読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


          Sponsored Link Google AdSense 広告

破嵐万丈シリーズ1薔薇戦争の感想

富野アニメ全部コンプリートした昨年のGレコロスから約10か月。富野新作がない俺は5年前に買ったきり本棚においてあったままの富野由悠季先生の小説・破嵐万丈シリーズを読み始めたのだった。面白かったので3日で読み終わった。
無敵鋼人ダイターン3の主人公の破嵐万丈の活躍を描いた小説だが、ダイターン3は出てこない。


あらすじは外注
kaito2198.blog43.fc2.com



1987年5月に単行本として出たものを1989年にソノラマ文庫にしたもの。挿絵はガンダム小説でもお馴染みの美木本晴彦先生で美麗。


面白い。面白いのだが、本当に面白いだけなのがすごいな!
今から30年近く前、1987年前半の富野由悠季と言えば、3月にガンダムZZを終え逆襲のシャアのアニメの準備をしつつ、2本のガンダム小説、ガイア・ギアを角川のニュータイプで、ハイ・ストリーマーを徳間書店アニメージュで、ダンバインのスピンオフ小説(リーンの翼とファウ・ファウ物語の完結直後)・オーラバトラー戦記を角川書店野生時代で連載しているという西尾維新もびっくりの超速執筆をしていたころ。あの頃の富野由悠季は本当にスターだった。F91~Vでバンダイに企画などをアレされるまでは…。まあ、ダンバインがアレでバンダイにZを作らされた時からアレだったのだが、まあ、そのおかげで今もガンダムの新作が見れるので、まあ歴史はいろんな可能性があるのだが。
逆シャア直前の執筆量は異常。書きすぎだろ富野。


逆襲のシャア機動戦士ガンダムシリーズの前半のクライマックス(当時はガンダムはそこで終わるはずだったのだが、まあ)で、富野由悠季の作家人生としてもハイライトで、乗りに乗っていた時期なのだが。
そういう時局に「ガンダムバイストン・ウェルだけでは物足りないから破嵐万丈も復活させるぞ!」と言って書いたのだろうか。お金が欲しかった時期なのだろうか。さすがに小説家としての原稿料で逆襲のシャアの製作費を出したということはないだろうけど…。


そして、そんな破嵐万丈シリーズ第1作「薔薇戦争
魅力的な女性キャラを薔薇に例えて、彼女たちの闘争の中にイケメン探偵の破嵐万丈が巻き込まれて、活躍!という。


時代はおそらく21世紀初頭で場所は東京湾を埋めたてるように建築された人工の浮島に作られた巨大都市・シン・ザ・シティ、および関東一円の山や海。バブル崩壊など想像していない時期の小説なので、シティ建築景気と外国人労働者の流入で猥雑になっている近未来都市…、ってパトレイバーじゃねえか!一応機動警察パトレイバーは1988年開始。富野由悠季がパクったわけではない!機動警察自体が機動戦士へのオマージュにあふれているので、そこはそれ。手塚治虫先生のネオ・ファウスト東京湾を埋め立てていたが1988年に連載開始して1989年に手塚先生が逝去。バブルのころにお台場の埋め立てなどが盛んだったらしいがバブル崩壊の後に中途半端に都市博がアレしたりナニしたりした。そんな時代の空気で書かれた。


無敵鋼人ダイターン3は火星に人類が植民するかどうか、地球は平和になって戦争もない統一国家になった時代なので、それに比べるとあんまり未来ではないのだが、一応未来。携帯電話は出てこないがインターネットっぽいのはある。ハードディスクはないがフロッピーの代わりに読み込みと書き込みが同時にできるフィルムとかが出てくる。
巨大ロボットは出てこない。替わりにアニメ版ダイターン3に登場した万丈の乗る陸海空万能マシーンのマッハ・アタッカー(と小説版の破嵐万丈が自分の中だけで呼んでいる)に似た乗用車兼軽飛行機の変形マシーン、ラピド・ポータがメインメカニック。敵は大体戦車かヘリコプターなので、アニメ版ダイターン3ほど派手なメカは出てこない。小説版は地味に実際のソ連製のミサイルや機関銃が流出して使われている(ソ連崩壊直前なのが泣かせるよな)という、リアルというかあまり未来ではない技術で、ラピド・ポータにも「弾薬や燃料が少ない」とか「装甲が割とよく壊れる」という設定が入っていて、アニメ版のマッハ・アタッカーよりは無敵っぽさが減っている。アニメ版はおおらかなスーパーロボットもの(の自覚的パロディ)という感じだったが、小説版はレイモンド・チャンドラーとかの探偵小説や80年代の菊地秀行などのアクション小説や笹本祐一ラノベの文体をまねしたような部分と富野節のセリフや説教や未来史観がミックスされた感じ。ただし、バイストン・ウェル小説やガンダム小説に比べると格段に軽い。というか、チャラい。軽薄。というかふざけている。
文体としてはこのブログのように唐突にノリ突っ込みや横道に逸れた作者の自分語りや、「エロいことはちょっとここまでしか書けませんね」とか作者が入れてたり、効果音が書いてあったりして、小説の作法としてはちょっとふざけ過ぎじゃないのか?という感じだ。というわけで、ライトノベル黎明期らしい軽薄さが味わえる。
むしろ、小説というよりは講談や落語に近い。効果音とか話し手のツッコミや読者へのメタな話しかけは落語のような感じだ。なので、富野由悠季が好き放題に喋っている講演会に多少ヒーローアクションが加わったような感じで富野節が味わえる小説という感じだ。
このころの富野の執筆量からもわかるように、「喋るように書き飛ばした」という感じで300ページもあるのに大したことがない。ものすごく感動するとか興奮するというわけではないのだが、富野監督がしゃべってる講演会とかイベントを見て「このおっさんの喋り方のテンポが面白いな」という僕のような富野ファンには面白い。


