幾原邦彦監督のユリ熊嵐が終わったね。そして、これは新しい始まりであり、過去からの輪廻でもあるんだ。
つまり、2015年の21世紀最新アニメでありながら、同時に50歳の幾原邦彦監督が35年以上前の1980年代以前に受けたロックンロールやサイケデリック前衛芸術文化のリフレインでもあるんだ。
シャバダドゥ
で、前作の輪るピングドラムはピンク・フロイドの「狂気」Dark Side of the Moonだったね。

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こどもブロイラーや顔の無いモブも思いっきりAnother Brick In The Wallだし。

それに、J.A.シーザー氏もピンク・フロイドをよく聞いていたらしく、幾原監督も「ウテナの決闘歌はピンクみたいな感じで」とシーザー氏にオーダーしたらしい。
少女革命ウテナのバーチャルスター発生学はシド・バレット時代のピンクのAstronomy Domineっぽさもあるし、シドの消失もウテナっぽいよね。学園については"We don't need no education"だし。
だから、幾原アニメはピンク・フロイドだしプログレッシブロックのコピーバンドなんだよ。

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そう考えて見ると、ものすごくユリ熊嵐はThe Wall。だよね?分かりにくいとかメタファーとか言われがちなユリ熊嵐だけど、The Wallでやってることとほとんどいっしょだよね。
透明な嵐に飛び込むのは
断絶の壁とか思いっきりThe Wall。
こんなに分かりやすくパクっているのに、僕は放送1週間たってもThe Wallとユリ熊嵐の関係についての感想ブログを見つけられなかった。見つけられないので仕方なく自分で書く。萬画版と小説版は読んでないのできちんとしたことは書けないけど、フロイドは好きなので書く。

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- 君は知っているか?ピンク・フロイドのThe Wallを!
僕はピンク・フロイド好きなんですよ。ガンダムの富野監督も原子心母が好きって言う噂があるし。あとジョジョの奇妙な冒険第4部のスタンドの元ネタだし。クレイジーダイヤモンドだし。

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ロック好きの行き着く先は… Pink Floyd - The Wall
レーベル運営の悲喜交々:The Wallって、なんだ?本気解説編。
Pink Floyd/ザ・ウォール
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ザ・ウォール(The Wall)は、1979年11月30日にイギリスで発表されたピンク・フロイドの2枚組コンセプト・アルバム・ロック・オペラ。
アルバム発表後のワールド・ツアーでは、ステージ上に実際に「壁」を築き上げるという大掛かりなパフォーマンスが話題となった。2000年になって、このコンサートの模様を収録したライブ・アルバム『ザ・ウォール・ライヴ:アールズ・コート1980-1981』が発売されたが、公式の映像作品は未だにリリースされていない。また、1982年には『ピンク・フロイド ザ・ウォール』というタイトルでアラン・パーカー監督、ボブ・ゲルドフ主演による映画も公開された(現在はDVDで発売されている)。
ロック・スターと思われる主人公ピンクの人生がストーリー形式で進行していき、そこから人間心理を描き出すという手法を取ったコンセプト・アルバムである。ピンクの人生の過程の中で感じる、学校教育や社会の中での抑圧・疎外感を「壁」に例えている。
ピンクはごく早い時期に父親を戦争で失っている設定で、基本的にはロジャー・ウォーターズ自身を投影したキャラクターと言える。一方で、ロック・スターとして成功しながらもドラッグに溺れて精神が破綻していく姿などには、かつてのメンバーであるシド・バレットの姿も重ねられている面も有る。Disc 2の8〜9曲目は、作品世界中でのピンクによるライブ演奏という趣向である。
『ピンク・フロイド ザ・ウォール』(Pink Floyd The Wall)は、1982年のイギリス映画。主演ボブ・ゲルドフ、脚本ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイド)、監督アラン・パーカー。
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1979年に発売され大ヒットを記録したピンク・フロイドのコンセプト・アルバム『ザ・ウォール』を、アルバムのストーリーそのままに映画化した作品。ほとんどセリフもなく、アルバムの曲が流れていきながら映画は進行していく。台本も30数ページしかなく、アラン・パーカーによる「音楽に語らせろ」という言葉が内容を象徴している。ただ、あまりに難解でシリアスな内容のためアルバムのヒットほどは商業的に成功せず、ロジャーも「この映画にはユーモアが足りなかった」と後に語っている。
ミュージシャンでありながら、主演のボブ・ゲルドフも鬼気迫る演技を見せている(本当はロジャーが出演する予定だったが、芝居の経験がまったくなく、あまりに大根役者だったためボブ・ゲルドフに白羽の矢が立ったらしい)。鬼才アラン・パーカーの手腕も遺憾なく発揮されており、『小さな恋のメロディ』の脚本を執筆した人物とは思えないカルトぶりである。
あらすじ
主人公・ピンクの幼少からロック・スターとしての成功・葛藤までを描いたロジャー・ウォーターズの自叙伝のような映画。また、この主人公にはかつてのメンバー、シド・バレットの姿も重ねられている。
父親を第二次世界大戦で失ったピンクは、母親の過保護な愛情の中で育っていく。抑圧的な学校教育も彼の人間形成に大きな影響を与えた。やがてロック・ミュージシャンとして成功し、結婚もして順調な人生を歩むが、ロック・スターとしてのプレッシャーからドラッグの過剰摂取に陥り、精神的に荒廃していく。また妻の不倫が発覚し、ピンクは完全に周囲との「壁」を築いてしまう。
そして、ピンクは自分自身を扇動政治家だと思い込み、全体主義やファシズムに救いを求める。ロック・コンサートで無意味に熱狂する観客は、ナチ集会の姿とリンクされる。そんな時、彼の心の中で裁判が開かれ
幼少期に親を亡くすとか心の中でユリ裁判とかまでユリ熊嵐はザ・ウォールをトレースしている。
また、ザ・ウォールの映画では、ジェラルド・スカーフのメタモルフォーゼアニメーションも非常に効果的で、百合の花がセックスしながら獣に変身したり、大量の車で壁が作られたり、大量のハンマーが行進するというウテナにも似たアヴァンギャルドな映像表現がある。ザ・ウォールのアニメーションパートは虫プロのアニメラマシリーズの哀しみのベラドンナ(1973)の杉井ギサブローパートに似ている。そして、幾原監督は哀しみのベラドンナに影響を受けたと公言している。
アニメやロックに歴史あり。
まあ、ぶっちゃけ洋楽の歌詞とかハッキリ言ってよくわからんので、ちゃんとネットには対訳サイトもある。ちょっとウプされてる。
「In the Flesh?”」ピンク・フロイド | 歌詞日本語訳 | アートイベント中心、その他つれずれ
- コピーバンドとしてのイクニゴマキナコの万華鏡
君は「だったらイクニは単なるパクリじゃんw」って言いたくなるかもしれないね。違うんだよ。むしろキッチュでコピーって所に輪るピングドラムとか「スキ」があるんだよ。
以下、アホみたいに長い
最後のセリフに「Isn’t this where….」というのがありますが、これはオープニングの聞き取れないようなセリフ「….we came in?」とつながっているのだそうです。
つまり「Isn’t this where we came in?(ここってオレたちが出てきたところじゃない?)」となります。つまり、壁を壊してせっかく外側に出てきたのに、また同じところだったという意味でしょうか。
あるいは、壁の外はまた別の壁の中?
