玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

氷川竜介先生の富野監督論講義

10月24日、土曜日に池袋コミュニティーカレッジに氷川竜介先生の講義、「アニメの楽しみ方、後期、監督論第1回、富野由悠季」 を受講しました。
前期の「アニメ要素各論」の時に、先生から「この講義はある程度濃いアニメファン、ブロガーに向けて居ます。(半年で二万円以上だしね)
ですから、レジュメや録音をそのまま、というのはご遠慮いただきたいが、講義に触発されたレポートなら良いです」との事でした。
そのように書きます。


今回の監督論の意図について、先生曰く、「大テーマはアニメの楽しみ方です。近年、アニメの批評や評論や点数付けではなく、アニメを見て楽しむ、という方向の講義です。
ネガティブな論考より、スタンダードな楽しみ方について。
監督論をすることに関しては、今までキチンとやって居なかったから。
ラインナップに関しては、作風やアニメ業界への入り方や、知名度、集客力により選定」
(庵野監督は現在、ヱヴァを作っている途中なので、今は論じるタイミングではない)
とのこと。


第一回に富野監督を選んだのは、知名度と、氷川先生自身の知識が深いため。


確かに、毎回15人位の講義だが、今回は四十代男性を中心に30人に増えていた。富野監督への注目は高いか?
二十代男性は6人、女性は20代くらいが3人という客層。



で、講義のあと、先生が「断片的な講義になってしまった」 とおっしゃったくらい、富野監督のおもしろさを伝えるのは難しい。
講義の結論を先に述べると、
「いろいろな要素はありますが、富野監督が面白いお爺ちゃんだから、アニメも面白いよね」
との事でした。
うん、そうですね!


そんなわけだし、私にも時間がないので、富野の作家性、富野の人間性、個人的要素について、それぞれ箇条書にする。
Wikipediaやエッセイレベルの事は割愛



富野の作家性
日本大学芸術学部で正規の映像教育を受けたアニメ作家は意外に少ない。
そのため、コンティニュイティの時空連続体に関する感性が鋭い。
私は氷川先生に「富野監督はエッセイで『大学で学ぶ事はない、と思い授業に出ずに学生運動ばかりしていた』と書いていますから、映像教育レベルは低いのでは」と聞きました。
先生は「いや、作品を見たらわかるでしょう!実際に結果を出していますよ」 と答えた。
僕の目は節穴だった。



・富野の連続オリジナル時代80年代。オリジナルテレビ多作もかなり稀少な作家。
後半は次の企画に行くから、毎回痛み分けのたるい展開になる。
僕は、ダンバイン後半の毎回核爆発するようなやけくそな展開は好きです。今川とか?
ザブングルエルガイムは不勉強。
ちなみに、時期区分は人によって違う解釈で良いのです。
新房監督の連作は原作と、シャフト体制のたまもの?

・演出要素
世界観はタツノコキャシャーン、メカンダーロボのような悲壮感。虫プロ的感覚ではない。
リアル感は日本アニメーション高畑勲から。


・笑いの要素はギャグではなく、ユーモア
ギャグは常識の破壊であり、ユーモアとは人間性。人間が一生懸命動くが、上手く行かなかったり、ズレたりする共感が富野流。
富野ユーモアをギャグとして演出処理したり、視聴すると上手くない。
僕は「ダンバインのポロポーズの花に誓う所とかがそうだなあ。上手いよなあ」 って思った。


・絵かきと富野
富野が関わるのは、企画から絵コンテまでのプリプロと、演技指導や返事のポスプロが中心。アニメーションの実製作のアニメーターを、富野の出すお題が上手く触発させると吉。
新訳ゼータのメカは、三点透視で描かれたのでCG以上にカッコイイ、らしい。
前後の行間やドラマや感情を推測させるような演技付け、(ガンダムアムロホワイトベースに乗ってから、徐々にストレスを貯めていくような表情変化)


・脚本と富野
富野は近年のブレン以降は、脚本会議で社会や三面記事や読んだ本を演説して、しかしそれでテーマを伝えて任せる。禅問答に近い。ちなみに、私は五年前の講演で富野監督が阪神の中卒ルーキーを褒めたのを聴いた。
事実よりエッセンスが大事。
上がってきた脚本やコンテはすごく直す。それは作家性と批評家的視線をもつから。否定と肯定を取捨する。だから再編集が上手い。キンゲの本はボロクソだが構造は良い。
むしろ、富野はアトムの再編でアニメを好きになったらしい。


・富野はキャラや設定ではなく、人間性を描く。
人は人にしか興味がない。
以下、実例。
富野セリフは文法はおかしいが、感情や状況も折り込んだもの。(吃ったり、嘘をついたり)
富野自身は日常から富野セリフだから、自分ではトミノセリフの実感がない。
トミノ自身の自然言語か?


登場人物の事実と記憶、真意と行動の多重。
役者は演技する人物を二重に演じる必要。


視聴者が感じる事は登場人物も感じる(イデオンメカの大きさを笑うベス、ヒゲを笑うシドじいさん)
氷川先生は、これを「タンカー5つながりのトミーや、村上天皇の玩具事情などをコントロールして、メタに演出する仕事師」と評したが、私は登場人物も視聴者と同じように玩具っぽいものにリアクションする人間として描いて居るからだと思う。
お約束や、フィクションであること、勝手なライトノベル的作品内設定には逃げないのだ。
ホワイトベースはゆっくり飛びますが、あれはあの時代の常識。フィクションなら、フィクション内の現実を作る(世界観作りが得意なトミノである)
しかし、玩具をヒーロー、殺人兵器を神さま等に見立てて演出する、見立ての力はすごい、との先生の見識には同意。
視聴者の脳の空想力、脳のモンタージュ錯覚、コンティニュイティによる予想と意外性を刺激するのが、面白み。
ゆえに、富野的な展開を表面的に真似ても、裏側の意図がないアニメはつまらない。


登場人物の過剰な人間臭さ。体臭や病気、疲労の表現、娯楽ではなく生きるために食べるのは宮崎駿との違い。
物語なのに、実際の人間社会のようにストレスフル。わかりあえない。だから、通じる一瞬が尊い。


勝馬に乗るマ・クベとシャア等の派閥争いなど、娯楽アニメに不必要なリアルさ。きれいではない人間性。
(ガンダム・ジ・オリジンでマ・クベがかっこよくなったのは安彦良和先生が会社勤めをしてないからか?雑誌の要請か?)


私は氷川先生に、「富野監督は虫プロを四年で退職した後、CM製作会社に勤めて実社会との接点を持ち、商業社会を見た事が影響してますか?」
と質問した。
師、応えて曰く
「ザンボットにオオタキというロボットが出ますから、オオタキプロに思い入れはあるでしょう。しかし、サラリーマン体験よりもやはり、監督自身の観察力でしょう。
監督の社会経験は、絶望に効く薬で語られた、日本大学執行部時代に、体制側の学生として政治家や財界人を接待して観察した経験の方が、他のアニメ作家にはない、特筆すべき点ではないでしょうか?」
安彦良和先生は、反体制側で、戦後生まれである。

そして、富野監督は作品を越えて社会に発信する。
これは次回の「富野の人間性」で書く。
帰りの電車の中で、作品作りについて箇条書きにしただけで、金曜日。
朝は弱い。