玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ベルリの殺人考察第4部第23話終 貴族とOldタイプの和解

  • 放送当時の感想

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  • 目次

「はじめたいキャピタルGの物語」・「ガンダム Gのレコンギスタ」感想目次 - 玖足手帖-アニメブログ-
Gレコ2周目の感想目次 殺人考察&劇場版(パリ) - 玖足手帖-アニメブログ-


  • 前回の殺人考察

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Gのレコンギスタ第23話「ニュータイプの音」の終盤の殺人考察です。ロックパイ・ゲティを撃破した直後から。

  • 女たちの戦い

 ガイトラッシュを撃破したベルリは戦場のど真ん中で硬直してしまう。トワサンガのモラン部隊やキャピタル・アーミィのウーシァ部隊はG-セルフパーフェクトバックパックの威力に驚き撤退を始めるが。

 ↑ベッカーと会話した女性パイロットのヌール。

 ベルリはノレドとラライヤは女の子だし戦闘の罪や無駄死にの危険に触れさせたくないとG-ルシファーを制止したのだが。G-セルフが硬直しているのを救ったのがノレドとラライヤのG-ルシファー







 ベルリのことが大好きなノレドがクノッソスに対して冷静にメガキャノンを狙撃していて、戦士のラライヤがベルリに気合を入れようと叫ぶ。ノレド・ナグさんは好きな男がピンチの時に泣き叫んだりせずに助けて砲撃するような強い女の子。ベルリは女の子の強さを過小評価していたようだが。
キャピタル・ガード候補生が強い体育会系の男たちの集団で、セントフラワー女学園のチアガールたちは婚活する高校生、という男女観の有る文化の学生生活だったので。それにラライヤは最初は記憶喪失だったし、ベルリは女は守るものだというマッチョ思想が有る)
(まあ、ベルリの思想とは関係なく、女が序盤から「女の力でー!」ってしたり女装しているチアガールがいたりする世界でも有るが)


 そのG-ルシファーの砲撃を受けるクノッソス。


 徐々に狂っていくが、この時は悲しむより指揮をするマッシュナー。G-ルシファーの砲撃が利用されるが、ノレド・ナグさんはまだ素人なので直撃はさせられない。

 泣くけど、まだ冷静。

  • 慰めてもらうけど、違うんだ

 ここからは僕の推論も混じるのですが、ベルリの気持ちを追い続けてきた記事として多少の推論は許してほしい。
 ともかく、硬直していたベルリにラライヤとノレドが通信回線をつなげる。それで、かなり感動的で含蓄のある言葉でベルリを勇気づける。
 ベルリは今まで殺人をしている時に自分で誤魔化したりしていたけど、その逃げ場がない明確な殺人を犯してしまって深く傷ついている時に、周りが慰めてくれる。それはそれで彼にとっては救いではあるのだが。


 生理的に最大級のストレス発作を呈するベルリ。それで、ノレドは「戦いが嫌だったんだ…」と察してくれるが。





 ベルリは戦士なのだから、殺した敵の兵士と同じだし、命のやり取りは平等だ、と、戦士であるラライヤ・アクパールさんが言う。
 ベルリはパーフェクトバックパックというものを恵んでもらった自分は一方的に殺したという実感が有るので、反論する。もちろん、全方位レーザーでもマントの装置と装甲表面しか壊れなかったガイトラッシュはマント以外の防御力も強く、アサルトモードの至近距離ビームで殲滅するしかない強敵だったのだが。



 ラライヤとノレドの顔の圧が強く、ベルリも聞いてしまう。このラライヤとノレドのセリフはGレコ終盤の名言の一つである。
 ベルリも組み立て中のパーフェクトバックパックは技術屋の理屈だと文句を言っていたし、ある程度は納得する。それで、パーフェクトバックパックは単なる名称だと言われる。
 歴史政治学をするようなノレドにとっては、「言葉の意味性や政治的なアピール」として感情的というか、人文的にパーフェクトバックパックを考えている。