それで「ザ・ウォール」のストーリーも最初からやり直しということです。
「Outside the Wall」ピンク・フロイド |歌詞日本語訳 | アートイベント中心、その他つれずれ
ザ・ウォール自体ループモノだった。始まりと終わりは同じところにある。アンシーが城から出ても次の城の中に行くだけかもしれない。
「There is no dark side of the moon really. Matter of fact it's all dark(本当は月の暗い側なんて存在しない。何故なら、すべてが闇そのものだから)」ってピンクフロイドの「狂気日蝕」で語られてるし。
新世紀エヴァンゲリオンの渚カヲル君のモデルが当時セーラームーンを監督していた幾原氏と言うのは有名な話。
「生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。自らの死…それが唯一の絶対的自由なんだよ」
それに対する貞本義行氏の回答。
まあ、エヴァネタはともかく。ヱヴァもループものですが。
The Wallのラストも壁が破壊された後に、その煉瓦を拾う少年たちを映して「また壁は作られる」という暗示が映像で示される。(この少年たちがシドとロジャーの後継者として新しいロックスターに成るかもと言う風にも取れる)
ユリ熊嵐のラストはもっとわかりやすく、亜依撃子が百合川このみを「見つけて」、「ユリ熊嵐」の「スキ」がコピーされて続いていく、と言う風にして終わった。
近年、著作権とかオリジナリティが強調されて、コピーはパクリとして悪だと言われることが多い。だが、幾原邦彦監督作品ではコピーに対して肯定的に描くこともある。
百合城銀子と椿輝紅羽は鏡に映る自分のオリジナルを引き裂いて自分をスキの相手と対等なコピーに同一化することで本当のスキと言う感じに描いている。
『私たち これからはずっと一緒よ』
『ずっと一緒だ がうがう』
二人の女の子が一つの女の子に成るのは少女革命ウテナでも描かれている、と言う指摘がある。
ウテナ論にはこの二人を「一人」、つまりユング的なエゴとシャドウの関係性と見、そしてストーリー展開をユング言うところの「個性化」という「セルフへの統合」とするものがあるが、私もそうした解釈は可能であるように思う。
エゴとは各人の個別的な自我、シャドウはその自我が抑圧しているものである。その抑圧されたものが意識化され、統一的な自己へと併合されていく過程が個性化だ。
はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.2 ウテナと革命の精神分析にゃん
また、百合城銀子と椿輝紅羽の「スキ」の関係は箱仲ユリーカと椿輝澪愛との果たされなかった未来として絵本に描かれた「月の娘と森の娘」の物語のコピーでもある。
また、相手を自分に取り込みたいという凶暴なスキと言う感情はユリーカから百合園蜜子にコピーされて、銀子に取り込まれたが、銀子はその要素を切り離す、ということもやった。
ユリ熊嵐ではキャラクターも抽象化されて情報化されていて、記憶や性格などがコピーペーストされたり編集されたり、と言う演出がされている。紅羽の記憶喪失もそうだ。
編集と言えば、第11話の冒頭で百合ヶ崎るるの蜂蜜が割れて、破かれた絵本が手渡されているのに、
その後にるるが撃たれて、蜜の壺が割れて、
絵本の断片が渡し直されるという風に、時系列を入れ替えている。(これは少女革命ウテナの第4話「光さす庭・プレリュード」の冒頭が第5話「光さす庭・フィナーレ」のクライマックスを描いているのと同じ手法)
で、銀子と紅羽の過去のユリ裁判もコピーと言う感じがする。
紅羽は「銀子をヒトにしたいと願ったのは私の方だった」って言っているが、そのシーンがアニメーションで後から出されているからと言って銀子がヒトになりたいと願ったユリ裁判の回想が嘘だったとはならない。幾原邦彦監督作品では、未来も分岐するけど、過去も複数の可能性がある。
最終回のユリ裁判で、ライフ・セクシーが「被告人椿輝紅羽、あなたは自らの罪を認めますか」と聞いて、紅羽が「認めます。私はかつて傲慢の罪を犯し銀子をヒトの女の子にしてほしいと願いました」と言った後、ライフ・クールとライフ・ビューティーは驚いた顔をする。
紅羽が罪を認めたことが意外なのか、そもそも紅羽のユリ裁判を知らなかったのか、どっちとも取れる。
ただ、裁判長のライフ・セクシーはどちらのユリ裁判も知っているような感じで紅羽に問うた。つまり、過去の世界線が複数あるという可能性もあるんだよね。幾原アニメでは世界は何通りもあるし。また、ジャッジメンズ自体がクマリア様の大量に散った一部のコピーだった。クマリアサマの大量のコピーの断片であるジャッジメンズはクマとヒトの世界だけでなく複数の世界線の狭間の存在なのかも。
なので、シュタインズ・ゲートのように多くの過去の世界線を渡ってユリ承認に至ったというループモノとしてもユリ熊嵐を見ることができる。(萬画版も一つの可能性なんですね)
こんな風な複数の過去との対話は、寺山修司の映画の「田園に死す」でもあったシーンであるし、ピンク・フロイドのザ・ウォールでもピンクの心の中のウジ虫裁判の過程で過去の自分や関わった人と新世紀エヴァンゲリオンの最終回のように対面するように描かれた。
姫宮アンシーの少女革命は天上ウテナの少女革命のコピーと言う面もある。
また、ピングドラムや美少女戦士セーラームーンR劇場版でも、愛情(リンゴ)のコピーや、分割された魂が巡り巡ってクライマックスを劇的にする様が描かれた。
失われた何か 「輪るピングドラム」の最終回をセーラームーンR劇場版、セーラームーンS、少女革命ウテナを交えながら振り返る。
じゃあ、ここでまた疑問がわき上がって、自分を殺してコピーに成りきらなければ本当のスキや対等な友達にはなれいないのか?とも思える。また、その際にオリジナルの自分は世界から消える、と言う自己犠牲がセーラームーンやウテナやピングドラムで描かれた。
それはしんどいんですが。自分を捨てる覚悟を持った特別な人、選ばれた勝利者しか本当のスキは得られないのか?とも思う余地がある。
しかし、ユリ熊嵐はウテナやセーラームーンほど特別な存在だけの物語ではなかった。亜依撃子とメカこのみのような脇役ですら、目を閉じないでいたら、本当のスキに導かれる二人を見て、そのコピーとして、新しいユリ熊嵐を見つけて始めることができるかもしれない、と言う仄かな希望、間口の広さはユリ熊嵐にはあった。そして、亜依撃子は透明な嵐のコピーであることを辞めた。そうやって、スキのコピーが世界に少しでも続いていくことが愛が繋がっていくことなんだよね。と言うわけで、幾原邦彦監督が昔のロックバンドがやったことをコピーバンドしてアップデートしていくことも決して単なるパクリじゃないわけで、そこにこそ「スキ」のテーマが込められているんじゃないのかな。
- コピーでもいい、ワナビとしてのロック精神
