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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ガンダム Gのレコンギスタのベルリの殺人考察第1部第3話 大きなものに選ばれたい

 本稿はガンダム Gのレコンギスタの主人公、ベルリ・ゼナムくんが26話に渡って行った殺人行為を分析することで、彼がどのように意識を動かしていったのかを解説し、それをもってGレコの物語の動きを俯瞰し、テーマ性を推測しようというものである。
前項
nuryouguda.hatenablog.com
承前
何故Gレコはシン・ゴジラ、君の名は。のようにヒットしなかったのか - 玖足手帖-アニメブログ-


 が、第3話ではベルリ・ゼナムは殺人をしていない。なので、この記事の元になったトミノアニメブロガーナイトでのベルリの撃墜スコア批評トークショーでは省いた。
nuryouguda.hatenablog.com

 このブログも今年のトミケットの前に6話ごとに4稿にまとめてしまおうと思ったのだが。私がだらだらしている間に今年のトミケットも終わり、12月が近づき、仕方がないので逆に急がず1話ごとに解説していこうと思う。長くなったし。富野監督がGレコの劇場版を完成させるのが早いか、僕がベルリの殺人を評決するのが早いかだ!!
 第三話「モンテーロの圧力」の話。


本放送の感想
nuryouguda.hatenablog.com
 

  • ベルリのフィジカル面の混乱

 第3話はベルリは殺人をしないものの、第2話のラストでカーヒルを殺害したことでベルリ・ゼナムは心身ともに混乱している。
 Gレコをベルリを通じて解説しつつ、Gレコの描いた人間そのものに対しての批評をする文章だが、まずは表面的にわかりやすい3話のベルリの行動のおかしさについて書く。
 

・徹夜するベルリ


 カーヒルの戦死という事件があったものの、泣き疲れたアイーダは寝る。ノレドも寝る。しかし、ベルリは持ち前の生真面目さからか、興奮からか、寝ない。夜中に母親のウィルミット・ゼナム長官のオフィスにノレドとともに、ベルリはアイーダを救う陳情のために訪れた。その会見や事後処理を終えたウィル長官は仮眠をとったようだが、ベルリが寝た描写はない。


 ベルリ自身はカーヒルを殺したことについて感情的になったり声を荒げたりはしない。しかし、何も感じていないわけではなく、16歳の学生らしく殺人に対して気分の変調をきたしている。それをこのナチュラルな睡眠不足から読み取るべきなのだが、あまりにもさらりとした演出なので視聴者は見落としがちだ。
 Gレコはこういう演出の態度なので、鉄血のように「三日月の異常性!」「マクギリスは児童虐待されてた!」「ヒューマンデブリの人権!」「悲劇的な間違い!」と強調表現をしているアニメとは見る時に要求される注意の性質が違う。


 で、結論から言うと
twitter.com

 Gレコの第3話は搔い摘んで言うと、初めて殺人をして興奮したベルリが徹夜で母やクンパ大佐と会ってアイーダG-セルフに乗って、緊張しまくって便意を忘れるくらい精神が張り詰めて混乱してしまい、正常な判断力をなくして海賊についていってしまった、と言う話。

 
 主人公が正常な判断力をなくしている、という微妙な案件をアニメで描くのは難しい。大体やりやすい方策としては画面にアブノーマルカラー処理を入れたりキャラの絵をゆがませたり、モノローグで「僕たちはこの時はあんなことになるとは思ってもみなかったんだ」とか言わせるとかだろうけど。






 早朝にベルリは「モビルスーツとクンパ大佐が気になるんだ!」って言いながらクンパ大佐のオフィスに向かうが、ノレドに「嘘言え!あの女海賊を好きになったんだろ!」と言われて、「嘘じゃない!」と激高する。ベルリはアイーダが好きという気持ちを自分でも感じないようにして、クンパ大佐との面会を片付けようという義務感を優先して行動している、と自分をごまかしているし、この時点で精神的に集中力を欠いている。
 クンパ大佐にも早すぎるってそれとなく窘められているし、前夜の殺人とアイーダへの恋心と申し訳なさで気が逸っている。
 そういうベルリの軽率さの描写が点描されるので、ベルリが海賊についていったのは自分のウンコのこともわからなくなるくらい混乱していたからだ、と推理できる。が、推理しないと分からないことでもあるので、やはり分かりにくいアニメなのだ。分かりやすいアニメだったら「あの人のために俺はやるぞ!」とかかっこいいセリフを主人公が言ったり、「この世界は間違っている!世界のゆがみを俺が正すんだ!」とかいって海賊の方に行くとかだと思う。後、なんか嫌な感じの表情と声優の演技の役人が出てきて「キャピタルは悪、海賊が正義」みたいに分かりやすい感情誘導があったりすると思う。クロスアンジュとかは主人公から見て悪いと思われる奴が都合よく悪そうなことをして分かりやすかったじゃん。Gレコはなぜかそういう感情ガイドみたいな演出を排している。


・台詞の言ってることが混乱しているベルリ。
 そもそも、ベルリが何をしたいのかがいまいち定まっていない。
 アイーダが好き、と言うのはあるにせよ、本人はいまいちそれを表に出さない。「クンパ大佐に呼ばれたからだ」などと、自分が欲してやるんじゃなくてルールを守って行動しているからだ、みたいに自他ともに言い訳をして動く。主人公としては積極性に欠けるようなところがある。もちろん、能力は高いのだが。ここら辺の分かりにくさがGレコがいまいち売れにくかった原因の一つでもあろう。
 「世界の謎を解く!」とか「恋愛する!」とかのモチベーションが少ない。部活アニメとかの「とにかく勝ちたい!」という気持ちでもない。シン・ゴジラの内閣サイドのモチベーションは「仕事の責任感」とか「国を守る義務感」などですけど。ベルリも「ルールを守る」というキャピタルガード候補生の価値観を持っているけど、しかし義務感だけで行動しているのではなく、ベルリは自分の衝動性で動いているのを「ルールを守るために行動している」と言い換えている。
 ここら辺の主人公一人の内面だけでも衝動性と義務感が齟齬を起こしている。人間の多面性の表現でもあるので、それはそれで深みはあるのだが、分かりやすく売れる作品の作り方ではない。


・なぜG-セルフに乗るのか?
 クンパ大佐のオフィスで、ベルリはアイーダと議論をしていて、その最中にクリム・ニックによる空襲を受けてアイーダを追って、ノレドとラライヤとともにG-セルフにベルリは乗り込む。ここで、ベルリはそもそも何のためにG-セルフに乗るのか決めていない。アムロガンダムに乗るのはジオンから生き延びて難民を助けるためだったし、カミーユは気に食わないティターンズを叩き潰したり退屈な日常を金髪グラサンに破壊してほしかったからMk-IIに乗る。
 しかし、ベルリは何のためにロボットに乗るのかはっきりしていない。だが、理由がないわけではない。彼自身も自覚していない理由がある。それを本稿で解説する。
 クンパ大佐のオフィスで空襲のサイレンを聞いて、4人とノベルでオフィスを飛び出した。



