがレドよりも先に、地球人の観察と論理からヒディアーズと人間の共存共栄案を導き出した。が、兵士であることに自分の存在意義を固定しているレドは勝算が薄く戦略的に意味がないのに、一人一殺レベルであってもヒディアーズとの交戦に頑なにこだわる。
人間のパイロットの方が人工知能より融通が利かないというのはSFとして面白い。
チェインバーはヒディアーズ殲滅という目的を自動的に兵士に強いる機械ではなく、状況判断をレドよりも的確に行うアドバイザーみたいになってる。2001年宇宙の旅人工知能HALは人間に組み込まれた命令を遵守しようとして発狂した(バグった)が、チェインバーはそれよりもさらに高度な人工知能のようで、今回のようにヒディアーズとの交戦に利益が無いと判断した場合は積極的な交戦は避けて待機を遂行した。
銀河同盟は個々の利益や戦果より全体の利益を優先する。チェインバーは局地戦よりも、そちらの全体的原理原則に従ったまでか。レドよりもチェインバーの方が効率よく地球人の風習を学習している?
チェインバーさんはレドよりも冷静。
だが、レドは兵士であることにこだわり、また同胞を殺された怨みを持つので勝ち目よりも戦闘を実行しようと。チェインバーはパイロットに命令されたら逆らえないので待機。
それをエイミーが止める。
私はヒディアーズガルガンティアを襲って、レドとチェインバーガルガンティアを守る展開になると予想していた。これまで、四話から六話まで、笛の記憶やバーベキューや祭の踊りや仕事を通じてレドがガルガンティア船団やエイミーと親しんだ。なのでそれらを「守るべきもの」としてレドが戦う展開になるのかと思っていたのだが。
そういう勇ましい展開にはならず、むしろエイミーに戦いを止められる。なのだが、戦いにならないように船団が息を潜めてクジライカの群れが行き過ぎるのを待つシーンには静の緊迫感があり、アクション戦闘と違った味わいがあった。
光の美しさも。
エイミーがレドの前で頑張って通せん坊しているのも。


それから、伏線の動き出し。
ピニオンはレドとともに海底の古代の遺跡に乗り込むと。そこには兄の仇を討とうとする過去の臭いがある。ベローズもその過去に関係している様子。
レドはヒディアーズと戦いたいからピニオンと共に船団を離れる。
また、船団の有力な船主も海底の遺跡、太古の文明の遺産や資産を狙って船団を離れる。元々船団は寄り合い所帯だから離れる契約も有りだ。
また、海底遺跡の遺産をサルベージしたいという意図は私利私欲だけではなく、文明を発展させたいという進歩主義もある。それは宇宙からきたレドとチェインバーに触発されたものでもあろう。
このように彼ら脇役にも固有の過去や思惑があり、その上で行動的にも心情的にも主人公と絡んでいく群像劇っぽい感じは面白い。


レド自身にも「人類は宇宙に広く発達して行くべき」という銀河同盟の進歩思想があり、それを今回ベベルにぶつけた。一介の兵士に過ぎないレドが一介の少年のベベルに「地球人は宇宙に発展していく計画はないのか!」と激昂するのは言い掛かりなんだが、それはレドの思想でもあり、銀河同盟に帰還したいという焦りでもあるのか。
感情的になったレドが地球語を話すのを忘れて通訳が追いつかなくなる、という演技は見事。
前回までのガルガンティアでの日常で、ガルガンティアに居場所を見つけ、エイミーに好意を自覚していったレドが、ヒディアーズとの再会で兵士としての自分を急に思い出して、感情が揺れるのが良い。
まどか☆マギカの「本当の自分と向き合えますか?」とかだと、もっと台詞でクドクドとレドの感情の揺らぎを解説しただろうが、今回は言葉ではなく行動や、通訳という演出で見せているのが、虚淵玄シリーズ構成の「アニメーション」作品として進歩している。今回の脚本は虚淵玄さんではない。他の人に任せて上手く文体の個性を変えて演出してるのが良い。監督の人事手腕が良いのか?
前回の山内重保さん、前々回の岡村天斎さんの絵コンテっていう人事も上手かったし。
私は虚淵作品は好きだったんだが、説明臭さだけがどうにも苦手だったが、ガルガンティアは説明を抑制して行動の交錯とか感覚で見せて行こうってスタンスが良いなあ。


で、今回のレドの気持ちの揺らぎは、ガルガンティアでの生活にも生き甲斐を見出だし始めた現在のレドと、地球に来るまでに銀河同盟で生きてきた元の自分とのせめぎあいなんだな。
しかも、レドの兵士としての生活が不幸で、ガルガンティアの生活が幸福、というわかりやすい平和主義倫理感の対比で描いていないのが良い。
如何に過酷な兵士としての人生であっても、それがレドが地球に来るまでに過ごした人生なら、それもレドの大切な一部。それを否定したらレドは自己否定的になり、辛い。だからレドは銀河同盟の兵士としての自分自身を取り戻そうとして取り乱す。それが戦略的に無謀でも、自分自身であろうとするレドの本能的感情なんだから仕方ない。
いや、そういう欲求からの葛藤が生まれた分だけ、戦うためだけに行動していた頃よりレドは人間的に変わった、とも見える。
こういう登場人物の心と行動の揺らぎと変容こそが見所だなあ!


また、海底遺跡の図は公式サイトで公開されているが、それは軌道エレベーターの基礎みたいでもある。ならば、今後はそれを復活させてレドが宇宙に戻りたがるかもしれないし、いろんな展開が生まれそう。
次回が楽しみな伏線も散りばめられた第七話だった。