生存戦略!
今日は輪るピングドラムのメインキャラクター兄弟姉妹の誕生日である。そして絶対運命黙示録!私は少女革命ウテナを見る予定。
だが、オタクとしてその前に、ウテナに影響を与えた「おにいさまへ…」と「ベルサイユのばら」を見る予定で、私は行動している。「おにいさまへ…」を見終わり、ベルサイユのばらをレンタルビデオで見ようとしていたら、GyaO!で配信が始まったので、それに合わせて見ようと。金はない。
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そんな感じで、ベルサイユのばらを視聴開始。
ちなみに原作ファンですし、オスカルのようなキリっとして倫理観と慈しみと利他性の強い女性は好きです。2006年に宝塚大劇場で雪組(オスカル編)の宝塚歌劇団のベルサイユのばらも見ました。
とありあえず、原作と舞台は軽く押さえている。実写映画を観る予定はない。
あらすじ、各話徹底解説サイトはこちらにある。
アニメ版ベルサイユのばら徹底解説
- 長浜忠夫編も意外に面白い
長浜忠夫総監督は12話で降板した。そのために、私は1979年の長浜忠夫は全盛期の力を失っていたか、ベルサイユのばらに不向きだったのではないかという先入観を抱いていた。しかし、実際に見てみると、長浜パートも素晴らしく面白い。
しかも、それは原作のシナリオの良さではなく、アニメならではの面白さであると感じられた。評価を改めねばなるまい。
アニメ様・小黒祐一郎氏の評によると、
長浜総監督と、オスカルを演じた田島令子と間で演技プランに関して行き違いがあり、それが監督交替に繋がったらしい(それについてはDVD『ベルサイユのばら』6巻の解説書で田島令子に取材し、話を訊いた)。
長浜総監督時代も、決してつまらなくはなかった。しっかりと作られているし、充分に楽しめるものだった。革命前後のフランスを舞台に、男装の麗人オスカル、マリー・アントワネット王妃と、彼女達を取り巻く人々のドラマを描いた作品だ。長浜総監督は宮廷内の人間関係が中心となるシリーズ前半を、きらびやかに演出。それに対して、登場人物が時代の奔流の中で力強く生きていくシリーズ後半を、出崎統は烈しくダイナミックに描いた。僕はシリーズ前半も楽しんで観ていたのだが、あまりにも後半が強烈すぎた。
監督交代は、この作品にとってプラスに働いたと思う。前半と後半で、別の監督が腕をふるった事で、アニメ『ベルサイユのばら』は少女アニメらしい華麗さと、歴史ものに相応しいダイナミックさ、ドラマの深さを併せ持つ事になったのだ。それにしても劇的な、あまりに劇的な監督交代だった。
WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第33回 『ベルサイユのばら』
とのこと。
長浜パートでも充分に面白いのなら、それ以上にすごいと言われる出崎統パートが非常に楽しみだ。私も出崎統ファンだし。
長浜忠夫と監督降板といえば、勇者ライディーンの富野喜幸から長浜忠夫への引き継ぎもあり、富野ファンとしても縁を感じる。
また、ベルサイユのばらの原作権を買えなかったという事情でアニメでオリジナルストーリーでフランス革命を描いた「ラ・セーヌの星」で、総監督はおおすみ正秋だったが、監督が出崎統の兄である出崎哲氏から富野喜幸に引き継がれたという経緯もある。
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そういう訳で、長浜忠夫、富野由悠季、出崎哲・出崎統兄弟とフランス革命をめぐる何らかの縁はあるし、関連した感覚で見ると面白い。
しかもウテナにも続く!