本当に、ストーリーはない。びっくりするほど無い。
一応、東京湾埋め立てに伴う環境汚染に反対する60代以上のオバ様を中心にした過激環境保護団体クリーン・グリーンと、それと対立するネオ・ナチのコスプレをした20代後半から30代くらいのレズビアンの女性を中心にしたポルタ・ニグラ(黒い門という意味)が東京旧都市部と新都市部のシン・ザ・シティ(富野監督が住んでいた埼玉県新座市のパロディでもある)の山や海や町でロケット弾や戦車やヘリコで武力衝突して国会が吹き飛んだりするし派手なアクションは破壊がある。その中でスーパーヒーローを目指した万丈が虹をくぐってやってきて、明日の夢は熱いかとマシンとばして敵を討ち、熱血一つ生命を賭けて、修羅の巷でヒロインに名前を呼ばれたりする。
なので、『ザ・ロンゲスト・ロード・イン 破嵐万丈鈴置洋孝』のA面の「ストレンジャー・ロード 破嵐万丈」の中の寸劇っぽいかっこつけた感じの楽しさはあるし、冒険小説としては楽しいのだが、本当に楽しいだけでほとんどストーリーがない。
ほとんど人間関係や場所の変化がない。富野監督らしい環境汚染に対する啓発や、政治活動する老人の主張や、日常の中で鍛錬をし戦いの中で女性関係をする万丈の意識などの説教はある。が、富野監督の講演やエッセイの主張とほぼ同じで、それほど情報量があるわけでもないし、「あー、いつもの富野が言ってることだなー」という感じだ。政治団体が戦っている話だが、大して政治的なメッセージがあるわけではなく、単にアクションのための舞台装置として適当に秘密結社が作られただけという印象。


一応、ヒロインは描かれている。
ミーシャ・マモーンという黒髪のアジア人美人で万丈の秘書が20代前半。
破嵐万丈探偵事務所に依頼をしてきて冒頭に万丈と出会い、のちに万丈事務所のスタッフとなるファン・ファンという金髪美女が大学生。
ハノ・マコトという謎の赤髪ボーイッシュ美少女が中盤に出てきて謎の能力や”組織”との関係を匂わせたりする。
この黒金赤の髪の毛と知的、ボイン、腕力でキャラ付けされたラノベ的にわかりやすいヒロインたちとの出会いが描かれるのだが。
まあ、出会いと万丈の女性に対するリアクションが描かれるわけだが、1巻が終わった段階でまだであっただけという印象なので、あまり人間関係の変化や葛藤はない。万丈が女性の前で格好をつけたり、つけられなくて笑える場面などのスリル・ショック・サスペンス・アクション・エロ・ナンセンスの楽しさがある。でも楽しいだけで大して内容がないので、富野由悠季の高邁な思想や未来予知の溢れるほかの富野小説に比べると娯楽小説に徹した感じだ。というか、逆襲のシャアでシリアスをやりまくっていた時期なので、その反動でこういうコテコテの軽薄ラノベを書き飛ばすのも息抜きだったんだろうなーという。シェイクスピアも悲劇と喜劇を交互に書いてたりしたので。イデオンザブングルダンバインエルガイム、Z、ZZのころの悲劇と喜劇のローテーションとかもあるし。