 なぜ、クンパ大佐の試しに従ってコックピットに向かうのか?ベルリが真にキャピタル・テリトリィの安寧を願うのなら海賊のクリムが要求するアイーダの身柄はキャピタル・ガードの保安職員に預けて自分はノレドとともに避難すべきである。前項でも、私はベルリは公務員志望だし保守的価値観で「世界や人があまり動かないものだ」と思っている、と書いた。
 そう考えると、ベルリがここでアイーダをなんとなくG-セルフに乗ることを許してしまうのは矛盾している。


 アイーダに顔をチェックしろと言われて、ベルリはG-セルフの頭部を見るんだが、アイーダはレイハントン・コードのためにベルリ自身の顔をコンピュータにチェックさせろ、と言ったのだと思う。なので、ベルリの勘違いだし、ベルリはテンパっている。ベルリは優等生だし周りに自分が慌てているとか思わせないように取り繕うのが上手い。それで視聴者もベルリを有能な主人公だと思いがちだけど、作者の富野監督はベルリが重層的な無意識と意識のレベルで混乱しているとして描いているので、視聴者は「有能なベルリがなんでこんなことをしているのかわからないしGレコは支離滅裂で意味不明なアニメだ」と思う。大体のアニメは登場人物の人間的な部分を自然主義として描くよりはキャラとして因果関係や行動を物語の本筋に奉仕するために整理して描く。
 しかし、どうやら富野由悠季監督がGレコでやりたかったのは「整理されていない人間そのものについての考察」だったようなところがあり、Gレコは整理されない人のわんぱくさを描くために作品としてはとっ散らかっている。これは作り物の作品としては不適格なのかもしれないのだが、ともかくこれはそういう作品なのだ。



 ベルリはアイーダG-セルフに乗るのは許したのに、動かすなっていうのは明らかに矛盾した言動だ。


 そのくせ、モンテーロの攻撃が激しくなり、アイーダがそれを止めようとすると



 アイーダG-セルフを飛ばせようとする。
 ここら辺のベルリの一貫性の無いように見えるところが視聴者の混乱の元だったんだろうなあ。(ただ、好きな異性やロボット戦闘を前にして一貫性を持てる男子高校生も少ないのだが)


 ベルリがうんこを我慢していて徹夜明けで殺人をしたばかりで美女に興奮しているから、というわけで混乱しているのも確かなのだが、それ以外にもベルリの行動の人間らしさを説明することはできる。

  • 人は大いなるものに選ばれたい

 Gレコがなぜシン・ゴジラのようにヒットしなかったのか?
何故Gレコはシン・ゴジラ、君の名は。のようにヒットしなかったのか - 玖足手帖-アニメブログ-
という記事で

 ソシャゲのガチャやパチンコやギャンブル、江戸時代の富くじなどがなぜこんなにも大衆に流行したのか?それは自分が選ばれて当たり、他人が蹴落とされるという神からの承認欲求が満たされる快感が絶大なものだからです。エースをねらえ!の原作版や転生ラノベなど「何のとりえもない普通の読者の感情移入しやすい能無し主人公」が「神様のような大いなる力に選ばれて活躍」という物語の類型は非常に快感の代償行為として古くから今に至るまで大人気である。
 みんな権威ある何かに愛されて選ばれたいのです。そして、それには理由はなければない方が、努力は少なければ少ない方が、しかし権威付けとしてはしっかりとしていれば「効率よく」「大いなる愛」を受容できる。


大衆はマンモスを集団で狩って絶滅させた成功体験によって繁栄した猿どもの子孫なので怪獣を寄ってたかって狩ると原始的な興奮が得らえて楽しいし、快感脳内麻薬が脳の報酬系からドバドバもらえるのでシン・ゴジラはヒットしました。
 アメノハバキリに乗っていた名もない顔もない他人がゴジラの無作為(に見えるが庵野によって調整された)暴力によって殺害されるけど矢口や巨災対や「守ってもらえた日本人」に感情移入したがる視聴者の猿どもは「ゴジラという神の試練を突破した自分たちは選ばれて生き残る価値がある」と錯覚して神の愛を感じて報酬系から脳内麻薬がドバドバ。


 ゴジラの設定としても、血液凝固剤であんな風にわかりやすく突然、一斉に全身の表皮まで凍結するわけないんだが。ゴジラが固まるあのシーンはパチンコエヴァンゲリオンの使徒撃破確定リーチ演出フィーバーの援用でしょ?結局、日本人はハラハラさせられてもギリギリになって一気に結果が分かって「自分が助かる」っていう展開を好むモンスーン型思考というか、パチンコ中毒というか…。

 と、私は「シン・ゴジラで日本人が神の試練であるゴジラに選ばれる構図になり、観客が快感を得るのはパチンコやギャンブルに当たった時に選ばれたと思う錯覚と同じである」と、嫉妬半分に述べたわけだが。
 じゃあ、Gレコでは「神に選ばれたい」という人間の本能が描かれていないのかというと、そうではない。
 

塹壕の祈りから始めて - Walk in Jesus
塹壕(ざんごう)の中に無神論者はいない」という言葉は、第二次世界大戦中にあるアメリカ兵が言った言葉らしいですが、誰でも死と隣り合わせの激戦地の塹壕の中のような状況に置かれれば、神様を信じていない人でも、神様に向かって祈らざるを得なくなるということは容易に想像できることです。


もちろん「塹壕」に放り込まれて、祈り出した当初は、自分が誰に対して祈っているのか、誰に対して祈りたいのか判然としません。人から、「イエス・キリストだけが本物の神様なんですよ」という話も聞いても、すぐに信じることができる人は稀なのではないかと思います。

しかし、塹壕戦のような苦しい持久戦の中に長く身を置いていると、そこでの祈りも、「誰でもいいから、とにかく助けてください」といった抽象的な叫びから、「もし神様というものがいるのならば、どうか助けてください」というように、神の実在を前提にした具体的な祈りに変えられ、最終的には自分が祈ってきた対象が、まさに神であり、救い主であるイエス・キリストだったことを、後になって確信するということがあるのではないでしょうか。

