玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ペニー・パーカーちゃん目当てでスパイダーバースを見たのだが

 ペニー・パーカーちゃんが可愛いと評判の「スパイダーマン:スパイダーバース」を見た。なんでかというとグーグルが配信チケットをくれたので。
 ペニー・パーカーちゃん、後半にならないと出ないのでつまらなかった。しかも別に出なくてもいい感じだったし。かわいいんだけど。


 富野監督が褒めてたので見たんだけど、なんか僕はあんまりピンとこなかった。なぜかというと、この映画は文脈を共有するということが重要だし、もっと言えばかなりオタク的な作品だからです。(そして、それはアメコミのオタクであって、ガンダムのオタクの僕とは同じオタクでも専攻分野が違うのでピンとこないということです)


mantan-web.jp
スパイダーマン:スパイダーバース (吹替版)

『スパイダーバース』は同名の原作コミックが存在するが、「別次元のヒーローが一堂に会する」というプロット自体は、今やそう珍しいものではない。

日本にもかなり前からこの方法論は輸入されており、ウルトラマンゼロは多次元宇宙を移動するし、キュウレンジャーギャバンは「お互いが別の宇宙のヒーロー」という前提を難なく相互理解して共闘に至る。ただ、『スパイダーバース』が面白いのは、その「一堂に会する」ヒーローが全員漏れなくスパイダーマンということであり、それは、文化として根付いてきたアメコミ史の懐の深さを象徴している。

ピーター・パーカーがマスクを被るスパイダーマンがいれば、女性のスパイダーマンも、豚のスパイダーマンもいる。日本でも78年には東映により映像化されているのは周知の事実だが、このような、「様々なスパイダーマンが存在する」ことこそが、海の向こうのコミック文化が持つ土壌なのだ。日本のヒーローは割と先輩後輩の縦の関係で頭数を増やしていくが、アメコミヒーローは、別次元だのリブートだのの横の関係でバリエーションが増していくパターンが多いように見受けられる。



(中略)
『スパイダーバース』は、その映像表現の素晴らしさや、バラエティ豊かなスパイダーマン(たち)の集合に注目が集まるが、それらは前述のように、「アメコミ」もとい「アメコミ映画」という歴史を体現したような要素である。こういう映画がこういう規模で成立していることが素晴らしい上に、しかも、中身もしっかり面白い。無敵である。私のような、この手の娯楽作品を愛好する人間にとって、何よりのご褒美な一作だ。
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 だから、アメコミ好きはそりゃあ喜ぶだろう。いろんなスパイダーマンがいるけど、結局「スタンダードな実写特撮のスパイダーマン」「ちょっと老けた実写特撮のスパイダーマン」「黒人の少年のCGアニメのスパイダーマン」「白人の少女のCGアニメのスパイダーマン」「トムとジェリーのような動物アニメのスパイダーマン」「白黒映画の時代がかったスパイダーマン」「日本の女子高生漫画のようなスパイダーマン」「ホログラムのスパイダーマン」「70年代アニメのスパイダーマン」ということで、つまり、どうこうことかというと、それぞれのスパイダーマンの「区別」は「メディアの違い」であり、「それぞれのスパイダーマンが個人として独立した人生を持っている」というわけではないのです。


 つまり、映像表現のメディア、つまり絵柄のパラメーターという記号がスゲ変わっているだけで、どれも「スパイダーマンの文脈」を共通項として持っているので、あまり個人としてのドラマは感じられない。
 そういう意味で、僕は富野アニメみたいなロボットアニメという子ども向けアニメなのに人間ドラマの生々しさを表現しようとしているアニメが好きなので、「映像表現」をテーマにしているスパイダーバースはあまり乗れなかった。


 富野監督も前述のインタビュー記事で

さらに、現在のアニメについて「デジタルオンパレードになったアクションシーンを見ていてもそれほど面白くないでしょ? というのは、いろいろなことをみんなでやり尽くしているんです」と説明し、「『全部をやり尽くしてどうなるの?』ということの必殺兵器が最近のアニメでありました。『スパイダーマン:スパイダーバース』です」と語った。

