玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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放課後のプレアデス 案外悲しい話

放課後のプレアデス / SUBARU x GAINAX Animation Project
車のスバル関係ねえな!SUBARUはよくGAINAXと手を組んだな・・・。というか、スバル分が主人公のすばるさんの名前と、星空以外に見当たらない臭いんだが。
まあ、スバルは好きですよ。天文部だったし。プレアデス姉妹は美少女だし。


魔法少女まどか☆マギカが幼い絵に成ったシャーマニック・プリンセスだとしたら、こっちは子安武人を抜いた魔法使いTai!ですかね。90年代後半的な意味では。

それにしても、シャーマニックプリンセス石田敦子はエロい。エロすぎる。かわいすぎる。ティアラ様の睫毛と唇と膨らんだ90年代頬がエロすぎる。好み過ぎる。もう、ずっと好きですね。機会があんまりなくて、あんまり見てないけど。久しぶりに見たら、すごく最高でした。妹姫だし。
話のダークさとか不思議さも素晴らしいなー。シャーマニックプリンセス。ティアラの性格もかわいいなー。癇が強くて実行力と自信と美しさと優しさに満ち溢れておる。
いやいやいや、一応今は2011年ですね。



しかし、放課後のプレアデスはアレですね。
連続アニメの1話だとしたら詰め込み過ぎで説明しなさすぎだけど、4話完結のOVAだと短くて食い足りないという感じだ。
まあ、それはそれで、可愛いアートショートフィルムって感じで見るのが妥当かしら。
きれいな色と形でしたねー可愛かったねー。
今度はお弁当も持っていこうねー。


しかし、すばるちゃんの自信の無さがすごいねー。「自分には何にもないし、愚図で役立たずだから、変な団体に所属して、変な物のために命がけで戦うし、友達のためにビームの前に体を投げ出す」ってのが、すっごい自暴自棄な感じだなー。
自分の存在が軽いから、友達に認められる事だけが唯一の価値感で、命も平気で捨てるーみたいな。こういう自分に対する虚無感は、まどか☆マギカのまどかにも共通してますね。ピンク髪。
自分の欲求より、他人の評価を気にする、依存性人格障害や、境界性人格障害みたいなかんじだねー。
この、グレンラガンのシモン初期とかエヴァンゲリオンのシンジみたいな、自信が無いゆえの主人公性ってのはGAINAXにはあるよね。
自分の命が軽い主人公だと、無茶な行動を取らせやすいし、自信のない人の多いアニメファンにも共感性が出しやすいからねー。
そこら辺は計算してるって、ガイナックスの人がロカルノ映画祭の記者会見フォーラムで言ってた。富野由悠季監督や板野一郎さんもいたシンポジウムね。
ハートキャッチプリキュア!の最初のつぼみも、「自分には何もないからチェンジしたい」って奴かな。結構普遍的に使いやすい動機なのね。
実際にも、自分の価値を下げて、組織に依存するのは、独逸のナチスや日本のヤクザの鉄砲玉やカルト宗教テロリストの教育プログラムにも使われています。フルメタルジャケットでもハートマン軍曹が「お前は精液のカスだ!」って言うしね。
リアルだと、使い捨てられて死ぬけど、アニメとかだと何もない自分から、何かを獲得していくのがドラマ進行なのかしらね。キリコ・キュービィとか。
しかし、「自分には何もないから、自分が死んでもいい。それで他人を助ける」っていう「いい子」な発想って、ちょっと危険なにおいでもあるね。利用されやすいし。他人のためって言ういいわけがある分、ナチスのアイヒマンみたいな虐殺の免罪符になっちゃう場合も。
ガンダムアムロとか、もっと前のライディーンのひびき洸とかマジンガーZとかだと「俺がやらねば誰がやる!」っていう自信がある故の行動っていうのもヒーロー性がありましたけど。
最近はキングゲイナーのゲイナー君が「僕がキングゲイナーに乗るんです!ゲインには負けぬ」っていうすごい意地の張り方をしてたけどね。もう9年も前か。最新だと、ガンダムUCの普通の子(を装っている)バナージが、親父のせいでアスラーダ登録されてしまう訳だが。