紅羽は最後のユリ裁判でライフ・セクシーに「それで、透明な嵐の中 あなたの望むものは見つかりましたか?」と聞かれて、
「はい ある女の子が…私に教えてくれました。私の望むもの、本物のスキを見つけました!」
と、純花を思い出して、そのスキの力で手錠を吹っ飛ばす。
純花と紅羽が恋愛関係だったのに、純花が死んじゃったから銀子にカップルを乗り換える、と見ると紅羽がちょっと恋愛ヤクザっぽくて悪い子っぽいんだが。まあ、純花の「スキを諦めない心」が紅羽の中にコピーされたとも見える。そして、純花の「スキを諦めない心」は元々は入学式の日に紅羽から貰ったもので、それは澪愛から紅羽に与えられたスキかもしれないのだ。このスキがリレーされていくのはピングドラムっぽい。
『もう怖くない。スキを忘れなければいつだって一人じゃない。スキを諦めなければ何かを失っても透明にはならない』
これって、恋愛だけの「スキ」とは限らないですね。タブーとされている同性愛の「スキ」が承認されるかどうか、同性愛者は透明じゃない、と言う話かな?と見せておいて、実はロックンロール・ワナビやアニメ業界ワナビの「好きを諦めない」という気持ちや「私には物語が必要なんです」っていうSHIROBAKOの若手アニメ作家の創作意欲に対する「スキ」の形而上的メタファーにも見える。
学校紹介 - 大阪アニメーションスクール専門学校
http://www.oas.ac.jp/school/
自分の「好き」をとことん追求してみることが大切です。 みなさんにもこの学校で、仕事として続けられる「好き」を発見してもらいたいと思います。
つまり、スキを諦めないでクマに成った紅羽は、「銀子と対等な友達になった」と同時に「人とは断絶したロックスターやアニメ業界人になった」とも読める。
殺しは当然で自分の目的だ、と語る殺人犯と、「私たちはクマ、クマは人を食べる。そういう生き物。」というクマの自意識は完全に一致している。つまり、クマ=少年少女殺人犯と言える。
また、クマによる殺害が全て学校内で行われているということも、酒鬼薔薇聖斗事件との類似点と言えるだろう。
と、僕は前回、「クマ=殺人者」と書いたけど、殺人者もメディアに取り上げられるものなので、ユリ熊嵐の最終回を見た後では「クマ=ロックスター」と見ることができる。そして、紅羽はロックスターになって次のステージに進んだ。
《娘たちの行く末は誰も知りません》
《でもそれでいいのです》
《世界はあなたのスキで目覚め、変わってゆくのですから》
世界はみんなのスキで変わっていくって、これもアニメの専門学校のキャッチコピーだ。
あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある ...
https://www.amgakuin.co.jp/contents/special/campaign2010/
アミューズメントメディア総合学院|東京・大阪の専門校 あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある。
そして、そう言う風にロックスターに成った先輩の紅羽を見て、亜依撃子もまた新しいロックスターのワナビに成るんだろうな、と言う予感がある。
なので恋愛のスキとして見ることもできるし、性的文化のタブー破りとも見ることができるし、モブからスターになろうとするために「スキ」という初期衝動を忘れないというワナビーロック少女とか、オタクだけどアニメや趣味が好きだって言う人たちの大きな色んな意味での「スキ」を描いた作品だと言える。
アニメクリエイターを目指すような若いオタクや少年少女たちに対して、「人と違う生き方は辛いぞ」と「耳をすませば」のように言いつつ、透明な嵐のクラスでのオタクに対する白い目とかに負けないで、その「スキ」という初期衝動を大事にしようね、と言うメッセージも込められていたんじゃないかな。
アニメ業界紹介アニメのSHIROBAKOも今期売り上げが多くてみんなに人気作だと言われている。シロバコほど直接的でなくても、むしろもっと抽象化して広い意味で「自分のスキを信じよう」というメッセージを若者に届けたのがユリ熊嵐なんじゃないかな。
3月末期のアニメではローリングガールズもモブの少女がTHE BLUE HEARTSのコピーバンドをしてモサというロックスターを目指す中で幼少期からの小さな友情に気づく話だったし。
モバマスアニメの多田李衣菜もロックだし。最近はそういうロックスターやアイドルに憧れる初期衝動を肯定する作風のアニメが多いんですかね。
- 断絶と透明な嵐とは何だったのか
これも、ピンク・フロイドのザ・ウォールにヒントがある。
1977年発表の『アニマルズ』のコンサート・ツアー「Pink Floyd : in the flesh」の最終日である7月6日のカナダ・モントリオール公演において、ウォーターズは最前列にいた若者が騒ぎ立てていることに激怒し、演奏途中で手招きして唾を吐きかけるという行為に及んだ。このときにウォーターズは自分自身の行為にショックを受けながらも、「ステージの前を隔てて壁を築くことにより、僕の嫌悪感を表現しようという考えが稲妻のごとく頭に浮かんだ」という。
ザ・ウォール - Wikipedia
The Wallというアルバムは、その前のツアー中に、大騒ぎをしている客に、フロントマンのRoger Watersが切れてしまい、その客に唾を吐くと言う行為をおこし、その騒動が全てのきっかけになっている。
それまでは、演者と観客の間に何かシェアしあえるものがあったはずなのに、気が付いたらステージを客席が完全に分離しており、Rogerの気持ちと観客の気持ちに隔たりが出てしまったと感じたらしい。
このツアーが終わった後、Rogerがメンバーに次のバンドのプロジェクトとして提示したコンセプトは、客席とステージを完全なる壁で隔ててしまい、両者を隔絶するというものだった。
それは、Rogerの半生の自伝的ストーリーに基づき構成され、徐々に壁が築かれていき、最終的にはその壁をもってバンドが観客を遮断するという究極のコンセプトだった。
つまり、幾原邦彦監督のユリ熊嵐はピンク・フロイドのザ・ウォールのコンセプトを引き継いで、クマ=アーティストとヒト=観客の間の断絶を描いたんじゃないかな。
クマ=アーティストだとすると、百合園蜜子は芸能人の凶暴性、つまりファンの女の子をつまみ食いしちゃうバンドマンの戯画化と見える。
邪魔ものは排除する。
私達は欲しいものに正直であるべきだわ。
この世界で本当に信じられるのは友達なんかじゃない。
それは、私という欲望だけ。
スキは凶暴な感情。スキは相手を支配すること。
ひとつになりたいと相手を飲み込んでしまうこと。
相手=ファンを飲み込んで支配して煽動するのもアーティストの邪悪な一面だ。芸能界でファンの声援やファンが落とす金で生活するアーティストにとっては、ファンは大切と表面上は言っても、ファンを餌にして食い物にして、ファンの数が増えるとファンの一人一人の顔や存在を軽視するようになる。
