玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

#GATCHAMANCROWDS 11 Gamification ゲーム的戯画化?将棋・外交など

http://vod.ntv.co.jp/program/GATCHAMAN_Crowds/
最終回直前!
2013年9/27(金)まで全話一挙無料配信中!!


今回はAパートがGメンバーが最終決戦前にはじめに対する印象をモノローグで語るという名の総集編。
まあ、1クールアニメだけど1クールの節目だし最終回前に総集編で今までの経緯をまとめるのは良いですね!いろいろあったねーMESSとか牛乳とかトンネルとか。なつかしいなー。
べ、別にスケジュールが間に合わないとかじゃないんだからね!

ガッチャマン クラウズ @GATCHAMANCrowds

【速報】さきほど、ガッチャマンクラウズの全アフレコが終了しました。最終回のオンエアは今週金曜日の25時58分となっておりますよ。楽しみにお待ちくださいませね。
9月23日-3:04
https://twitter.com/GATCHAMANCrowds/statuses/381841491699593217

アフレコが終わってから4日後に放送とか…。アフレコ深夜3時までとか…。
がんばって・・・がんばって・・・


あらすじ
http://blogs.yahoo.co.jp/yjcsy800/40327249.html


僕が前回、前々回の感想で「ガッチャマンクラウズってクレヨンしんちゃん劇場版 爆発!温泉わくわく大決戦に似てる娯楽映画ですね―」って書いたんで、このアニメは1クールアニメだけど1本映画としての構造もあるから。映画としての骨子の尺をある程度自由にしつつ、テレビって言う尺が決まってるメディアに合わせるために、こういうのりしろの部分があるのは技としては良いですね。

  • はじめ教祖誕生

しかし、ぶっちゃけ、この総集編ではじめ以外の5人のGメンバーがはじめを褒めまくるの、宗教団体の作ってるアニメやマンガみたいで、ちょっとアレでした。
「はじめは常識を打ち破って本質を教えてくれる」「はじめのおかげで自分に自信が持てた」「はじめのおかげで俺は変われた」って、なんか気持ち悪かったです。
僕ははじめもそんなに大した人間ではないって思ってるし、どーも「はじめたんは神!」「はじめちゃんみたいな人は他にいない!」みたいに主人公をそこまで持ち上げるのって承服しかねるのだ。


いや、今まで内面描写が少なかったキャラの今まで語られていなかった気持ちが語られて、面白いなーって思う部分もあったっすよ?
よかったのはうつつちゃんが「初めははじめが大っきらいだった」ってはっきり言った所。
「O・Dを取られちゃうんじゃないかと思った」っていうのも、なるほどなー女心だなーって思った。
で、そこから「”なぜか”"だんだん"はじめが気になるようになった」ってうつつが言うんだけど、女の子どうしの友情は大して理由はいらないと思ってるんで、”なぜか””だんだん”レベルでいいと思うんだ。
うつつちゃんパートのラストの「はじめと出会えたから産まれてきてよかった」「でも、私は私だから!」っていうのはうつつがはじめに依存しきってないって感じで、いい感じの女の子同士の距離感だと思うっす!


でも、年長組が300年生きてたり色んな星を経験したり29年生きてたりしてたのに、「はじめみたいに自分を理解してくれた人ははじめて!」って言っちゃうの、今までどんな貧しい人生、どんなコミュニケーション障害で生きてたんだよ!って思ってうつうつします・・・。
まあ、はじめの存在と行動が影響して、パイマンや丈の復活に影響したって言う面もある。
でも、はじめだけじゃないだろ!パイマンはむしろ「幼稚園児を守りたい」っていう自分の本心に素直になったってことだし、丈の復活は「はじめに世界平和って言う理想を肯定してもらったから」って言うまとめより、「清音ありがとう」の方が本筋だと思うんすよ。そこら辺、全部はじめの手柄みたいにしちゃうの、なんか違うかなーって思う。
まあ、「はじめを信じれば救われる」っていうんじゃなくて「はじめがきっかけだったけど、結局大事なのは自分で考えて自分だけの答えを見つけよう」っていう個人主義が結論っぽい各人の語りでしたけど。
しかし、これ、どういう状況での語りなんだろうね。
「最終決戦に向かうはじめに宛てて、心ノートに書いた手紙」とかだと泣けるんですけどね。
「清音ありがとう」は実際すごく良かったし。


