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殉ずるべきものは、国家でも、君主でもなく、子孫に対してである。
このように下位のものに殉ずるという発想、この程度の思想転換が、なぜ京都でなされなかったのだろう?
地球保全の上に立った論理と道徳の醸成と、戦争の無い空間で生きることの苛烈さを想定して、自己鍛錬しなければならないと討論すべきだったのだ。
鬱病なのに、だからこそ?これだけのことが考えられるのはすごいなあと思う。
僕にとって富野由悠季は21世紀唯一の哲学者だ。
Vガンダムでも、子孫のためと言う考えはあったが、うつ病の時の富野の徹底した内向志向が、新生富野の作品群の糧となっていることは在る。
人の精神のやること、病気だから全てがだめだと言う事は無く、もっとオーガニック的な何かなんだな。