 って言っていて、やり尽くしたのはドラマや物語ではなく「デジタル表現」の問題。
 つまり異なったデジタル表現ツールだけど、どれも同じスパイダーマンですよ、という安全ラインがある。なので、僕のようにガンダム仮面ライダーやゲッターやバイオレンスジャックみたいなアナザーとか黒歴史とかパラレルがもっとエグいレベルで異なっている、色々な作風がある日本の子ども向け娯楽のオタクをやっていると「違うのは絵柄だけで、おんなじじゃん」って思って、拍子抜けしちゃった。
 しかも、富野ガンダムは富野ガンダムで、同じ宇宙世紀であっても作風や雰囲気はぜんぜん違うわけだし。(Zガンダムが出た時の荒れ方はSEEDよりも酷かったとか)


 スパイダーバースの評価が高いのはわかるのだが。それは芸術点であって、ドラマ性としては特に目新しさを感じない。というか、テンプレートのパッチワークの連続に見えた。パッチワークの素材の異次元スパイダーマンのそれぞれが「どこかで見かけたアニメの主人公」みたいな派手さがあるので絵的には面白いのだが。


 それぞれのスパイダーマンが次々と親しい人との死別体験を語る場面では、「スパイダーバース」という並行宇宙なのに、どのスパイダーマンも同じような人生とストーリー展開を経験しているということで、広い個性や宇宙の広がりというより、スパイダーマンのお約束の狭さを感じてしまった。シュタインズゲート世界線から出ることができない閉塞感のまゆ死の連続にも似たおじさんの死に方。
(ちなみに、B世界線スパイダーマンも吹替版がシュタインズゲート鳳凰院凶真を演じた宮野真守さんが演じているけど、これはわざとかな???)
 まあ、おじさんが死ぬってのはスパイダーマンのテンプレだけど、異次元のスパイダーマンもみんな放射性の蜘蛛に噛まれて親しい人との死別を経験しているというのはドラマ性というより記号性を感じた。それで、人の死が記号として扱われているのは僕は苦手だった。



 いろんな世界にもスパイダーマンの仲間がいるという評価もあるのだが、別の世界でもスパイダーマンは同じような運命をたどるっていうのはちょっと決定論的で嫌だなあって思った。ここらへんは宗教的な問題もあるのかもしれないのだが。
 いろんな世界に仲間がいるというより、別の世界に行っても性別や人種が変わっても、自分は自分の役割を演じるしかない、というふうに受け取ってしまった。
 

 で、お話もまあ、単純ですよね。ベイマックス(見てないが)と同じくらいの少年の主人公がスーパーパワーと先輩を得て、困難とかを乗り越えるヒーロー文脈と同時に、アメリカ人が好きそうな家族の話で進む。
 しかも、スパイダーバースの多次元宇宙が表に出てくるのは2時間ある映画の後半1時間だけなので、前半のアメリカンジュニアハイスクールスチューデントの思春期のうだうだした展開はおじさんはあんまり楽しくなかった。


 ぼく、家族にあまりいい印象がないので、そういう家族愛のテンプレ展開を見せられても「また家族愛かよ」ってなってしまう。
 これは僕の個人的な不幸な生い立ちのせいでもあるのだが、親が死んでからは家族展開が多いドラえもんクレヨンしんちゃんが怖くて見れなくなった。



 あと、ヴィランも僕が見てないけど、どっかのスパイダーマンのアメコミでおなじみの怪人なのだろうという感じだ。



 で、映像表現は派手なのだがストーリーの骨子は単純だしテンプレートのパッチワーク。前半のうだうだした展開があるから、スパイダーパワーで飛翔するところがマトリックス1のラストシーンみたいなカタルシスが出る、なのかもしれないけど。でも前半は退屈だった。いつもの家族の話がどうこうって言う。