 また、第16話でベルリが暴走してザックスを殺した時になだめたように、ケルベスはまたベルリを勇気づけようと声をかけてくれる。ベルリが自分で言い訳ができない殺しをしたが、ケルベスはそれを慰めてくれる。

 しかし、ベルリは単純に落ち込んでいるのとは「違う」と言う。もちろん殺したことでストレス症状を出しているんだが。殺しをしてしんどい、というだけというのとは「違う」。




 ビーナス・グロゥブの人に詫びるベルリ。しかし、ベルリをすぐに許す生き残りのポリジット。ポリジットの一人が死んだのは事故だから仕方がない、というふうにジェスチャーをする。





 ケルベスは「戦友」ではなく「飛び級生」とベルリを呼んで、教官としての立場でベルリの戦いを褒めて、メンタルをケアしてやろうと思っている。それで、学生時代に「退行(防衛機制の一つ)」をしたようになって「ありあとございあす」ということで、ベルリは多少救われる。


 ベルリが明確にロックパイを認識して素面で殺人をして、それで(逆襲のシャアのクェスのような)ニュータイプレベルで命の消滅を感じ、ストレスの寒気を感じて、自分で言い訳ができなくて硬直していたが、そのベルリを仲間たちが暖めなおしてくれる。
 それはもちろん仲間たちの優しさだし、いいシーンだと僕も思う。


 だが、「ニュータイプの音」を聞いたのはベルリとマッシュナーだけ、ということがここで問題になる。殺人の当事者は加害者のベルリと被害者の恋人のマッシュナーだけなのだ。


 そして、ベルリを慰めてくれる仲間たちのそれぞれの言葉は、実は「仲間たちそれぞれの立場からの発言」に過ぎず、ほんとうの意味でベルリの苦しみに寄り添って、それこそニュータイプレベルに共感してくれるものではない。オールドタイプたちの言葉なのだ。
 もちろん、オールドタイプだけど優しさのある言葉だし、感動的なシーンでもある。が、本当にベルリがかけてほしい言葉だったのだろうか?
 第3話のG-セルフ発進のときのベルリとアイーダの会話や、第4話の雨の中のベルリとノレドの会話などGレコの序盤では「会話が噛み合わないのがGレコらしさ」という感想がネットで目立った。で、終盤では噛み合わない会話が苦手な視聴者がふるい落とされたのか、Gレコらしさに慣れた視聴者が残ったのか。終盤ではあまり「会話が噛み合わない」という意見は減った。しかし、Gレコの本質が変わったわけではなく、僕はここでも会話は噛み合っていないと思う。
 みんな自分の立場からしか意見を言っていないので、ベルリのつらい気持ちの100%を理解してくれているわけではない。というのが「ニュータイプの音」であり、同時にオールドタイプの分かり合えない不完全なコミュニケーションなのだ。


 トワサンガレジスタンス戦士であるラライヤ・アクパールは戦士としての立場から、「ベルリも戦士なのだから、敵の戦士と同じく死ぬことはある」と言う。
 だが、ベルリは戦士階級ではないのだ。ベルリは自分がエリートだと思っている。レイハントン家の皇子と知る前から、キャピタル・タワー運行長官の息子だと自認している。
 第8話の殺人考察でも書いたが。
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 ベルリは自分がエスタブリッシュメント階級だと思っていたので、ニックスペースのことを調べていてもクンタラ階級のノレドには言わず、ウィルミット・ゼナム運行長官とグシオン総監が揃って政治的なトップ会談が始まってから、ニックスペースの事をいう。


 そういう風に自分は一般人とは違うエリートであるということを自認していて、それに見合う努力をして飛び級しているくらい名実ともに充実した優等生がベルリ。
 そして、レイハントン家の皇子と知り、それがスコード教の根幹のクレッセント・シップビーナス・グロゥブと関わっている名家だという自覚を持てば、「ベルリが単なる戦士である」という言葉は慰めにならない。
 

