玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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∀ガンダム小説「月に繭 地には果実」〜福井小説と富野小説の違い〜


機動戦士ガンダムUCで今をときめくブンゴー福井晴敏が2001年に幻冬社文庫で発売した物を!
月に繭 地には果実〈上〉 (幻冬舎文庫)月に繭 地には果実〈中〉 (幻冬舎文庫)月に繭 地には果実〈下〉 (幻冬舎文庫)
2005年のローレライ戦国自衛隊1549亡国のイージスの福井映画化イヤーでハードカバーあきまん装丁クリムト風で発売された物を、
月に繭地には果実―From called “∀”Gundam
2010年にやっと読み終わったと、僕は!5年間、表紙のディアナ&キエルの御ヌードを拝んですごした。

そんな風にやる気の無い僕、未だ何も成し遂げていない僕には、機動戦士ガンダムユニコーンを書き上げた福井ッちをdisる資格は無いし、トミノも含めてガンダム全体のためには2月20日から限定公開されてこれから波に乗らんとするガンダムUCには是非ともヒットして欲しい。
また、インターネットは作者や関係者も読む場合があり、下手な事をいえないのだ。
それに、僕は僕で・・・あまり人のことを言える状態じゃない。


ただ、この間久しぶりにバガボンドを読んでみたらカラクリ人じゃないほうの宮本武蔵が漬物じゃないほうの沢庵に「天に祈ったら自由とかうんたら」言う説教をされて「武蔵的にはー剣を握ってるときが天と一体化してるっぽい」とか言ってて、あー、僕は文章かなーとか思ったので、やっぱり書く。ドーパミン的な意味で。
あと、単に僕は性格が物凄く悪いし、ネット弁慶です。
まあいい。ここまで枕。さて。


すべての、ガンダムを分かちあうすべての人々よ、わだかまりを大地に置いて、私の言葉を聞いてください。

「(読者は)メディアの違いを理解せよ!」

「小説に足りない物、それは!情熱、映像、動力、音声、視点、優雅さ、乱雑さ!そして何よりもー!速さが足りない!!」


以上!
上のセリフで分からない人には、これ以上説明しても僕が疲れるだけだから書かない。


もうちょっとだけ具体的に言うと、馬鹿ロランや突撃ソシエやドスコイ・アッカマンやむっつりアグリッパやエル・カンターレ御大将の癖に、みんながみんな地の文になると、グダグダと、かしこそーで同じよーな視点、雰囲気の、知性、洞察力、内省描写を発揮し、それはニュータイプとして意識を共有してるんじゃなくって作者の言葉だなあ。
が、それら作者の分身達が「エゴが悪い」「わかりあうことを拒否して・・・」とかゆってると、はてしない言葉ひとり遊びだなあと。「拒絶こそが世界の歪み」とか書いてあるけど、福井版のキャラはソシエですら断定的で明晰な思考をしている。ソシエの性格というよりは福井さんの性格に見える。
(対して、佐藤版の文章は若干、詩的な感じの揺れ幅がある。)
単に小説を書きなれてない頃の作品だからかなあ、ローレライとかも読んでないしなあ、僕は。
って思ったけど、性的トラウマや劣等感で行動するという敵の設定の仕方や地の文のくどさや断定口調の意見や視点の置き方やいきなり賢くなる主人公はガンダムユニコーンでも変わってないように思えたので、作家の個性だろう。
ま、富野由悠季の小説を読んでいても、富野由悠季の映像の原則の教本を読んでいても、富野の場合は何を書いても富野の地が出てしまうという印象はある。その点では富野と福井は似てるかも試練。
ただ、トミノはトミーノ自身がかなり分裂気味でミーハーで無節操でローリングストーンで煩悩と悩みで同時に原理主義で(中略)だから富野の地が出ていても「おお、また富野がやらかしたか!いいぞ!もっとやれ!」っと楽しい。
福井先生はそこら辺がまだちょっと常識の範囲内というかどこかで見たような感じ。だが、それゆえに大衆文芸としては正しいので、まずは売れる事を評価する大富野教としては正しいとする。


ところで、id:kaito2198さんが「最近、『福井小説に富野節が溢れている』という人が多いけど、そんなことはない」っておっしゃってる。
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-691.html
まあ、違う人が書いてたら違うだろう、とは思う。
言葉遣いを真似た所は散見されるけど、富野に比べたら変なオノマトペや読者の理解や小説の構造を超越した人間の突破力が少ない。


スニーカー文庫佐藤茂版と比較すると、おそらく、月繭は佐藤版よりは遅い時期に書かれたもの、だが、本編完結よりは前のプロット(モビルアーマー月光蝶等)を使って、アニメ本編と平行して描かれたものだろう。
だから、前半部分はテレビ版を生かして割とカッチリと描かれている。福井版は登場人物の取捨選択、エピソードの順列組み合わせが行なわれておるので、佐藤版より後にアニメを再構成して書かれたものだろう。再構成の巧みさは流石に福井氏の筆力を感じた。
だが、原作がない後半になると、初期設定を使って書くより他に無いので、やおい設定やムーンバタフライやカイラス・ギリなどの没アイディアが出てきたんだろう。
あと、上で描いた作家個人のモティーフね。
それが改変部分の順列組み合わせの結果となって、最初は同じ出発点だった物が離れるに連れて違っていくのは面白かったかな。


