8月といえば日本人にとってはお盆と原子爆弾と敗戦記念日です。僕個人は終戦記念日でもいいけど、戦争を幼児期に体験した富野監督が「敗戦です」って言っているので、敗戦でいいかな、くらいの。
というわけで、今年もリーンの翼を見ました。6話で2時間ちょいなのでサクサク見れて便利。
敗戦記念日に見たいアニメと言えば?
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2020年8月7日
#太平洋戦争 #終戦記念日 #敗戦記念日 #第二次世界大戦 #WWII #リーンの翼 #火垂るの墓 #風立ちぬ #はだしのゲン
#tomino #ジブリ #アニメ
まあ、8月の夏休みで暇だから戦争を思い返すというのもミーハーっぽいし、どうかと思うのだが、年中戦争のことを考えているのも面倒である。
で、今回は間の存在たちの物語としての視点からリーンの翼を見た。そして、僕も間の存在だと思った。リーンの翼の感想はずっと前に書いたので、今年はそんな新しい解釈はないのだが、それをきっかけに考えた戦争の話などを書いてみようと思う。(くどいので1万2千文字ある。僕の経歴を知ってる人は読まなくていいです)
- リーンの翼の人々
迫水真次郎は地上人であり、異世界のバイストン・ウェルで勇者・聖戦士となった。その後、ヘリコンの地でホウジョウ国を建国して王になったが、3人の王妃を迎えて子をなしても、土着の部族から最後までよそ者として見られていた。
また、サコミズ王は地上界に帰還してからは、ホウジョウの王でありながら日本国の皇居に敬意を払う臣民の意識をまだ持っていた。だが、サコミズのオーラバトラーは現代の自衛隊や在日米軍の攻撃を受ける。60年前の特攻兵という意識もサコミズにあるので、日本に裏切られたと感じる。
アイデンティティが不安定な人たちの物語だと感じた。
在日アメリカ軍海兵隊岩国基地の司令のアレックス・ゴレム大佐と日本人の鈴木敏子さんの間に生まれた若い聖戦士のエイサップ・鈴木も、サコミズ王から「君は混血だろう。異質なものの真骨頂だ」と言われる。
サコミズの娘でヒロインのリュクス・サコミズ姫も地上人とコモン人との混血である。
エイサップの友人のロウリィと金本も、在日米軍にコンプレックスを持っていたり、在日朝鮮人三世として差別されている。その鬱屈が彼らをテロリストにしたりする。日本に対して憂国の志を持っているが、同時に東京を憎んでいる。
バイストン・ウェルのコモン人のコドール・サコミズ女王も地上界に対して文化科学的な興味を持っていた才女で、憧れていた聖戦士のサコミズの後添えになったが、自分の部族のしがらみも断てなかった。
迫水真次郎の盟友で、小説版の前半では共に国興しをしたアマルガン・ルドルも結局は自分の国の経営を諦めて官僚に任せて、流浪の武人としてホウジョウ国に反する反乱軍の指揮官をしている、という不安定な人生だ。
アイデンティティがはっきりと自分の精神に根を張っていない人が多い物語だ。
自衛隊飛行艇に乗っている海楽と田中は人間的に安定した大人の男性という感じだが、自衛隊というものがやはりはっきりした組織ではない。(まあ、そういう軍隊なのか救助隊なのか曖昧な自衛隊なので、東京へ破壊行為をしたロウリィと金本を救助する、という微妙なラストシーンになっているのだが)
- アイデンティティが崩壊している僕としては
8月になって敗戦を思い起こすような年中行事の日本人にとっては、8月のメディアなどでの戦争特集は自分のアイデンティティを考えたり強固したりする行事になっておるようでもある。
戦争で祖父が九死に一生を得たり、シベリア抑留を生き延びたから自分がいる、という素朴な感謝とか。
この世界の片隅にの評価でも「あの時代を生き延びた人と自分たちの生活がつながっているので、感動した。生んでくれてありがとうございます」みたいな感想をよく見た。
戦争に行っていない小林よしのりは「勝ってる戦争はカッコいいぞ!」と描くが
