玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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閃光のハサウェイアニメ版の先行配信で課金中止

 コロナウィルス感染症の流行を受けて、何度目かの公開延期を経た閃光のハサウェイのアニメ映画版のYou Tube先行配信(オープニング映像付き)を見たぞ!
 本来は昨日、5月7日に公開されるはずだったが、まあ、ウマ娘やアイマスをやってたりな!


www.youtube.com


 実際、閃光のハサウェイはン、、、好きだぜ、だし、新装版も3冊買って、旧版と読み比べをしていた。加筆修正がないと言われる上巻でも細かいところで漢字の微妙な訂正や、開きと閉じやルビの位置の修正などの細かい校正が入っていて出版社の熱意、もしくは富野監督の細かい仕事に好感が持てた。(編集者がやったのか、監督が監修したのか、ちょっとわからないが)新装版で富野由悠季監督に印税が入るといいと思った。美樹本晴彦さんのカバーイラストもかっこいい。(新装版には80年代末期っぽい口絵のモビルスーツの解説と美樹本晴彦さんによる挿絵がないんだけど)
小説 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上) 新装版 (角川コミックス・エース)



 で、閃光のハサウェイアニメ映画版はコロナウィルス感染症で緊急事態宣言が出ているにも関わらず、10年以上前の機動戦士ガンダムユニコーンのビジネスモデルのまま、劇場限定BDと特典CDと特典小説を1万2千円で販売するって話で、それも富野由悠季監督に印税が入るといいと思って、少しは買いたくなったのだけど。
 結論をいうとYou Tubeで先行配信された冒頭15分+オープニング映像を見たら、買う気が失せた。やっぱりね、衝動買いをする前にサンプル試食を見るのは大事だよね。ありがとうサンライズ。
 金はGのレコンギスタ劇場版第3部以降に回す。私はサンライズという番台の下部組織に成り下がったプロダクションではなく、真に才能のある富野由悠季に課金する。それがオタクというものだ。


  • もうとにかく解釈違い

 富野由悠季監督の小説が他の人の手によって映像化される、そのことで富野由悠季さんの小説家としての手腕が純粋に評価される、という話も聞いた。まあ、一理ある。
 村瀬修功監督、というか、アニメーターとしての村瀬修功さんの美意識は好きである。20代の頃に見たウィッチハンターロビンは好きだったよ。


 また、出崎統作品などを見るに、やはり文字と映像では「メディアの違いを意識せよ!」という訓戒をわきまえているつもりだ。


 しかしねえ、、、なんだろう。サンライズが映像化したいもの(言ってしまえばプラモデルの販売促進であるメカもの)と僕が小説から受け取った印象、すなわち人間描写が解釈違いだなあ、ということを教えてくれる事前配信であった。


 無駄金を使わないですんだという点では、サンライズに感謝すべきなのかもしれないのだが。

  • オタクはクレジットにうるさい

 「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」という小説は、「機動戦士ガンダム逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン」という小説の後日談である。
 ベルトーチカ・チルドレンの富野由悠季監督による、
(小説家のときの富野さんを監督と呼ぶのはおかしいのだが、まあ、ガンダムのオタクにとって監督といえば富野監督なのである)
あとがきを読むと、ベルトーチカ・チルドレンは「個人で書いた小説だから許されるモビルスーツ否定のモチーフ小説」であり、「メカアクションでプラモデルを売って映画の制作費を回収するプロダクションワークとしてはやってはいけないこと」ということらしい。
 で、その続編である閃光のハサウェイはモビルスーツ否定の先にある人間ドラマの描写を「小説という媒体だからこそ」という体裁で描いた小説である。そのように僕は認識している。


 長らく、閃光のハサウェイは映像化不可能だと言われていた。それについてサンライズの小形プロデューサーは「3DCGを使うことで複雑なモビルスーツのアクションの描画が可能になった」とインタビューで答えていた。


mantan-web.jp


 本当にそうか?