佐藤版ではロランが虚弱児だったりして、これはこれで雰囲気が暗かった。コンプレックスで行動する所は福井版と共通か。
ただ、佐藤版はそれが「弱者に対するいたわり、弱者だからこその克己」という「ハイム夫人奮戦記」のような物になっているが。福井版はフィルに対するテテスの嘲笑に象徴される、<censered>(←言葉を選ぶのがめんどくなった)である。
あと、虚無感。
あと、地の文で悪人を悪く描写する事で悪人だと印象付けるのはいかがな物か。
「グエンが獲物を狙うコヨーテである」とか。そんな断罪は酷いなあ。グエンはやりたいようにやってるだけで、そんなに悪い人じゃないと思うけど。良くも無いけど。


あと、佐藤茂版でも在ったけど、グエンが性的虐待を受けてホモに成るって言う設定はアニメではカットされて本当に良かったなあ。いやー、夕方のテレビだからって言う理由じゃなくて。
それがしも百合姉妹読者で森奈津子ファンであるから、「虐待って言う理由のあるホモ、ヤオイ→葛藤」ってのがどうにも我慢ならんのだ。そんなものは文章テクニックでしかないの。

グエンがローラを愛したのは、ローラが可愛いからよ。それだけ。

まあ、百歩譲ってグエン・サード・ラインフォードが性的虐待を受けた事実があったとしよう。まあ、そう言う事はある所にはある。
が、僕がグエンなら絶対に口が裂けてもそれを戦場で女にながながと説明しないと思うよ。プライドが許さん。
一言「愛するローラの勝利を願います」って言うだけでいいと思う。
そしたら聞く方も「あー、ホモだから仕方ないね」って了承する。


あと、「女として」っていう言葉が物凄く多くて鼻につきますね。
狂っても「女だから」戦うのも「女だから」立ち直るのも「女だから」。お前は男だよ!
まあ、これは僕のこだわりに過ぎないのかもしれないけど・・・。僕は、いやだ。
福井さんの言う「女として」というのはだいたい、恋愛に殉じたり結婚出産の場面が多い。ああ、男から見た女と言うのはそうだろうね。男が女に用があるのはそのときだけさ。
ずっと待っててくれるソシエなんて男のロマンそのものだもんなあ。アニメのソシエは流れてきた謎の美少年ロランという少女萬画ロマンを捨てて女事業主に!
やっぱ、富野アニメの元気さは脚本音楽声優アニメーターも含めたスタッフワークだろーか???


福井先生は「高村薫先生を参考に、取材による丹念な描写を勉強した」と言った事がある。
障汨コ薫は新聞の批評とエッセイと神の火を読んで李歐を買った。神の火だけかよ!
高村先生も女の癖に男らしいって言うか腐女子に人気の小説を描く人で、描写が丁寧なんだが、高村の内面描写は福井小説よりはドライで間合いが上手い。高村が登場人物の内面に踏み込むのが慎重なのだ。その釣り合いが、情感なんだよねえ。
1作しか読んでないけど。


あ、でも、福井ガンダムの丹念な描写は戦闘シーンや破壊シーンといった無機物描写は迫力があって面白かったです。
字コンテっぽい感じで、映画化が多いというのも、さもありなん。


ただ、内面や思想や設定を丹念に描写すると、言うだけ野暮。構造的に野暮になるのが小説家?
だから、「メディアの違いを理解せよ!」と読みながら自戒するのが、読者にできる事。
というか、思いついたネタやカッコいい美辞麗句をくどく書くのは僕のブログの癖でもあるので、自分で「福井っちはくどい」と書きながら物凄く自己嫌悪に陥っています。

問題があります。それはネタはいくらでも入れるんだろうけど、ネタがあまりにも多すぎて、劇中では消化しきれないと、その部分が話の贅肉になります。贅肉は、話には不要です。消化しきれない背景は、雑音になるだけです。ですから、実をいうとネタを使う際に、一番難しいのは入れる入れないの問題ではなく、消化できるかできないかの問題です。
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html
福井晴敏の小説『機動戦士ガンダムUC』の問題点を語り尽くす その2」(TOMINOSUKI/富野愛好病)

うん、その通り。ごめん、僕も話が長いんだ・・・。
ちょっとだけ書くつもりが・・・。


あ、フォローすると、ヤーニ少尉が終盤でラジオを聞いて過去を思い出す所はベタな描写だけど、ベタゆえに普通に面白かったです。このシーンは好きです。面白い所もありますよ!
さすがにヒット作家なのでドラマの見せ方や書き方は上手いと思います。
福井さん自身が、小説家になってしまうくらいグダグダと長ったらしく考える人なので、逆にヤーニ少尉のような物を考えないが男気はある先任伍長のような男を書いた方がバランスがいいのかも知れん。
ローレライ亡国のイージスは映画を見ただけだが。



それにしても、平行して同じ題材で描かれた富野版ターンAガンダムのなんと、元気な事か!
小説版の人々が小さな恋愛などにこだわって狂乱するのに比べ、なんと無節操で浮気性な事か!
アニメのディアナ・ソレル様はウィル・ゲイムIII世が死んだあと、総集編をはさんだだけでミハエル大佐とチェスで遊ぶ。うわぁ。ディアナ様つよい。あの歳でお菓子作りもどんどん覚えますからね。
ハリー・オードなんて「女王一筋」と言いながらキエルに「サングラスをかけていると女王を守りながら色んな女の子をチラ見できるから幸せ」とか言って変態仮面丸出し。富野不真面目すぎるwww


黒富野の印象があるけど、Vガンダムもバレーボールをして遊んだりしてるし、真っ黒い小説版Zガンダムのラストでカミーユは発狂するけど、どこか勢いはあって、理屈で鬱屈した狂気じゃないんだよな。
「みんな死ぬにゃ!」
(↑これはSD版かみーゆ)

ターンAガンダム 月に繭 地には果実(上) (講談社BOX)

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ターンAガンダム 月に繭 地には果実(下) (講談社BOX)

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