 富野監督はスパイダーバースについて

同作について、「あれはすごく変なアニメで、今年のアカデミー賞(第91回アカデミー賞)で長編アニメーション賞を受賞している作品なんです。一見実写にも見えるアニメで、かなりいろいろなことを実験的にやっています。なんでアカデミー賞をとったのか1週間ぐらい考えました。アメリカの映画人にしてみれば、この作品は、アメリカの映画人にとって、初めて一般の小屋で『子供向けじゃない』ということで上映したアニメじゃないか。作品評はしませんが、技術論を含めて、本当に苦労して作ったんだろうという制作者の心意気も分かります」と説明した。

 とおっしゃっているのだが。ここも「子供向けじゃないアニメ」なのだが、「アメリカ人なら子供の頃に誰もが見たヒーローが大人向けアニメになった」というふうに読み替えができる。
 つまり、閃光のハサウェイユニコーンガンダムが「大人のガンダム」としてやっているけど、そのコアターゲットは子供の頃のガンダムブームが忘れられないおじさんたち、というわけで、スパイダーバースもそれと同じなのではないかと。僕がここ数年懸念材料にしている「オトナ帝国的エンタメビジネス」なのではないかと。


 なので、もしかするとそれはJOKERも同じなのかもしれないけど、アイアンマンとかアヴェンジャーズとかローガンとか大人向けっぽい実写映画演出をしているけど、結局子供の頃に好きだったものへの執着心がビジネスに利用されているだけなのかも、とか。
(JOKERの舞台が現代ではなく70年代だったのも、オールドファンのチャイルドフッドなノスタルジーを喚起するためだったのかも)



 だから、表現として豪華なことをやっているのだけど、絵柄が違ってもどれも同じスパイダーマンという安全感があって、「異次元からいろんなスパイダーマンが出てきてめちゃくちゃだ!」というヤバさというか危険感というか予想の付かない不安感とかギリギリ感はあんまり感じられなくて、アイディアはいいんだけど、そこが僕にとっては肩透かしでがっかりポイントだった。


 というか、スパイダーマンがたくさん異次元から集まるっていうんだったら、やっぱり個性化してほしかった。まあ、割りとバトルもハイスピードだし、CGエフェクトをめっちゃ付けているので僕が見逃しているだけかもしれないけど、ドラえもんズやロックマンみたいな「この敵にはこのヒーローのこの技じゃないと倒せない」みたいな戦術的な面白さがあんまりなかったなあって。
 ジョジョの奇妙な冒険の「スタンドに強弱はない、相性がある」みたいな奴がちょっと薄かったような。どれもだいたい糸を出してジャンプするという能力が共通しているスパイダーマンなのでヒーローのフォームチェンジみたいな面白さがあんまりなかった。僕は感性がキッズなので、やっぱりG-セルフ仮面ライダークウガウルトラマンティガのフォームチェンジで戦況に合わせて能力を使い分けるという展開が好きなので・・・。


 ペニー・パーカーちゃんはIT系だったのでなんかキーアイテムになるUSBメモリを作ったりしていて、そこは個性だったのかもしれないけど。
 でも、ペニー・パーカーちゃんのロボットはまあ、すごいのかもしれないけど、結局スパイダー能力とスパイダースーツがロボットになってるってだけだったので「ロボットだからできる戦い方」みたいなのがあんまり印象に残らなかった。むしろ、ロボットが壊れる時のベイマックス感の方が強調されているのかも。あと、アメリカ人はやっぱりロボットは密閉型じゃなくてガラス張りのコックピットが好きなんだなあー。(∀ガンダムアメリカ人のデザインだし)