Zガンダムや逆襲のシャア友の会やシュラク隊やセーラームーンを通じて、佐藤順一や幾原邦彦にも接続されるし、それは輪るピングドラムまで続くし、はてしない人の流れだよなー。
あと、幾原邦彦は哀しみのベラドンナに影響を受けてアニメ業界に入ったので、そこから出崎統、杉井ギサブローのラインもできるし、山本暎一から宇宙戦艦ヤマトや手塚治虫まで関連付けられるんだよね。
ベルサイユのばらとフランス革命はモチーフのターミナルの要としてすごい。
-
- 表現主義的手法
長浜忠夫は勇者ライディーンの後半で、富野喜幸の神秘路線を換骨奪胎し、幻想的でおどろおどろしいイメージシーンを描いた。
そういうつながりもあるんだけど、ベルサイユのばらはもっともっとイメージのイリュージョン的な面白みがある。
同じ長浜忠夫でも、超電磁ロボ コン・バトラーVやボルテスVよりももっともっと、ベルばらは幻想的だ。それは、ベルサイユのばらは少女漫画であり、また宝塚の舞台演劇(長谷川一夫)の時代劇からの伝統を引き継いだ演出論の影響を受けているからかなあ。
長浜忠夫も世代的に時代劇っぽいところがある。長浜忠夫は型を重視する演出家だし彼の物語にはどこか講談調のところがあって、時代劇的なところがある。
そういう訳で、長浜忠夫はベルサイユのばらを監督するにあたり、長谷川一夫に対するライバル意識や、すごいやる気があって、ありすぎたから、それでテレビでも活躍していたオスカル役の女優の田島令子氏と演技プランで衝突してしまったのかもしれん。
長浜忠夫も巨人の星級のビッグタイトル原作をアニメ化するということで気負いがあったのかなあ。出崎統はあしたのジョーだから、梶原一騎的に共通してるから、抜擢されたのか?
- 山吉演出
それはそうと、ベルサイユのばらは長浜忠夫の担当した前半戦でも、イメージシーンがすごい。
特に5話と10話がすごい。
山吉康夫さんの演出回か・・・。2006年に亡くなったがマジンガー、海のトリトンやママレード・ボーイ〜プリキュアSSまでのニチアサ東映枠の人。
■ベルサイユのばら
絵コンテ
16
演出
1 5 10 11 12 14 18
http://www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/3019.html
長浜忠夫が12,13話辺りで抜けて、19話で出崎統がチーフディレクターになるまでの中継ぎとしてイメージの継続性を担ったのは、作画監督の荒木伸吾・姫野美智と並んで山吉さんかなあ、と勝手に思っている。
しかし、トリトンで富野喜幸とニアミスしてるのか・・・。
どういう演出だったのか?
山吉さんは東映の人だが、実は、結構虫プロ系の抽象的なリミテッドな演出で出崎統っぽい。
(まあ、出崎統も東映でAIRやCLANNADを作ってるわけだが。70年代は東京ムービー、東映動画、マッドハウス、Aプロダクションの関係も・・・)
あ、ターンエーガンダムのサウンドトラックで安田朗さんが描いた絵にそっくりだ!
∀ガンダム ? オリジナル・サウンドトラック 2 ディアナ&キエル
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しかし、このデュ・バリー伯夫人とマリー・アントワネットの交錯する絵はそれだけでもスゴいんだが、そこから、まだ続く。
画面分割!
これ、少女漫画のコマ割りを一枚絵にすることを意識した演出だと思うんだけど、画面分割という出崎統が得意とする技法を出崎統が参加する前の前半のベルサイユのばらで使ったのがすごいと思う。
画面分割をして、その両方が違うタイミングで動いてカットが割られるのも出崎統っぽい。そういう訳で、出崎統が入る前からベルサイユのばらは出崎統っぽさを準備していたと言えるのかもしれない。山吉さんは出崎統が入ると同時にベルばらから降板してるが、これはキャラクターや演出の得意分野が被って対立するからかもしれん。
山吉回、いいよなー。
この流れるようなマリー・アントワネットの後ろ姿のバルーンワイプ(って言うの?)からのカットつなぎからの
からのアブノーマル処理
から、有無を言わさない前奏が印象的なオープニングテーマへの流れていくアバンタイトル、最高だな!!!
70年代に画面分割を発明したのは出崎統だって思い込んでたところがあったけど、認識を改めねばならん。
こういうコマ割り、画面分割演出ってベルばらの前半では山吉さんがやってるんだけど、少女漫画をアニメーションにするから、ということで雰囲気作りをするためにやったんだろうか?
