玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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戦争加害者遺族の立場からこの世界の片隅にを見た

 親が自殺しているので、感動するお話が苦手になってしまった。そういうわけで、たまこラブストーリーリズと青い鳥ヴァイオレット・エヴァーガーデンは質が高いことはわかっているが、心を揺り動かされると、うつ病患者として苦しくなるだろうと思って、見ていない。true tearsもそうですね。
 それと同じで、「この世界の片隅に」も見たら絶対気分が悪くなるだろうと思っていたので避けていた。僕が好きな富野監督がすごく褒めているのだが、それでも避けていた。
 もともと、親が自殺する前からこうの史代先生の原作漫画が凄いということは「夕凪の街 桜の国」も含めて、10年以上前から知ってはいた。オタクとしては読んでおくべき作品の一つだとは認識していた。
 なのだが、「ひとりぼっちの地球侵略」ですらエモすぎて読むのがしんどくなるうつ病患者なので、避けていたのだ。(ガンダムなど富野監督のアニメは人間がガンガン死ぬのだが、絵コンテにパワーがあるので逆に元気になる。Vガンダムですら)
 しかし、この度、「この世界の片隅に」が天下のNHKでノーカットノーCMの無料で放映される(普通にNHKの番組は好きなので受信料は払っている)ということで見た。
この世界の片隅に


 結果から言うと、不愉快になった。

  • 映画としての評価

 芸術点は高い。グロテスクになりがちな空襲の被害などを、絵描きであるすずさんのイメージシーンとして描くのはいまさら僕が言うほどでもない、創意工夫であった。
 戦争だけでなく、すずさんの描く絵はどれも生き生きとしているし、富野監督が褒めたように白波の兎が跳ねるところは萬画原作でありつつアニメーションの技法として素晴らしいものだった。



 また、絵柄も柔らかく、笑いもあり、戦時中が題材と言っても硬さを感じないのがいい。戦艦大和ですら、デッサンはかっちりしているが、塗は水彩で柔らかな風景の一部として仕上げている。
 で、あるが完全に漫画というわけではなくリアリティを持って描けていて、富野監督も褒めている。

 そして、僕のようにメカから戦争を見ていた人間が舌を巻いたワンカットが、『この世界の片隅に』にはあります。よく空襲のシーンを挙げる人がいますが、全然わかってない。「戦艦大和の正面からのワンカット」がそれです。ちゃんと意味が込められていて、それをワンカットに収めたのはすごいですね。あの大和に乗っている兵員の大きさ。それがもの凄くリアルに動いていて、軍艦上の日常がストーキング出来ているんです。
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 片渕須直監督は名探偵ホームズなどで宮﨑駿監督の元で働いていた人でもあるが、ジブリのアニメキャラクターに比べても圧倒的に人物のデッサンがふにゃふにゃで、5頭身くらいの萬画で関節もあんまり厳密ではない。そういう柔らかで、序盤はむしろファンタジーにも見えたような人物たちが、戦争が激化するに連れて笑いが少なくなって行く流れの構成も見事。


 風景も美しく描かれているのだが、ジブリ細田守新海誠の背景美術がどちらかと言うと厚塗りで、空の青さなどを強調しているのに比べると、「この世界の片隅に」は水彩画風で、彩度もやや落としている。これも時代のレトロさの表現かもしれないのだが、戦争被災などのハードなシーンもそこまで観客にストレスを感じさせないように調整しているような意図も感じられて、上手いと思った。



 絵を描くことが好きで上手なすずさんが絵をかけなくなると同時に、戦争で戦うという意識を持ってしまうところとか、少女時代のぼんやりしていたのんさんの演技が焼夷弾を消火するところや泣く所などで激しい音に変わっていく経過は構成としても演技プラントしても見事。


 経過としても、宇宙戦艦ヤマトではないが、原子爆弾終戦の日までが序盤からカウントダウンしていくのが何とも言えない不気味さと静かな恐怖を感じさせた。不気味で恐怖だけど、一日一日を生活した、という意味もある。