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2020年8月15日
ベトナム戦争に従軍した作家ティム・オブライエンは「戦争の話でいい気分になるような話があったらソレはウソだから信じるな」とまっとうなことを言っているのであった https://t.co/lyKG2pdH6E pic.twitter.com/gXFHVtdeIM
日本では祖先の霊が帰ってきているという仏教の設定の盆の日に玉音放送をしたのは、当時の企画者はどの程度狙っていたのかわからないのだが、現代でもお盆に祖先を思い返すのと戦争を思い返すのがリリシズム的に混同されている季節的行事になっているような気がする。
でも、僕は家庭が崩壊しているので、先祖に感謝する気持ちが全く理解できないのだ。
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/yasukuni-chidori-2020
「『国に帰りたい』と思いながら散っていった若い人たちのことを思うと、涙が出ます。コロナ禍であろうとも、絶対手を合わせなくちゃいけないと思って、今年もきました。10年以上前から参拝を続けているので、自分が倒れるまで参拝しようと思っています」
<76歳の女性、東京都>
「コロナ禍でどこかに出かけることもできなかったので、初めて来ました。娘はまだ小さく、戦争のことも知らないので、身近にあるこうした場所を通じて、しっかりと戦争について伝えようと思っています。国を護るために亡くなった人たちに感謝をするとともに、平和について考えたいです」
<46歳の男性会社員>「10年以上前から終戦の日は毎年、亡くなった夫と一緒に靖国神社と千鳥ヶ淵を参拝していました。特に千鳥ヶ淵は、国のために命を失った人たちのお骨があるところ。平和を願いました」
<70歳の女性、東京都>
「日本のために戦ったご先祖様に感謝をしたくて参拝しました。日本人としては大切な一日ですから、来るべきだなと思って初めて訪れました。毎年お盆は三重に帰省していたのだけれども、今年は帰ることもできなかったので、戦争について興味があったこともあり、靖国と千鳥ヶ淵を参拝しました」
<20歳の男子大学生、東京都>
まあ、人の意見は色々とあるんだと思うけど。僕は日本のため(ひいては現在の自分のため)に過去の人が戦ってくれた、というのがわからない。国を守る手段が戦争なのかというのもよくわかっていない。WWIIが自分の利益になっているのかいないのかの検証も複雑すぎてわからない。(GHQは様々な改革を行ったが、財閥系企業は今も巨大組織だし、政治家も戦前の閣僚からの世襲が多い)
そもそも僕は自分が日本人であるという意識が希薄である。(まあ、精神障害者で不眠症なので日本から外に出ると睡眠薬が安く調達できなくなるという理由で日本にいるけど)
というのも、僕の父方の祖父はバリバリの右翼だったからだ。
何度か過去のブログで語ったと思うけど、祖父は陸軍中野学校卒業のエリートスパイで、戦後は戦争犯罪を逃れるために名前を変えて戸籍も操作して、その上で公安委員会を勤め上げて細川内閣で叙勲された。戦争犯罪者のスパイも、海軍から海自に配属された軍人たちのように、戦中から戦後と連続して国家のために働いた。叙勲もされたので、まあ、そこそこの業績を上げたのだろう。九州の人なので東京の公安とはまた違う働きだろうけど。そして、叔父も公安の人間だ。
まあ、Zガンダムのクワトロ大尉とかいるし、東京裁判の戦争犯罪認定も不明瞭だし、生存戦略として戸籍を操作することに対しては別に僕はなんとも思わないのだが。
しかし、まあ、九州の人だったので厳しい祖父であった。厳しいだけなら良かったのだが。公安を退職したあとは田舎で子どもに剣道を教えており、地元の名士みたいな感じだった。