閑話休題
んで、自分に価値のないと思っているすばるちゃんが、依存する対象が、友達のあおいちゃんとか、彼女達がいる学校の校舎の思い出、だから命を棄てても守りたい。みたいなのが、まあ、思春期魔法少女みたいな女の子って感じか。自分に価値はないけど、自分が所属する学校、ってのは価値があると思う、みたいな。ま、思い出は自分の物って言う考えもあるんだろうけど。
箱庭的だけど、まあ、子供はそんなもんかな。
学校にも女にも所属できない大人の男が自信を失うと、もう何にもなくなって色々と放浪するんだけどねー。まあ、そう言うアニメじゃないけど。
桑島法子様が演じる所のみなと君が、その、自分の人生に価値を見いだせない男の子で、そのうっ憤晴らしで宇宙の違う世界に行きたい感じで、自暴自棄というか、隕石か病気か何かで、半分死んでる感じ。で、生きた証を作るために、宇宙に飛びたいっていう、碇ユイみたいなアレのためにエンジンを集めてる。それで魔法少女クラブの女子の邪魔をしてると言うか、自分のわがままのために暴走してるっぽいですね。


で、女の子のすばるに、「あなたは一人じゃないよ、みなとくんと私は同じものを見たよ。同じだよ」って言われて、承認欲求と、鏡映自己対象、双子自己対象を満たしてもらう感じなんだけど。ま、思春期前期には相手と自分の共通点を重視するチャムシップは重要なんだけどね。
でも、みなとはそれがちょっと気に食わなかったみたいだ。みなとは孤独。すばるは同じように自信が無くても、お友達がたくさんいるから、すばるとは同行できないって思うんだな。で、みなとは去る。
そういう女みたいにつるめない男の絶望はハートキャッチプリキュア!の砂漠の王デューンみたいでもあるね。(熟年クラブ活動になじめない定年男性問題とか?)
ハートキャッチプリキュアが1年かけても、そこら辺の男のこじれた感覚は、明文化出来なかったし、しなかったね。娯楽優先だし。
放課後のプレアデスでも、それを描くよりは女の子の可愛さを書いた方がいい。
男の無力感は、視聴者になんとなく親近感を与える程度にして、核心に触れない方がいい。核心に触れたら、娯楽作品にはできず、発狂するからな。まあ、そこら辺はアニメではなく小説で描いた方が精緻だろうか?いや、アニメで芝居ができないと言うのは逃げか?


まあ、それはそれとして、永野のりこのGOD SAVE THE すげこまくん!!でも、無力感を抱いた青年達を救うのがテーマだったな。あれも連載が4,5年続いて、ゆっくり掘り下げたんだっけ。
でも、その救われるきっかけが恋愛とか、他人からの承認だ、って言うのは、なんだか、不確定要素が多いし、他人を利用するみたいで、なんだか、手放しで賛成はできないのよね…。まあ、依存性や境界例人格障害の安定にはパートナーを見つける事、っていう歴史的経験則もあるんだけど。僕は回避性とスキゾイドも入ってるからな。(というか、医者には、個々の人格障害は連結してて、僕はほとんどすべての要素が出たり隠れたりしていると言われた)
かといって、酒や女や仕事に逃げるのも好きじゃないし。仕事したら過労で死にかけたから仕事恐怖症に成ったし。
結局は僕も脳内妹共依存してるんだけど、脳内妹の小説を書くことだけを生きがいにして、無駄に資源を消費して生きていることに対して、罪悪感(もしくは社会に対する攻撃性の自覚)を感じる事はある。
その言い訳として、脳内恋愛を利用してるんじゃないかな、、、って。
脳内妹自身は利用されてる自覚はないって言ってるけどね。僕が自殺しないだけで、特に妹に負担はかけないようにしてるし。



って、脳内恋人に対しても罪悪感を抱く俺の自分嫌いは、アニメファンやアニメの中の「いい子願望」を軽く凌駕する。
と、言う訳で、それは俺が自分で小説に書くので、下手にメジャーアニメで先にやられると凹むので、やめて欲しいです。