 あと、僕は男性なのですが、戦争でささくれた男たちがすずさんの柔らかな体を求めるのだが、すずさんはそういうスキンシップを嫌そうにしたり、拒絶したり、時に受け入れたりする女心が描かれていてよかったと思う。原作者が女性だからという感性なのだろう。(まあ、僕は男性なのでその線引きはよくわからないんですが)
 すずさんが終盤で同級生で巡洋艦青葉の乗組員だった水原哲に声をかけないで行き過ぎるのも、すずさんが「普通でなくなってしまった」とか「大人になってしまった」と言うような文学性というか時間経過を感じさせてくれて上手い。


 少年時代に化物の人さらいにさらわれた縁ですずを嫁にもらう北條周作はちょっとファンタジックな人物に見えたのだが、婚姻の動機がファンタジックでも、水原のことで迷ったりしつつも、きちんとした夫をやっていて好人物だと思えた。人気声優の細谷佳正さんと小野大輔さんの演技も、いつものエンターテイメント色の強いTVアニメとは違う落ち着いた正統派の演技プランで上手かった。


 そういう意味で、とても上質な映画だったのだが、戦争に対する価値観などはかなりフラットに作られているのだが。僕の心が歪んでいるので、「スッキリ泣いて感動した」とか言う大多数の観客とは違い、後半は眉間にしわを寄せて、人類全体に対する怒りを震わせてみていた。

  • 加害者の子孫として

 私の祖父は九州の金持ちの妾腹で生まれた陸軍中野学校卒業の憲兵であり、「この世界の片隅に」で悪役みたいに扱われる憲兵なのだが。祖父は「この世界の片隅に」の地元の見回りをする程度のものではなく、中国大陸や東南アジアでスパイ活動などをしていたらしく、戦争犯罪人であった。しかし、戦争犯罪を逃れて戸籍と名前を変えて戦後は公安を努めて、定年後は地元の子どもに剣道を教えるなどの典型的に右翼的な人物で細川内閣で叙勲されたほどのナガサキの名士だった。葬式では戦友会などから花輪がたくさん届き、憲兵時代の同僚という人が多く集まった。
(祖父が戸籍や名前を変えているということは、少年期の僕にとってはアイデンティティが定まらない一因になることであった。身分証明やルーツなどは簡単にもみ消せるものだという、根無し草のような感覚がある)
(また、祖父も父親も剣道がアイデンティティだったのだが、僕は小柄で運動神経も悪く、小児喘息で皮膚もアレルギーで弱く、胴着で皮膚炎を起こして剣道を続けられずに辞めてしまったことで、情けない孫として祖父から冷淡に扱われていたような気がする。)
 しかし、祖父は叙勲されたとしても、剣道少年に慕われていたとしても、家庭を鑑みれば、細かいことで偉そうにして私の母親が自殺するほど虐待する屑であった。(祖父が死んでから母親が自殺するまでには、18年位のタイムラグがあるのだが、遺書に書くほどなので、子どもであった僕に隠れて、よっぽどひどいことを祖父が母親にしていたようだ)なので、僕は家や親族というものに生理的嫌悪感を持っている。
 私は日本人、というより人類であることを不愉快に思う。
 祖父が戦争犯罪人憲兵だから軍人に反感を抱く、というよりはむしろ個人的に親を殺された恨みである。また、大日本帝国軍人の憲兵として規則を守らせたり、戦後は公安に勤めて国の秩序を云々する仕事をしていた人物であっても、子どもに武道を教えたりしても、哲学を持つ正義の人というわけではなく、気分で嫁を虐待する田舎者のゴミ人間だった。というわけで、僕は国家の秩序とか人間の規範意識にも反感を持っている。大和魂など糞食らえ、うんこ召し上がれである。
 また、そういう風に虐待されて精神的に不安定になった母親と、祖父の虐待を黙認して都合が悪くなると怒鳴って家を半日くらい空けて逃げてばかりいた父親のもとで育ったので、いわゆる機能不全家族であり、僕の精神の発達も歪んだし、実際(KLab株式会社で過労に追い込まれたのがトリガーだったのだが、)精神障害者保健福祉手帳2級になってしまっている。
 いわゆるネトウヨと言われる人は福祉に依存している弱い障害者を攻撃して、強い国家の日本の幻想に同一化しようとする傾向があるのをツイッターでよく見かける。だが、そういうネトウヨが崇拝する国家公務員の秩序に関わる公安や憲兵だった祖父が、家庭では遠くから嫁に来た私の母親を虐待し、僕の精神障害の一因になったということを肌身で感じている。なので、ネトウヨのように素直に脳天気に「国家の味方をしていれば多数派の自分は強くなった気持ちがしてハッピー」なんて思えないのだ。むしろ軽蔑するし、家父長主義的な祖父のせいで母と僕が歪まされた気もする。


