玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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インターネットで劇場版 Gのレコンギスタを見て覚醒しよう! #Gレコ

 この記事は、昨日「宇崎ちゃん献血ポスター騒動」で炎上させてアクセスを稼ごうとした割に一塁打くらいで終わった、前回の雑語り記事の後半のGレコの話題をシングル・カットしたものです。(その割に8千文字ある)

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  • 女子供に対して世直しを行わんとするGのレコンギスタ富野由悠季監督の行動はあまりに高邁すぎるのではないか(市井の意見も参考にして)

 まあ、妖怪としての僕は割りと人間に対してはどうでもいいんだが。(もちろん憎悪はある)自分が死ぬまでにアニメやゲームで楽しませてくれたらいいと思っている。子孫は持つつもりはないので未来もどうでもいい。(まあ、自分の子孫の利害を未来に対するモチベーションにするのも利己的で傲慢と見ることもできるのだが)
 僕はそういう邪悪な存在ですが、僕をアニメで楽しませてくれている富野由悠季監督は「アニメで世直しをしたい」と言っている。僕はこの爺さんは狂ってると思った。

www.gundam.info

それと僕は作品を通して世直しをしたい。でも世直しの方法論を示すことはできないんです。だから未来に起こる問題をテーマにしている。宇宙エレベータの技術的な問題やフォトン・バッテリーで表しているエネルギー問題を、そこでやっている劇を通して問題提起しています。それを観た子供たちが30年後、50年後に答えを出してくれるかもしれないと期待しています。今日改めてこの作品を観てもあまり上手じゃない、一般的に伝わるように作られてないと反省はしています。でももしこれを見て、5、6人でも伝わる人がいるならば『Gのレコンギスタ』という作品は50年持つと思います。そのうぬぼれがないと作品を作れない。その自負心を持ってやっています。

 また監督がめんどくさいことを言いだしたな…。と思うのだが、監督のことは好きなので意見は違っても応援したい。(これも感情的バイアスか?)富野監督のアニメからは楽しみと元気をもらった恩がある。具体的には大学で不登校になったときに、大学の視聴覚室で放課後に1話ガンダムや富野作品を見ることを報酬として、イヤイヤながら大学を卒業できた。(京都精華大学の図書館にだいたい富野作品が揃ってたので)
 あと、妖怪なので人類を滅ぼしたいという衝動はあるんですが、富野作品を批評するブログをしているうちに人間の読者や知己を得たり、人間からほしいものリストからものをプレゼントしてもらうようなポジションになってしまい、迂闊に大量殺人者になってしまうとそれを捨てなくてはいけないので、我慢している。犯罪抑制にもガンダムは役に立っている。


ルネ・デカルトの「方法序説」は富野由悠季監督がGのレコンギスタの放送後のNHKカルチャースクール青山教室講演会で勧めていた本だったので、昨日から読み始めた。うん。富野監督が紹介した3年前に購入していたんだけど、聖書やニコマコス倫理学を先に読んでいたり、病気で倒れたりソシャゲ中毒になったりしていたので今まで読んでなくてすみません…。

togetter.com

わけのわからない神様から戴いている王権よりも自然法があるのでは、というのが社会契約説。ひどい要約をしたが統治二論はそういう内容、統治論が書いていない。「個人の権利を認めましょうよ」ということが書いてある。ストレートに言うと処刑される。


で、『ものごとは広く考えなければならない。第三者が人を説得する方法はない』と書いてあるのがこの本。もうちょっと巧妙に物事を考える、統治、政治のやり方を書いた本はないか。読んだけど困っちゃった。アイーダさんを成長させられる要素、言葉がない!ということでもう一冊読んだ。


これも50年本棚にカッコいいだろうと飾っていた岩波の「方法(論)序説」、フランスのルネ・デカルトRené Descartesが著した。昔の本は序が叙と書いてあるのもある。ものごとの考え方が書いてあると思いきや…読んだ人いる?今の新訳は読み易い。翻訳によって本の正体は変わる。
方法序説 (ちくま学芸文庫)


当時はラテン語で論文を書かないといけないがフランス語、広く読んでもらいたいから。書いてあるのは屈折光学(スペクトル)や幾何学、解剖学といった当時の先進的知識の紹介。6章から成り、その6章・天文学について宇宙の運行を「神がこうしている」と書いてみせている。


「これ以上のことを書きたいんだけどね!」って。原文でも惑星や恒星っていう言葉まで使っている。既に違いが分かっている。ガリレオ・ガリレイが「異端審問」にかけられて終身刑の判決がでたので、デカルトは「私は死刑になりたくない!これ以上書くのをやめる!」と書いている。


何よこれ・・・(笑)方法や考え方、書いてない。「死刑になりたくないから」って。こんな言い方ちゃんと勉強した哲学者はしない。僕だから(笑)我思う、ゆえに我在りってちゃんと書いてある本です。本全体の印象から評価しなくちゃいけない。Gレコやアイーダと関係あるの?ほとんどありません。