僕も毎日数万アクセスあるブログを書いていると、一人一人の読者は単なる数字の1カウントにしか見えなくなってきている。
また、私と言う欲望だけを信じている蜜子は弱肉強食の芸能界=クマの世界で生きてきた悠木碧ちゃんの図太さでもあるのかもしれない。かつて銀子が足手まといでクマの世界でも排除されたのも、芸能界の弱肉強食と見える。銀子がヒトの側に立つことを望んでクマリア様の子ではないと教会に言われたのは芸能事務所との方向性の違いなのだろうか?また、ピンクフロイドのザ・ウォールでもロックスターは事務所やマネージャー、プロデューサーに薬漬けにされながら強制的にThe Show Must Go Onさせられる。これはクマの世界の戦いの厳しさとしてユリ熊嵐でも描写されていた。
幾原邦彦監督もアニメ業界で個性を売り物にして、ある種のアイドル的製作者としてアニメージュやニュータイプに載ったりトレーディングカードやセーラー戦士になった。なので、アイドルとかアーティストとして自分に視線を向けるファンと自分たち作り手との断絶を感じたことがあったのだろう。
輪るピングドラムはアイドル(に成れなかった)陽毬が非実在のプリンセスに成る物語だし、ノケモノと花嫁にもガールズバンドアイドルが登場したりしてる。
また、セーラー戦士は前世から選ばれた救世主であり、ウテナの生徒会のデュエリストは選ばれた存在になりたいともがいたり逆に一般生徒から一線を画したりした。幾原邦彦作品において「選ばれる者」「舞台に上がるもの」「メジャー」とそうでない「一般人」「観客」「マイナー」の差は常に意識されている。それが演劇的な要素として表現されてもいる。
- 透明な観客、みんなで叶える物語
で、アーティストではない観客は客席で大人しくする透明な存在であらねばなりません。
この描写も映画のザ・ウォールにあって、劇中でピンクがネオナチファシストロックスターに成った時(相手を支配したいという欲望のスキに支配されたクマに成った時)、ロックスターのピンクの演説兼ライブでのRun Like Hellを聞く聴衆は、Another Brick In The Wall (partII)で教師にこどもブロイラーのように顔を奪われたのと同じく平坦な仮面をかぶる。
つまり、ピンクは英国軍人の父を殺したナチスのコピーとなって、ロックスターのライブでも自分を抑圧した教師が生徒にしたのと同じように観客を透明な顔の無いモブとして全体主義的に扱った。
この、顔を持つことを仕事にしているロックスターと顔の無い観客の断絶されつつも共犯関係にある構図はユリ熊嵐では引用しつつ、唾吐き事件の当人であるロジャー本人ではない幾原邦彦は批評的に描いているんじゃないかな。
私達は透明な存在であらねばなりません。それでは排除の儀を始めましょう。
友達は何より大切ですよね? 今この教室にいる友達、それが私達です。
その私達の気持ちを否定する人って最低ですよね。
私達から浮いている人って駄目ですよね。
私達の色に染まらない人は迷惑ですよね。
そういう空気を読めない人は悪です。
と言う大木蝶子は少女革命ウテナのモブの代表だった篠原若葉に髪型と髪留めが似ているのも意図的だろう。
1997年の少女革命ウテナでは特別になれない人が特別な人に虐げられているというルサンチマンがあった。ウテナでも生徒会の華やかな人たちがロックアーティストで、普通の生徒は観客、と言うメタファーはあったと思う。
しかし2011年の輪るピングドラムでは普通の顔の無い一般大衆が社会からはみ出した犯罪者を、その透明性によって断罪したり、2015年のユリ熊嵐では透明な空気を乱すものを悪として排除する攻撃性を出している。これはネット社会になって、有名人よりも匿名な人物の方が攻撃的になりやすくなったという世相を反映しているのだろうか。
もちろんロス疑惑などでメディアによる有名人への攻撃は昭和のころから有ったわけだが、ネットいじめ等の時代では透明で没個性的な大衆の方が既存のメディアに頼らない力を持ち、同じノリを共有し同調圧力を強要する“ともだち”が“みんなで叶える物語”を錦の御旗にして悪を排除することで結束力を発揮するようになったのだろう。
このことについては、僕よりもイクニファン歴の長い戸田さんが端的にまとめてらっしゃる。
①ウテナからユリ熊まで、幾原監督の物語は「透明な者たち=暁生のいう“世界”」が中心であった。透明な者を挟んで上に大衆に羨望される者(理念としての王子様、勝利者である暁生、それを目指す生徒会の連中及びウテナ)下に透明な者からあぶれた者(サネトシ&キガ、根室&黒薔薇)
② 透明な者にとって王子様たちは権力を持った特別な人「選んでくれる者」であるため、自分が選ばれる可能性を基に憧れ、現状に耐えている。(故に自分達の中から特別になろうとする者が出た場合には嫉妬心から猛烈な嵐となるだろう)
⑮透明な者達はモラルによって護られるべきだ=自分はいつか選ばれるべきだと思っており、逆に言えばモラルを守りモラルに縛られている。その窮屈さが自由を目指す者への嫉妬心として発現したのが透明な嵐、砕かれた破片、百万本の剣、ベルゼブルカーなど。
ウテナからユリ熊嵐に通低する世界観についての思考と考察と思い込みについて。 - Togetterまとめ
つまり、透明な嵐とはラブライバーであり、川崎国です。
本稿でのクマ=ロックスター理論だと、ユリはグルーピーです。で、クマがユリを食べるのはロックスターがグルーピーの女の子を食べちゃう(ファンの中から選ぶ)とか、清純な女の子がロックに感化されて不良になって学園を去る事のメタファー。(隠れて行われるユリ行為のスキもワナビの隠れた創作活動のメタファ)
で、紅羽はクマ=ロックスターになってしまった事から逆算すると、悪=クマに近いもの、であり、スキを諦めないワナビである。均一なファンの空気を乱して自分も舞台に上がろうとするワナビやロックスターからの愛情を選ばれてしまう、デリシャスメルな少しでも個性を持った女の子は悪です。
これは偶然にもユリ熊嵐放送中のラブライブ!の事件にも関係している。
事件の経緯ライブ終盤μ'sメンバーがチョコを会場へ投げるシーンがあった
↓
久保ユリカさんが投げたチョコを今回の被害者の方が受け取る
↓
受け取ったのにも拘わらず周囲から目に指入れられる背中を殴られるなどの暴行を受け、チョコを奪われる
↓
被害を受けた方は医務室へ運ばれ、アンコールも見れぬまま公演終了へ…
↓
加害者連中は何食わぬ顔でライブに引き続き参加
↓
被害者の方が姿を公開。同時にラブライブ!運営へ連絡。
【悲報】ラブライブ!5thライブ プレゼントチョコの強奪・暴行事件まとめ - NAVER まとめ
【ラブライブ!】5thライブで三森さんの投げたチョコがヤフオクで出品、30億円のイタズラ入札
【悲報】『ラブライブ!』3rd、4thに続き1月31日の5thライブでも「輝夜の城で踊りたい」のサビのコールを間違えてる奴多数で今回も失望の声!もうこれ直んねーわwww|やらおん!