 僕にとって閃光のハサウェイが映像化不可能だと言われていた理由は、「あの感じ」の演劇をアニメで演出するのが難しいからであって、モビルスーツの形状が複雑という理屈ではなかったと思っていたのだが。


 空戦メカのアニメなどはマクロスプラス、青の6号、カウボーイビバップ、戦闘妖精・雪風などの20年前のアニメで技術的には描写可能であると思っていた。新訳Zガンダムの頃から、プラモデルのCADデータを作画に応用するという技術はあったわけで、今更ペーネロペーやクスィーガンダムの形が今までのモビルスーツより難しいからCGにする、というのは大した技術革新ではない。今までのガンダムは手描きのこだわっていたから、やれるけどやってなかったというだけで。ていうか、MSIGLOOとかでバリバリのCGによるガンダムの実験作品はやっていたわけで。


 僕にとって閃光のハサウェイは、ちょっと恥ずかしい言い方だが、「ロボットアニメという体裁ではない小説だからできる、大人のハードボイルドな会話劇小説」という印象だった。


 まあ、バンダイの販売戦略としては映像化に合わせてプラモデルやロボット魂でΞガンダムやペーネロペーやギャプランやメッサーやグスタフ・カールを売りたいという企画だろう。


 また、テロリズムという現代的でグローバルなテーマを美麗な映像作品に仕立てて、海外(主に欧米)にも売ろうという販売戦略も分かる。(まあ、小説は33年前に出てたんだがな!!!!その時は富野監督のF91などの作品に冷たくして、今になってプラモデルのネタになるからってアニメ化かい!)


 しかし、まあ、オープニングクレジットが英語表記だというのは、大人っぽく気取って、グローバル販売を見据えているというのも分かる。
 しかし、この一文がグダちんの逆鱗に触れた!


Original story

Yoshiyuki Tomino Hajime Yatate


 オイオイオイオイ、これは富野由悠季監督が個人で執筆した小説が原作だぜ?原作本のどこを読んでも矢立肇って言う人の名前は記載されていないが?オイオイオイオイ、サンライズさんよ、どういうつもりでOriginal Storyに矢立肇(すなわちサンライズの法人としてのペンネーム)が加わったってクレジットしてるんだい?


 まあ、バンダイナムコグループの下部組織に成り下がったサンライズがガンダムのアニメを作るときに、いつもの癖でガンダムSEEDやガンダム00みたいなアナザーガンダムと同列に「原作、富野由悠季 矢立肇」ってクレジットをしてしまったという習性はわかる。近年ではGAINAXと不仲になった庵野秀明監督がTV版の新世紀エヴァンゲリオンのオープニングクレジットからGAINAXの名前を外すということをした。クレジットに記載することの権利関係や金の流れの問題は分かる。ガイア・ギアが創通と揉めているという話も知っている。だから分かる。分かるが、これは富野監督個人の単体小説のアニメ化だぜ?
 結局さ、サンライズは小説家としての富野由悠季を作家として認めるつもりはなくてガンダムプロジェクトの部品としてしか見てないってことが、わかってしまったなあ!


 せっかく、小説家としての富野由悠季の作品を他のアニメ監督が演出する、というガチの芸術的闘争が見れると期待したのに。結局、この閃光のハサウェイのアニメ版もバンダイという、もはや模型会社ではない巨大エンターテインメント企業の宇宙世紀ものの1企画の流れ作業のひとつ(しかもメインストリームは富野由悠季ではなく福井晴敏のユニコーン)でしかないんじゃないかって思っちゃったね。


 小形プロデューサーもさあ。「宇宙世紀100年のジオン共和国解体を福井晴敏さんに書いてもらいたい」って軽く言っちゃってくれているけど、既にアニメが出来てしまった閃光のハサウェイは宇宙世紀105年の話なんじゃが…。
 ガンダムネクスト100って言ってるけど、もう、この時点で前後関係が破綻しているだろ!気づかないのか?その程度の考えでコスモ貴族主義とか宇宙戦国時代とか、そういうくっそややこしい宇宙世界を描けると思ってるわけ?(原作者の富野監督はたぶん、30年前のF91の気分は忘れているだろうし興味もないと思う)



 Original Story:Yoshiyuki Tomino
 Arrangement:Hajime Yatate & Sunrise


 なら、富野オタクの僕も納得がいったものを。なんで原作者を並列表記しちゃうかなー?お前さあ…。同じことを西尾維新とか小松左京とかの大ヒット小説家にやったらどうなるかとか考えなかったわけ?(アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの揉め事とかあったじゃん。シリーズ化をねらった2010年宇宙の旅の方が演出的にしょぼかったとか)
 富野監督のことをバンダイの下部組織のサンライズの古びた部品としか考えていないように見えてしまうんだけど。
 まあ、今までのガンダムWとか鉄血のオルフェンズとかでもアニメの監督名よりも原作、富野由悠季、矢立肇を先にクレジットするっていう慣例があったのは知ってるけどさあ。
 ガンダムブランドの原案が富野監督とサンライズっていうのと、この小説の原作が富野由悠季個人であるっていうことの違いも見抜けない人が映像作品を作っているというセンス???


