玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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現実逃避に関する罪悪感?劣等感?

ちょっと、他のブログさんにコメントしたんですけど、僕の言葉は自分のブログに集積したいので書きますね。
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-853.html

まさに、僕が精神的にきつくなった時に富野作品に興味を持つことで死ぬのを先延ばしにして救われたと言う事があるので、コメントします。

僕にとって、アニメとか(脳内恋愛)っていうのは逃げ込める場所であると同時に、その、宇宙船が惑星に落ち込んでからスイングバイをして加速するような、そんな燃料のような物ですね。


だから、アニメとかも、現実の自分が現実の中で利用する物なので、そんなに罪悪感を持つ必要もないと思うんですよね。


ただ、現実主義者の人には、それすらも現実から目を背けていると言う風な寂しさを与えがちなので、おたくは「現実のあなたの事も見てあげてますよ」というそぶりをしてあげないといけないんじゃないかなあと思います。
テクニカルな処世術のような物ですか。
まあ、そんなに簡単にいかないんですけどね。
むしろ、美しすぎるフィクションと普通の自分を比べてフィクションに寝取られる感覚を抱くのが問題な気がします。
趣味と私とどっちが大切なの?とか言う人とか。
みんな寂しいんですかね。


それと、なんとなくナウシカの原作版の終盤の図書館を思い出しますね。

で、僕が脳内妹を精神科医に認められたということで驚いたと言う事を、精神科医に「それは君が劣等感を抱いているからだ」と言う風に言われたのを、まだ根に持って考え込んでいるんですけど。
今日は、それは脳内恋愛に限らないんじゃないか?と思いました。
それはどういうことかというと、こういうことです。
「一般の趣味とは違う個性的な顔立ちの女子を好きだとと思っている事を話すと、趣味が悪いと言われるだろうな、と思ってたら意外にも誉められた」という感じ。
ココで意外だというのは決して自分としては、自分の好きな女が劣っていると言う認識ではなく、あくまでも「一般の趣味とは違うだろうな」と言う所です。
極端な事を言ってしまえば、僕の好きな女は僕だけが魅力を分かっていたらいいのです。
それに、脳内妹というのは、正しくその、個人的な理想そのものではないですか。僕だけが好きだと思えば良いじゃないですか。
他の男なんかどうでもいいだろう!
僕の脳内恋人は、僕には限りなく近いものですが、他の人から見ると限りなく遠い次元の物ですよね。
ですから、僕は精神科医に「脳内妹が君の役に立ってる」といわれたときに、驚いたのかもしれないな。僕の好みは僕にしか理解できないと思っていたわけだからだ。
それに、前にも言ったが、精神科医は異常を取り除く物だと思ってたし。
「オレの生き方で、オレが自分で好きになった女を、いまさら他人に誉められても、他人にわかってもらおうと思ってやったことじゃないから困惑する」
という。
でも、誉められたら悪い気はしない。
うーん。
偏屈なわりに子供っぽい。
まあ、いいや。
劣等感と言うよりは、むしろ、一般の社会人ごときが僕の事なんか分かる物か、分かってたまるか。しかも、僕の一番プライベートな思考と性愛の純化である脳内妹の事など。
でも、それを誇らしく思い、人に知らしめようとしてしまうのも僕・・・。
うーん。
それは劣等感なのだろうか?優越感や理想は劣等感の裏返しだとも聞くし。
うーん。
でも、そういうことを抜きにしても妹の事は好きです。
アニメも好きです。
そこに、他人の評価は期待もしていない。だから、驚くんですよね。
まあ、いままでにおたく趣味や脳内恋愛関係で一般社会人に誉められた事がないので、他人とはそういうものだと思っていたのもありますが。
まあ、精神科医が一般社会人かと言うと微妙なのだが。契約関係だし。
そういう他人に対する認識が劣等感なのだろうか?うーん。だが、それも状況判断の集積に過ぎないわけだしナ・・・。
僕としては、そんなに劣等感はないつもりだ。


むしろ、問題は周囲の人間に僕の趣味や生き方を認めさせたり、認めなくても文句を言わせなかったり、上手い事隠蔽したりするテクニカルなスキルの方が知りたい