輝夜のコールなんてとっくに諦めてますよ。間違いを正す気はもうないけど、間違いに合わせる気もないですね
https://twitter.com/corpse_party/status/561600412826877952
明日行く人ー
輝夜のコールぜっっっっったい間違えないでね!!!!!wwwwwwwwww
https://twitter.com/Kagerouoguject/status/561594885145243649
『ラブライブ!』5thライブで隣の席にいたラブライバーがすげーヤバイ奴だったという話・・・・@やらおん!
ラブライブの初参戦SSAから帰宅感想で言うともう2度行くもんかと思った
内容は凄く良かったんだけど、隣の奴がやばす
最初ちょこちょこ話しかけてきて明日もSSAって言ったら
「いいなー羨ましい」って言ってて、Live始まった途端豹変疲れたからブレード1本で降ってた
「2本持ってるならちゃんと振れよ!」とか疲れて座ってたら
「立てよ!μ'sが真剣に歌ってるのに失礼だろ!」とかアンコールでタオル振り回すところだと
「首に巻いてるタオル使えよ!Liveなんだから一体感だせよ」とか終いには「明日の2日目君には勿体無いから行かないで家で予習した方がいいよ!
先々参加するつもりなら尚更、君の代わりに落選した人が可哀相」とか言い出して
最後は挨拶もしないで帰ってきたわラブライブのLiveってコールとかブレード振り強制なの?
マジで頭おかしいんじゃねの
141+5名無しさん 2015/02/01 09:48:00
ライブを盛り上げようとしてくれてるのになんで叩かれてんだ
周りに合わせず座ったり、応援に手を抜くとか空気読めてない奴が悪いだろ
おとなしく見ていたいなら会場じゃなくライブビューイングに行けよ
SSAに来て自分の迷惑行為の指摘を受けたら逆切れとか頭おかしいんじゃね
まるでイスラム国に捕まった奴と同じ印象をうける
142+6名無しさん 2015/02/01 09:49:00
この批判は的を得てるよ
隣のやつがなんもしてなかったらめっちゃ萎えるしな
おれだったらぶんなぐってるわ
165+1名無しさん 2015/02/01 09:56:00
>>141 ラブライバー=イスラム国ってことですか
166名無しさん 2015/02/01 09:56:00
>>142
お前が応援してるつもりの演者側からすれば大人しく見てる奴よりも
暴言吐いたり暴力事件起こしたりする奴の方が万倍迷惑だと思うよ
舟橋龍一は川崎国を名乗りIS真似か、凶器は工業用カッターと特定 | 日刊時事ニュース
川崎市の河川敷で中学1年生の上村遼太さんが殺害された事件で、逮捕された少年のひとりが、テロ組織「IS(イスラーム国)」になぞらえ、自らのチームを「川崎国」と名乗っていたことが分かった。
「俺らは法律関係ない。自分たちのルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きたまま首を切るよ」今回逮捕された夜間高校に通う18歳の高校生らは、地元で中高生を見つけると、こう凄んでいたという。上村さんを連れて歩いていたというウワサには心配する同級生も多かったようだが、逮捕前で事件との関連性が分かっていない段階から、彼らを知る地元少年たちからは「テロ事件の影響を受けていた」という話が聞こえた。
透明なファンは群衆で「みんなで叶える物語」を標榜するが、スターからスキのちょこを貰ったりライブで空気を読めない違うノリの行動をしたものや、ラブライバー同士のヤンキーグループの中で地元が違う転校生は排除される。
これはラブライブ!というコンテンツが異常と言う面もあるが、ピンクフロイドの時代からロックスターは個性でのし上がるものであると同時に、ロックスターの周りのファンは没個性的で透明な空気に流されるナチスやネオナチやしばき隊やISILのようなヤンキー崩れの「みんな」だというのがロックや宗教の歴史としてある。
#ラブライブサンシャインクソコラグランプリ
https://twitter.com/21_meikou/status/570967593990770688
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海外反応! I LOVE JAPAN : 日本人がイスラム国に送った質問が酷いと海外で話題に! 海外の反応。
tweet : ISISクソコラグランプリの次はISISごっこが流行ってるみたい。さすがにこれはどうなんだろう。 - NAVER まとめ
シリアの武装組織ISISに後藤健二氏と湯川遥菜氏が拘束され殺害される模様がメディアの“向こう側”で報道されると、日本人の匿名の捨てアカウントの透明な若者のラブライバーたちはそれをコンテンツにして遊んだ。殺人犯がラブライバーであり、海外の殺人犯と被害者をコラージュ素材にして遊んだのもラブライバー。
それは死んだクマを殺熊光線銃の動力にしたのに似ている。(もちろんアニメは製作期間が長いので幾原邦彦氏たちスタッフがシリア邦人拉致事件を脚本に取り入れたということはないはずだが、時事に敏感な製作者は時として予言のようなコンテンツを作ることがある)
ラブライバーたちは「ラブライブ!は悪くない!ISISの殺害シーンを繰り返し放送したテレビ局の影響が悪い!」と言うが、どちらもテレビだ。そして、透明な存在たちはピンク・フロイドのThe Wallでネオナチと化したロックスターのファンと同じようにメディアの煽動で殺人もするし簡単に暴走し、そして責任を取らない。僕から見るとラブライブもテロ組織も大して変りがないと思うな。ラブライブ!も「アイドルになって学校の生徒会になって、発言力を手に入れたマイノリティーの暴走」の話だし。マジョリティになったマイノリティってのはヤンキー化したオタクとか、資本主義社会のメディアコンテンツのカスタマーとして持ち上げられたマイルドヤンキーやアニメファンでしょ。どっちも同じだよ。
さて、ここで読者諸氏は「ユリ熊嵐の感想にかこつけて人気コンテンツのラブライブ!を批判して、ラブライバーの気持ちを否定する人って最低ですよね。そういう空気を読めない人は悪です。」と、思うかもしれないね。
それがまさに、透明な嵐の抱く感情だ。
また、ラブライバーの中でも
みかづき@残ネガ部@yozoranoanego
しかし川崎の18歳やってくれたな… ラブライブ!が悪い広まり方するやん…
