玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ベルリの殺人考察第4部第24話A+ 神無き人による許し

  • 放送当時の感想

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 第24話「宇宙のカレイドスコープ」の考察です。いつもより短く9千文字です。

  • 目次

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Gレコ2周目の感想目次 殺人考察&劇場版(パリ) - 玖足手帖-アニメブログ-


  • 前回の殺人考察

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 前項の殺人考察で、Gレコのスコード教にはキリスト教的な「万民への愛」と「罪」の要素がある、と述べた。そして、スコード教の根幹に関わっているラ・グー総裁とゲル・トリメデストス・ナグ法皇クンパ・ルシータ大佐やヘルメス財団は絶望していると指摘した。
 スコード教の信者のベルリは愛すべき民を殺して罪悪感を募らせながら旅をして、金星の御本尊まで行けば救いがあるのかと思っていたが、総裁も法皇も絶望しているという現実を見て、許されないと思う。
 なので、どうしたら罪悪感が晴れるのかというと、もう「自分が救世主になるしかない」のです。
 それが前回第23話の「G-セルフの義務」。

 という風にベルリが高邁な理想で金星人のポリジットに戦争の怖さを見せて教えようと思ったのは、彼がレイハントン家の皇子として高貴なる者の義務として考えた面もあるが。
 同時に、救世主になるしか自分の罪悪感が晴れないから、という防衛機制でもある。


 よくよく振り返ってみれば、ベルリの受難の始まりはカーヒル・セイントという名前からして「聖人」とされている人を殺したところからで。そこで、アイーダさんに「カーヒル大尉を生き返らせてください!」と泣かれるので。序盤から「奇跡を起こす救世主にならないと許されない」という罪の意識がベルリにはずっとあったようだ。



 レイハントン家の皇子と知る前からベルリは聖人(スコード教の異教徒と言うほどではないが違う部族の聖人)の殺人という原罪を「返せる借りじゃないけど、返す努力はします」と、無理だと思いながら奇跡を起こす救世主になる、くらいの意気込みで旅をしていた。しかし、ベルリはキリストのように食料を生産したり病気を直したりする能力はない。(スコード教でマナのようにバッテリーは配給される世界)
 なので、奇跡を起こすマシーンのG-セルフとベルリができることは結局殺人なので、原罪を償おうとして戦って、結局殺しの罪悪感が雪だるま式にのしかかってきた。

 それで、前回の第23話では「自分が救世主になるしかない」くらいの張り詰めた義務感で戦った。(ちなみに、新訳機動戦士Zガンダムの頃、新聞に「Zガンダムカミーユキリスト教的受難の物語」という風に書かれていた記憶がある)
 しかし、カミーユと同じでベルリは敵を殺害しても、キリストのような救世主には成れず、さらに殺人の罪悪感と不快感をモロに食らってしまう。



 さらに、ラライヤたちに「ベルリは救世主ではなく、パーフェクトでもなく、ただの死にゆく人間だ」と言われて、「救世主になることで罪の意識を晴らす」ということもできなくなる。


 なので、お辛いのだが。金星でのジット団の反乱を許すような絶望的な実態を見たベルリとアイーダカシーバ・ミコシクレッセント・シップも聖なるものではなく輸送船にすぎないと思うので、神による救いや許しはない。
 ガンダムユニコーンみたいなサイコで高次元の存在、みたいなものはない。現実的なバッテリー生産と生活だけがある。
 ベルリくんはスコード教の敬虔な信者で、しかも養母がスコード教のバッテリー配給の運行長官であったので、スコード教の天の恩寵と養母への愛と尊敬が混ざった強固な信仰心を持っていた。なので、外国人のクリム・ニックキャピタル・テリトリィで暮らしながらも差別されていたマスクほどタブーを簡単に破れない。また、「スコード教の恩寵ですべての人が愛される」というキリスト教的な価値観があるので、殺人に対する罪悪感の感じ方はベルリが一番重く感じる。異教徒なら殺せるのか?という面もあるが、数えながら射殺したトワサンガのモランのパイロットのリンゴ・ロン・ジャマノッタスコード教の信者だった。GIT団は反逆者だがフォトン・バッテリー生産の聖地で宇宙世紀の技術を保全した団体だったし、その一部はクレッセントシップに合流してくれたので完全な異教徒とか異人と思えない。また、ベルリはキア・ムベッキの断末魔を経験してビーナス・グロゥブが宇宙にあるというスコード教の根幹自体が「こんなものがあるのがおかしくないか?」と疑うようになり、ますます救われ難くなる。


 というわけで、長々と語ったが。「自分が救世主になるしかない」というレベルまで罪悪感をつのらせたのに、ベルリは自分が救世主になれる人間ではないという現実を突きつけられて許されなくなる。じゃあ、どうしたらいいのかというと、「人に許してもらう」ということです。
 そういうわけで今回はアイーダさんが色々と許してくれる。