イザヤ 43:1
恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。

 人間の原始的な本能として、理不尽な現実の地獄の中で「神に選ばれて自分だけは助かりたい」「選ばれるのはうれしい」「選ばれないことは死ぬこと」という意識は強い。石器時代からプレインストールされている。むしろ、哺乳類は子供の頃に上手く親の母乳という愛情に選ばれるかどうかで生殺与奪が変わってくる豚のような生き物なので、神や親に選ばれて愛情を得たいという気持ちは生物としての本能だ。ただ、シン・ゴジラは「神に選ばれ官僚に守られる日本人の快感」を観客に感じさせつつ作品としては強調しなかった。逆に、Gレコは「選ばれたがる登場人物」を描いてしまったために、選ばれる快感を欲しがる大衆という観客はそれを直視したくなかったのではないか?だからGレコは売れなかったのではないか?
 人は芥川龍之介の蜘蛛の糸などをみて「自分だけ選ばれたいと思う人は正しくない」とよく述べる。しかし、人の哺乳類としての、弱い神にすがる本能としては他人がどうなろうが自分だけ生き残るように選ばれたい、生贄を捧げてでも自分は助かりたい、と思うことの方が自然だ。道徳観念で「自分だけ良ければいいと思う人は良くない」と言うのは、実際の所、万民は万民の敵なので、利己的な人は敵だ、というだけのことに過ぎない。全員が利己的なので逆に、他人には自分に尽くして欲しいし、自分は他人から利益をかすめ取りたい、と思うのが人間だ。道徳なんぞというものは他人に奉公させるための方便だ。(マクロな視点では多くの人間が闘争状態にならないように、互いに限定し合って国とか組織を運営するためにも道徳やルールは使われるが、だいたいの人間はクズなので守っている振りをしながら自分は如何にズルをして利ザヤを稼ぐかに血道をあげる。ワイドショーでも国会でも相手の揚げ足取りばかりだ。ポリコレは世界を良くするためではなく他人の粗さがしの道具になった)


 話をGレコに戻す。
 むしろ、ベルリがG-セルフを動かすことにしたのは、彼が選ばれたがったからだ。彼は海賊のクリムのモンテーロと戦いたかったわけでも、アイーダを戦わせたかったわけでも、キャピタルの正義やルールを守りたかったわけでもない。16歳の男の子らしく、ただ選ばれて褒められたかったからだ。



 モンテーロの空襲警報が出る直前のクンパ大佐の煽りに乗せられたのがベルリ君ということだ。
 







 だから、ベルリがなぜアイーダG-セルフに乗せたのかというと、ハッキリとした目的や利益の目論見があったわけではなく、謎の美女のアイーダと謎の美少女のラライヤと同じモビルスーツを動かせたら「選ばれた気がしてうれしい気がする」からです。その程度のなんとなくの感じなので、Gレコのベルリの行動がいまいちロボットアニメの主人公の「乗る理由」「乗るフラグ」「乗る行動」というステップアップやテンプレート描写とはちょっと違って分かりにくい。
 そして、ベルリの目的は「G-セルフを起動させて選ばれた感覚を味わいたい」だけなので、G-セルフを戦わせようとか海賊と合流しようとか、そこまでは思ってない。だから、アイーダG-セルフまで案内したのに「動かしたら誤解されますよ!」とか言っちゃうのは実は矛盾ではないのだ。彼の目的はG-セルフを起動させることで達成されたので、戦うことではないのだ。テレビのこちら側で見ている視聴者の私にとってみれば、ロボットを戦闘中に動かした時点で戦闘行為とみなされても仕方がないと思うが、その程度の想像力も働かない間抜けがベルリ君なのだ。
 しかし、それはもちろん彼の間抜けさではあるのだが、それが彼の「らしさ」でもある。


 ベルリがデッキに飛び乗ってきて落ちそうになったノレドの尻を、助ける振りをしてなんとなく触ってしまうのも、彼がなんとなくの欲望で動いてしまう描写だ。



  • ベルリの道徳観念について

 モンテーロの襲撃の直前、ベルリはアイーダと問答をしていたのだが。





 ベルリは「カーヒルの襲撃は多くの人に被害を与えたので、自分が一人殺したくらいでアイーダさんに人殺しと責められるのは違うと思う」と主張する。多くの人を殺したカーヒルを殺すのは人命の量としてはベルリの方が正しい、という意見。
 大してアイーダは、「カーヒルは地球全体の人類文明について考えていた質の高い人物なので殺したベルリは悪い」と返した。
 それで、私は前項で「ベルリは世界は不変であるべきだと思っていて、逆にアイーダは世界は四角くないので変化させられるものだと思っている」と書いた。
 ベルリは学校で教えられた歴史認識のもと、アメリアのアイーダのような変化主義進歩主義を批判して、「人間がスコード教のタブーを破って宇宙世紀のような間違いを犯すと人類は全滅しそうになる」「人類はスコード教の決まりとキャピタルの配給に従っていればいいので、それを変えようとするのは良くない」と主張する。
 もしかしたら、これはベルリが憲法9条を守る日本人で、アイーダは急進的なアメリカ人というメタファーかもだ。
 それで、前述のごとくキャピタルガード候補生のベルリが「MSを起動させても、それは戦闘行為にはならない」と思っているのは自衛隊の現状に対する富野由悠季アイロニーかもしれないのだが。(富野由悠季リーンの翼で、日本帝国軍と自衛隊を描いた経験がある)
 また、アイーダが「人類全体のことを考えているカーヒル大尉の命は他の人よりも重い」という言い方はアイーダが軍総監の娘でアッパークラスの貴族だからだ、とも言える。もちろん、アイーダが個人的にカーヒルのことが好きだから、なのだが。
 それに対してクンパ大佐がこう言う。

 クンパ大佐は金星のガンダム王国の貴族でありながら人類を弱肉強食の訓練で進化させるために月を経由して地球に舞い降りた世界の黒幕という属性コテコテ盛りマンなのだが。クンパ大佐は世界の裏側というか世間のいくつもの支配階級を渡り歩いて炎上させてきたスーパーアジテーターなのだが。


 前述で私は「人は神に選ばれて救われたいという本能を石器時代から持っている」と書いた。
 だが、実のところ神様などはいないのである。実際にあるのは物理現象としての現実だけであり、それを勝手に擬人化して因果関係を動物に過ぎないヒト脳が解釈するために生み出したのが神という概念だ。


 神じゃないとすれば運命だが、「どこかにあなたを選んでくれる運命の人がいるよ」と言う「君の名は。」は滅茶苦茶売れたわけで。やはり、ヒトのそういう「選ばれたい願望」を代理体験させてくれるコンテンツが、ラブライブ!とかのヒットに現れているんだろう。




 では、神がいないとすればそれは何だろうか、それは「世間」です。人は神に選ばれたいと思う。しかし、神はいない。石器時代ならともかく、現代は自然よりも人が人に干渉する機会の方が多い。つまり、人は結局のところ人に選ばれるしかないのです。
 しかし、ただ単に誰かに好きになってもらう、それだけでも人は満足しないのだ。それは、恋人とか交際相手が一人いるだけでは満足できず、そのカップルの写真をインスタグラムなどにせっせとアップロードしてネットのみんなに反応してもらわないと承認欲求が満たせない、そんな人の例を見ると分かるでしょう。
 人は誰かに愛されたいが、人は人に愛されるだけでは満足できない。
 僕もこんな長文をインターネットに書くのは世間様の反応をうかがって欲しいものリストから読者にプレゼントしてもらってうれしい、とかそういう理由だ。TwitterでRTされたりブクマが増えるとガーリッシュナンバーの主人公の千歳さまのように嬉しい。FGOやアイドルマスターシンデレラガールズやグラブルで数字が増えるのを見るのはとても楽しい!数字自体に物理的な効果は全く無いんですけどね!
 