2015.03.02 23:16
@anzai100
川崎の事件で犯人がラブライバー云々とかいうラブライブのイメージを下げるような報道の仕方してるけどそれのせいでラブライバー=犯罪者予備軍という考え方が少なからずとも形成されてきておかしいんだよなあ
0:10 - 2015年3月3日
ラブライブ垢@本垢②
@lovelive1131
今回の川崎の事件で、
ライバー=殺人犯
というクソ共が出てきましたが、誤解しないでください。
殺人を犯した少年が悪いのであって、ラブライブはなんの関係もありません。某テレビ局もニュースでやたら犯人がラブライバーということを強調してきますが、関係ありません#拡散してほしいです
21:32 - 2015年3月2日
https://twitter.com/anzai100/status/572413756396855296
@ThegreatestJP
上村君をリンチ、殺害した犯人の一人、田中元一と呼び出し役の武井美佳のSNSがハングルw 犯罪害人在日は半島へ帰れ。 #拡散希望 #川崎中1殺人 #川崎
13:33 - 2015年2月27日
https://twitter.com/ThegreatestJP/status/571166161628344320
@takedasatetsu
被害者の母はシングルマザー、加害者の母は日本人ではない、この程度の前提が「このようなイレギュラーな状態」として報じられる。恐怖を落ち着かせるために、「うんうんやっぱり自分達とは違う」と安堵を急がせる。非道な犯罪から自分たちを遠ざける方法がいっつも紋切型でこちらもまた非道。
12:37 - 2015年3月3日
https://twitter.com/takedasatetsu/status/572601654412853248
川崎市上村くん殺害事件とラブライブの関係 ラブライバーへの影響は? - NAVER まとめ
という、ネット上の断絶行為、透明な嵐、「犯人は“みんな”じゃない。“みんな”は悪くないという願望を叶える物語」「悪は排除」「レッツ・サーチ・イーブル」が吹き荒れている。
ウテナからユリ熊嵐に通低する世界観についての思考と考察と思い込みについて。 - Togetterまとめ
24、幾原「日本では共同体を作るという意識がものすごく希薄「共同体は社会から与えられるものである」という幻想が蔓延している。〜会社にも社員証や社歌があって、自分が与えられた共同体の一員であると絶えず再認識させられる。」AM「一種の洗脳ですね。」
戸田 @9889141
2015-04-07 22:20:14
26、幾原「…そのなかでセーラーチームというのは、誰かに与えられたものではない自分達で作り上げられた共同体に見えるかもね。(略)アニメで友情ものが支持されるのは、子供達が与えられた共同体を無自覚に嫌がってるからなんじゃないかな。」
ってイクニは美少女戦士セーラームーンがブームだったころに語ったけど、オラついたヤンキーがラブライブ!やISISを真似て「“みんな”のグループから抜ける裏切り者は殺す」という事件を起こしたわけだが。川崎国や音乃木坂高校という「与えられた共同体」を「自分たちみんなで叶える物語」だと誤解して転校生や留学生や矢澤にことスクールアイドルをやってた二人を排除しているマイルドヤンキーの無自覚な殺意や同調圧力が透明な嵐として2015年のユリ熊嵐では描き直されたんじゃないかな。
1997年の少女革命ウテナの篠原若葉は透明で見つけてもらえないこと、何の苦労もなく、持って生まれた力を誇った者たちに踏みつけにされることを恨んでいたが、ユリ熊嵐の大木蝶子は透明で何も考えていないで何も持っていない大勢の匿名性を利用していた。90年代と10年代の違い。ネットの普及。若葉と匿名性については冒頭の手紙の話など、いろいろと意見のある人が多いと思うので、悪いウテナオタクに配慮して、私はあまり深く書かない。
長々と引用して書いたが。
1.Pink FloydのThe Wallの劇中では個性のあるスターのピンクは没個性を強いる教育や社会に反発してロックスターに成るが、彼は父を殺したナチスと同じ全体主義者的パフォーマンスをして、幼少期の自分を抑圧した大人と同じようにファンの顔を奪って透明にする。それに反対して心の中で裁判を起こした。(また、学校で顔を奪われる前のピンクは列車に銃弾を放つ反社会的児童だった、と言うのもピンドラやラブバレットの引用元として興味深い)
2.ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズも自分に群がる透明なファンたちに対して断絶の壁を感じてファンを攻撃した。そして、それを反省して壁を破るパフォーマンスをした。
3.ユリ熊嵐では断絶の壁と透明な嵐によって「個性的な物」=クマ(そしてクマになりうる近いもの)=攻撃的で排除されるものと「透明な存在」=ユリ=被害者だが排除を行う社会システムが分けられていた。そして、それを超越する本物のスキでユリ承認され本当の友達になるのを目指した。
4.幾原邦彦監督はそれを行うことで、アニメファンとアニメクリエイターの断絶(最初からあなたたちが大嫌いで大好きだった)のメタファーを描いた。と、同時にワナビーのファンがコピーをしながら断絶を越えて作り手に成ることを肯定的に描いた。
5.現実のネット社会でも個性的な「メディアの向こう側」(テロリスト、殺人犯、芸能人、在日韓国人)と匿名性を持った“みんな”の断絶と排除がある。
と、言うことだ。
ユリ熊嵐はピンクフロイドの狂気、炎、アニマルズを踏まえた前作の輪るピングドラムのネクストとして、The Wallを参考にしてアニメーションを作った。と、私は解釈できた。そして、「ユリ熊嵐はピンク・フロイドだ!」と僕がたった一人で勝手に言うことで、また私はみんなから断絶されるんだろうなあ。
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『…透明になって誰があなたを見つけるの?』
僕は誰かに見つけてほしくてブログを書いているんだろうか。
選ばれないことは、死ぬこと。
さて、幾原邦彦監督の次回作は鬱になるのか、エコーズに成るのか…。まさかブギーポップじゃないでしょうねえ。