☆追記
実は、一ノ瀬はじめって今までガッチャマンの心NOTE通信で誰かに書き込みしたことはないんですね。NOTEをデコったりしたけど。
ギャラックスやガッチャンネルでネットには書き込みしまくったのに、ガッチャマンNOTEで誰かと意思疎通したことはない。大体、Gメンバーに対しては口頭。
まさにINNOCENT NOTE。はじめは言えない思いが溢れているから、逆にノート通信をしない、って考えると泣けるっす。
そういうわけで、今回Aパートを受けて最終回ではじめが最期に心ノートを初めて使って誰かに想いを書く、と言う展開があるとマジ泣けるっス。
☆☆追記の追記
って思ったら、はじめって1話のしょっぱなでノートにパイマンの似顔絵を描いてたな…。いろいろ忘れてるからやっぱり一挙放送とBDで見直そう・・・。ほんと、節穴みたいな目だな。死にてえよ

↑主題歌も入ってるっす

INNOCENT NOTE

INNOCENT NOTE


ただ、最終回前に「はじめはすごい主人公だー」って印象をまとめちゃうように仕向ける演出、ゲーミフィケーションっていうか、キャラ立ち作りなのかなー。
総理やネットの描き方もそうなんだけど、現実そのままを描くのは映画としてつまらないんで、戯画化して印象を作るってのはアニメらしいな、と。
ただ、モノローグで説明するよりイメージで戯画化して戯曲として見せてほしかったな、って言う面もある。まあ、終盤モノローグだけで終わっちゃったエヴァンゲリオンよりはマシなんですけどね。


ただ、やっぱり丈さんはそんなにはじめと絡んでなかったし、総集編の絵の組み立て方も、微妙に丈さんパートは説得力がなかったかなーとか、音楽的な流れがスムーズじゃないな、とか急いで作ったのかなーとか言うのを感じる部分もあったんだが。

  • はじめってそんな大した女じゃないだろ

エンディングテーマの「楽しくしてても悲しくなる。消えてしまいたいよ」って言う鬱っぽい気分がはじめにもあると思うわけで。
「はじめは明るい太陽みたいな子!」「はじめは違う角度から本質を見抜く!」って言われると、僕は「いや、それだけじゃないだろ」って思うだけど。
前々から僕は書いてるけど、「はじめの違う角度から物事を見る態度」は僕から見ると事実歪曲で「いじめられっ子の発想」だと思ってるんで。

なんでかって言うと、僕自身がいじめられっ子で、しかも親にいきなり自殺された自死遺族でもあるからだ。

僕にも世の中の人にはそれぞれの事情があるって考えていた時期があったし、親が自殺相談会やカウンセラーや僧侶に「全ての不幸には意味がある」とか言われたことがある。

そうやって、自分を納得させる手法もある。


はじめの善意は想像上の産物だし、事実の曲解なんだよね。

だが、僕も似たようなところがあるから言うと、そういう風にして「怒る気を減らそう」として自動思考を認知療法的に矯正する思考法は、

「そうやって自分を納得させないと治まらないほどの、自分を破壊する世界を焼き尽くすほどの怒りの衝動があるから、自分をごまかすための思考法」という面がある。
ガッチャマンクラウズ1〜4話感想 中篇 僕らとガッチャマンとはじめたちの善悪モヤモヤ - 玖足手帖-アニメ&創作-

で、なんではじめがそーいう考え方をしてるのかって言うと、震災の被災地との関係とか9話での「神様は何にもしてくれないっすよ」とか言う発言から考えると、どうもはじめって何かの災害の遺族で不幸を経験してるからこそ達観してるって部分があるんじゃないかなーって思う。
で、「どうせ理不尽で不幸な人生なら振る舞いや表面だけでも楽しく元気にしよう」っていう感じで、どうもはじめの明るさは「あえて」明るくしてるって言う「あえて」の部分が強いなーって思う。
まあ、その「あえて」頑張るって言う一度折れてから立ち上がってきているって言う姿勢は偉いなーって思うけど。