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著者へのプレゼントはこちら
nuryouguda.hatenablog.com


 しかし、まあ、Amazon欲しいものリストは実利に適っているが、実のところ、富野アニメが面白いな、と思っても別にこうやって多くの人が見るインターネットに文章を書くのは世間に反応してほしいからだ。(まあ、日記を書く癖はパソコンを持ってない90年代からあったのだが)
 普通にアニメを見て面白かったなら、別にその感想を文章にして残す必要はない。実際にTwitterとかで「グダちんさんのブログやガンダムについての同人誌を読んで富野作品への理解や興味が深まった」という人の声を聴くと嬉しい。
 僕は実際は、KLab株式会社で新卒で過労死寸前になって退職したせいで借金が返せなくなった母親を自殺させたクズなんですけど、こんな僕でも誰かに気にかけてもらえるというのはうれしい。
 僕はGレコについて文章を1日1記事くらい書くと2万円くらいの欲しいものリストからのプレゼントがもらえる。アフィリエイト収入もある。
 労働よりも金銭的にはものすごく効率は悪いが、自分の考えを誰かに読んでもらえるのはうれしい。


  この電気羊種怪人ヌ・リョウグ・ダが金やちやほやされるためにブログを書いてると思っていたのかァーッ!!ぼくは『読んでもらうため』にブログを描いている!『読んでもらうため』。ただそれだけのためだ。単純なただひとつの理由だが それ以外はどうでもいいのだ!
岸辺露伴 ルーヴルへ行く (愛蔵版コミックス)


 まあ、金やちやほやは読んでもらうのと別のレイヤーで面白い体験なのでもらえるものは貰っておくのだが…。こないだは僕のブログの読者の女の子と京都嵐山で紅葉を見た後、料亭で天然鰻を食べたよ!「グダちんさんみたいな有名ブロガーとご飯を食べられるなんて、料金はこちら持ちでお支払いしたいくらいです~」って言われたよ!ガハハ!


 そうでなければ、僕は「めしふろねる」しか言わず、あとはテレビに向かって芸能人や野球選手の失敗に悪口を言うだけの父親や、娘を自殺に追い込んだのに毎晩老人ホームから僕に「寂しい寂しい」と毎日同じ内容の電話をかけてくるボケた祖母のようなクズになってしまっただろう。
 まあ、幾原邦彦論でネットでライター活動をしてた宮台真司の弟子筋の はるしにゃんも僕に富野監督の批評同人誌のコラムを依頼して企画打ち合わせをしてた期間に自殺しちゃったんで、別にアニメが面白くても文章を評価されても、かわいそうなメンヘラたちとセックスしても死にたいときは死ぬんだけどさー。
kai-you.net

b.hatena.ne.jp
誕生日だからはてなブックマークしてくれ2016年。

今、誕生日だから、パチンコ屋に入場待ちしていて、パチ屋の無料ワイファイで更新してまーす。もりもりはっぴー。

誕生日だから、はてなブックマークくれ。

それに尽きます。この一年を思い出すと。二年ぐらい思い出してみると、みるみると、はてなブックマークがつかなくなったな…と。Hatena知り合いを思い出してみると、id:nuryougudaとか、id:sasuke8とのブログ、ネット場でのリアクション、コミュニケーションも途絶えた。
yarukimedesu.hatenablog.com

 自分のやったものを評価されないと、こういうアフィ乞食になってしまうんだよなあ。まあ、僕がやってることも富野監督の作品にあれこれ言っているだけで、別に僕が何かを生み出してるわけじゃないけど。


 っていうか、これ、何の話だっけ?

  • 神に選ばれることは世間に支持されることと同義である

 人は救われたいと願い、親鸞とかキリストみたいに「神様が救ってくれるっていう設定を考えたから実際にも救われるんです」とか言う奴が熱狂的に支持されたり、救われるために自分を選んでくれる何かを神様だと思う。そういう習性を持ったサルの一種です。
 しかしながら、実は僕は理系の大学を卒業して気付いたんですけど、方程式を解いた結果、神様はいません!
 神様というのは集団行動をするために猿どもの脳みそが発明したサブルーチンに過ぎない!
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福
サピエンス全史(上) 試し読み増量版 文明の構造と人類の幸福
繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ドゥ・ヴァールによれば、人の道徳には他の霊長類の社会では見られない二つの洗練された特徴がある。人間はかなり厳格な報酬、罰、評判の構築で社会の道徳規範を強制する。またある程度の判断と理屈を用いる。これは動物の世界では見られない。


心理学者マット・J・ロッサーノは宗教が道徳から派生し、個人の行動の社会的監視を代行する超自然的存在を含むまで拡張されたと主張する。絶えず監視する祖先、精霊、神を社会領域に含むことで、利己性を抑制し、より協力的な集団を構築する効果的な戦略を発見した[8]。彼は宗教の適応的価値は集団の成功にあったと考えている[9] [10]。


脳の進化
宗教的な心は脳の進化の結果の一つであり、それによって宗教的、哲学的思考が可能になった[21]。人類の進化の歴史の中で、ヒト科の脳は初期と比べて3倍になり、50万年前にピークに達した。脳の巨大化の多くは新皮質で起こった。脳のこの部分はより高い認知機能の情報処理に関係しており、宗教信仰に必要である。


進化心理学は心臓や耳や免疫系と同じように、認知能力にも遺伝的基盤があり、従って自然選択によって進化したという仮定に基づく。宗教は人類の歴史の初期に脳の構造が進化した事によって生み出されたという一般的な合意が認知科学者の間にある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

 出典はウィキ!!!!!