あるいは、79年の時点で、既にエースをねらえ!などの影響で出崎統の演出技法が「少女漫画のアニメ化」の技法として流行していたのかなー?
花の子ルンルンとか、キャンディ・キャンディとか70年代少女漫画アニメはちゃんと見てない世代なので、誰がオーソリティなのか、よくわかってないんだけど。
ロボットアニメのコックピット内の描写のための画面分割なら勇者ライディーンやコンVの長浜忠夫シリーズでもやってるんだけど。こういうイメージ優先の演出はコンVやボルテスではやってなかった印象。というか、ベルばらの中でも山吉演出回で多用されているのが印象的なので、多分、長浜忠夫の演出というよりは山吉康夫さんの演出の技だと思う。
僕はこういうの好きだなあ。21世紀の新房昭之にも通じるし。
っていうか、虫プロの哀しみのベラドンナに似てますよね!!!
哀しみのベラドンナもフランス革命に続く話だし。(僕はフランス革命に続くっていう付け足しのラストシーンは映像作品として世俗的になってしまうので好きではないけど(まあ、乱交シーンのサイケシーンも世界観が違うのであまり好きではないんだけど))
哀しみのベラドンナの画像紹介解説はこちら↓
『哀しみのベラドンナ』 山本暎一 1973 : なにさま映画評 →→→→→ Made-to-Order
WEBアニメスタイル DATA BASE
WEBアニメスタイル TOPICS
国王と国民と
マリーと
悪女、デュ・バリー夫人っていう、画面分割での情景描写、絵巻物っぽい演出、すごく哀しみのベラドンナに通じるものがあると思う。
絵巻物みたいな力強い横パン!
白いバラに赤い女の欲望が加わって赤いバラになるっていうイメージ演出の象徴性、ちょっとくどいくらいに哀しみのベラドンナっぽい!あと、生理用ナプキンっぽい。
しかもこのバラのカットは水彩画のアニメーションでやってるっていうのがまたベラドンナっぽいです。
この画面分割もベラドンナっぽいなー。新世紀エヴァンゲリオンの綾波のイメージシーンや人類補完計画シーンにも通じるよね。
この黒薔薇が散っていくところも、露骨にベラドンナ。
この10話の、下町の娘のジャンヌが貴族に取り入ってパリ社交界に入っていくところを横パンとフェードインアウトで見せていくのもすごく哀しみのベラドンナみたいなところがある。
っていうか、「美しい悪魔ジャンヌ」っていうサブタイトルが既に哀しみのベラドンナすぎるだろ!!!(哀しみのベラドンナの主人公の名前がジャンヌ)
まあ、原作からして、ジャンヌとロザリーの姉妹の対比は哀しみのベラドンナというよりは、マルキ・ド・サドの「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」の対比なんだろうけど。
そして、マルキ・ド・サドもフランス革命の時代の人だ。
あと、ベルばらと同じ原作者の「おにいさまへ…」の原作萬画では、主人公御苑生奈々子さんがソロリティの入会面接で「愛読書はサド」って言って上級生に笑われるというシーンがあった。ちなみに、出崎統のアニメ版では「星の王子さま」(≒スタードライバー)になっている。そういう訳で、池田理代子がサドの悪徳の栄えを意識してジャンヌとロザリーを作ったのは明白。
そして、哀しみのベラドンナの原作の「魔女」の作者のジュール・ミシュレはフランス革命の年にパリで生まれた自由主義の歴史学者でもある。その点で、サドとベラドンナと池田理代子の関係性もある。
そういった歴史的な共通項を映像演出技法として共感覚を起こさせる山吉康夫さんの演出は素晴らしい。その割に、山吉康夫さんは演出家として、あまり有名じゃなかったのは監督作がなかったからだろうか?私も今回ベルサイユのばらを初めて見て、演出技法の1、5、10話の共通性に気づくまで山吉康夫さんを存じ上げなかった。
ニチアサの山吉回を縁があれば見直すか?どれみ〜プリキュアは見てたんだがなあ。
下町の娘のロザリーが貴族となった姉ジャンヌの馬車にぶつかりそうになるところの
この馬車の反転線画もショッキングな映像でいいなあ。ちなみに、山吉さんは第14話でポリニャック伯夫人がロザリーの母を馬車で轢き殺す回の演出も担当している。
前半のベルサイユのばらは、山吉康夫回が虫プロ系演出を好む私にとって、好みです。
14話は
この入射逆光とか
この2回パンとかも出崎統っぽくていいです。
というか、出崎統が入る前から出崎統っぽいんですけど!