でも、そういう女の子は300年生きている宇宙人が初めて出会うほど、珍しい存在かなーって思うんだが。人が死ぬ災害は毎年10回以上は日本で起きてるんで、はじめみたいに「不幸を経験して2周目」の人は大して珍しくないような…。まあ、僕は親が自殺した後、無職だし、自分や人類がクソだと親が自殺する前から思ってるし、ずっと折れっぱなしなので、はじめちゃんみたいに折れた後立ち上がってる人はスゴイとは思うんだけど。そこら辺の心の強さのレベル設定みたいなのは劇で設定するのは難しいよね…。
不幸を経験して2周目って言えば、O・Dやパイマンも過去に星を守れずベルク・カッツェに滅ぼされたって言う経験を持ってるし。丈も地球人の限界を知って「人類は糞」って思って挫折してたり、うつつも「自分は変な人間だから生きててもしょうがない」とか暗い部分を持ってた。清音は留年してる。
そういう脛に疵を持ってる連中がヒーローとして「あえて」「もう一度」立ち上がるって言うのを描こうとしたのがガッチャマンクラウズなのか。で、はじめは番組スタート前にコラージュコミュニティとかで「1回立ち直ってる」というレベルで、はじめがGメンバーとかかわって、その「1回立ち直り」っていう段階に他の5人を引き上げたって言うことか。
そう言う解釈だと、ずっと折れっぱなしで立川CAGEの籠の鳥でグダグダしていた年長組Gメンバーのダメぶりが引き立ってしまうが…。



まあ、明日深夜の最終回で、もう一捻りしてくることを期待しますけど。はじめの闇は描かれるのか?それともはじめの弱さはエンディングテーマで匂わすだけで、ずっとはじめは心の仮面を被りつづけるのか?仮面を被るって言うか、明るい女の子としての振る舞いをまとってるって言う感じですかね。
「衣装を纏う、装う事で気分を変える」っていうのはガッチャマンクラウズのいろんなキャラクターの服装の変化などで表現していますが。
はじめは服装は、女装男子や水着女子に比べると割と普通だが、心の部分で何かを装っている。でも、本心をさらけ出すことだけが正しいんじゃなくて、疵を抱えていても自分なりにできることをこなす、って言うのは尊いことだと思う。大体、震災以降やバブル崩壊以降の子供たちは大体みんな心に疵を持ってるし、僕も親が自殺して一年近くたつのに一人で泣いてるけど、別に他人の前で泣いたりはしませんからね。(自殺遺族の分かち合いの会にも行ったんだが、なんか他人相手に泣けなかったです。むしろ他の遺族の人が可哀想になって、やっぱり人類社会は糞だと思って闇が深まりました)

物語が始まる前に親が死んでる、みたいな不幸をすでにネットのコミュニティの力で乗り越えてきた主人公に、もう一つパワーを付け加えるって構成は富野由悠季監督の2002年のOVERMANキングゲイナーの主人公のゲームチャンプ、ゲイナー・サンガを富野ファンは連想しますね。
あと、僕の私見ですが、はじめは不幸を経験して2周目だから、地の部分を抑えて明るい性格をまとって振舞ってる、っていうのはキングゲイナーのゲイン・ビジョウがシャルレ・フェリーペとしての黒歴史を偽名で塗り替えてふるまってるのにダブります。
オーバーマン キングゲイナー全話感想目次(現実の絶望に対決する祭) - 玖足手帖-アニメ&創作-
オーバーマン キングゲイナー2526 スクールカースト2 メガネ男子と愛され女子とボーダー女子 - 玖足手帖-アニメ&創作-
オーバーマンキングゲイナー 2526 ゲインとアスハムとルルーシュとスザクとシャアとアムロとミイヤとイオリア・シュヘンベルグと男と女 - 玖足手帖-アニメ&創作-
で、キングゲイナーは終盤で主人公が闇堕ちしたんですが、今回のガッチャマンクラウズは塁もはじめも闇堕ちしそうな要素を持っているけど、あと20分でいきなり闇堕ちして復帰するのは時間的になさそうなので、終盤、はじめのめんどくさい部分が描かれるのか、それとも描かれなくて「はじめの明るさがガッチャマンを変えました」って面しか描かないのか、それとも私の予想もつかない面白さを見せてくれるのか、楽しみです。
総裁Xの闇堕ちは「夕日の美しさを分かり合えるか」っていう物語が始まる前からの塁とXとの友情の絆の力で解決しましたね。
オープニングで出てきたベルク・カッツェと爾乃美家累が合体したようなオーバーデビルみたいな怪人は出るのかどうか?