 最近、カミュの異邦人に感情移入してスマホの充電が切れた時に読んでいるのだが、太陽のせいで殺人した人をメッチャ裁く裁判官はアレルギー反応のように「神や親族を敬わないやつは社会にとって有害だ!!コロス!!」ってキレるんで、サルの反射神経なんだろうな…。神や親族への感情というのも物理的には存在せず、脳が関係性を誤認しているだけだというのに…。
異邦人 (新潮文庫)


 富野監督は最近の講演会で「西洋は一神教だけど日本はアニミズムで~」とかクソ雑なことをおっしゃったらしいが、自然を解釈するにあたって擬人化する日本神道ギリシャ系の宗教と自然物を自然物のまま崇拝する系の宗教ではアニミズムでもまた変わってくるよねー。(インドやケルトアニミズムの神話がなぜキリスト教カースト制に取って代わられたのか?ということも考慮されたし)

まあ、Gレコは宗教を扱った作品ですが、僕はとくに宗教が専門というわけではないので触りだけ紹介します。(僕が言いたいのは人はサルの一種だということであり、ガンダムユニコーンで「人間だけが神を持つ!」ってドヤ顔で言うおじさんが出たときはめっちゃ笑いました。何が可能性だよ。残念ながら神はサイコロを振らないんだよなあ…。事実しか存在しねーよ(ガンダムパラレルワールドだけど))


 というわけで話をGレコに強引に戻すと、アイーダ・スルガンはカーヒル・セイントのことを世界を変革させるために行動する聖人だと思っていたけど、それをクンパ大佐に「神にでもなれるような人だったのかな?」と指摘されると、「そんな、極端な…」と絶句してしまう。


  そして、ここが重要なのですが、ベルリ君はガンダムという神に選ばれる存在に俺が成れば、カーヒルを超えて俺がアイーダさんに神様扱いされて好きになってもらえるんじゃないか?選ばれたい!!!!」と思ってしまったのです。だからベルリ・ゼナム本人は戦争を好まないし事態の変動を嫌うスコード教の信者なのに、「G-セルフを動かせるかどうかを試すクンパ大佐の仕掛けに乗る」という行動をモンテーロの空襲警報という非常時に、睡眠不足と殺人の高揚感という最悪のコンディションで選択してしまうのです。


 この行動は矛盾だと思うだろうか?いや、僕はこれこそが人間的な行動だと思う。
 スコード教は安定した機械システムを崇拝する宗教だが、実は人は安定には耐えられない。(機械システムや人工物を崇拝することの是非については、実際に姫路城を崇拝する人や鉄道マニアなどが存在するし、ムスリムが常に位置を確認しているメッカの四角いアレなどもある)
 安定した計画経済を行った社会主義が崩壊したのは、社会主義が資本主義よりも劣っているから、ではないだろう(どっちもどっちだと思う)。むしろ、ヒトが計画的に安定した広い組織では個人の出世が望めず、汚職に走ったり世襲権力にすり寄ろうとして組織が腐敗したからではなかろうか。人は計画的に安定して共同する組織よりも、神の見えざる手で欲望のままに消費社会で競争することの方が動物として似合っている。ヒトは博打で生活圏を拡大したので、安定に耐えられない。だから戦争はなくならない。

http://caislean-oir.com/caislean-oir.com

ギャンブルの歴史|世界の賭博の起源

ギャンブルは占いから派生したというのが定説で、
その起源は人類が文明を築き始めたころにさかのぼります。

当時の占いに使用されていた動物の骨や石、木片などが
原始的なダイス(サイコロ)として転用されるようになり、
投げて出た面に合わせて結果を決めるといった、簡単なギャンブルが最初に誕生しました。

人類史上初めてギャンブルが行われた地域は定かではありませんが、
世界中の洞窟壁画、遺跡の出土品、文献などで
ギャンブルに興じる神々や人々の描写がなされていることから、
むしろ各地の文明にて同時多発的に生まれたとも考えられています。

古代エジプトの墳墓からは
神々がダイスを振ってギャンブルをしている様子が描かれた陶器が出土し、
中国では司馬遷の「司馬記」にギャンブル狂いの諸侯の話が、
日本では「日本書紀」に天武天皇の賭博に関する話が書かれています。
ギリシャ、そしてその後地中海沿岸を統治するローマ帝国にも
同様にギャンブルに関して記された文献が残されており、その数は挙げればキリがありません。

古代インドの叙事詩Mahabharata(マハーバーラタ)にはギャンブルで身を滅ぼした男の物語が記され、
また同地域の4世紀頃の書物である実利論Arthashastra(アルタ・シャースートラ)には
ギャンブルから税を徴収してコントロールすべきといった、
現代国家が実践している賭博管理システムについての記述がすでに記されています。

サルが、住み慣れた森を離れて大地へ降り立ちヒトとしての暮らしを始めた。
太刀打ちできない外敵が潜んでいるかもしれない。何が起こるかわからない。
その挑戦を端に今日まで進化を成し遂げたこと自体が”賭け続けた結果”とも言えますから、
ヒトの歴史そのものがギャンブル、なのかもしれませんね。



ギャンブルはモノを投げて吉凶を占うという行為から派生したため、
投げて使う占いの道具がギャンブルに転用されるのは自然な流れだったのでしょう。

世界各地の遺跡から様々な形のダイスが出土しており、
それらを用いてゲームに興じる神々を描いた洞窟壁画、器なども多数発見されています。


古代文明において、”出目”は予測不能で神の意志が宿ると考えられており、
王侯貴族は占いにも、そして遊戯にもとにかくダイスを使っていました。

ローマ帝国の歴代の皇帝たちは皆揃ってダイスによるギャンブルに心酔し、
第4代皇帝のクラウディウスは攻略法をまとめた書籍を作ったとも言われています。

 まあ、僕も人並みにスマホで遊べる基本無料一部課金アイドルリズムゲームとカジノとブックメーカーのために戦いを続けるP空士兼マスターでスターライト学園に通う妹をマイキャラにしているペアともという当世風の娯楽をたしなんでいるのだが。


 「レアガチャ!」「確率表示!!」とか雑魚どもは運営に文句を言うが、僕はアンチラを単発で出した業運の持ち主だし限定SSR大槻唯ちゃんには8万円の予算を組んだのに4万5千円でしぶりんときらりんも含めて出たので実質的に6万円の黒字です。確率とか可能性とかに神が宿る!とか野球の打率分析とかが好きなスポーツ新聞おじさんとかソシャゲ廃人とかガンダムユニコーンが言うけど、俺に言わせれば、確率なんか俺が出すか出さないかでしかない。1か0かだ。


 オリンピックや市場株価貿易為替経済などに多額の金をつぎ込むのも、AKBの選挙や芸能人のゴシップに夢中になるのも、サルが球技や他の個体の思惑、世間というものに神が宿ると誤認して、神と接触したいという神秘体験の快感を求める本能に過ぎない…。球を早く遠くに正確に飛ばすのは確かにサルから進化した人の特殊技能であり直立二足歩行というホモ・サピエンスの本質なのだが、客観的に考えると大谷翔平くんが投げたり打ったりしようとも、僕や野球ファンの生物的な栄養や健康状態には一切関係がない。
 僕には球戯場のドーナツの穴の中心で動く選手たちを見ながら、客席を赤血球のように徘徊する人からビールを買って叫ぶ野球ファンはさながら老廃物を吐き出す腎臓のメタファーのように見える…。(まあ、僕もシンデレラ4thはLVで楽しめたし、ジミー・ペイジが演奏しなかったクラシックロックアワードを企画したKLabは早急に返金すべきだと思っている程度には芸術鑑賞が楽しいということは認識している)