 ウソをいう連中なんか、やっちゃったら!?


 って、そういう話でしょ、この作品は。シャアの再来とか正当なる予言の王を騙るテロリストとかハイジャッカーが出てくる、匿名の者たちが権威の名を僭称する曖昧ではっきりしないテロ戦争を描いたのが閃光のハサウェイという作品である。


 その作品のクレジットで原作者の権利者名義を大企業的な慣例でやっちゃうっていうの、本当に配慮がないと言うか、組織主義と言うか、マフティー・エリンにブッ殺されても文句は言えないよなあ。
 名前がキーワードでテーマの作品なんだから、クレジット表記も、もうちょっと注意深く作ってほしかったな。その癖、小説ではちょっと名前が出た程度のアムロ・レイの古谷徹さんを喋らせたりシャアの画像をポスターにデカデカと載せて、「ガンダムシリーズの正当な続編」って雰囲気をやるんだよ。及川光博さんも0105年の話の閃光のハサウェイの宣伝で、12年前のシャア大佐のコスプレなんかするんじゃありませんよ!


 だいたいこのYou Tubeの配信もクソ品質っていうか、せめて字幕ぐらいまともな日本語にしなさいよ。(僕のYou Tubeの設定が間違ってたらごめんなさいね)

 こういうひと手間をかけないって所でバンダイとサンライズはガンダムに寄生しているとか言われている原因になるって気づきなさいよ。


 まあ、サンライズとバンダイとしては富野由悠季監督の作家性よりもガンダムの記号的なブランドで楽して稼いでいきたいし、原作を富野由悠季単独にするのではなく矢立肇も絡めて権利者として主張したいという法務的営業方針はわかっているけど、やっぱりこう、字幕ではっきり主張されるとげんなりしますね。


  • ハードボイルド小説とハリウッド映画

 まあ、冒頭15分を見ただけで「富野監督の描こうとしたものとは違う道のようですね」とわかったので、グジグジと文句を垂れるべきではないとは思うのだが。


 ああああ、くそーっ!こんなクレジットの一文にこんなに長々と文句をつけるのって僕もやりたくないんですよ!


 なので、映像作品に対する感想はもう、寝たいのでサクッとした例え話にするんだけど。


 僕にとって、閃光のハサウェイってレイモンド・チャンドラーの長いお別れ(ロング・グッドバイ)みたいなハードボイルド小説なんすよ。モビルスーツ否定っていうか、モビルスーツのメカアクションじゃなくて、会話劇の雰囲気?????なんですよ!
ロング・グッドバイ フィリップ・マーロウ (ハヤカワ・ミステリ文庫)


 なのにさああああああああああ。閃光のハサウェイのアニメ版の冒頭、モビルスーツに随伴されているスペース・シップ(月から地球に着陸する高級航空機的な)のハウンゼンを見せて、そこから大気圏突入をする機体をカメラの回り込みで描いて、すぐさまブースター付きのギャプランがハウンゼンに取り付いてハイジャックアクションになる。


 原作の閃光のハサウェイではハイジャックアクションに行く前にもうちょっと余裕のある会話劇があって、逆襲のシャアでは少年だったハサウェイが高級機のラウンジでバーテンダーに「ホットミルクというと殴られるかな?」と冗談を言って「ワイルド・ターキーをオンザロックで」と注文して大人になったことを端的に表すわけ。


 つまりね、モビルスーツじゃなくて飲んでる酒がキーアイテムになるわけ。メカアニメじゃなくてハードボイルド小説だから。(近作のGのレコンギスタでもモビルスーツの中でも飲食をするのがパイロットの気分の描写として有効だった)


 バーテンダーとかキャビン・アテンダントとの会話を楽しむようになるハサウェイとか、小説の冒頭でいきなりトイレに行くケネス(普通のアニメではメインキャラクターはいきなりトイレに行かない)とか、地球連邦政府の閣僚を相手にキャバクラ嬢の姫みたいに振る舞っているギギとか、そういう会話の機微がさあ……。


 でもアニメは違うんだよ!くそっ!