↑これ、旧作のベルク・カッツェにシルエットが似てるけど、左胸の水色の部分、ちょっとガッチャマンのバードマークに似てる???
って思ったら公式にベルク・カッツェのGスーツとして出てきたー!やっぱバードマークだった!

○NOTE能力『幸災楽禍のNOTE』

生命体を挑発し混乱させ、相争わせる事に特化した能力。

ベルク・カッツェ|キャラクター|ガッチャマン クラウズ|日本テレビ


「愚かなる頂の王が、約束の地に舞い降りる。」っていうベルク・カッツェのポエムがあるけど、塁って漢字は

るい[塁]


土や石などを積んで作った防御用の土手。また,それを巡らしたとりで。 「 −を抜く」 「 −を築く」

だし、クラウズやギャラックスの運営者ってことで、「頂の王」は爾乃美家累だよね。


追記
って書いたら、ずっとルイルイを塁って辞書登録してたけど本当は爾乃美家累だったので涙目―www


「約束の地」はどこか?
カッツェは「♪友達なんてぇー、いらなァーい! このノートがあればミーは最強ぉ〜」
「でも、本当に最強なのか、本当のことを知りたい」
って言ってたんで、評議会のJ・J・ロビンソンと対決したがっているとも思えるんで、ガッチャマンCAGE基地に侵入しようとするかも。
あと、ベルク・カッツェは心ノートを塁の紫と自分の黄金色と2冊持ってる。

そして、カッツェのGスーツは紫色の革に黄金色の鎖が付いた右半身とと、左半身のピンク色の部分が合体しているように見える。
ピンク色の部分がLOAD GALAXの部分だとすると、そしてベルク・カッツェGスーツが2冊のノートでバードゴーしたもので、尻尾のバードマークと左胸と二つのバード(ノート)を持っているバロム1的合体変身だとすると…。
やっぱりルイルイがオーバーデビルに取り込まれる可能性はまだありそう。
でも、それもはじめの戦術のような気がしないでもない。

ガッチャマンクラウズの終盤、ベルク・カッツェがクラウズを配布してから一連の事件はゲーム脳で考えてみると、将棋です。(ちなみに僕がモバゲーでモバマスの次にハマっているのは将棋です。でも、下手くそなので頭金詰めすらできない…。イージーモードでAIの駒を全部取ってから弾幕詰めする子供レベル)
つまり、クラウズって言うのは「歩」なんですね。で、将棋の駒みたいに取ったり取られたりして、善にも悪にもなると。
だから、ガッチャンネルではじめが「クラウズを使うと昏睡しますよ」って脅してクラウズの利用を制限したりスマフォで立川市民のギャラックスユーザーを増やしたり、逆にカッツェが「疲れないクラウズを配ります」とか「正義のクラウズを使いましょう」って言うのは、歩の取り合いですね。シェアの奪い合いなので、囲碁やオセロっぽさもある。
で、ガッチャマン達能力者は飛車角行桂馬などの強めの駒でしょう。総裁Xは龍を一回取られて取り返したと考えられる。総理大臣も吹けば飛ぶような将棋の駒として裏返ってましたねー。


あるいは、ネットにいる一般大衆の世論の趨勢が歩として、クラウズは「と金」に成った駒と考えることもできる。
ネットのゲーミフィケーションを描いたアニメとしてはサマー・ウォーズがありますが、あれは花札でしたね。近未来のネットゲームバトルを考えると、逆に時代に洗練されてきた古典ゲームに似てくるって言うのは面白いです。幻影ヲ駆ケル太陽のタロットルールとかなー。


だから、ヒーローと怪人の殴り合いという現実時限の物理的なバトルでもあり、同時にクラウズや世論の流れで陣形を作るという盤面でのメタ情報次元のバトルもあるし、立川チーム(立案ブレーンははじめ)とベルク・カッツェチームの互いの戦略の読みあいと言う指し手同士の知略戦もある。3階層くらいになってる。