 余りナメた態度とるんじゃねーぜ?オレはやると言ったらやる男だぜ。
 (というか、この世界線の僕はアンチラを単発で出した僕なので、もし僕が単発でアンチラを出してなかったらD4Cで単発でアンチラが出た端末を持っている世界の僕と入れ替わるだけです)
 政治の世界においてナプキンを取るのは常に勝者ですし歴史は勝者が作るものであり敗者は即死して忘れ去られるので負けた時のことは考えなくていい。
 僕も回す方のノッブと同じ感覚を持っているので、寄生獣の10巻の新一みたいにガチャを回すときは「行けばひょっとしてなんとかなるんじゃないかって思っている…そんなはず決してないのに… 不思議な感覚だ…」って言っている。そしてドブった時のことは忘れて単発でアンチラと水着ヴィーラ剣を2本出した時のことだけ覚えている。(生存バイアスですね!)
 ミギーみたいに突然「ガチャを回したくなった!4時間カジノに行く!」とかそんな感じ。(万引きする癖を覚えなくて本当に良かった)


 まあ、スマホゲームは物のたとえでして、Gレコについて何を言いたいのかというと、「高度に発達したコンピューターシステムの選定は神の御業と区別がつかない」ということです。

 しかし、ベルリ君はバビル2世感覚で「コンピューターに守られた超能力少年に選ばれてヒロインの隣に座りたいぜ!」と行ったものの、そのコンピューターを作った運営のオッサンに2クール目で会った時はマジギレするわけですけど。それは後のお話。
「Gレコのテーマは、現在の科学技術の進歩と金融資本主義に汚染されてしまった現代の問題」と富野監督が講演会で言ったのは、ガンダムと関係ない気がしたけど、ソシャゲや株に諭吉をぶち込んだ今なら体感として理解できるぜ!
 Gレコもゲーセンのマキブガンダム動物園でガチャ扱いされてんだろぉおお???いいこちゃんぶってるんじゃねえぞ!富野監督がいくらご高説を垂れようとガンダム勢は動物園のモンキーなんだよ!
 

 あと、コンピューターに左右された世間の評価でグーグル先生がお金をくれるネット広告がクリックされるように考えている、このブログもコンピューターと世間を神様のように感じて影響を受けがちかもしれないので気を付けようと思う。コンピューターは俺に奉仕する道具であって俺がコンピューターに最適化するのはあべこべだ。(僕は逃げも隠れもするし嘘もつくし闇討ちや騙し討ちもするけど、富野監督のことは割と気に入っているので富野作品やそれに匹敵する芸術に対しては、僕がその作品を「割と気に入ってるな」という気持ちを維持するために誠実でありたい。ただし、それに適さないクソのような作品はスタージョンの法則です)


 ベルリくんはスコード教の教えに基づいて「人類は賢くないしクソだし、道具を正しく使うこともできないし、勝手にさせると全滅しそうになるクソ」とスーパー上から目線マンだけど、「でも、神ってるガンダムに選ばれしものであるボクちゃんは偉い調査部の大佐の思惑も乗り越えてみせる!美人のお姉さんと一緒にガンダムに乗る資格がある!」って「99%の人類は糞だけど飛び級生で優秀で選抜試験を乗り越えて運命的にガンダムと出会ったボクちゃんはクソじゃない!」という実に人間的な行動に出て、結果としてG-セルフのコックピットでスフィアとかプリキュアとかバスターマシンの女性声優や逢坂良太君に見られながら脱糞することになった。石井マーク君、これが人間なんだよ!人間は糞をするんだ!富野監督と一緒に「クロスボーンガンダムの世界にニュータイプなどいない!サルと人間だけだ!」という境地に達した長谷川裕一先生のZガンダムハーフは名作!

  • 大統領選挙について

www.affiliate-studies.net

ネットには神様がいる

山田:ネットの神様は、3つのことを守らないと認めてくれない。まず誠実じゃなきゃダメなんです。まず、消したりしちゃダメ。よく消してしまう人がいますが、魚拓も必ず取られているし、何千、何万という人たちが見ているから、すぐバレちゃう。だから間違っていると思ったらすぐに「ごめんなさい」をすることです。不誠実だと思われると、もうダメなんですよ。
getnews.jp

 山田太郎という議員候補がいる。左翼っぽいけど共産党に入れるほどでもないリベラルなオタクが今年の夏の選挙で表現規制問題とかで投票した。
 僕は大した教育も知見もない愚民どもが選挙権とか言う紙切れで神様扱いされる風潮は実に猿の原始宗教を見るようだなあって思うんだが。
 まあ、民主的な選挙はアメリカの南北戦争の代理です。孫子の兵法の以前には「戦争は神聖な物であり、戦争の結果は神の意志なので、迷ったら戦争をして勝った方に従う」という思想が中国にもあったらしい。
 そういうわけで、選挙=戦争=神=世間=選挙という循環参照が成り立つわけです。
 まあ、僕は親やはるしにゃんや5人くらいの知人が目を離したすきに自殺してるので、首を吊ったり飛び降りたら数分で死ねるのに、なんでみんなそんなに死ぬのを怖がって金を使って戦争をするのか全く理解に苦しむのだが。すとらいさんはぼくよりも性格の良いアニメブロガーだったのにがんで死んじゃったしなあ。死後アニメになった伊藤計劃もなー。


 それで、山田太郎さんをほめたたえた舌の根が乾かぬうちに、トランプが大統領に内定したら「ポリコレは死んだ!!!!!」とかいうTwitter民がいる。
 ポリコレは最初から泣きも笑いもしないよ。死ぬのは人間だ。
doatomado.hatenablog.com



 僕にとって他の人間は(脳のセックス感覚を共有している脳内妹以外は)親でさえ死のうが拷問されようが全く知覚できない他人なので、完璧にどうでもいいのだが、どうやら他の猿どもは民意が反映されたものはどんな結果であろうと、たとえ間違おうと自分の意志で間違ったのだから正しいとかヤン・ウェンリーのような惰弱なことを言うらしい。
 ふざけるんじゃあない。僕の意志は僕の意志であって民意などを僕は共有したつもりはない!
 僕はこないだ死ぬほど金玉が痛くて涙目でアナルをほじられて前立腺などを検査されたが、まったく異常がなく、ストレスで骨盤底筋肉が緊張しているという診断を受けたので精神の薬と飲酒を増やして、女性声優が優しく膝枕させてくれる音声作品を多く聞くようにしたら金玉の痛みが軽減したぞ!そんな僕の気持ちを民意などというものが分かってくれようものか、いや違う。金玉の痛み、悲しみは、俺たちだけが知ればいい。メーデーメーデー!SOS!!!!