1話の印象では、ユリ熊嵐がこんなにロックンロールの話になるとは思っていなかった。少女革命ウテナはJ.A.シーザーのロックっぽい合唱曲を引用し、輪るピングドラムではARBのロック楽曲のガールズコピーをしていたのだが、ユリ熊嵐は既存楽曲の引用が無いのでロック要素が少ないのかな、と思っていたのだが。ユリ熊嵐はストーリー展開がザ・ウォールをなぞっているので既存曲は控えめだったのだろうか。
で、亜依撃子とこのみが紅羽と銀子のコピーで、主人公の二人も澪愛とユリーカのコピーだった。で、ユリ熊嵐の引用元のピンク・フロイドのザ・ウォールでも主人公は親やナチスのコピーで、主人公が壁を破壊した後も似たような少年が現れてコピーが暗示された。
で、幾原邦彦監督はそのような過去の映画やロックバンドを引用しコピーすることを自覚的にやっていると同時に、自分たちをコピーする若いワナビーを応援するようなラストでもある。
それは、既存楽曲を使わずボーカロイドPの八王子Pやyoutuberのボンジュール鈴木を起用するなどの意思表示として現れている。

TVアニメ「 ユリ熊嵐 」エンディングテーマ「 TERRITORY 」
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- 約束のキスとは何だったのか
ここまで、現実の事件やピンク・フロイドのアルバムや映画を手掛かりにしてユリ熊嵐を個人的に解釈した。
そこで、コピーの肯定、断絶、個性、透明、ロックスターなどのキーワードを見つけた。
では、最後に約束のキスをユリ承認するスキノホシのクマリア様とは何だったのか、考えてみたい。
おそらく、失われた価値観なのだろう。それは両親の愛でもあるだろうし、宗教的な物でもあるだろう。これはユリ熊嵐ともザ・ウォールでも共通している。
紅羽は母の澪愛を喪っており、ピンクは父を戦争で失っている。小惑星クマリアが特に理由もなく爆発したことでヒトとクマは戦争をしていた。
クマリア様が失われたように、イギリス社会は第二次世界大戦以降に伝統的価値観を喪失した。あるいは、近代以降ニーチェが神は死んだと言った事でもあるか。
ピンク・フロイドはヒッピー文化のラブアンドピースの60年代を終わらせたプログレッシブロックとして70年代を席巻したわけだが、ラブアンドピースは無いんだ、狂気と正気の境目もないのだ、というコンセプトロックを作っていく中で、ライブでファンとロジャー・ウォーターズの間に共有する価値があったと思ったら断絶を感じた。
つまり、ARBのROCK OVER JAPANで歌われたようにジョン・レノンが倒れた(のはザ・ウォールのリリース直後の1980年)ようにラブアンドピースもキリスト教もイギリスの伝統的価値も資本主義も親の愛も価値観が喪失され、自分を支えてくれていると思った恋人やファンに対しても断絶を感じた。
そのように価値観が喪失された、ということをザ・ウォールは戦争や学校や親や恋人やドラッグを通じて何度も描いた。
そして、ユリ熊嵐では21世紀になって、ルックス的には三毛別羆事件を引用しながら、物語的には澪愛と純花の死という形で、時事のメタファーとしては3.11やテロリスト対策やそれにまつわる匿名のネット文化を通じて「断絶」というか「共有できる価値の喪失」を描いた。
そう言うわけで、ザ・ウォールのラストを真似たようなユリ裁判を通じてのクマリア様の復活とか、断絶の壁がともだちの扉になり、ヒトとクマの境目が喪失されるユリ承認の奇蹟は「共有できる価値観の復活」と言える。
ここで、幾原邦彦監督のザ・ウォールには足りなかった独自性が発揮される。
それは何かというと、断絶の壁を砕くのはザ・ウォールでは主人公ピンクの脳内裁判であり、ロジャー・ウォーターズが「現実のファンと交流を再開したい」という意志表示だったわけで、ロックスターの個性による自覚的で一方的な行動で壁が打ち壊されたのだ。
(もちろん、コンサートのパフォーマンスとしては壁の向こう側にいるロックスターが観客を信じて歌ってHEY YOUと呼びかけ、ファンがそれを承認することで壁が壊される、という筋書きにはなっている)
ユリ熊嵐は壁を打壊すのが「ロックスター=クマ」側と「観客=ヒト」側の両方から、しかもヒトがクマになる、つまりロックスターを目指して個性を発揮する行為を通じて成される、と描いたことだ。
つまり紅羽はクマや澪愛の絵本のコピーで、幾原邦彦監督もピンク・フロイドや寺山修司などの引用とコピーを自覚的に行っているのだが、コピーされた個性でロックスターに成ったワナビでもロックスターと手を取り合って壁を越えて友達になれる、という「コピーであるが故の強さ、対等さ」としてザ・ウォールよりもはっきりとワナビを肯定する方向で描かれる。
ザ・ウォールでのピンク・フロイドのパフォーマンスでは、ピンク・フロイドというロックスターの方がファンに対して心を開くのだが、ユリ熊嵐ではモブに過ぎなかった紅羽が純花から「スキを諦めない」「スキを忘れなければ、いつだって一人じゃない。スキを諦めなければ、何かを失っても透明にはならない」というワナビやロックファンの意地を学んで、ロックスター=クマの側にレベルアップする。
流されやすく空気に従って意見を持たない透明な女の子は「スキ」も不安定で、つまり流行に流されて本当に自分が何をスキだったのか忘れてしまった存在だ。輪るピングドラムの渡瀬眞悧が言ったように自我をすり潰して社会に適応した「何が好きだったか」「誰が好きだったか」を捨てた一般大衆だ。そんな存在ではなく、本当に自分が何をスキでいるのかを自覚した自我を持つことで、透明なユリから個性を持ったクマ=ロックスターと対等な友達になれる。
同時に、ロックスター=クマである銀子の側も、蜜子やユリーカのような大量に透明なファンを食い散らかしたり自分を崇拝させて裏切ったり、相手を支配したいという方向のスキを辞める。クマ軍団のように資本主義と全体主義に支配されたアニマルズの弱肉強食のロックスターとしてのマスに向けた活動も辞めて自分を本当に思ってくれる対等な相手と約束のキスを与え合う。
紅羽と銀子が対等な友達になる、という点で少女革命ウテナにもあった幾原邦彦監督らしさでザ・ウォールと差別化されている。
本当に面白いのは、幾原邦彦監督がコピーバンドをやってるという自覚があるからこそ、そして自分がコピーされる側に成ったという自覚もあるからこそ、コピー元のザ・ウォールとは全く違った双方向性という個性を獲得したことだ。