このスマフォの地図上での星印のガッチャマンと×のクラウズって思いっきり将棋っぽくゲーミフィケーションされている。っていうか、将棋や囲碁自体が戦国時代のインフォメーション(諜報)軍略をゲーム化したものですからねー。
あと、爾乃美家累君のメガネ男子ぼさぼさ頭は3月のライオンの零君みたいな将棋萬画っぽさですね。

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)


で、駒も大事なんですが、じゃー勝利条件は何かと言うと、王の取り合いなんですよね。結局、将棋は王を取るかどうかだし。
で、ガッチャマンクラウズは状況に応じて王将が何か変わっているのが面白いところ。
初め、はじめは玉将がカッツェとしてカッツェをギャラックス内で直接探しに自分のアバターを走らせて行ったが、カッツェの玉将を発見してもアバターが透明で取ることが出来なかった。
梅田は自分が王将だと思っていたが、実は誰でもいい「と金」かせいぜい「成香」レベルでしたね。
塁はカッツェのポエムで言うと「王」なんだが。
「王の友だち」の総裁Xは取り返したが、「王の心ノート」はまだカッツェの手中に。
カッツェはクラウズたちに「総理大臣を取ったら勝利」って言ったけど、その総理大臣も王将ではなく、はじめに利用されたり、逆にカッツェに裏返されたりして、勢力争いが緊迫してたり、勝利条件がコロコロ変わって、ハラハラします。
はじめも総理大臣を王将として守ろうとしてなくて駒として扱ってたし。パイマンや梅田にとってはふじようちえんの園児が守るべき玉なんだろうけど。枇々木丈や橘清音は単純なヒーローなのでガッチャマンとして戦える自分の心が大事っぽい。
で、メタプレイヤーのカッツェは殴り合いとかより状況を操作してる。カッツェは星を滅ぼすこと(全人類の駒を総取り)が目的かもしれないし、その上で「最強がだれか決める」ためにロビンソンを狙うかもしれない。ロビンソンのいる基地に行くにはガッチャマンの正式IDが必要なのでガッチャマンと仲間になった塁のノートを裏返すかもしれん。
はじめも戦士と言うよりはメタプレイヤーだな。O・Dとはじめが進めている「例の件」とは何なのか…。

ゲーミフィケーションとして考えるとO・Dの能力は「詰みに成っても盤面自体をひっくり返す」能力っぽいんだが、そんな簡単に全部吹っ飛ばして終わらせる自爆計画をはじめが事前に準備してODに了解させているとは思えないんで、それは最終回待ち。


ところで、ガッチャンネルの画像を拡大すると、一ノ瀬はじめは登録タグに「菅山」「首相」「スガヤン」って菅山首相の仇名を勝手に事前登録していたので、すごく目上の人に対する礼儀が無いよね…。

でも、テレビの前に放り出されてブチ切れた総理大臣を世論が見て「スガヤンかわいいー」って思って感情的に(論理の内容はどうでもいい)親しみを持って肯定することまで、はじめが想定してタグに「スガヤン」と入れたとしたら、はじめは策士だなー。
☆追記 震災時の菅直人首相や鳩山由紀夫首相のバカにされた感じのメタファーなのだが、そういうバカにされた総理大臣を萌えキャラとして女子高生に「かわいい」ってネタ的に肯定されるようにプロデュースしたはじめの策士ぶり。


で、その菅山は将棋で考えたら、暴れているクラウズたちにとっては玉将だが、はじめにとっては王将ではなく、取られても構わない囮金だったかもしれん。で、カッツェの能力でネット上の菅山の駒は取られて利用されるが、それもはじめが読んだうえで、総理大臣って言う駒を立川から脱出しようとして混乱している現場に指したとしたら、面白いなあ。どういう盤面をデザインしようとしてるのかな。デザイナーの能力を持つはじめは。
菅山がキレて感情的になってやる気になって、総裁Xが菅山に「あなたの総理大臣としてのスキルが必要です」って言わせて、モチベーションアップさせてから、うつつに彼を五日市街道まで運ばせるっていう所まで、はじめが先読みしていたら、本当に人を駒のように扱う鬼畜女流棋士ですね。知り合いの消防署も市長も自衛隊も警察も手駒ですよ。やべー。でも、物語つくりって結構将棋の記譜作りみたいなところあるからなあ…。
カッツェが総理の名前で「正義のクラウズを配布します!」って言ったら、また新しくカッツェの手駒が増えるけど、そのことで今までのクラウズは悪のクラウズと言われて、カッツェは「菅山という王将を取りに行くクラウズ」という手駒は失うわけで。
ゲーミフィケーションとして面白いなー。
非暴力主義者の女装王子様のルイルイは