 そんな俺たちの気持ちを代弁してくれるのが大統領の息子として常に「ナプキンを取る側に選ばれること」を運命づけられ、それを自分で実践しているクリム・ニック君だ!!!!!!


 世間の代弁者である神のようなユニバーサルスタンダードのコンピューターのG-セルフに選ばれたいと思うベルリ・ゼナム君の陰影を際立たせるために、「私が選ばれる状況を戦って勝ち取る!」という天に選ばれた天才を自称するクリム・ニックくんのキャラ付けはとてもうまい。


 ただ、美形でかっこよくて正しいメインキャラのクリム・ニック君は最初は敵を殺さないようなスマートな戦い方をしていたので、



軟弱な不殺が蔓延していた種や∀ガンダムガンダムだと思って、クリム君を推そうとしていた腐女子は、中盤にクリム君が全く何の感慨もなく大量殺人をしてるのを見て、「もう、あれは前田慶次みたいなものだと思うことにします…」って言ってた!
 大統領の息子のクリム君にとって、モブキャラは世間や空気を作る大切な人権のある民主的な同志とかじゃない。大衆を殺すか殺さないかも貴族階級であるクリム君が自分で「選ぶ」!

 「自分を選べ!」とモンテーロのお立ち台で自己アピールする!

 「天才とおだてられて調子に乗っていませんか!」という現場管理職の声を聴けば、

 「ジャベリンありがとうねえ」と補給部隊の下っ端の好感度を上げる。
 自分が活躍して栄達するための政治的な空気や下地つくりをパフォーマンスを混ぜたコミュニケーションでやりつつ、戦いで成果も出して周りクリムを選ばないといけない状況を作る。天才だ。


 そして最終回まで成長したら大統領を殺すかどうかも気分次第という所になるんだけど、たぶんクリム君は天才なのでほとぼりが冷めたら「金星政権に反逆した父にNOを突き付けた天才息子」として政界に返り咲くためのパフォーマンスとして親父にタイヤ戦艦をぶつけたっていう所まで考えているかもだ。
 大衆どもが移民だの規制だのと言って暴力をふるうのが現実のアメリカでも起こっているわけだけど、アッパー階級のトランプやオバマは選挙運動では有権者にパフォーマンスをして熱狂させるために戦って見せたけど、選挙が終わったら握手をする。それがアッパークラスというものです。大衆は世間に選ばれるものだと思っているけど、貴族にとっては大衆の空気は自らの力で動かすものなのです。
 ただし、その貴族がやっていることも、Gレコの後半で明かされるように家同士の足の引っ張り合いだったりするわけで、実は貴族が神に近いという王権神授説も間違い。
 大ヒットしている大河ドラマ真田丸を見るように、地方で領主をしている大名や貴族が参勤交代して宮廷では国王や天皇や将軍にぺこぺこ家来になっている。
 結局人間の脳の認識力が100人程度しか認識できないので、貴族は数万の大衆を率いているが、彼らは数万の大衆の趨勢を数万の人のそれぞれを認識して考えているのでは無い。貴族は貴族社会という”ちょっと豪華な”ムラ社会にいるだけである。
 芸能人に対して視聴者が文句を言って世間をお騒がせ、みたいなマスコミも記者クラブというムラ社会にいるだけだ。テレビ業界もな。
 誰も、誰のことも見ていない。せいぜい自分の衣食住に関わる親族や金づるのことくらいしか考えてねーよ。インターネット社会になっても、フォロワーやインスタグラムのイイネなんかゲームのFGOのATK値と大差ないね。数字!コンピューターだよ!(はたして、このヒト脳の群体は戦闘妖精雪風のような人工知能・機械知性体の判断に従うことができるのだろうか?それともネットワークを持ち、人体の寿命をはるかに超えられる機械知性体よりも生殖や安心感と言った本能に左右される動物的な直感の方が価値があると言い張るのだろうか?僕は人間よりもコンピューターの方がはるかに人間を多く認識できると思っている)(まあ、コンピューターは結局労働者が部品を組み立てないと生殖できないしメンテナンスも人間にやらせた方が低コストなんだけど)


 クンタラという「選ばれない階級」に生まれたルインは努力を世間を代表する大人の通過儀礼を乗り越えることで「選抜され直されてマスクになる」ということも重要。ルインを通じて世間や、富野監督が描きたいといった、全体主義ナチス的な記号ではなくハンナ・アーレントの言った凡庸なモッブ大衆が構築する空気のような全体主義を描くGレコのもう一つのストーリーラインが作られる。

dargol.blog3.fc2.com
富野の言う「個性」とは才能のある人が特例として世間に認められて初めて「個性」となるのであって、そうでない普通の人々のそれは単なる「クセ」でしかありません。


しかし、そのG-レコの大問題として肝心の子供にウケなかったということを富野は指摘していました。


今現在製作中の劇場版に関しては、ドラマを作り直し、もっと広く見られるようにすると言っています。
それをわかりやすく言うと「ゆるキャラのように作る」とのことなのです。

 富野監督は世間、とりわけ純粋な子供の評価をイデやルペ・シノのように求めているらしい。まあ、富野監督がお孫さんを大事にしていること自体は微笑ましいのだが。「はだかのおうさま」の寓話のように「しがらみのない子供や道化が真実を言う」というのも、愚民好みの反知性主義って感じで僕は嫌いなんだけど。
 まあ、富野監督の絵コンテをスーパーアニメーターとガンプラ予算で支えたら僕は楽しめると思う。世間のことは僕はニュータイプでも並列コンピューターでもないので認識しない。Gレコの円盤が5000枚売れようが、俺は1箱で十分です。(ていうか、持ってても棚から出してプレイヤーに入れるのがめんどいので結局バンダイチャンネルで見る…)
 でも、ブレンパワードのオルファンさんの美術だけはBDで見たいのでバンダイビジュアルさん、本当にお願いします!ラブライバーの金を分けてくれ!

