玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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響け!ユーフォニアム第12話 ちぐはぐな言語演出が鼻に付く

nuryouguda.hatenablog.com

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前回、熱心にこういう感想を書いた私ですが、今週はちょっと私の好みではありませんでした。
第十二回「わたしのユーフォニアム」 脚本:花田十輝 絵コンテ、演出:三好一郎 作画監督:丸木宣明 楽器作画監督:高橋博行

  • 言葉がトゥーマッチ

ということに尽きる。今回、モノローグが多すぎた。前回は主人公ではない高坂麗奈のエピソードだったので言葉が削ぎ落とされて演出のカメラワークと絵コンテのレイアウトでのアニメーションならではの意味を含んだ芝居が構築されていた。
しかし、今回は主人公の黄前久美子のエピソードということで彼女のモノローグが多すぎた。
モノローグが全部ダメと言うわけではない。
「上手くなりたい!」
という叫びは何回かは必要だった。
しかし、多すぎた。いや、だが、「多すぎる想い」という思春期の思い込みの激しさを表現するためにモノローグ過多だったのだろうか?
うーん。携帯電話を紛失した久美子に対する麗奈の怒涛の着信履歴とか、「言葉が多すぎる」という表現はある。
だが、モノローグとダイアローグは違う。
ラストシーンで再会した麗奈と久美子だが、あれだけ麗奈が着信しまくった割に、会話が噛み合ってなくて消化不良感がある。
まあ、久美子が「ユーフォニアムが好き!」って自分に舞い上がっていたので会話が噛み合わない展開にするのは判るんだが、そこを、ぽっと出のガチャガチャのユーフォくんに興味を逸らしてしまってモノローグで麗奈とのダイアローグを拒否する感じなのはちょっとどうかなー。麗奈的には滝先生と久美子が二人っきりだったということを中途半端に聞かされたらもっとキレそうなものだが。前回の久美子と麗奈のホールのロビーでのダイアローグのセリフと演技の噛み合いが素晴らしかった分、今回は久美子の方がちゃんと会話をしないでモノローグに自閉した感じで残念。いや、久美子の性格付けとして周りが見えにくい自己中心的な傾向というのは前々から表現されてるんだけど。でも、久美子と麗奈がラスト前に噛み合わないっていうのは問題では?前回はあんなに名コンビっぽさがあったのに。まあ、人が分かり合える瞬間は尊いけど、分かり合えた状態がずっと続くと言うわけでもないんだが。吹奏楽は自分の楽器に集中して自閉するという面と、他のメンバーと合わせるという面があって、久美子と麗奈はもうちょっとシンクロしてた方が最終回前らしくなるのでは?次回、上手く合せられるの?難しいパートはあすか先輩だけになったけど、一応予選には久美子も出るんだよね?


「上手くなりたい!」のモノローグの連呼はあまり好きではないんだが。
そこから派生して秀一と「俺だってうまくなりたいよ!」「私の方が上手くなりたいもん!」と言い合うのはモノローグからダイアローグのドラマ性に繋がっていて、そこは芝居になっていて良かった。
「上手くなりたい!」からつなげて「悔しい。死ぬほど」と思わず口走って麗奈の気持ちに気づくのは芝居になっている。
だが、「あの時の麗奈の気持ちは~」とかモノローグで説明しちゃうのはちょっとダサい。
モノローグを減らして、回想シーンはフラッシュバック程度で良かったのでは?


「狙った音を出せないことの~」との練習シーンのモノローグも減らせたんじゃないか?元々が文章メインの小説だから言葉が多くなりがちというのは判るんだが、せっかくアニメで音も動きも使えるんだから久美子が狙った音を出せないって言うのは、もっと音の芝居で演出できたのでは?演奏シーンの録音がどうなっているかわからないけど、もっと台詞みたいに細かく「とちってやり直して、悔しそうに同じところを繰り返す久美子」の練習の演奏を演技として入れられなかったのか?
これは僕の個人的な好みだから別に作品の良しあしではないんだけど、モノローグで説明するのは視聴者に媚びた感じがして好きではない。キャラクター同士の会話や心情のぶつけ合いのための言葉は芝居になっているから好きだ。だが、視聴者の方を気にするキャラクターというのはメタなネタとしては面白いがやり過ぎるとキャラクターの気概を弱くしてしまう気がする。また、説明をしないと分かってもらえないんじゃないかと不安そうな演出家というのも自信がなさそうで好きではない。公式での正解のセリフを欲しがる視聴者というのも余白の美を理解していないので好きではない。