しかし、びっくりしたのは現代のライトノベルにも通じるくらいライトノベルしまくっているということ。
髪の毛の色と体つきと能力でカテゴライズされたヒロインとナチスのコスプレの敵の美女というすごく俗悪にわかりやすい女性キャラ付け。
特に理由もなく、モテまくるし無双するイケメンの主人公の万丈は世界に二つしかないスーパーガンのライヒト・モルデンを持っている。その武器のもう一つは謎のヒロインのマコトが持っている。
敵がソ連製の機関銃で頑張っているのに主人公たちはモデルガンのように軽量だが戦車を沈黙させられるくらいの威力のすごい拳銃を持っているという戦力差がラノベっぽい。


80年代ラノベの歴史についてはこちら
http://www.raitonoveru.jp/howto1/bunn/nennpyou1980.html


敵が環境保護ババア軍団とナチスコスプレレズビアンという女ばっかり出てきて男は万丈くらいしか出ないのがラノベっぽい。(女ばっかり出てくるから薔薇戦争)まあ、現代のラノベだったらババア軍団も美少女になるだろうし、やっぱり富野の描く女性は美少女というよりは骨格がしっかりしてるしSMプレイにも耐える頑丈さを持っているので、あんまり最近のエロゲ絵の美少女よりは萌えは少ないのだが。
あと、女ばっかり出てくるが万丈がなんだかんだ言って有能メカニックのオタクや有能情報屋のギャリソン・時田(小説版では執事ではない)など、頼れるメンズ(ただしヒロインに手を出すほどのライバルではない)が出てくるのもライトノベルの源流を感じる。


最近のラノベ原作ハーレム無双アニメにも共通した部分がある。テンプレートはこのころから作られていたんですねー。まあ、この破嵐万丈シリーズ自体が冒険小説のテンプレートのオマージュという意味合いが強いし、ダイターン3自体もパロディ要素が多かった。
美女に囲まれてるけどボクちゃんは苦労してるのよトホホ、みたいなのは1978年のダイターン3での万丈のキャラクター付けとして既にあった。


しかし、壮絶なのは「ラッスケ」がすでにあるということだ。
katoyuu.hatenablog.jp


katoyuu.hatenablog.jp

honeshabri.hatenablog.com




ネタバレがあります。



主人公の破嵐万丈がファン・ファンのSOSの電話を受けて現場に急行したら、なぜか床が油まみれになっていて、万丈が転倒して滑って行くと、その先にファン・ファンの股間があって万丈は頭からミニスカートの女の股にダイブしてヒロインと出会うという。

このように聖書の世界においては、資質を持っている者でも油を注がれる以前は王や預言者でなく、油を注がれることでその役割が定まるのである。そしてこれは石鹸枠のヒロインにも同じことが言える。つまり、登場した時点ではまだヒロインではなく、脱いでいるところを主人公に見られた時にヒロインと確定するのだ。
なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか - 本しゃぶり

うわーーーーー!導入ラッスケ!80年代からラノベ業界はこんなだったのか。ドラえもんですらしずちゃんは1話では脱がなかったというのに。
いや、富野がラノベの始祖というわけでもないけど。なんか最近、石鹸枠とかの用語をよく聞くようになったので、最近のラノベは冒頭ラッスケなのかと思っていたのに、80年代の富野も開幕ラッスケを繰り出していて笑えた。
うーん。ほかの作家の80年代ラノベも機会があると読むべきか。


あと、ヒロインと出会った場所でいきなり装甲車の戦闘があって、機龍警察の開幕ゴアみたいに一般人が死にまくるのも冒険小説らしい。
機龍警察〔完全版〕



そういうわけで、いろいろと典型的な小説で、富野も書き散らすためにテンプレートを多用したという印象だが、まあ、楽しさはあるし、万丈のハチャメチャでイケメンで格好つけてるけどちょっとスケベでナイーブという魅力もダイターン3から続いて楽しめるので、キャラクター小説としては楽しい部類です。


しかし、軽い文体だしキャラクターのやり取りもヤッターマンレベルの楽しい口論なのに、結構ガチで人がミサイルとか機関銃で虐殺されるので、コメディなのにガンガン人が死んでいくのでそこはちょっと微妙でした。いや、人がガンガン死ぬのもハリウッド系アクションエンタメの部類としてはあるんだけど、文体自体がふざけているのにホイホイ人があっさりグロく死ぬので、そこらへんはやっぱり富野なんだなあ…という印象もある。


では、続きを読むか。
富野アニメはコンプリートしたけど、富野小説もコンプリートを目指すぞ!(一応全部買って積んである)参加コンテは多すぎる。


憂鬱ミュージアムは宮崎駿をパロディにしているらしい…。