 パーフェクトバックパックが名前だけのもの、というノレドだが、ベルリはスコード教ヘルメス財団の発足に関わっているレイハントン家の皇子だからこそラ・グー総裁からパーフェクトバックパックを託されたと思っている。責任を持って「G-セルフの義務」を感じて戦おうという高貴さ、ノブレス・オブリージュをベルリは自覚していた。だから、「レイハントン家も名前だけで中身がない」という風にも聞こえるノレドの言葉も少し痛い。
 レイハントン家はドレット家に滅ぼされたが、ヘルメス財団とともに宇宙世紀崩壊の後、千年のリギルドセンチュリーの平和をなし得た「コスモ貴族」なのである。
 機動戦士ガンダムF91のロナ家のクロスボーン・バンガードやブッホ・コンツェルンやコスモ・クルツ教団の数十年の歴史とは比べ物にならないくらいの、千年世界を支えた宗教のスコード教にも関わっている、本当に神話的なコスモ貴族なのである。その義務を象徴するのがG-セルフでありパーフェクトバックパックだとベルリは思っているので、それを単なる記号とか言われるのは、ちょっと分かってくれてないと思う。


 ビーナス・グロゥブの客人に対しても、ベルリは戦争の根っこになるものを取り除くための啓蒙活動として、戦争を見せようという高邁な考えでポリジットを連れ出した。あるいは、ビーナス・グロゥブで安穏としている人たちに、ビーナス・グロゥブから流出した技術が地球でひどい戦争を起こす種になっていると突きつけたかったのかもしれない。だから、ベルリはその自分の理想主義的で、ある意味上から目線でビーナス・グロゥブのポリジットに接していた自覚がある。だから、ポリジットが殺された件についてはコスモ貴族として家を代表して政治的に詫びようというくらい、とても深く罪悪感をもっただろう。
 だが、ビーナス・グロゥブのポリジットはベルリがそこまで考えているとは分かっていない様子で「単純な事故だろう」という感じでベルリを許してしまう。だからベルリは弾劾されないことで逆にまた責任感を内に抱え込んでしまう。ポリジットが死んでしまったので説明したり言い訳しても仕方がないので、ベルリは弁明できない。


 ケルベスが教官としてベルリを褒めるのは優しいが、ベルリ自身、もうキャピタル・ガードの候補生という気楽な第1話の立場ではいられないと実感してきた旅を経ているので。
 第1話のときのように学生が体を張るのは褒められたい行動だけど、今のベルリはコスモ貴族として最強のMSを駆る義務を感じているので、体を張るのは褒められることというより、当然の責務と思うレベルになっている。


 だから、ベルリのことは周りが慰めてくれるのだが、高貴なベルリの本当に傷ついている部分の気持ちとは、微妙に違う言葉たちなのだ。優しさであるが、オールドタイプがそれぞれの個人的な立場から、その立場にベルリを当てはめて言っている言葉なので、完全にベルリを復活させる言葉ではない。残念なことだ。ここがニュータイプ思想が完全にはならないという富野監督の人間観かもしれない。
 まあ、完全にありのままの自分をみんなにわかってほしい、っていうのも無理な話なので、誤解を含みながら袖をすり合わせるしかないのが人生なのだろう。


 また、ベルリ自身もG-セルフの義務を背負い込んでいるが、貴族として尊敬や賞賛を集めたい、というクリム・ニックみたいな性格でもないので、おそらく戦いを勇者として褒められても嬉しくないんだろう。実際、第14話でモランを連続殺傷したのをアイーダさんに褒められても全然嬉しくなかったし。


 そして、忠臣のロルッカとミラジはベルリ皇子に忠誠を誓うというより、フルムーンシップからダーマとトリニティを盗み出してアメリア軍に売り込むことに熱中しているので、レイハントン家のコスモ貴族としてはあまり盤石な家ではない。(ローゼンタール・コバシフルムーン・シップ出港の時に「ジーラッハとダーマが盗まれた」とチッカラに言われているので、ダーマとトリニティはフルムーンには乗っていないと思われ。じゃあ、ロルッカとミラジはクレッセント・シップに乗っていたと思われるのだが、次回なんとなくフルムーンにいるので、ちょっと謎。見返したら分かる?)