というか、モノローグが無くても久美子が自分を忘れて練習しまくるというのは、冒頭の「楽譜がぼやけて見える」とか「夏の湿気と熱さで画面がぼやけている」とか「鼻血を出す」という「絵」とか「演出」とか言葉を使わない芝居で表現されているのに、なんでモノローグを増やしてしまったのか。
久美子の「熱いのか?クールなのか?」という微妙なちぐはぐな性格を描くために、アクションシーンの少ない吹奏楽という題材を盛り上げるために、モノローグを増やしたんだろうか?
影像面でもかなり書き込みや撮影処理が多くて、その上でセリフも過剰だと、全体的にトゥーマッチな印象を受けてしまう。力量があって技術を見せたいという気分も分かるし、視聴者に丁寧に説明したいという気持ちも分かるが、それと私の好みはまた別で難しい。



「ユーフォは田中さんだけでやってください」と言う滝先生はクールだったけど、それを受ける久美子のモノローグは多すぎた。
その後、わざわざ携帯を学校に忘れて、たまたま滝先生が残っていて、二人っきりで話をする機会を設けて、「なぜこの仕事を選んだのか」と滝先生が久美子に言って、「好きってそれでいいんですよね」と言うセリフを久美子に言わせるための出来レースっぽい会話をする構成はちょっとダサい。
難しいんですけどねー。こういう自分の行動する動機づけに主人公が気付くシーンの思考を構成する物語作りは難しい。どういう事件を起こすのか、どういうリアクションを内発させるのか、どういうふうにそれに反応するのか、そういうキャラクターに対して他のキャラクターはどう対処するのか、物語を組んで演出するのは難しい。


だから、割と藝術制作とか芝居の演出は何が正解かわからないし、僕のこの感想も1回見た時点での飛ばし書きの印象論でしかない。
好き嫌いで言うと「ちょっと涙の粒がデカすぎだろ」とか逆に「夏紀先輩の優子先輩への回り込みのカメラ枠の使い方は好き」とか、いろいろ気分はある。「葵ちゃんと姉ちゃん都合よく出てきすぎだろ」とか。


アニメ制作も吹奏楽みたいなもので一つ一つの部署が頑張って一つのものを作るんだけど、各部署が主張しすぎると、それはそれで上手くない気がする。上手くバランスを演出してほしい。前回は僕好みの緊張感が在って説明が少ない作りだったんですが。


また、物語としてもダサい出来レースのシーンや演出もカッコいい決めシーンとか重要シーンのための伏線とか助走として、ダサいけど必要という面もある。全体のテンポの緩急をつけるために必要とか、原作との整合性のためとか、キャラクター描写としてとか、視聴者への印象操作や説明や情報提供としてとか、色んな理由で細かいシーンが全体にからんで歯車のように影響しあってどちらかを立てるとどちらかが立たなかったりして難しい。
僕のように「モノローグで説明するのはかったるい」と思う視聴者も居れば、「過剰なモノローグが青春時代の少女の思考の過剰さを表現するために必要なんだ」と作り手は思っているのかもしれない。ある人から見ると揃って見えても、ある人から見るとちぐはぐに見えたりするかもしれない。そもそもキャラクターとか人間とか物語製作とかアニメというもの自体がちぐはぐな存在なのでは?うわーっ!


なので、物語を作ったり、それを集団製作したり、それをテレビで何千万人に見せたりするのは、難しいんです!
いやー、次回は最終回ですけど関西大会に行けるのか。二期は全国を目指すのか。原作を全部やるのか。
ここら辺は売れ行きが物語を左右するという楽屋の事情もあって、いやー、難しいですけどどうなるんでしょうかねー。地域振興としては京都アニメーションには隆盛してほしいんですけどねー。


そして、ラスト前なのにいまいち噛み合わない久美子と麗奈はどうなってしまうのか。いまいちボーイフレンドとして影が薄い秀一はどうなるのか。Tuttiのメンバーの4人はまだ4人で仲良くはなってなくて、久美子と麗奈と、久美子と葉月とみどりのグループはまだ隔たりがある。他のパートのメンバーとはさらに距離が遠いけど、上手く合奏できるのか?
関係性がどうなるのかよく分からないですが、見守りたい。
ピアノミニアルバム 「響け!ユーフォニアム」