 この映画を見た観客が、軍艦の手旗信号や当時の生活についてそれぞれの祖父母から話を聞いたり、祖父母から命を繋いでもらっていい気分になるとか歴史を感じるという感想をよく目にしたのだが。
 すずさんたちが一生懸命生きてくれたから、今の自分や今の日本の平和がある、みたいな意見もよく目にしたのだが。
 僕は心が歪んでいるので、生殖や生存本能を無条件に肯定できない。
 戦争犯罪を卑怯に逃れた癖に威張って母を自殺させた祖父にも憎しみがある。
 そして、戦争体験について祖父母と語り合える平和な家庭に育った人に対しても嫉妬と憎しみを感じる。


 しかし、祖父だけでなく、長崎の被爆二世で白血病を発症した義理の叔母(父の弟の嫁)が生きることに貪欲になって、祖父と祖母が死んだ時に葬式で派手に泣いて悲しむふりをしながら、ちゃっかり銀行口座を抑えて遺産を汚く僕から騙し取った。その遺産の数百万円は僕がもらえるはずだった分もあるのだが、それを取られたことで僕の大学進学が難しくなり、(まあ国立に受かったから何とかなったのだが)遺産を父の弟の嫁に取られたことで、それを責める母親と責任逃れをする父親の両親の喧嘩が頻発するようになり、大学に入っても僕は精神が不安定で学業がうまく行かなくなった。そして、母親は自殺した。
(ちなみに、僕はオタクなので金は騙し取られたのだが、戦後の憲兵の戦友会の会報や甘粕正彦の遺書などが記載されいる憲兵会だけで流通していた書籍などを資料として持ち帰った)


 そもそも、父方の祖父の先妻が原子爆弾で死んでしまったので、後妻に入った祖母から僕の父親が生まれ、先妻の子供であった腹違いの兄との軋轢もあった。祖父が戦争犯罪で吊るされるか原爆さえなければ、僕は生まれずに済んだのだ。僕はゴジラなのだ。ゴジラまで行かなくても、ブレンパワードの伊佐未勇のような気持ちはある。


 この世界の片隅にを見て、祖父母の世代からの命の流れを実感して、自己肯定感を高められるような、健全な家庭環境では育っていない。むしろ、戦争に起因する家庭の歪みは現代まで続いていると思う。


 父方の親戚が戦争で人生が狂って、それが僕の代まで続いている、という話を書いたが、母方も狂っている。


 母方の祖母も地方の金持ちの妾腹で私の母親を産んだ。母方の祖母は私の母親をつれて他の高齢の男の後妻に入って再婚した。幼少期の私は後妻相手のおじいさんのことを本当の祖父だと思っていた。しかし、その義理の祖父が割りと長生きした割に死んだあと、母親の義理の兄(私の義理の伯父)が事業に失敗して自殺した。それで、私の祖母はその家では血縁者を失ったので、その家の女主人になった義理の伯父の妻から家を追い出されて、私の家にきた。
 それで半分ボケているくせに偉そうな母方の祖母の介護を私の母親がすることになり、また僕も自動車免許を取るために溜めていたバイト代を家のバリアフリー工事のために取られてしまい、学習性無力感にかかった。
 母親は後妻業をするような祖母を憎んでいたが、祖母は祖母で家を追い出されたくせに、私の家のなかで居場所を見つけようと偉そうにして、母親が自殺するまで毎日、祖母と母親が口論していた。それを父親は無視してテレビにかじりついていた。


 母親が自殺すると、その御蔭で介護等級の点数が上がった祖母は特別養護老人ホームに優先的に入居できるようになった。祖母と僕が同居していたら僕のストレスが破裂しそうだったので、それはいいんだが、娘が自殺したから老人ホームに入れるなんて、行政は狂っていると思った。そして、祖母は母親が自殺したのではなく事故だと父親に聞かされたことを信じて、後妻相手の軍人恩給を財源にして老人ホームで左うちわの生活をしている。自分がやったわけではない戦争の恩給で、祖母はのうのうと余生を楽しんでいる。生きることとは全く醜いものだと思う。