  • 余談 回転と四角

 ベルリの支離滅裂なG-セルフを動かしてしまったことの解説は、「神、博打、選別、世間、承認欲求」というヒト脳の進化生物学的に逃れにくい本能の分析を通じて述べた。
 なので、ベルリの話としてはもう終わりましたが。


 第3話はモンテーロの圧力なので、クリム・ニック君の殺陣がいい!
何がいいって、モンテーロのビームジャベリンの「回転」がいいよね。

nuryouguda.hatenablog.com






アイーダ「世界はァー!四角くないんだから!」
アイーダ・スルガンが宇宙海賊の教義を吹き込まれて育ったという事を考えると、アイーダ・スルガンがキャピタルガードに向かって「世界は四角くないんだから!」と叫ぶのは、彼女なりの世界観だろう。
そして宇宙エレベーターを中心としてコの字型の演出が繰り返された世界観の演出を見ると、スコード教は「四角教」と言える。

   地球の大気層の上部に存在する大気光
       ↑      ↓
       ↑      ↓
       キャピタルタワー
       ↑      ↓
       ↑      ↓
地球の地表に暮らす人類はフォトンバッテリーを配給される

という、四角四面な、地球平面説的な上限関係がキャピタルタワーを運営するキャピタルテリトリーと、それを支えるスコード教(スコードとは、アンビリカルコード(へその緒)の意味)が世界を支配して、フォトンバッテリーの配給によって独裁をしているので戦わなくてはいけない、と言うのがアイーダの世界観で主義主張で、彼女が修羅場になった時に発する気合のイデオロギーである。
で、アイーダは「世界はキャピタルタワーの上下関係に支配された平面で四角い物でははなく、地球は球面なのだからアメリア大陸でももっと弾道軌道的な運動を使って宇宙進出をしてもいいんじゃないか?」というアメリアのイデオロギーを親のスルガン総督に吹き込まれているのだ。
だから、「世界は四角くないんだから!」と言うアイーダさんのセリフは一見意味不明ですけど、演出と世界設定と芝居とキャラクターのまさかと思う位置がアニメ考察の優勢の位置となる!
ちゃんと意味があるんですよお!


 アメリア軍は巻き取りビームワイヤーをグリモアサブマシンガンモンテーロのビームジャベリンに採用していることからもわかるが、「回転」を基準にした戦術が多い。(Vガンダムザンスカール帝国「回転」だったし、ジオンは曲線的なデザインや流動的なサイコミュ連邦軍との差別化だった)
 対して、キャピタル・ガードカットシーとかレクテンが四角いし、直線や平面を使っている。直線的なビームサーベルとかビームライフルとか。
 そんな直線的な流派(チェストーッ!とか言う)を極めたデレンセン・サマター大尉のカットシーを攻めあぐねたクリムがモンテーロのビームジャベリンを

まっすぐ投擲!モブに対しては回してワイヤーであしらう武器を、名前有りエースパイロットの乗る量産型に対しては、正面特攻バスター宝具にして「ジャベリンは!こう使う!」ってするの特別感があっていい。
 で、そのランサー特攻宝具をカットシー

 ライダーしてたエフラグの平面で受けて、


 直線武器ビームライフルモンテーロをロックオンする!やはり回転特化のモンテーロが直線投擲を行ったのはクラスの相性が悪かったか?(無人モンテーロ爆弾が一番戦果を挙げたわけだが)
HG 1/144 モンテーロ (クリム・ニック専用機) (ガンダムGのレコンギスタ)
HG 1/144 カットシー (ガンダム Gのレコンギスタ)


 うーん。メカデザインの曲線と直線で陣営を差別化するのはガンダム以降のロボットアニメの基本になっているが。(マジンガーの頃の敵ロボットは端的に言えばキモイ)
 戦い方の回し切りと打突で陣営の歴史とか性質や思想を表現する富野の殺陣、最高…。量産型MSでもエースが乗ると専用機体の特攻宝具を「かばうガッツ」で受けてカウンター狙えるとか、富野殺陣はスリリングだよ。女の岡田麿里には教えたくない快感だ。
 鉄血なんとなーく、微妙なゴルフ場のようなところでちょろちょろ走り回って、結局はSSRのバルバトスが来たら終わり、みたいなしょぼい戦争しやがって。
 大体決戦兵器であるのが鉄血のMSの設定なのに、微妙な木立に隠れるとかボトムズのATの戦術とごっちゃになってんな。もっと大きく動け!


 で、さらにこのモンテーロ戦のいいところはG-セルフのちょい足し。

 平面のエフラグを盾にして、その裏から直線ライフルで狙うっていう、専守防衛キャピタル・ガードらしい実直な自衛隊っぽい戦い方をするデレンセン大尉はジャベリンで半壊したケルベスのエフラグを見捨てて戦う。そんな余裕はない。ケルベスもそれは覚悟の上だろう。


 しかし、アイーダはカーヒルを殺されたにもかかわらず、一度は自分を助けようとしてくれたケルベスのことを覚えていて消火剤で助けてくれた。人の縁を大事にする姫様…尊い…。あれ、アイーダさんって射撃が糞だからポンコツだと思ってたけど、ヒーラーとしては優秀だったりする?
 また、6話との関係だと、デレンセンは自分の身を晒して戦う一本気な人で、そんな彼の最後と、彼にやられて落ちるものを助けるG-セルフの伏線になってるんだなあ…。回転と直線の戦いを仲介するのが、色んな色に変われるG-セルフなのだろうか。




 G-セルフが両軍に味方だと思われてokで停戦する仲介役に成れたのはいいことだ。
 しかし、4話や6話だと…。両軍の調停者に成れるルーラーは全てから攻められるバーサーカーでもある…。

 ガンダムや殺人に翻弄されるベルリの精神的な揺らぎを中心にお伝えしてきましたが。


 アイーダさんは前夜に自分の恋人のカーヒルを殺害したベルリに対して、自分の仲間のクリムの悪口を教える。この女心はちょっと僕には難しい。
 アイーダはカーヒルを失ったら、自分にアプローチするベルリに関心が出てきたのか?
 クリムとベルリを自分の手の中で争わせて、より強い遺伝子を持った雄を選ぼうというカテジナのようなメスの本能だろうか?
 男の子は選ばれたいし、選ばれるために強くなりたい!って思うし、それは母親の母乳を求める幼児体験の快感の追体験の欲求だろうけど。女性は母親になってどの雄の子を産むか選んだり、どの雄の子にミルクを与えるか選んだり、より強い実家を持っている夫を探したりする。


 ここら辺のGレコの人間に対する描写は、実に石器時代の原始宗教レベルのヒトの本能を鋭く描いている。しかし、やはり人間である観客は願望を持ってしまう人間そのもの、鏡に映った自分を突き付けて批評するものには耐えられず、Gレコは売れず、願望を代行して充足してくれるスポーツ選手の活躍やグリフィンドールに100億点の物語が売れるのだろうか。


 僕はGレコ大好きですけどね!人間の糞仕様への文句だけでここまで語れるGレコはガチで楽しい!これが人間だ!
 「人間はこうあるべき!」というメッセージより「こうあるべきと思い込んでしまう人間の精神の仕様」まで踏み込んでいる物語をロボットアニメでやろうという頑張りは評価できる。
 何より、石器時代レベルでの人間の本能を物語に組み上げるのは普遍性があっていいと思う。


(まあ、富野監督に直接取材したわけじゃないので、僕の勝手な思い込みっていう方の確率の方が正しいのだが)

ガンダムウェポンズ ガンダム Gのレコンギスタ編 (ホビージャパンMOOK 684)
GGG ガンダム Gのレコンギスタ アイーダ・スルガン 約1/10スケール PVC製 塗装済み完成品フィギュア


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