やめてくれー!
ってなってたけど、どうせ新しくクラウズをダウンロードした人も愚民だし、使い慣れてなさそうだし、駒数だけいきなり増えてもこないだのネオハンドレッドみたいなやる気のなさになりそう。
だから正義のクラウズ()は最終回の序盤で割とあっさり解決するか、逆にそれを読んでたはじめが逆ハックしてカッツェ本体の玉将に王手をかけるかもしれん。



そんな風にゲーム理論、っていうか勝利条件自体を書き換え合う詰将棋の目線で見ると面白い最終回前でしたね。
はじめをAパートで「すごいすごい」って言うのも、視聴者の印象バイアスを操作するために指して作った盤面かもしれない。

  • カッツェアメリカ軍理論論壇

なんかゲームの話が長くなったし、飽きたので短くまとめるけど。
アジアの国の総理大臣の声明すら情報操作して、その土地の内戦を煽って武器を配布するベルク・カッツェはアメリカ軍やソ連軍みたいだなーって思いました。
朝鮮もベトナムアフガニスタンイラクもシリアも済んでる人個人個人は、ガッチャマンクラウズの梅田さんみたいに小さな家族を守って安心して暮らしたいだけだったと思うんだけど、そういう平和を授けるんじゃなくて「責任者を吊し上げて殺すための軍事介入する武器を流す」って、アメリカっぽいなー。
まあ、内戦をやってるような民兵も「平和を維持したい」って言う理想より「責任者を殺してうっぷんを晴らしたい」っていうクズのモチベーションを持って殺し合ってるしなー。そして、責任者を殺しても、そんな個体は所詮、脳の大きな猿の一匹に過ぎない。だから、社会は誰も助からない。アラブの春
自分が不幸だという大衆は、独裁者や悪に死と言う不幸を押し付けて、それが正義だという。それが「他人の不幸は蜜の味だから、みんな真っ赤に燃え上る。誰も助からない」というベルク・カッツェの思想。


はじめも独裁者みたいに周りの人を駒にしてるんだが。
しかし、はじめは「他人の不幸は蜜の味」っていう答えを聞いた直後に「僕が死んだら先輩、どう思うっすか?」「悲しいに決まってるだろ!」と意思確認したので、そういう素朴な感情に期待したいのかなあ。
「知ってる人が死んだら悲しい」というのも「悪い奴を排除したい」というのも、どっちも民衆の素朴な正義だと思うんだけど、大衆crowsをテーマにした本作の中の世界では、どっちにころぶのか、リバーシオセロは白が勝つか黒が勝つか、最終回が見ものですね。



☆☆☆追記

僕の独断ですけど、一ノ瀬はじめは震災などの被災者で、人生が一周終わってる感じがする。リーンの翼のサコミズ王みたいに人生二週目。不幸慣れしてるがゆえに常に痛みを感じすぎて逆に無痛症になってるように見える。
「そう考えたら仕方ないって思っちゃいません?」「ちょっと怒る気、減ったんじゃないすか?」「そっちの方が楽しいっスよ」「嫌なら電源を切ればいい」「人生なんて大抵想定外じゃないっすか」って言ったり、「他人の不幸は蜜の味」というすぐに連想できそうな考え自体を持ってない感じ、不幸慣れし過ぎて痛みや怒りの感情の回路が麻痺してるっぽい。
本編でのはじめのあっけらかんとした性格とエンディングテーマの痛々しい歌詞とのギャップを見ると、はじめは過去の疵を持ちつつもそれを交わす想いとかデコレーションや無視で上書きしてる感じ。
だからこそ、はじめは他人を駒のように動かすことができるんかもしれん。
(逆にルイルイは他人の痛みを恐れて非暴力主義である。そんなルイルイはカッツェに暴力を振るわれてすごくかわいい。あ、はじめちゃんもトンネルで怪我してて、そこで二人は出会ったわけですが)
で、不幸によって人が死ぬのも当たり前って言う感じに達観してて、人生が一回終わって痛みがマヒしてるからこそベルク・カッツェみたいなキラープレイヤーとも互角の情報戦の将棋が指せる。
中村健治監督は公式サイトでリーダー論を書いてますけど。
http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/intro/index.html
この、人生が一回終わってるから奇策を建てられるって言うの、刀語尾張幕府家鳴将軍家直轄預奉所軍所総監督奇策士とがめみたいだなー。
今回のゲーミフィケーションを将棋と見立てると、刀語の王刀「鋸」の汽口慚愧との話っぽくもあり。
そう言えば、刀語で超能力武器を授ける四季崎記紀の声もJ・J・ロビンソンや大鷲の健と同じ森功至さんなんだよなー。
☆☆☆追記終わり