 そういう親戚の軋轢が「この世界の片隅に」では黒村径子に象徴されるように描かれていて、リアリティがあるけど、嫌だなあって思った。また、私の母親も舅や姑にいびられながら介護をして、ストレスが溜まっていて、僕に対しては黒村径子のようにキツく当たるような母親だったので、自分の幼少期を思い出して、そこも不愉快だった。


 父親の弟も公安関係者なのだが、その娘(従妹)が結婚して、その嫁入り先の親戚と折り合いが悪いという話を聞けば、人間の憎しみ合いの再生産は僕らの代になっても続いていると思う。結局人間は助け合うことなどは出来ず、自分の生存戦略で騙したり利用し合うだけの生き物なのだろうか。


 そういうわけで「この世界の片隅に、ではどんな状況でもたくましく生きる人間を描いている」という感想を目にすると、そういう逞しく生きてきた親戚の生存競争のお陰で母親が自殺して俺が精神障害になった現状を踏まえて、非常に憎しみを覚える。戦争はまだ終わっていないのだ。


 「現在の平和はすずさんたちが苦労してくれたおかげでできている」と言うような脳天気な感想もネットで見えるが、「この世界の片隅に」に韓国の作画スタジオが参加している現実があるにも関わらず、やはりネトウヨ界隈では「韓国人は異常」「中国人は戦争を望んでいる」「考え方の違う異民族とは話し合う余地がない」みたいなことを市井の一般人が言っている。現在も全然平和とは程遠い。
 むしろ、昔の人が苦労して戦争したことに全く学ばず、自分の下らないうっぷんを晴らすために憎しみ合いを増幅しなおしていくし、それを選挙に利用する政治家が出てくるのが今の世の中だ。資源も意地汚く奪い合うし。
 すずさんが泣いて暴力が云々と言っているが、それから70年以上たっても、地球人類の政治は暴力と差別と搾取でなりたっている。
 僕は右翼的な祖父や、女であることを利用して生き延びた祖母を見ているし、自分が日本人であるという意識が希薄だ。血族も嫌いだ。僕はただ一匹の思考生命体にすぎない。と、思いたい。


 私としては、人類であることを不愉快に思うばかりだ。
 シドニアの騎士のラスボスの落合や機動戦士ガンダムF91の鉄仮面のように、人類はただ糞尿を垂れ流し資源を浪費するゴミだ、という思想を持っている。自分も屑なので希死念慮が強く、精神障害で日常生活に支障をきたす痛みの発作を起こすくらい壊れている。たまたまガンダムのオタクとして文章を読者に期待される様になったので、それで自分の自殺を延期しているというか、自分にも価値があると意地汚くごまかしている。これはやまゆり園の植松聖や「一人で死ね」にも通じる思想なのだが、僕はそういうことは他人様には押し付ける気はないけど、自分が無価値だと思ったら自殺すべきだと思っている。だから、こういうブログで読者を獲得して自分にも価値があると錯覚したがるのも、結局意地汚い生存本能にすぎないのかもしれない。
 だが、一人で死ぬにしても恨みが強すぎる。しかし、誰それを拡大自殺に巻き込んだところで世の中が良くなるとも思えない。むしろ、非正規雇用の拡大で私腹を肥やし、氷河期世代を追い詰めて経済を停滞させて少子化を深刻化させて、人を殺すのではなく日本人が生まれにくくした小泉自民党竹中平蔵の方が一周回って正しいのではないかとすら思えてきた。竹中平蔵の非正規雇用推進で僕も何度か職を失ったり過労に追い込まれたりしたのだが、マクロで見れば地球人口を減らすべき。
 高齢化が問題だと言うが、それは結局意地汚く逞しく生きてきた老人たちが子孫のために潔く腹を切る度胸がないだけの話だろう。死にたくないという気持ちが、あらゆる争いを引き起こす。