 アイーダさんはロルッカさんがさっきまでフルムーン・シップと内通していたことまで知ってるかは謎だが。とりあえずGIT団のスーパー技術大量破壊MSをパクってくるロルッカアイーダは許す。(直接の会話はないけど)



 いろんなMSやMAに乗るのが好きなミック・ジャックだが、手足が邪魔だと思っていたのか?まあ、ミックの戦い方はヘカテーのガトリング砲や巨大チェーンソーや棺桶ビット、アーマーザガンのメガ粒子砲などで、そんなに人型を活かしたインファイトはしてないか?アーマーザガンはクローでエフラグを叩き落としたりしてたけど。
 あと、Zガンダム逆襲のシャアなど富野監督のガンダム作品に共通しているけど、男は体の延長線として人型のマシーンに乗るけど、強化人間とかの美少女たちは異形のマシーンに乗るな。一本足のジーラッハ、ピラミッドのユグドラシル、足が3本あるトリニティ。キングゲイナーのドミネーターは「変形」だしなあ。カミーユウェイブライダー突撃も「女の力でー!」だし。(鉄仮面は・・・、まあ、その、、、)
 最終回にしか出ないけど、クリムのダハックは逆にメインの盾のプランダーになる腕に追加して、サーベル用の4本の複腕を増やすインファイト特化マシーン。





 昨日、サラマンドラガランデンに喧嘩を売ったのが、ベルリがガイトラッシュと戦ってトラウマを食らう遠因だったかもしれんけど、アイーダさんはそういう好戦的なクリムの戦闘を許して評価する。
 ヴィンランド・サガのクヌート王子のように「戦士たちの戦いに、生と死に意味を与えるのが王の務め」なので。



 救世主になれなくなったベルリは、まあ、口は足りないので皇子だけど「メカがすごいっすね」くらいのことしか言えない。運行長官の息子だけど、政治家としての勉強よりガードの実務者とか戦士としての戦いの経験を積んできたベルリなので、アイーダさんほど政治家っぽく振る舞えない。




 アメリア軍の姫としてはアメリア軍本体を放置して金星まで突撃外交したのは、戦士たちに反逆されても仕方がないのだが、謝罪して金星の武器を手土産として与えて納得させる。
 しかし、金星の実情やラ・グー総裁とレイハントン家の関係などの外交的な情報はクリム・ニックには渡さないという腹芸でもある。(最終回の後のクレッセント・シップの旅の中で教えたとは思うが)

 そういう姉を誇りに思うベルリ。


 ドレット艦隊のバックに月を置くことで、宇宙戦艦とか軍事勢力がたくさんあるけど多少わかりやすくしようという気持ちがある。



 ↑第11話の放送当時に僕が書いた図。





 ターボ・ブロッキン大佐は「カシーバ・ミコシを抑えられたので交渉は不利になる」と言う。アイーダたちはカシーバ・ミコシは単なる輸送船に過ぎないと思っているけど、トワサンガ人はカシーバ・ミコシに権威があると思っている。権威があると思っているのでカシーバ・ミコシ法皇を乗せて拐おうとしたのだが。

 そういう艦隊全体の会議なのに個人的な感情を持ち込むマッシュナー。


 対して、ダーマとトリニティをもらってラトルパイソンのグシオン総監に会いに行くクリム・ニックミック・ジャック

 クレッセント・シップカシーバ・ミコシを保護しているのだから絶対的に優位なので停戦せず、戦いたいと訴えるクリム。
 そして、カシーバ・ミコシに権威を感じるドレット艦隊について、「宇宙世紀戦争のトラウマを引きずっている連中だから信用できないし連合できない」と、法皇が危惧したようにスコード教を否定するようなことを言う戦士のクリム。


 前回、ベルリに乾燥肌でストレスを感じていると見せたグシオンも疲れているが、ドレット艦隊だって疲れていると洞察する。


 グシオン総監は今回死ぬので、善人のように見せておくが、最終回でドレット艦隊を騙し討ちする用意もしていた。大統領の息子にも養女のアイーダにも教えないグシオン総監は自分が泥をかぶるつもりだったのか、奇襲のために情報を隠しておきたかったのか…。


キャピタル・タワーでの法皇とクンパ大佐のシーンは前項で考察した)
 戦力差からしてグシオン総監がドレット艦隊と手を組むとは思えん、と洞察するジュガン司令は一面としては正しい。戦場に軍艦ごと首を突っ込むのは興奮し過ぎに見えるが。

 で、いつもの分割と違ってBパートに入りますが。(本来は前項でここまで書きたかったけど、宗教の話をしたので前項が長くなった)


 「姫様 ベルリ君」と言うドニエル艦長は指導者としてはベルリよりアイーダを推しているようだ。ステアが顔を保湿しているのは、彼女もストレスを感じているから?それとも戦場の途中で化粧直しせざるを得ないくらい忙しくなってるからか?あと、メガファウナのクルーは常に何かしらの仕事をしていて生活感がある。(電装系ってそんなにいつもメンテナンスしないと駄目なのか?)