エースをねらえ!のお蝶婦人を意識して、少女漫画演出の一つの定形として、出崎統が入る前から出崎統的な技法がベルサイユのばらの前半でも使用されたのだろうか?
少女漫画と手塚治虫漫画のコマ割りの類似性というのもあって、それで少女漫画の演出が虫プロ系になったという構造もあるんだろうか。
そういう訳で、アニメ様の解釈では「前半のベルサイユのばらはきらびやかで、長浜忠夫らしい強調の演出」ってあったけど、それは出崎統の演出とも共通点がないわけではないよなーって思う。また、ラ・セーヌの星の富野の前の監督で出崎統監督の兄の出崎哲監督も6話と8話の演出で参加している。
ベルばらの全話で半分位の脚本を書いた篠崎好さんや、前半の絵コンテで3回登場した高屋敷英夫さんも出崎統の監督作品に多く参加していた人なので、出崎統が入る余地は前半からあったんだろうなあ。(だからこそ、後半の監督に抜擢されたんだろうけど)
4話の入射光も
出崎統っぽい。4話の永丘昭典さんもはじめ人間ギャートルズ、新・エースをねらえ!で出崎統と繋がってるし、新巨人の星IIで出崎哲や荒木伸吾と関わっているし。巨人の星は長浜忠夫だし・・・。
後半がどうなるか、楽しみです。
- 荒木伸吾
このアンドレの顔、すごく荒木伸吾顔だな!
聖闘士星矢や、晩年のhttp://www.arakishingo.com/pc/pieces/でのウェブ漫画『Sourire』の荒木伸吾らしい絵だ。この、ちょっとつり目っぽい顔。
これは池田理代子の絵や、出崎統作品によく出てくる杉野昭夫の絵とも違うんだよなー。
また、オスカルとアンドレの殴り合いからアニメが始まるのは、長浜忠夫の男らしさ、巨人の星路線って言われがちなんだが、ベルサイユのばらの冒頭が少年時代のオスカルとアンドレの剣術の稽古から始まるのは、むしろ宝塚舞台版のオスカル編の冒頭からの引用じゃないかなーって思ってる。
原作ではアンドレの出番が序盤はかわいそうなほど少なかったしなあ・・・。舞台とアニメではアンドレの重要性を序盤から高めるために、アンドレとオスカルの建を交えた交流を描いている。
まあ、剣術の稽古というより、本気で殴り合いをするというのは舞台ではなくアニメならではなんだが、そこは宝塚の様式美とアニメの躍動感のメディアの違いであろう。あと、アニメは絵なので、実際の人の芝居に比べると、本気で殴り合いをするくらいのテンションの上げ方をしないと、アンドレの気持ちの熱さが伝わらない。ということだろう。実際オスカルは軍人という暴力を生業とするものになるのだし。そこの現実感はアニメ版にあるよね。
また、序盤で仕官する直前のオスカルにアンドレが「女に戻るのは今しかないぞ!」と言って、軍人になったあとは黙って従ってサポートしていくというアニメオリジナルの展開は、のちに登場するフェルゼンの「お前は男としていきていて寂しくないのか?」というセリフとの対比になるために付けられたものだろう。アンドレがフェルゼンと並ぶ、オスカルの相手役としてふさわしい男かどうか、序盤からアンドレ成分をアニメでは出している。(多分原作ではアンドレが攻略対象ヒロインに決定したのは池田理代子の初期構想ではなくて、後付けだったんじゃないかなあ?それか、アンドレを男として見てなかったということの伏線の表現ならすごいけど、それにしたら初期のアンドレは書き込みが少なすぎる)
また、原作の後半でオスカルの後任の近衛連隊長となり、オスカルに求婚したジェローデルが、アニメの序盤でオスカルと近衛隊長の座を争って決闘したあと、彼女のアンドレ以外の近衛隊の中でのサポート役という仲間になるのも、アニメ版の重要な変更点。