  • 人類全体に対する怒り

 第二次世界大戦は世界的な帝国主義末期に領土拡大による資源獲得競争として勃発した面がある。(他にも金融の問題もあるが、そこは僕の専門ではないし難しい)
 なぜ、資源を獲得しようとしたのか。
 それは文明が発達して人類の使用コストが高まり、また人口が増えたために飢えたためであろうと思う。しかし、田舎で飢えている女子供のために軍人たちが戦争を起こす気持ちはわからなくもないが、飢えている自国の国民を救うために他の国の国民を殺すのは結局ゼロサムゲームなのでどっちでもいいんじゃないか?とか思ってしまう。
 むしろ、戦争をせず、潔く自死すれば、無駄に鉄や石油を浪費することもなかったとさえ思う。これは危険思想なのだが。

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富野: 間違いなくそうだと思います。戦時下で窮乏生活が始まってきたなかでの、女性たちの意見のあり方というのは、かなり今で言えば「右翼的・国家的」です。僕の祖母も「大日本婦人会」の襷をかけた写真が何枚も残っています。そういうものを見ていた時に「ああ、彼女たちも自信を持って協力をしている」という姿が窺えます。それは軽薄なのか、という話に関していえば、そうだとは思えないのです。先ほどソ連の女性兵士のこともお話ししましたが、その本の中で女性兵士のほとんどが徴兵ではなく志願兵だったことが明らかにされています。そのくらい、ファシストに対して戦わなければ、ソビエトという国が滅んでしまう、という思いで必死になっていた。国を守るという意思に本当に燃えていたんです。なぜそう思えるようになったのだろうか、という問題はあります。その問題とは、すずさんが生まれ育ったあの時期というのが、第一次世界大戦後の軍縮というものがありながら、軍縮で協定を結んだために、呉で軍艦が作られることがなくなった時代なので、失業者が増えたんです。


呉で産業がなくなってしまったら、皆が失業し、食えなくなってしまうだろう、というのはひょっとすると戦争をやる以上に酷いことなのかも知れない――そういう民意もあるわけです。その民意を非難できるか? と言えば、できません。だから本来はその前の時点から、そんな民間人が出てこないような、政治・経済の成り立ちをしなければならない。ものすごく簡単に言えばそういうことなのですが、第一次大戦から第二次大戦の合間の時期に、それができたのか? ということに関していえば、かなり難しかったのかも知れないとは思います。経済論の観点からすれば、日本はアメリカと戦争をするというところまで踏み切らざるを得なかったのかな、という国際情勢論もあるかも知れません。

 そういう風に、それぞれの国の国民が生き抜きたいと思うことがマクロで見ればクソみたいな戦争で資源を浪費するし、僕の時代まで国家間でも、個人的な家族レベルでも遺恨を残す原因になったのではないかと思う。
 なぜ、そこまでして人間は生きようとするのか、しかも、戦後は紛争を多発させつつ、また人口を増やしている。そのうえ、個人レベルでもレアメタルの塊のスマホを使って、資源コストを圧迫している。

『この世界の片隅に』は宝――「実写以上に」戦時中の日常を描ききっている! 富野監督が片渕監督に伝えたかった言葉とは?【前編】 | ダ・ヴィンチニュース

 我々の理解力というのはかなり酷いところにあるんですよ。すずさんがソ連の女性狙撃兵と同じメンタリティーを持って、呉の町で戦後まで戦っていた。戦っていたから、最後に喚くワンカット――彼女はうつむいているにもかかわらず、なんとカメラは下から見上げるカットになっている――があるのです。それは、女性兵士が戦後に評価されないという悔しさと全く同じなんです。それは反戦以前の問題なんです。こういう状況に男たちは、おんな子どもも放り込んで、それでも「戦争が正義だ」と平気で言える。そういう男の論理とは一体なんなんだろう。そういうことを『この世界の片隅に』という映画は伝えているんですよ。


 「悲惨なシーンを見せること」あるいは「反戦だ! 権力が、ファシストが、ナチスが悪い!」と一杯主張するのが反戦映画・反戦なのか? そうではないんだということをこの映画は教えてくれています。