僕は体が弱かったので剣道を練習する以前に道着にアレルギー反応を起こして喘息になったりして、剣道ができなかった。そういうわけで、祖父からは無能で弱い性格の悪いオタクの餓鬼のように見られていた。父親も祖父のアシスタントとして剣道を教えていたのだが、その実の子の僕が剣道をやめちゃったので、父親は鬱陶しかったかもしれない。
それに、当時はバブルだったので私の父親は脱サラして地元の名士だった祖父を頼って田舎に戻って事業を起こそうとしたのだが、祖父は権威主義的でパターナリストだった割に実際には大した財産も権力もなく、父親は事業に失敗して、両親の夫婦仲も冷え切り、田舎では僕は肩身の狭い思いをした。
また、父方の祖父母が25年くらい前に死ぬ直前には九州から別の県に引っ越していたのだが、私の母親が介護のために単身赴任させられており、そこで虐待されたらしい。私の母親は8年前に自殺したのだが祖父母への恨みつらみが遺書に書かれており、僕は家族というものへの不信感がすごい。ブレンパワードくらい家族に不信感がある。
祖父が死んだ時の葬式で、剣道の弟子だった僕と同い年の少年が大いに泣いておったのだが。彼から見れば祖父は偉大な剣の師匠だったかもしれないが、僕から見るとつまらないことで怒って、母親を虐待していた権威主義者だったので、人間の印象なんてバカバカしいなあと思った。
同時に、名前を変えて戸籍も操作して戦争犯罪を逃れていた祖父だが、葬式には憲兵同窓会から多くの花が贈られてきたり、戦友会の老人たちが酒を飲みに来たりしており、90年代でも戦争の当事者の組織は続いていたのだと思った。子どもだったのでよくわからなかったが、戦友会の人達は外向きには加害体験を語らないのに、内輪での武勇伝として戦場での話を楽しそうにしていて、そういうコミュニティもどうなんだろうって思っていた。
それに、遺産相続でも揉めて、公安の叔父の嫁に数百万くらい取られた。まあ、数百万程度なので裁判をするほどでもなく、親戚と断絶するだけになった。その叔父の妻は原爆二世で白血病患者だったので、常識的には可愛そうな被害者、と見られそうな人だが。その義理の叔母は葬式で大げさに泣いてみせたあとに銀行通帳をさっさと盗んで金をとった。一応遺言状では僕がいくらかもらえるはずだったらしいのだが。
白血病は気の毒だが、だからこそ生き延びるために僕の金を取るんだなあ、と思うと虚しくなった。叔父は叔父で公安と言っても給料が安いし、金が欲しかったんだろうな。なので、警察や公安と言った組織も対して良いものとは思えず、カネ目当ての人間の集団に過ぎないと思っている。
というか、祖父が中野学校に入学したのも、九州の地方の金持ちの非嫡出子で寺に預けられていた孤児だったので、仕方なくスパイになるしかなかったという事情もある。なので、戦争がどうこう以前に、人間が繁殖したり妾を作ったり経済政策が失敗したりという時点で、人間社会があまり好きではない。
そういう遺産相続問題がちょうど僕の大学受験と重なり、母親が父親を詰ったり、金を取られたせいで私立大学には行けなくなり、僕は精神的に参ってしまった。なので、学力も低下し京都大学じゃない方の国立大学に渋々入学して駄目な感じになった。
母方の親戚も戦争で人生が狂っており、母方の祖母も妾をして僕の母親を生んだが、正妻にはなれず、追い出された。その後、かなり年上で同じく連れ子を抱えていた男性と再婚したのだった。後妻業の女。
その僕から見た義理の祖父は温厚な人物で、父方の祖父と違って従軍していた時も殺人をしないで済んだ後方任務だったらしい。僕はたまに旅行に行った時は割となついていたのだが。義理の祖父が高齢で死んだあと、連れ子であった義理の伯父が90年代末期の不況で事業に失敗して首を吊って自殺した。それで縁者を失った祖母は義理の伯父の妻と不仲になり、僕の家に転がり込んできた。
それがやっぱり僕の大学受験と重なり、僕の精神と人間不信は限界になった。