 レイハントン家の義務をベルリは感じているけど、家に所属しているということでの安心感とか誇りはあまり得られていない。むしろ、ウィルミット・ゼナム長官と前回決別したし、トワサンガの家もちょっとしか滞在していないし、ビーナス・グロゥブが宇宙にあることにもベルリは疑問を感じているので、ベルリはアイデンティティの所属意識が宙ぶらりんになっているっぽい。
 コスモ貴族として責務を感じていて、それで戦いに身を投じるけど、そのことで何の利益も得られないというのがベルリくんの辛い立場なのだ。でも、そんな立場を気負っているということは周りの人は善意で接していてもわからない。むしろ、マスクには独裁者と思い込まれる。


 GレコのTV版ではベルリくんの心情描写が少なくて、彼自身も自分や周囲に辛さを表明しないようにごまかす行動が多かったので、サイコパスと誤解されたりした。同時に、ベルリがつらくてもウジウジしないのが作品の明るさにつながっているという意見もある。だが、僕のように細かく見ていると、本当にベルリくんは毎回辛い目にあってるなー、とかわいそうに思う。




 メガファウナドニエル・トス艦長はガランデンの突出とブルジンから出たウーシァ部隊の速度を見て「フルムーン乗っ取り作戦」と言ったのだが、ものすごく穏当にガランデンフルムーン・シップに迎え入れられる。

 初見で「気が強そう!」って思われるけど、「かわいい」ってオカマに言ってもらうバララ・ペオールちゃん。和平ムード。

 クレッセント・シップを裏切った者同士、フラミニアとマニィも共感し合う。

 クンタラビーナス・グロゥブが似たようなものだからか、前回に至るまでガランデンのクルーにも本名を隠していたマスクだが、あっさりジット団たちにルイン・リーという本名を打ち明けて同調する。
 マスクが通り名ということだが「通名を使って公務員に就職する被差別階級」だと思うとリーという姓もあって、在日っぽさも感じる。リーンの翼の金本ほどそのものではないのだが。一言のセリフでマスクとジット団が社会構造によって虐げられた鬱屈で共感し合う場面を演じさせている。



 クンタラビーナス・グロゥブムタチオンが虐げられた感情で同調するのは分かるが、ガランデンフルムーン・シップが乗っ取りでもなく共同するのは、フルムーン・シップをめぐる各勢力の激戦のあとだとちょっと意外に見える。
 でも、キア隊長が地球侵略を企んでいたわけではないというクン・スーンのセリフを聞くと、金星に反逆のレコンギスタを宣言して地球に来たフルムーン・シップが相手にするのはガランデンが最適だと思える。
 というのも、地球で楽しく暮らすのがジット団のレコンギスタの目的だし、フォトン・バッテリーの配給はなんだかんだでやり続けないと石器時代になってしまうので。(地球には資源のない時代なので)戦争して地球を征服したり統治したいわけじゃない。なので、キャピタル・タワーを制しているキャピタル・アーミィと友好関係を築くのがジット団の選択としては最適解なんだよなあ。これまではタブーで金星の船はトワサンガまでしか近づいてはいけない(地球人に宇宙の存在を意識させないタブー)ということだったけど、キャピタル・タワー下部にまでクレッセント・シップフルムーン・シップが降下するようになると、ジット団にとってトワサンガは邪魔だし。さらにキャピタル・タワーを奪おうとするアメリア軍はもっと敵っていう感じになる。(まー、最終回で地球の大気圏にまでクレッセント・シップが降下するとは思ってなかったけど。タワーの存在理由なくなるのでは?まあ、巨大宇宙船が大気圏内を飛行するのはバッテリーの消費が激しそうなので、アイーダ・レイハントンの示威行動旅行の一周だけかもしれないけど)

 キア隊長のことを一ミリも知らないバララとマスクには若干ジット団と温度差があるけど。
 キャピタル・アーミィとしても金星の戦力を平和的に手に入れられて良かったってなる。ブルジンにも大気圏再突入耐熱フィルムを塗れるし(技術自体はカシーバ・ミコシにもあったんだっけ?)。

