玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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講演会で思った事。やはり、∀ガンダムは偉大すぎる。

今日見ると、ガンダムSEEDに対して非常に余裕な態度を見せている感じがした。
それは、ターンエーガンダムを作ったからで、どんなにガンダムが変貌したとしても自分の作品の世界観の中に収められたという、静かで確かな自信があるからなんだろうと思った。
そうすることで、安らかに死んでいけるし、若いスタッフやゲーム会社がガンダムを弄繰り回したりしても、それすらも自分の周りの他者として肯定していける年寄りになったという悟りを開かれたようなのだ。
だから、ガンダムシリーズは長く受け継がれていろんなクリエイターによって違った姿を見せながらも、一つの作品として存在する無二の物になっているんだよなあ。
ガンダムはシリーズ物としては無二の物である。
仮面ライダー戦隊シリーズ石ノ森章太郎は初期の作品にだけ関わって、その後は企業の売上優先の単発ドラマの集合体になっている。
仮面ライダーBLACK萬画も書いてたけど、アレは映像に対する小説版に近い立ち位置だと思うし、落ちも投げっぱなしジャーマンなので、作品としての完成度とは違う次元だが、ガンダムのようにシリーズをまとめる物にはなっていない。
仮面ライダースピリッツもZX以降の作品は肯定できていない。
ウルトラマンシリーズは金城哲夫が死んだしなあ。ウルトラマンメビウスはティガ以降とかグレートやパワードを肯定できてないうちはまだまだだね。
そもそも、キャプテンウルトラも肯定しないといけないのだ。
藤子作品は変貌しない。
だから、ガンダムは無二の物なんだよな。
じゃあ、なんでガンダムターンエーガンダムという全てを包括する世界観を手に入れられたかというと、富の由悠季が何度もガンダムを潰そうとしたからだ。続けようとしたからではない。
潰す!という目的で、何度も何度も関わりつづけたからだ。
伸ばす!という目的なら宇宙戦艦ヤマトのように同じ事の繰り返しで尻すぼみになって言っただろう。
潰す!と思いながら期待を裏切る世界観をひねり出して、ひねり出して、もう何もでない、という所で、全否定しつつ全肯定するという∀の境地が出来た!



それから、ガンダムが非常に異なっているのはキャラクター個人やガンダムというメカニックは個々の作品のストーリーに定着させていて面白いんだけども、歴史という概念が入ってるからだよなあ。
歴史はやばいよなあ。しかも、ターンエーガンダムで歴史が数万年単位の歴史になっちゃったしなあ。
ヤマトだったら、せいぜい古代進やその子孫の歴史しかない。
スタートレックでも数百年。
ガンダムは数万年。
もう何でもあり。
どんな世界観で何をやってもガンダムは富野監督の作った歴史の中の世界を違った角度から見る物であり、違うように見えても同じ!
確かに僕もGガンダムガンダムXの放送当時はアンチでした。でも、今は「どうなろうが、これはガンダムと言う世界の中に入るのだ。ガンダムはどうなってもガンダムなのだ。」という安心がある。だから、作品一つ一つの面白さを安心して面白がれる。
機動戦士ガンダムSEEDが出たときも、∀でガンダムは終わったはずなのに・・・。と思ってアンチだったけど。
トミーノがターンエーガンダムを作ったのはガンダムを終わらせると共にいつまでも作りつづけられるものにするというためだったという事に気付けば、今後作られるガンダムもそれなりに肯定できる。
それに、ガンダムはキャラクター物であると同時に歴史者なので、少なくとも大河ドラマ程度にはいろんな作品が作れる。時代と立場と視線を変えるだけで無限の可能性がある。それでいて、それは一つのガンダムであり、その頂点の両極には機動戦士ガンダムとCalled ∀Gundamが存在している!!これはすごい!


あーやべえ。早くターンエーガンダム再見してえ。大好きすぎる。


まあ、単にトミノが他のシリーズものの原作者と違って今も生きていて、シャバにいるというだけのことかも試練のだがな。トミノが消えたらガンダムも消えるかも試練。
まあ、それでもいいや。ぶっちゃけ、ぼくはガノタだけどガノタというよりは富野信者だし。


それにしても、ガンダムを潰す事も終えて、ガンダムを全肯定した富野がもう一度作る新作ガンダムは、そういう作者としての思惑や仕事から開放されて、一人の面白い原作作りマンや面白コンテマンとしてのスキルを思う存分発揮できる、作品それ自体としての魅力で勝負する物になるはずなので、楽しみすぎる。