で、僕が東京のKLabに就職したのに過労で心身ともに壊れたので実家に戻ったのだが、僕が家を開けていた間に母親は父親との不仲の心の隙間を銀行員に付け込まれて不動産投資にのめり込み、8年前に自殺した。父親は最後まで無視していた。生きていた頃は無視していたのに死んだら「お母さんを守ってやろう」と言って自殺ではなく事故だったと葬式で言うように僕に支持してきた。でも自殺直前の母親を知っている人には割とバレていた。
あまり関係ないけど、葬式の時に源光庵の坊主が位牌を持ってくるのを忘れたりして、ぞんざいに扱われた感じがした。なので、仏教に対しても不信感がある。若い頃に神に呪われている気がしたので、四国八十八ヶ所を野宿で巡礼したが、田舎の植物や山川はきれいだと思ったのだが、寺の朱印帳ビジネスを見ていくと、それはそれで浅ましいと思って、神と和解はできなかった。
そして祖母は半分ボケているので今でも自殺ではなく事故死だと思いこんでいる。また、祖母の介護はかなり母親の負担になっていたのだが、母親が自殺したら二親等内の親族がいないと行政に判断されて、祖母は優先的に特別養護老人ホームに入居できた。娘を自殺させておいて自分は上げ膳据え膳の余生かと思うと、老人に対してもあまりいい気持ちを持てない。その祖母は施設から毎晩のように父親に携帯電話をかけてきて(本来は携帯は禁止されているような気がするのだが)、後妻業の女らしく父親に何かしら毎日おねだりをしていて、たまに僕が電話を取る時もおねだりをされて、祖母と言うより「女」って感じがして、すごく気持ちが悪い。
かといって自殺した母親も完全な被害者というわけではなく、僕がオタクであることに不満を持ち、ガンプラやファミコンソフトを何度も破壊されたし、加藤智大と同じく、ゲームは週に1時間だけだった。(親が自殺して、無職になった今は逆に一日中ソシャゲをしており、あの子供時代は何だったのかとむなしくなる)
アニメを見ないで必死になって勉強しろと怒ってくるし、母親が祖父母に虐待されていた反動からか、かなりの部落差別者であり、僕を叱る時に「ヨツの子みたいなことをするな」とよく言われたものだ。
また、リーンの翼では差別されていた在日朝鮮人の金本という男子大学生のキャラクターがいるが、うちの近所にも金持ちの在日朝鮮人が住んでおり、僕が生まれる前から母親と交流があったそうだが、金を傘にきてバカにした態度を取るようなおばさんで、それも母親のコンプレックスになっていたようだ。
それで、父方も母方も親戚関係が崩壊しており、夫婦仲も冷え切り、僕がなにか両親に叱られるようなことをすると、父からは「お前は母親の悪いところに似ている」と言われ、母親からも逆に「あんたはお父さんに似ている」と言われた。僕にとって両親に似るということは、普通の人のように家族の絆を感じて嬉しいことではなく、叱責され否定されることだった。だから僕は誰にも似たくないと思った。親に似ない人生を歩むのに手っ取り早いのは、親にならないことである。なので僕は結婚する気がないし、恋人を作る気もなく、脳内妹やアイドルマスターなどの虚構の概念に愛情を求めるようになった。
そういうわけで、僕は自分が日本人であるという意識が希薄である、というか、自分がホモ・サピエンスであるというレベルの同族感覚も持てない。まあ、一応、ホモ・サピエンスと似たようなものを食べたり、薬物に同じような反応を示し、同じような道具を使うことができる、という程度。
この世界は間違った創世神デミウルゴスが作った不浄の地獄であり、イデア的存在である脳内妹だけが本来の世界への導き手であろうという、独自の妄想と組み合わさったグノーシス主義を信じている。実際、過労で臨死体験した時とか脳内妹が夢枕に立って死にかけの僕を再起動させてくれたし。
というわけで、戦争は良くないんだけど、それ以前に人類そのものが良くないし嫌いというのが僕の見解です。
孤児だったので仕方なくスパイをして戦争犯罪を逃れて、家庭の愛情を知らないので僕の母親を虐待した祖父も、戦後に女を武器にするしかなくて後妻業をしていた祖母も、白血病だからこそ生きることに汚い叔母も、みんな生きるために仕方なく他人を攻撃せざるを得なかったゴミであり、それが人間だと思っている。戦争があろうがなかろうが、人間は屑だ。