 あと、ペニー・パーカーちゃんが日本アニメや漫画的な記号的な表情をするけど、それがドラマに強い影響を与えたわけでもない。(むしろ、表現がアクション行動に結びついていたのはブタのハンマーですかね)
 アメコミの絵が動くという点で評価されているけど、部分的にはダ・ガーンのアイキャッチとかカウボーイビバップとかで日本のアニメとかでもアメコミっぽいアニメ表現があったわけだし。(パロディの域を出ないものもあったと思うけど)
 スパイダーバースがCGで金と手間をかけてアメコミアニメ表現をやっていても、僕としては「コンピューターがコレだけ発展したらコレくらいはできますね」というベンチマークとして感じてしまって、そこまですごいとは思わなかった。そして、映像的に新しいということを売りにした映画は大体のちのちに古臭いと扱われる。いや、ターミネーター2とかジュラシック・パークはまだいける?スター・ウォーズ4〜6は最近の若者からは酷評とも聞くが。
 マンガを動かすっていう発想はそもそもアニメの最初期からあったものだしなあ。アイディアとしてはドラえもんコエカタマリンの方が天才の発想だと思う。そして広瀬康一にパクられる。


  • 人種問題

 ペニー・パーカーちゃんが可愛いというのがすごい当時話題になったしTwitterでファンアートをたくさん見た。
 しかし、日本のマンガ表現がアメリカアニメに取り上げられたから、クールジャパンが認められたと感じるとしたら、それは名誉白人みたいな感覚で卑屈だなあって思う。
 というか、日本のマンガ表現のペニー・パーカーちゃんだけど、日本のマンガ表現はもっと色々あるわけで。メカと制服女子校生ってのは日本のマンガのイメージだけど。ペニー・パーカーちゃんの絵柄とか表現は藤子不二雄のマンガ少女をちょっと大友克洋よりに年齢を上げてみた感じ、なのかなあ(婉曲的で抽象的な表現)。
 なので、ジャパニメーションだけど、コミック版のエヴァンゲリオンっぽいペニー・パーカーよりは、アニメのペニー・パーカーは日本アニメの中でもややマイルドよりの女子校生だとおもう。


 まあ、日本市場はハリウッドのヒーロー映画は意識しているし、今回はアニメということでより一層、意識していると思う。なので、ペニー・パーカーちゃんは日本人が喜ぶような感じだし、事実喜ばれた。


 んで、この作品は主人公が黒人ということもあり、ポリコレや多様性を意識しているのだが。ラストシーンで主人公のマイルズ少年が私立中学校の寮のルームメイトと和解するのだが。(というか、マイルズ少年は名門学校に苦手意識を持っていて、黒人の路上グラフィティ文化に親しみを持っている感じだった)和解というか、話しかけるようになる、というレベルだが。
 そのマイルズ少年が和解するルームメイトがペニー・パーカーちゃんのように可愛くない、モンゴロイドの一重つり目のアジア人(日本人?)なのだが。
 どうも、アメリカでは黒人やヒスパニックよりも日本人の立場は下、みたいな雰囲気がちょっと感じられてしまった。



 白人の名門私立学校に黒人が入学して肩身が狭いし場違いだと感じる。でも、ルームメイトのアジア人とは仲良くしない。それが、スパイダーバースの多次元宇宙の仲間たちとの交流を経て多様性を学ぶ。あと白人美少女の転校生と共通のスパイダーマン経験をする。それで、ルームメイトのアジア人を許容できるようになる。という流れのようだけど。


 うーん。まあ、ルームメイトがおなじ黒人だったら仲良くできたかもしれない。白人ならいじめられたかもしれない。アジア人は無視していたのを話しかけるレベルになるという。
 どうも、ココらへんで「アニメっぽい日本人の美少女は価値があるけど、日本人の男はゴミ」みたいな文脈をなんとなく感じてしまったのだが、それは僕の被害妄想なのだろうか。


 それはそれとして、アメリカの都会の黒人の少年の思春期というものの文脈もアメコミの文脈と同じく、僕とは縁遠いものだった。一応、家族とか親戚の確執とか進路の問題とかは多少、日本人の僕と共通項があるけど。アメリカの都会の名門学校での黒人とアジア人の寮生活のスクールカーストの問題とか、そういうのは全然知らない。