だが、紅羽と銀子は互いに互いを思い合っていたからこそ、他の人間からはもうどこへ行ったのかわからない地平に旅立つ。紅羽と銀子が互いに同じ価値観を持つ対等な友達に成ったのと引き換えにそれと違う価値観の他の人間には気づかれない存在になったのだろうか。(個々の解釈は別れる)
ウテナやピングドラムと同じく宮沢賢治の成仏的な価値観もある。
ザ・ウォールでも壁を破壊した後のピンクの姿は描かれない。
しかし、これもザ・ウォールのラストシーンの少年からの引用かもしれないが、亜依撃子とこのみが主人公のコピーで新しいロックスターのワナビの志が永遠に受け継がれる予感があることで、より一層未来へのバトンの肯定が描かれる。
ユリ熊嵐はザ・ウォールのコピーであるし、また、ベルリンの壁崩壊を舞台にしたピンク・フロイドのザ・ウォールのパフォーマンスやWe are the worldを経ても21世紀になっても断絶して手を取り合えない3.11以降の社会をさらに自覚している。だから、紅羽と銀子が約束のキスを果たしても、またともだちの扉は断絶されて壁はいつまでもどこででも作られ続ける。
だが、同時に良い作品を見てコピーをしたいという気持ちがある限り、断絶の壁はどこででもいつでもともだちの扉になりうる、というワナビのクリエイターを目指す気持ちを肯定したメッセージは強く感じた。
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28、幾原「ただ、間違いなく言えるのは、共同体を出て、たった一人で生きていくことはとてつもなく大変だってこと。だから、常によりよい共同体を得る為の努力はし続け無くてはならないというシンドさも伴う。」
https://twitter.com/9889141/status/585434215157600256/photo/1
スタジオジブリの近藤喜文監督(脚本:宮崎駿)の「耳をすませば」と同じく「自分の信じる通りやってごらん。 でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにも出来ないからね」だ。
耳をすませばもワナビ映画だったなー。
壁の向こうから
ひとりで、あるいは連れ立って、
君を愛する者たちが
壁の向こうからあらわれる。手を取り合い、また、仲間たちとともに。
傷ついた心を取り戻すかのように。
そして、すべてをきみに分け与えた後、よろめき倒れる。
結局、クッソタレな壁に挑みつづけることは簡単なことじゃない…
「Outside the Wall」ピンク・フロイド |歌詞日本語訳 | アートイベント中心、その他つれずれ
で、それらを総括すると没個性が求められ、何が正しいのかという価値観も失われた世の中でも、「自分のスキ」という「初期衝動」を忘れなければ透明にはならない。そしてそのスキがコピーであっても、むしろコピーであるからこそ過去のロックバンドやアニメーション映画のようにコピーされ続けて永遠になれる。ということを述べたかったんじゃないのかな、と思うんですが。
そんなワナビーを肯定するような若いアニメを更年期の50歳になった幾原監督が作れると言うのは面白い。(というか、逆襲のシャア友の会的に見ると、富野監督の更年期の凄い鬱とその後の復活を見て「更年期には自分だけでなく若い人とコラボしたいな」と幾原監督が学習したのかもしれないし、もともと少年のような人なのかもしれない)
最近もワナビーを肯定したようなローリングガールズとかシロバコとかあるし、もともとアニメーションって少年少女の夢を応援するようなものがある。
だから、ワナビはバカにされたり揶揄されることもあるけど、それでいいんだよ!モブでもニワカでもいいんだよ!アイドルマスターシンデレラガールズの多田李衣菜も「ロックは格好じゃなくて、魂!」って言ってたし。
僕みたいに30にもなって過去のロックバンドの来歴とか、プログレの知識とかそういうことじゃないんだよ!好きって気持ちがあるかどうかなんだよ!少年ハリウッドなんだよ!
あー、あと、与えられた役割を越える話はTheRollingGirls/ローリング☆ガールズだけでなく、富野監督が全体主義に対して作ったガンダム Gのレコンギスタでもやってたし、そう言う風に自分でスキを見つけ出して個性化することが透明な嵐や全体主義に対抗すること、と言う作風がトレンドになるのかもしれない。今期はSHOW BY ROCK!!もある。

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「見失ったものは自分の力で取り戻さなければならない。たとえ、自分の言葉を失って、他人の言葉に取り込まれても。 自らの心で自分自身をイメ−ジできたら、誰もがみんなヒトに戻れるわ」
というTHE END OF EVANGELIONの一説のようでもある。
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そして、4月1日に発表された庵野秀明監督の声明文。庵野監督も更年期に成ったのだが。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』及びゴジラ新作映画に関する庵野秀明のコメント | 株式会社カラー
2012年12月。エヴァ:Qの公開後、僕は壊れました。
所謂、鬱状態となりました。
6年間、自分の魂を削って再びエヴァを作っていた事への、当然の報いでした。
その間、様々な方々に迷惑をかけました。
が、妻や友人らの御蔭で、この世に留まる事が出来、宮崎駿氏に頼まれた声の仕事がアニメ制作へのしがみつき行為として機能した事や、友人らが僕のアニメファンの源になっていた作品の新作をその時期に作っていてくれた御蔭で、アニメーションから心が離れずにすみました。友人が続けている戦隊シリーズも、特撮ファンとしての心の支えになっていました。
幾原監督は庵野監督と仲がいいからなあー。クリエイター同士の友情なんだなあ。そういう高みに達したクリエイターはスキノホシに導かれ、断絶を越えて旅立ちました。
なんだかシェル・ブリットのラストみたいですね。原作幾原邦彦、永野護デザイン、榎戸洋司脚本、五十嵐卓哉監督、演出細田守でシェル・ブリットアニメにならないかなー。
しかし、レジェンドたちが断絶を越えて旅立っても、残されたワナビたちも新しいドラマを作って永遠になるんだ…。
尊い・・・。

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