玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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マクロス7最終回「銀河に響く歌声」

いろんなところで色んな人が色んな事を必死にしてるのがスゴイ最終回っぽかった。
でも、主人公の熱気バサラが倒れているからダメだった。
ミレーヌ・F・ジーナスが寝ているバサラに縋って「ファイヤーとかボンバーとか言ってよ!」って言った。
すごいエヴァンゲリオン25話っぽかった。あー。ここから引用したのかー。エヴァー。
で、後にいたガムリン木崎の子安武人が歌いだして、それでバサラは治った。
アスカは目覚めない。
終盤のエヴァは大抵のシーンが二者間の関係で進むので、こういうサプライズはない。
が、個人は分断されていて、二人の人間が関わるだけで手一杯で、第三者が入り込んで助けてくれるような事はリアルじゃなくてご都合主義だ。と、そう考えるエヴァンゲリオン世代の気持ちもボクの中にある。
子安武人THE END OF EVANGELIONのパンフレットで「もっと活躍したかった」って書いてた。
岡田斗司夫

○ そもそも、一年間のTVシリーズのような長いアニメを作る時は、最初の段階から一年分の脚本が完成しているわけではない。視聴者やスポンサーや様々な人間の反応をみて軌道調整していくわけで、シリーズの終わりのほうになると、色々な要素がどう転がっていくか分からない。
○ だから、シリーズ開始前の初期設定の段階で、布石となるキャラクターを置く。例えば富野さんは「ガンダム」において、カイ・シデンハヤト・コバヤシが最後はあそこまで転がっていくとはシリーズ開始前に予想していなかった筈。あたかも将棋を指すかのように登場人物をうまく配置した結果、意外なところで活きてきた(「ガンダム」でいうなら他にもカツ・レツ・キッカとか、「未来少年コナン」のジムシーなんかが当てはまると思った)。
○ これが僕達の世代のクリエーターは苦手である。一見無駄と思えるキャラを容易に配置できない。将棋に対するチェス型で、終わりに近づく程どんどん動かせるコマが少なくなっていく。キャラが使い捨てられていく。
http://blog.livedoor.jp/macgyer/archives/51307767.html

といった。


しかし、2度目にバサラが倒れ、全宇宙が暗黒に飲み込まれたとき、
バサラは夢の中で過去を思い出し、勝手に治った!
勝手に治ったんだよーッ!
バサラTUEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そんで、シビルも勝手に歌った。
そしたらバサラのピンチが助かった!
銀河が歌った!
そしたらゲペルニッチも勝手に治った!
よかったな!
バサラスゲエエエエエエ!!!!
でも、歌ってただけえええええええええ!!!!


攻撃されて歌いにくいのに頑張って歌う演技が素晴らしかった。歌だけじゃなくって、芝居もこなす福山芳樹の本気を見た。
最後の曲が

TRY AGAIN
作詞:K.INOJO、福山恭子 作曲:福山芳樹 編曲:田中裕千
後述する「POWER TO THE DREAM」同様、バサラの歌唱を担当する福山芳樹が製作側の発注とは関係なく持ち込んだ曲である
http://ja.wikipedia.org/wiki/FIRE_BOMBER

すげえ!




ドッカー生きてた!
14年間、死んでたと思っていた!良かったな!
ビヒーダがドラムでエネルギーを出す所と、井上瑤が歌う所が中学生の頃から好きだったなー。


ゾクゾクしたぜ。
良い最終回だった。ロボットもちゃんとぶっ壊れたし。
アイアンリーガーも見なくてはな。
命あったらー!