  • ペニー・パーカーちゃんに乗れなかった

【コスベイビー】『スパイダーマン:スパイダーバース』[サイズS]ペニー・パーカー&SP//dr

 たしかに可愛かった。日本アニメの技法とかも使っていた。それはそうなんだが、ドラマとしてペニー・パーカーちゃんに対して主人公のマイルズがほとんどリアクションしないせいで、「絵としては可愛いし、アクションや表情の見せ場もあるけど、人物としてはイマイチはっきりしなかった」という印象で、期待度が高すぎた気がする。
 あと、やっぱり「スパイダーマンはどの宇宙でも似たような死別を経験する」というテンプレ展開が、僕にとってはスパイダーマンの文脈への敬意というより記号という感じで受け取ってしまって、ペニー・パーカーちゃんが実在感を持って萌える対象になる、とまではならなかった。絵としては可愛いのだけど、ピクシブにたくさんいる、可愛い無名の大量の少女たちと同じくらいの萌え度だった。
 ピクシブの例えで言えば、いろんな絵柄のスパイダーマンのファンアートの一つ、というレベルがペニー・パーカーちゃんの扱いだった気がする。
 期待値を上げすぎたのかなあ。


  • 現実にもどれというメッセージの安牌

 で、いろんなスパイダーマンが出たけど、最後に松本人志の「大日本人」のラストシーンみたいな古いアニメのスパイダーマンが出て「この映画は面白かったけど、作り物ですよ。映画が終わったら現実に戻りましょう」ってオチを付けて観客をクールダウンさせて映画館から出す構造があって、それもちょっと狭さを感じた。
 まあ、ネタとして表現をやり尽くすために70年代アニメのスパイダーマンも出したかったという気持ちもあるのかもしれないけど。
 スパイダーバースっていう並行宇宙の世界観なら「今もどこかにスパイダーマンがいるのかも」みたいな感じが残れば個人的に(ウルトラや仮面ライダーっぽくて)好みで良かったんだけど、「これは作り物ですよ」ってクールダウンがされてしまって、ちょっとそこがハジケ度合いが減じたかと。まあ、本編のアクションシーンはハジケていたので、バランスを取るためにああいうラストで客の脳を冷めさせるのが必要だったのかなあ。
(一応、現実世界もアメコミ版のスパイダーユニバースの中で番号が割り振られているらしいけど)
ワールド・オブ・スパイダーバース (MARVEL)


  • つまり何が言いたかったかというと、

 もっとむちゃくちゃするかと思ったら、案外普通だったな。ということでした。
 というか、「アメコミ文化」とか「アニメのデジタル表現」に興味がある人には刺さるのだろうけど、そういう文脈を共有してない(知識としては知っている)僕にとっては「よくある家族もの」にしか見えなかった。敵もそんなにすごくないし、バトルフィールドもニューヨークの街と謎機械の中という限定的な場所で、そんなに広がりがなかったし。
 というわけで、ちょっと内輪受けなのではないかとか、オタクや評論家に受けるものなのかな、とか感じたのだけど。



 むちゃくちゃする出崎統とか富野由悠季とかばっかり見ている弊害が出たのかなあ。


 明日は仮面ライダー平成ジェネレーションズを見ます。レンタルビデオ店でオーバークォーツォアーは貸出中だった。
 並行宇宙からヒーローが集まるといえば、仮面ライダーディケイド以降、仮面ライダーの映画はずっとやってるわけだが。あんまり見てなかったので。
 スパイダーバースと見比べてみるのも面白いかなあと。


 まあ、仮面ライダー大集合もそれぞれの仮面ライダーの文脈を知ってるかどうかというオタクっぽさや、3世代コンテンツになったオトナ帝国問題があるのだが。
 あと、「平成」という日本人の共通の文化的文脈を利用しているので、そういう点ではスパイダーバースのアメコミ文脈の内輪受けを強く非難はできないのだが。



 うーん。文句ばっかり言って自分で手を動かさないダメなオタクになってしまった?

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