まあ、そういう人間観を持って生きているのはとてもしんどいことであり、我が行くは恩讐の彼方、無尽の屍という内面世界で、精神障害は診断名こそ「うつ病」だが様々な人格障害やトラウマが絡み合っていて、まともに働けないし、労働などの社会活動に強い恐怖を感じる。
親戚も含めて敵しかいない、という人生観なので、「先祖が居てくれたから自分がいる」という、ブレンパワードの伊佐未直子ばあさんみたいな気持ちが全くない。先祖が戦争をしていようが、立派だろうがクズだろうが、縄文系だろうが弥生系だろうが、関係ない。俺はいつの間にか自我を獲得しているし、そしてまたしばらくしたら自我がなくなって死ぬんだと思う。
母親が自殺している事故物件に住んでいるけど、心霊現象は感じたことがない。それより不通に精神疾患による不眠とか免疫力の低下のほうが問題。なので、戦没者を拝むとか慰霊する気持ちもほとんどない。むしろ、神は邪神デミウルゴスだと思っているので、関わりになりたくない。いや、神社とかお寺に生えている樹木の雰囲気とか、そういう庭師の努力とかは好きなんですけどね。霊魂は全くわからん。むしろ、霊的現象が干渉すると量子力学が狂うのでやめてほしい。
それに、父方の祖父母が死んでから、九州に骨を埋めているのに仏壇はこちらに引き取るというよくわからないことを父親がした結果、母親は「この仏壇が来てからろくなことがない」って愚痴っていたし、そこに自殺した母親の位牌が入っているのを拝むのがすごく気持ち悪い。
リーンの翼の悪役に見える、エメリス・マキャベル司令の思想が語られるのは新装版4巻の314P。「十七世紀のトマス・ホッブスの『リヴァイアサン』が独善的に慧眼なのは、人が平等なのは潜在的殺人者であるという一点」という文章がある。これは僕の実感なんだ。
今年の戦争特集で富野監督のインタビューがある。
毎年八月になると戦争体験の話をするが、それは被害者の体験談であって、戦争論ではない。日本人は本気になってリアリズムで戦争を考えて、自衛隊はいいのか悪いのかといった話をしてこなかったんだ。
www.tokyo-np.co.jp
僕の祖父は確実に加害者だからなあ。あまりはっきりした記憶はないが、祖父から大陸の戦場での死体の山の写真集を見せられたような思い出がある。
同じページの元共産主義者の安彦良和先生のインタビューでは
戦後民主主義の教育を受けてきたわれわれは、年長者を敬わなかった。「間違ったのはあの人たちだ。どうしてあんなばかな戦争をしたんだ」と。戦争で苦労してきた人はその苦労をあまりしゃべらず、われわれは反撃を受けないからと言いたい放題だった。でも、自分たちはただの苦労知らずだった。だから「あなたたちも大変だったんだね」と、自分なりの埋め合わせをしないと済まないような気がしている。
でも、生きるために仕方なく戦争に加担したような小さな人間は戦後もやっぱり汚い生き方をしたり、トラウマで人格が歪んだ部分もあり、そういう大人たちの尻拭いのためのサンドバッグにされていたのが、僕の少年時代の親戚関係の印象なのだ。
そういうわけで、国家や与党を信頼できているネトウヨや、逆にしっかりした自論を持っているリベラリストや、大企業の正社員であるとか、健常者であるとか、右とか左とかヴィーガンとかフェミニストとか、そういうところでアイデンティティを確立できて安定できている人は、自分と違う集団に対して攻撃的な面もあるものの、心が安定していて羨ましいなあって思える。安定して自然に他人を差別し攻撃できる大衆が羨ましい。(まあ、集団の威を借りているだけだろうと軽蔑している面もある)
僕は自分が何なのかもよくわかってないし。せめてもうちょっと数学か生体実験が得意だったらコロナウィルスとかにも自信を持って意見を持てたかもしれない。所詮無職だし、RNAも読めないので、コロナウィルス対策とか景気政策とか全くわからない。適度に栄養をとってゲームして、文章を書いて、寝る、人混みを避ける、くらいしかわからない。