  • 中村監督とアメリカ

中村健治監督のアメリカの描き方もわりと興味があるなー。アメリカ人にガッチャマンクラウズはインターネットで人気がありますけど。立川市が「地元じゃ負け知らず」のヒーローを描いたバットマンアーカムシティーみたいになってるけど、逆にベルク・カッツェはその閉鎖された都市に宇宙(外国)から武器を持ち込んで内戦を起こさせる、って言うアメリカのメタファーにもなってる。
で、アーカムシティはアメリカのヒーロー萬画の象徴みたいなもんだけど、そこにアメリカ軍事介入みたいな自分では手を汚さないで民兵に殺し合いをさせる宇宙人が責めることで、暗喩概念的にはアメリカの都市にアメリカ軍が介入するって言う南北戦争みたいな話になってる。


☆☆追記(∀ガンダム南北戦争時代のアメリカにイスラエル派のアメリカ人が軍事介入して未来のアメリカ人がデザインしたガンダムが発掘される、って言う倒錯したアメリカだった)


最後まで見たアメリカ人の反応が気になりますねー。


英語圏のpixiv(実はちょっと違う)deviantart.comでも、ガッチャマンクラウズの創作絵は上げられてますけど。
創作絵はFREE!のホモ萬画の方が海外でも数は多いですねー。
DeviantArt - The largest online art gallery and community


中村監督だと、つり球ではアメリカっぽい国際秘密軍事結社と自衛隊江の島地元を描き、「C」ではアメリカと日本と東南アジアの金融戦争のメタファーを描いたけども。
今回も立川地元に限定した話かと思ったら、バットマンやタイガーアンドバニーみたいなアメコミっぽい要素もあって、カッツェも2ちゃんねらーかと思ったらアメリカみたいなことをやり始めた。
じゃー、JJロビンソンや宇宙評議会は「決められない国連」「手を差し伸べない国連」の風刺なのかなー。
もともとタツノコプロガッチャマンもアメコミっぽい絵柄や世界観だったんだけども。
科学忍者隊ガッチャマンの時代は湯川秀樹平和運動などがあった時代だし、「国連がスポンサーの科学者が国連軍の特殊部隊を使って、世界征服を狙う(国連安保理に従わない)組織をつぶす」っていう比ゆ的な理想像が成り立ってたけど。
冷戦が崩壊して、科学者の平和活動に説得力が無くなって、国連安保理とアメリカ軍や経済界の意思統一ができなくなった時代だから、「国連の下で地球は一つ」っていう長浜忠夫ロマンロボットシリーズみたいな明るい平和主義ができない時代なんですけど。その時代に沿ったヒーローの理想とは何だろうかと。まあ、アベンジャーズはアメリカを守りまくってるけど。
じゃー、日本のアニメのガンダムで地球連邦が崩壊した後のことを考えると、やっぱり、カサレリアとかイングレッサで民兵をやるしかないのか…。ガッチャマンは立川だけの民兵だろうか?
☆追記・立川暴走族のような地元じゃ負け知らずのタコツボ化したナショナリストに過ぎないのか?それとも籠から宇宙に羽ばたくのか?



百獣戦隊ガオレンジャーの最終回みたいに、立川という籠に他の都市の籠にもいたガッチャマンが100人飛んできたら面白いかなー。
魔法少女まどか☆マギカも世界中からガンダムファイトみたいに魔法少女が襲ってくるかと思ったんだがなー。叛逆の物語はどうなるんですかねー。やっぱり群馬限定なのか…?