  • 元気でいましょうベルリ君

 ベルリくんがつらいし、分かってもらえないという風に若干キツめに批評してしまったが。つらい気持ちだけで一生過ごすわけにもいかんというのが富野アニメでもある。オルファンさんですら寂しがる殻にいるとずっと泣いてしまうので。


 なので、ベルリくんは脂汗にまみれた服を着替えて気分をリフレッシュさせます。

 ケルベスは今回は戦ってないけど、ケルベスが先に着替えてみせてベルリにも着替えさせたって言うことかも。ケルベスは戦士としてはそれほどでもないけど、キャピタル・ガードの宇宙職員としての経験はベルリよりあるので、宇宙空間でのメンタルケアのノウハウが有るのかも。(割りと年齢不詳なので社会人何年目かはよくわからないが)ドニエル艦長のチュチュミィに対する知識とか。
 気持ちの全部は分かり合えないけど、とりあえず気分が悪い時は着替えよう、くらいのアドバイスはできる。(25話の冒頭でもアイーダさんが着替える)




 寒さに震えてたり、パーフェクトバックパックだぞ!ってキレてるベルリに対しては、ラライヤとノレドも顔の圧を強めていたけど、お互いに気分を平常モードに戻した様子。
 ここらへん、新訳Zガンダムのラストのカミーユ・ビダンシロッコを討った後ヘルメットを交換してオールドタイプのファ・ユィリィの元で気分を入れ替えて元気に戻ったことのセルフリメイクっぽさがある。
 しかし、カミーユはTV版では狂気に逃げ、映画版では女のぬくもりに救われて話が終わったが、ベルリくんはまだ3話を戦わないといけないのだ!
 機動戦士Zガンダムに近い人殺しのストレスを受ける主人公だが、Zガンダムの終点の盛り上がりを超えてさらにその先の戦いをするのだから、Gレコはやはり新世代のアニメだ。そりゃ、映画は5部作になるわな。うん。納得です。


 メガファウナにいたアイーダさんに合流して、教官がベルリを承認してやるように言う。


 ロボットだけど、G-アルケインG-セルフに寄り添う感じ。しかしベルリより高貴なアイーダだが、ベルリは「生き延びられました」とだけ伝えて、人殺しの辛さを吐露したりはしない。やっぱり、まだカーヒル大尉のことで負い目があってベルリは姉のアイーダさんに甘えてはいけないって思ってるのだろう。それは次回、アイーダさんも察するわけだが。
 それでも、ベルリはアイーダさんにもノレドにも「つらい自分のすべてをわかって受け入れてほしい」というクェスやハマーンみたいなニュータイプの不幸なキャラのようなワガママや不満感は見せない。とりあえず着替えて気分を変えて、仲間たちが受け入れてくれるので、まあそれでいいか、というくらいの。ウッソもシャクティに気持ちの全部を打ち明けたわけじゃないしなあ。人間はこれくらいでしょうがないか。


 人殺しをしても気分を入れ替えるのはサイコパスと、また思われるかもしれないけど。辛い事件があっても元気を取り戻さないと人生はやっていけないので。親が死んでも腹がへるので。
 また、僕は「Gレコはベルリが求めたものが手に入らず、いつもすり抜けていく連続の話」と言ったが、それは同時に逆説的に「喪失しても、また次のものを求めようと元気を出して手を伸ばし続ける話」でもあるんですよね。だからベルリくんは元気でいるのだ!



 そして、マスクがカシーバ・ミコシを放り出してまでフルムーン・シップの戦力を手に入れたという危機感を受け止め、次の戦いに赴くのです!


 カシーバ・ミコシについては、次回、見せ場があるのだが。それはそれとして。



 グシオン総監も前半Aパートでアイーダメガファウナの所属について揉めたけど、娘の気持ちを汲んでやるという感じで、次回の悲劇に続く。

  • 次回

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  • 布教活動



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