 ギギは洞察力が強いし、名前としてもララァのリメイクなんですけど、上品で注意深い女だからケネスが軍人だとか離婚したということは言わないし、ましてやケネスとの会話の圏外のハサウェイも軍人で同業だということをバラしたりはしないの。でも、機動戦士ガンダムユニコーンの脚本のむとうやすゆきさんは原作にあった情報をアニメ版のテンポに置き換える際に微妙に順序を変えておく。それでギギの印象も違う感じになる。


 世界観とかマフティーの世情の情報をギギに喋らせるんじゃなくてさあ!ギギは解説役じゃなくて、もっと会話の機微を大事にする女の子なんだよぅ!


 ハイティーンにして愛人稼業をして、自分の美貌によってくる政治家をあしらってるギギとか、そんな賢くて可愛いギギに対してマウントを取ろうとしてくる権力者おじさんたちのみっともなさとか、その妻のババアたちの愚痴とか、そういう人間関係がね?この小説の良さなの。でもアニメ版はそういう官僚たちのスケベ心はほとんどカットじゃん。くそーっ!


 閃光のハサウェイの小説のすごいところは、連邦政府の高官の誰それが具体的になにか汚職をしたとかそういうことを描いていないのに、ギギに対するスケベ心とか夫人に対する冷めた関係とかをヤニ下った態度を通じて「マフティーにブッ殺されても仕方ない」という雰囲気を醸し出すところなんですが。アニメ版での「マフティーにブッ殺されても仕方がない」というのはケネスの自分に対する反省に置き換わってて、ちょっと意味が違うよね。



 ギギがパソコンの絵本を見せるのもマフティーに対する女子供の意見を言うのも、原作と相手が違っていて、それでいいのか?性格描写が変わってしまうぞ?原作のセリフを置いても順序や相手が違うと意味が変わってしまうが?アニメ版ではそれに確固とした理由付けはあるのか?なんかとりあえず原作の要素をパッチワークしたようにしか見えんのだが。全体を見れば雰囲気が納得できるのか?



 キャビン・アテンダントでブロンド娘のメイス・フラゥワーについてケネスが「君のようなタイプの方が好き」というのは原作通りなんだけど、ケネスとギギの会話でケネスがちょっと、(同じブロンドだけどちょっと肌の色が違う)ギギに「嫌われたかな?」と思ってから、それを受けてのケネスがメイス・フラゥワーみたいな普通の女に安心するっていうのがあるわけじゃん。それについて前妻とメイス・フラゥワーを関連付けて思い出す感覚とかもあるけど、アニメではカット。ギギが不躾に離婚しているって言う。ギギはそういう事を口に出して言うような女の子じゃないんだよ!
 ちょっと順序を入れ替えるだけだけど、ニュアンスがぜんぜん変わるしさあ。そもそも、メイスとケネスが会話するのも原作では廊下ではなくて客席だし、なんかニュアンスが違っていて、アニメ版では他の人のざわめきの間でのコソッとした会話のやりとりだった原作とは違っていてさぁ…、ハイジャック犯の定型的なアクションシーンの段取りになっちゃう。
 もー!


 ハイジャック犯の声が佐々木望さんというのは大した問題じゃあない!


 というか、原作ではハイジャック犯が使っている航空機はベース・ジャバーだし、何度かのショック・ウェーブで少しずつハウンゼンに脅威を与えているし、ハウンゼンも全体的に揺れが続いている感じなんだけど。
 アニメはさあ…。ブースター付きのギャプランを出すのはまあいい。ベルトーチカ・チルドレンやハイ・ストリーマーの小説版で出たメカとアニメ版のメカが違うのはあるので、いいんだけどさあ。



 ギャプランを出すアイディアはいいんだけど、ハイジャック犯をハウンゼンに乗り込ませたら、スッとギャプランは離脱するので、小説版でケネスに危機感を抱かせた中古のベース・ジャバーよりも存在感がない!