フェルゼンは出番が微妙に少なく、すぐに北国に去るしマリー・アントワネットの相手役なので、アンドレがオスカルに対するヒロイン(とここでは言っておく)として序盤から活躍するなら、ライバルヒロインとして美形を登場させるのは登場人物の関係性のバランスを取るのに有効かと。
オスカルがどの男を選ぶのか?というのがベルばらの裏テーマでもあるし。
また、そういう男たちをうまく使うことでオスカルの指揮官としての有能さを初期から示している。また、原作よりもオスカルの戦闘やアクションシーンが増えたアニメ版では、心強い仲間が増えることは雰囲気を良くする。
こういうふうに、原作を俯瞰した上で人物関係を冷静に再構成していった長浜監督の理論的な演出論は上手いと思います。舞台版では、尺の都合で、そんなにジェローデルの出番はなかった印象がする。
あと、個人的にもジェローデルは好きなので、出番が増えて嬉しいです。ほら、一人だけ髪の毛にスクリーントーンが貼ってあるし。
- テレビアニメとして
ベルサイユのばら の前半、原作と違って毎週各話に盛り上げどころを作るために、原作に比べて悪役としてオルレアン公が格段に活躍している。というか、ラ・セーヌの星とか、フランス革命のアニメだと「めんどくさい黒幕はオルレアン公にやらせてしまえ」という風潮はあったね・・・。
確かにド・ゲメネ公爵との決闘などのオスカルの活躍は長浜忠夫監督のロボットアニメみたいでした。原作と違ってテレビ向けに毎週アクション的な見せ方を入れていこうとしたんだろうな。
- アニメオリジナルといえば
あとは、デュ・バリー夫人とオスカルの最期の別れで、デュ・バリー夫人が娼婦の意地を見せるところが付け足されていて、そこはかっこよかった。
出崎統といえばハーモニーだが、
水彩画の滲みを大胆に使った荒木伸吾のハーモニーは、杉野昭夫の精密な筆致のハーモニーとも違った力強い印象を与えるいい絵だ。
この絵が出崎統の担当の後半でどのように変わるか、注意して見ていきたい。
- 以下書きたい構想
どうも精神病が悪化して、考えはあっても書く体力がない。
親が自殺するほど将来が悲観的な精神障害者で、職を転々としているうつ病なので、大好きなアニメのブログを書いていても「こんなことをしていても何の意味もない」と思って筆が止まる。
まあ、でも、アニメを見て感想を書いている時だけ、生きてる実感を得られて、それ以外の時は精神的に死んでいるという特異体質を10年以上続けているので、やっぱりアニメについて語らないと生きてる意味がなくなって即座に自殺します。
でも、書きすぎると睡眠時間が・・・。でもうつ病だから寝込んでいる時間も長いんだ。しかし、不眠症でもある。
そういう訳で、精密な各話解説ができなくて、ブログの読者諸氏には申し訳ない。1〜15話までをまとめた概論で済ませます。
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- 怒れるもの・オスカル
原作よりもオスカルは格段に怒っていて、その怒り方は義憤である。デュ・バリーや貴族の女たちや、貴族の男たちへの怒りだ。これはボルテスに通じる。
池田理代子はポリニャック伯婦人だよね
おにいさまへ…とベルサイユのばらと、続けて池田理代子の少女漫画原作のアニメを見ているし、原作も面白かったけど、比べるとアニメ版の方が好きなので、やっぱり僕は男で、フェミニストにはなれないのか・・・
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- オープニングの歌詞と絵
番組タイトルと歌はマリー・アントワネットについてのものだが、映像はオスカルについてのものとして翻案されているのが凄まじい。
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