 尊敬する養母になんの期待もしなくなったベルリ。親離れだけど。マスクの考えと違って、ベルリはキャピタル・タワーの長官の座を約束された息子、というセルフイメージは捨てているようだし、アイデンティティ帰属意識も曖昧になっている。メガファウナもよくわからない独立愚連隊だからなあ。



 モビル”スーツ”のG-アルケインが「フルドレス」になるということは、姫騎士のアイーダ・レイハントンとしてお着替え要素なので、女児アニメ要素としては割りと重要だけど、その考察はユグドラシル戦で書く。(劇場版ではザンクト・ポルトでの一瞬だけ着た謎に気合が入ったドレスは訂正されるのだろうか…)




 ベルリはアサルトを使うつもりはない、と言うのだが。口調は穏やかだが、親しいハッパさんに対して「自分の攻撃は人殺しだ」と明確に言っているわけで。
 ベルリは今まで自分の攻撃では人を殺さないようにしていた、というセルフイメージを理性で守ろうとしながら体感としては殺したストレスを感じて罪悪感で葛藤して言い訳したりしてきた。
 しかし、前回、自覚的にロックパイを殺害し、それを不完全なオールドタイプの言葉であるが仲間たちに認められたことで、ベルリは「自分は殺人者である」ということを自覚するように成った。そして、それを言い訳せずに穏やかにハッパさんに対して言えるようになった。
 ベルリはここでやっと戦士として自覚を得たのだろう。第14話で「おだてには乗りません」と言ったり「男をやれって言われてんだろ!」とノレドに言われたりしていた頃のベルリは、「みんなのために戦う」と言わせられながら、まだ自分を戦士として規定できていなかった。が、ロックパイを明晰な意思のもと殺害したので自分が戦士であり殺人者だという自覚を得た。
 なので、戦士としてのベルリをアイーダさんは許す。


 アイーダさんは第14話でベルリを「優れた戦士」と言いながら、第16話でロルッカとミラジに対して「弟は恋人を殺した汚名を被った」と指差して傷つけて暴走を招いた。
 アイーダとしても、金星まで行ってラ・グー総裁から宇宙世紀フォトン・バッテリー社会を俯瞰するようなことを教えられて、「アメリア一国の利益を考えるカーヒル大尉は小さい男だった」と思うようになったのかも。


 カーヒル大尉を生き返らせてくださいと言われて始まった、ベルリの「奇跡を起こす救世主や高貴なコスモ貴族にならなければ」という強迫観念が底にあった受難の旅は、アイーダ本人に「忘れていい」と言われて、やっと許された。
 神がいないし、宗教を支える老人たちも絶望している、というのがGレコの世界だから神の許しはないが、殺し殺される人が人に許しを与える、ということを解決策(?)にしていこうというのか。まあ、それでもマスクみたいに許したくないって人もいるので簡単ではないし、ベルリもG-セルフで単独大気圏突入する気負いを残しているが。




 前回の延長でベルリを生徒扱いして、殺人者として傷ついているベルリのケアを考えるケルベス。

 リンゴ・ロン・ジャマノッタくんは脳天気だけど、ベルリに一回殺されかけたのにG-セルフを承認してくれる。

 で、この考察シリーズで割りとしつこく「ベルリは一回もリンゴに話しかけていない」と書いていたが、ここまで気づいていなかったが、アイーダに許されたベルリはリンゴに話しかける。業務連絡だが。ベルリはリンゴを殺しかけた負い目があって避けてた面があると思うが、アイーダに許されたのでリンゴへの負い目も多少回復したのだろう。このリンゴに対する自分を許すベルリのセリフ、短い業務連絡なので重要だけど気づかなかったぜ…。そういうふうに重要ぽい心の動きをTV版では軽く流すところがあったけど、劇場版では変化するのかな。

 リンゴくんは脳天気なので特にベルリからの気持ちは気にしてないし、むしろ宇宙遊泳するラライヤさんの心配をするけど。



 それで、姫として、指導者として、ベルリが元気になった様子を喜ぶアイーダだが。
 神のない世界で許しを与える女王になろうとするのだが・・・。


 カーヒル大尉を殺されたという被害者意識があり、従者に守られて船の奥に置かれている姫としての自意識から、フルドレスをまとう指導者としての「当事者意識」に切り替わったアイーダには、コスモ貴族として、それ相応の試練が富野監督から課されるのです。
 アイーダさんは法皇様に「育てられた運命がある」と自分の人生が流転したことも含めて運命だとスコード教ではない運命への信心を表明したが…。


 では、次項はユグドラシルとの戦闘です。

  • 布教活動



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