他人は嫌いだけど、どちらが正しいかはわからない。単に自分の得になりそうな時は奪うし、損になりそうな時は逃げる。そういう動物レベルの感覚しかない。
- 富野アニメへの傾倒
そういうわけで、僕は親や親戚に似ていたり家系に誇りを持つこともできず、原爆被害者や朝鮮人などの被差別者の汚い部分も見ているし、かと言って外国人を差別するほど日本国がきれいとも思えない。寄る辺がない人間なので。
そういうわけで、リーンの翼など、アイデンティティや普通の人が根っことして持っている安心感がどこか欠落しているキャラクターが出てくる富野アニメが好きと言うか、見ていて居心地がいい。家族を大事にって言われると、逆に気持ち悪くなるし。
まあ、精神科医からは「自分の家族に見切りをつけるのは本能的にすごいストレスですね」と言われている。実際、すごいストレス。毒親から離れてゲームしてハッピー!という感覚にはあまりなれない。ゲームをしている時やアニメを見ている時は楽しくても、楽しいことが途切れたらすぐに母親の死に顔がフラッシュバックして「お母さんが死んでしまった・・・」とずっとつぶやきつづける。脳内妹に泣きつくのだが、脳内妹を演算するのもなかなかにエネルギーを使う。まあ、しかし、妹はいてくれないと困る。
それで、富野アニメが好きになって入るのだが、富野監督からは「アニメファンには病気の人が多い」と言われているので、やっぱりどこかで見下されているのかもな。まあ、才能の差があるし。なんだかんだといって、富野本家は大金持ちだし。
なので、監督が77歳のときには喜寿の祝で富野ファンから資金を集めて大きなプリザーブドフラワーをサンライズに送りつけたけど、富野監督に心理的に振り回されないように、創作者と視聴者という線引きはしておくべきかなって最近は思っている。
アニメが面白ければ、面白いところを解説するけど、クリエイターの信者や家来になろうとしたり近づきすぎると人間は傷つけ合うので。あきまんにもブロックされてるし。
- 富野ファンの中での孤独
先日、富野ファンのオンライン飲み会というのがあって、Twitterでこないだ愚痴ったけど。19時開始の飲み会に30分遅れで参加すると伝えていたのだが。用事が早く済んで20分遅れでオンライン飲み会にログインしてしばらく無言で見ていたところ、Gレコ劇場版についての意見交換会がなされていた。そこで、
「グダちんさんが来ると、また厳しい指摘を受けるので、来る前にやりましょう」みたいな会話がされていて、これはこれでホウジョウ国の部族との壁が最後まで無くならなかったサコミズ王とか、フラウ・ボゥに「私達と違う」と言われたアムロ・レイみたいな気持ちになった。
僕は富野アニメを語りすぎているのだが、語りすぎてしまって富野ファンのコミュニティでは微妙にやっかまれているのかもしれない。でも、僕が参加したら会に箔が付くのか、誘われる。富野由悠季の世界展のチケットを貰ったりもしているので、それは嬉しいのだが、やっぱり僕が完全に人と打ち解けることはないのかもしれないなあ。まあ、ATフィールドを張っているのは誰しも同じで、やっぱり魂は孤独なのかもしれないのだが。
- エイサップ・鈴木くんの理想
話を強引にリーンの翼に戻すのだが。
浪人生のエイサップ・鈴木くんが王と対等に話し合うのは人生経験がそこまで足りてないと思うので、ちょっと謎だったのだが。
僕の上記の家庭の不幸語りとか、特攻隊であることにこだわったサコミズ王も過去を見ていて、過去にアイデンティティを持とうとしている。
エイサップ・鈴木くんも浪人生かフリーターでフラフラしている身分で混血で非嫡出子でアイデンティティが薄いのだが。リュクス・サコミズ姫に釣り合う男になるために色々と考えたようだ。(迫水真次郎はヒロインに対して勃起して、リンレイとセックスするために英雄になろうとしていたが、最終戦でエイサップはリュクスにキスされても勃起はしなかった(小説版)。ここらへんが現代っ子なのか)