 あと、小説版ではハイジャック犯のベース・ジャバーが離脱しているかいないかもハイジャック犯を取り押さえるまでよくわからないので、危機感があるけど、アニメ版では説明的に「ギャプランがハイジャック犯の入っているカプセルを接続させましたよ」ッて言う絵を入れちゃって、なんか危機感が薄い。


 というか、ハイジャック犯は偽マフティーだから悪人としてやっつけていい!みたいなのがアニメ版の描写なんですが、原作では偽マフティーにハサウェイが親近感を抱かれたり、逆に取り押さえられた後のハイジャック犯も自分の意志を持っている眼光がある、みたいな描写があったんだけど。
 アニメ版では取り押さえられたハイジャック犯は、(女性が混じっているというアレンジはいいけど)省力なのか止め絵で芝居がなくて、つまんねええええなああああああって。
 

 ハイジャックが来たらわかりやすくBGMがアクションっぽく変わるのだけど、原作ではもっといつの間にか侵入しているという不気味さがあったのだけど。アニメではハリウッド映画らしくてなー。作風が違う。


 ハサウェイもハイジャック犯に対しても暴力は嫌だねって原作では言うけど、アニメではバリバリ発砲するし、ハイジャック犯を心配しない。そもそも原作ではハイジャック犯も宇宙船の内部で銃撃戦をしたら死ぬのでマシンガンも軽めなんだけど、アニメではアクション感を出すために分かりやすいSPとの銃撃戦をしてなあ・・・。


 たしかに、ハイジャックアクション劇のテンプレとしては分かりやすいんだけど。僕としては大臣たちが小学生みたいに点呼される部分の情けなさとか、助かった後の図々しさとか、そういう感情を見たかったんだけど。カット。



 で、レイモンド・チャンドラー的なバーとか酒とか飲み物を媒介にした芝居の白眉として、刑事警察機構の調査室の捜査官と会話をして、少し苛ついたハサウェイがジンジャーエールのグラスをストローを使わずにグイッと飲んだら、その動かしたグラスの向こうにギギがいて気付いたっていうのが、小説だけど映像的に印象的なシーンなんだけど。
 


 先行配信された冒頭15分ではハサウェイは空港の窓際に立って手にジンジャーエールを持って捜査官と会話してて、グラスを使った映像的に印象的なヒロインの描写ができてなくて、本当に、美意識がない!もう!くそ!

カナダドライジンジャーエール 500mlPET×24本×【1ケース】


 って、原作厨は閃光のハサウェイの冒頭15分で「作風が違う!」って勝手にキレてしまうのですが。



 まあ、サンライズも完全に良い会社ではないけど、ガンダムを作るならサンライズだし、ガンダムのためにはサンライズには生き延びてほしいので、まあ、ハサウェイもあと2作あるし、一応見るけど…。ちょっと閃光のハサウェイの円盤を買うよりは富野由悠季監督の直接の最新作であるGのレコンギスタに金を持っていくほうがいいかな、という感じの冒頭配信でした。



 こういうことを書くとやっぱりガンダムのオタクは厄介だと思われるのかなあ。でもさあ、俺が見たかったのは大人の会話劇なんだけど。サンライズがやりたがってるのは海外も視野に入れた分かりやすい対テロリスト戦争のアクションメカ映画なのかなあ…。
 うーん。
 ウィッチハンターロビンとかレッドガーデンだとアクションより雰囲気会話劇だったんだけど。やっぱりガンダムだとメカアクションが主軸になっちゃうのかなあ。
 閃光のハサウェイはガンダムだけどメカではなく三角関係が見どころなんだけど。



 かと言ってハサウェイとギギとケネスの三人だけがメインキャラクターとして描かれるのもちょっと違って、ハウンゼンやホテル、それからその後の戦場での喧騒の中での、他人の声がある中での、微妙な三人の接触や離脱がいい雰囲気なんだけど、そういう小説的な雰囲気はガンプラ販促映画では黙殺される、というベルトーチカ・チルドレンと同じような富野原作に対する仕打ちなのかなあ……。アニメってお金がかかるからなあ…。



 いや、デザインとしてはクスィーガンダムやペーネロペーの模型が欲しい気持ちもあるのだけど、Gレコの宇宙用ジャハナムやガンイージ以降のプラモは積んでるので、ちょっと作らないのに難しいプラモデルを買うのは、ちょっと…。まあ、十年くらい前からアルパ・アジールとか積んでるんですが。





  • ほしい物リスト。

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