 富野監督が言うように、戦争状態に女子どもを放り込んだ戦争にとても腹が立った。この映画では残飯を恵んでくれる進駐軍以外にはアメリカ人は描かれないのだが、結局それも戦後の覇権のためだろう。
 いろいろな連合国の国家間のやり取りはあるにせよ、アメリカが戦後に極東に影響力を及ぼすために民間人にまで銃撃したり、卑怯な時限爆弾を使ったり焼夷弾を落とし、挙句の果てに実験のために原子爆弾を投下するアメリカ人に非常に腹が立った。映画の後半はそういう怒りでいっぱいであった。
 しかも、アメリカ合衆国はヨーロッパを追い出されたクズどもがネイティブアメリカンを虐殺し、資源を奪い、森林を破壊して発展したゴミのようなならず者の国家だ。それが軍事力やディズニーなどの文化が強いから正義だ、みたいな面をしているのは反吐が出る。
 生き延びるために戦争をするのも悪なのだが、覇権と経済発展のために民間人を虐殺するのはそれ以上に吐き気を催す邪悪であった。しかし、日本も重慶を爆撃した。どっちもどっちであり、「民間地域に軍事工場があるから爆撃するのは正しい」と日本もアメリカも言っている。どちらも唾棄すべきクソである。その日本の半世紀以上前の戦争行為を今でも外交カードとして使っている中国も朝鮮もクソであり、クソのアメリカに未だに支配されている日本もクソであり、暗殺ばかりするロシアももちろんクソだし、内戦に明け暮れる諸地域もクソだし、つまり人間はどの民族であるかに関わりなくクソなのである。


 正しい歴史がどうこうと言って韓国の慰安婦問題を批判するネトウヨも、それをネタにする表現の不自由展もクソだし、そもそもそういう歴史を未だに情報戦として世論操作に利用する言論人は日本人も外国人も総じてクソだ。


 クソみたいな理屈で女子どもを殺し合いに巻き込む、何の誇りもプライドも倫理観もないクソなのだ。
 「この世界の片隅に」のラストで意地汚く生き延びるために技術的資料を燃やす男たちもやはりクソだ。僕の祖父もそうやって戸籍を偽造したのだろう。俺はクソから生まれたクソ太郎だ。


 そういうわけで、個人的な家庭や僕の生育履歴の意味合いでも、地球人類に対する感情としても、「この世界の片隅に」を見ると人間全体に対する憎悪が増幅されて、非常に不愉快になった。



 芸術点は高い映画であることはわかるのだが、何でこんなに不愉快になる映画が大ヒットしたのか、イマイチわからない。(僕と違って過去の祖父母を肯定できる人が多いのだろうか?)
 しかし、同時期の映画でも、人間がクソであることから目を背けてファンタジックな架空の救いに耽溺する「君の名は。」や「シン・ゴジラ」がありながら、人間がクソであることを(優しさも含めながら)描いた「この世界の片隅に」が、それらのファンタジックな救いの映画に負けないでヒットしたことは、作品の力なのか、観客の倫理観なのか、心が歪みきった僕には測りかねるところがあります。


 しかし、人類は本当に許せないなあ。僕はどういう末路をたどるべきなのか・・・。


 どんな状況でも生きていくしか無い、という意見もわかるのだが、それを免罪符にして誇りや倫理観を捨てて生存本能を主張する人類には吐き気を催す。


  • まとめ

 色々と愚痴っぽく書いたけど、戦争で受けた心の歪みは世代を重ねても継承され、僕の代でも僕の精神疾患という現実につながっているということはわかってほしい。だから戦争なんかするべきではないし、黙って潔く腹を切るか首をくくるべきだと思う。生殖はやめるべき。石油や鉱物は有限なのだから。雑なセックスで生まれる人命より資源のほうが大事だ。
 健全にみんなが生きられる社会というものは、僕は想像できない。健常者はすぐに弱者や他民族を差別するし。
 結局、科学技術が先に進歩しても、人間は石器時代から脳もメンタリティも進歩していないのかもしれない。悲しいことだ。不愉快なことだ。
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福


しかし、この映画と萬画が名作であることには変わりがないので、冬にリニューアル版が上映されるまでに原作を読んでおきたい気持ちもあるし、やっぱりしんどくなるのかなあという気持ちがある。
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 僕も意地汚く生き延びようとする屑なんだよ・・・。


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