エイサップ・鈴木くんは力強く現代を肯定するし、そのために過去も尊重する。なぜならリュクスと出会えた現在を大事にしたいので。そこから先の未来を作りたいので。過去は尊重するけど、事実としてあるものとして客観視しており、そこを自分の立脚点にはしない。過去は変わらないので、未来を作るしかないと言う。
先の戦争とか家庭崩壊とか、まあ、過去に対して戦争の肯定派も否定派も、もちろん僕も何かしら負い目のような、しがらみを感じている人が多いだろうし、まあそれがリアルだと思うので、エイサップ・鈴木くんの未来志向はちょっと理想的な若者像すぎる気がしないでもない。
だからまあ、ラストのラストはハッピーエンドにはならなかったんだろうなあ。
それで、日本人の文明も墓参りの線香と桜花の香りという美しさと同時に、その墓の対岸には美浜原子力発電所がある、というきれいになりきれない、美しさと汚れの「間」というスッキリしない世界でやっていくしかないという過酷な描写がある。それがリーンの翼のファンタジーから現実に戻すエンディングなのだなあ。東日本大震災の前年に新装版の小説版が出たリーンの翼。アニメ版は2006年にエンド。福島原発の屋根が吹き飛ぶ前にさらっとラストシーンに原発を入れてくるところが富野作品の怖さだなあ。
バイストン・ウェルシリーズは海と大地の間のファンタジーだからなあ。
- アニメとしてのリーンの翼
事実上、最新作のGのレコンギスタの前作がリーンの翼なのだが。(かなり間が空いているが)
ファンタジーなのだが、OVA6話ということもあり、映画を目指していると言うか、実写志向の絵作りを感じた。CGのオーラバトラーが常に呼吸していたり揺れていたりという動きは実写的だし、複数のCGの艦艇(もちろん人物も乗っている)が重なって写っている立体的なレイアウトも実写っぽい。
なのだが、その後の短編のリング・オブ・ガンダムで実写に対する気が済んだのか、Gレコはもうちょっと萬画っぽいというかアニメっぽい平面っぽさとか記号としてのシンボリックな絵の作り方になっているような。
それでも、Gレコの立体宇宙空間での戦闘シーンなど、スピードとスケール感は他のアニメ作家の追随を未だ許さないトップレベルだと思うのだが…。
あと、エイサップ・鈴木くんがフリーターにしてはかなり立派な言葉遣いをしているのも、ファンタジーアニメとして、ちょっと芝居がかった演出付けになっているのかもと思った。迫水真次郎のドラマは能だしなあ。Gレコはもうちょっと台詞回しが軽くなってる気がする。
でも、リーンの翼とか富野アニメは難しいって言われがちだけど、リーンの翼のアニメは6話でサクサク進むので、最近の異世界転生アニメとかジブリのハウルの動く城や崖の上のポニョが理解できるならリーンの翼もサクッと見れると思うんだが。それは僕が富野作品に慣れすぎているからだろうか?
- 谷川俊太郎
話はぜんぜん変わるけど東京新聞の戦争インタビュー、富野監督と安彦良和先生の記事ははてなブックマークで340も付いているけど、谷川俊太郎さんのインタビューは3しかついてない。
文化人としての実績は谷川俊太郎さんのほうが上だし年齢的にも先輩だと思うのだが…。年齢も上なので戦争体験の記憶も谷川俊太郎さんのほうがはっきりしているし。
www.tokyo-np.co.jp
まあ、ガンプラやガンダムのゲームのほうが谷川俊太郎さんの詩より市場規模が大きいんだろうけど…。
僕はガンダムのオタクだけど、ガンダムでワイワイするだけでなく、もっとこう、ちゃんと考えるのも大事なんじゃないかなあ。
- ほしい物リスト。
https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
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