ものの考え方として、旧来の「ガンダム的なこと」はロックやデカルトにとっての既存宗教的考え方と同じような力を持ったものと捉えると、脱ガンダムの考え方をしないと既成事実、我々の思い込んだ考え方は突破できないのでは


アイーダにどういうことをさせると、女王になり得るための言葉遣い考えていかないといけない。けれどそう考えさせてくれるというのがとても素敵なことなのではないか。視聴対象が大人だったら読まなかった本である。今の流行り言葉や大人の理屈で喋ってはダメなのでは。「確実な知見」が必要


100年以上堪え抜いた知見の方が確実なのでは。表面的内容ではなく300年評価され生き抜いた意味を考える。考えていかなくてはいけないのは「我」、我思うゆえに我在り。突きつけられている。こういう演題でこういう話になるのが、トミノトミノである所以かもしれない。


皆さんに読んでいる暇がないのは理解している。年上の任務とはこういうことをやることではないかとも思う。子供たちを相手にしようとすれば現役でいられるかもという、錯覚できる。個性かもしれないがただのクセかもしれない。エゴかも。自分を中心にして考えるのは絶対やめないといけないのではないか


デカルトがある偉いお坊さんに天体の話をしたら、そのお坊さんは他所で全然違うことを人に言っていたらしい。デカルトは「もう他人に絶対しゃべらない」と決めた。外界との関係身につまされているのがロック、デカルト


日本では「哲学書」になっている。アニメ屋の読むものでないとされていたが、くだらないものか?いやそうではない。論調や存在としての意味があるとわかった。作らなきゃいけない作品は自分の好きだけでやってはいけない。甘くない。これが僕の「個性」これでやるしかないと…一応演題に辿り着けた。

 まあ、そういうふうに富野監督が言っていたので、まあ読んでみるかと買ってみたのだが。デカルト方法序説で「理性は万人に等しく賦与されている」と書いていて、僕のような人類悪から見ると楽観的過ぎないかと思うのだが。
 どうも、富野監督が「未来の子どもに世直しの種を撒きたい」と言うのと、デカルトの人類に対する楽観的思考は共通しているのかもしれない。
 また、富野監督は自分の作品を見た未来の子どもたちに、デカルトは自分の本を読んだ一般の人に対して期待を持っているが、同時に富野監督は現代文明やガンダムを取り巻く状況に絶望しているし、デカルトも当時のキリスト教権威主義で異端審問される世の中や古い学問に固執するラテン語しか認めない学閥に絶望していた。


 未来に希望する、同時に現在に絶望しているというのが富野監督とデカルトの共通点である。


 僕は未来なんかどうなってもいいと思っている。


 引用を許してもらうと、ちくま文庫方法序説第111P。

 私の意見の論拠をよく考慮していただけるなら、それがたいそう単純で常識にかなっていることが分かり、同じ問題について持ちうる他のどんな意見よりも、異常であったり奇妙であったりすることが少ないと思われるだろう、と確信しているからである。
(中略)
その意見を私が受け入れたのは、他の人によって言われたからでも、言われなかったからでもなく、ただ理性が私に説得したから、ということを誇っているのである。
(中略)
 また私が、私の先生たちの言葉であるラテン語でなく、私の国の言葉であるフランス語で書くのは、まったく純粋で持ち前の理性しか使わない人の方が、昔の書物しか信用しない人よりも、私の意見をよりよく判断してくれることを期待しているからである。


 ※脚注 215 学者や教師の偏見に染まらずに、だれもが生まれつき持ち前の理性ないし良識を純粋に育て、よく導いて正しく使用するならば、人はおのずから真理に達するという確信がデカルトにはある。

 富野監督がGのレコンギスタに込めた願いもそういうことだろう。


 しかし、それは結局オタクになってグッズ商売に成り下がったガンダム世代に裏切られたのに、機動戦士ガンダム劇場版で「あなた方の未来の洞察力に期待します」と書いて、その当時は大ヒットとして向かえられた経験を富野監督が忘れられず、繰り返したいと思っているだけなのでは?と、意地悪なファンの僕は邪推してします。


 富野監督は果たしてGのレコンギスタの劇場版で未来に世直しの種を撒くことに成功するのだろうか?富野監督のことは好きなので、それが叶うことを僕は願っているけど、同時に僕は人類が嫌いだし、Vガンダム∀ガンダムで薫陶を受けた世代なのに駄目な精神障害者の大人になってしまって富野監督の期待に添えなかったので、Gレコも成功するかどうかわからないと思っている。

  • ここで登場人物が増える

 と、前項で述べたような話を自律神経に効く鍼灸院の先生に針を打ってもらいながら話したのだが。
(鍼治療がうつ病に効くかどうかは、鍼治療をしていない場合の僕と比較していないのでよくわからんが、まあ引きこもりとしては週に1回は精神科医か鍼の先生に愚痴を言うことくらいしか会話の機会がないのだ)
 また、その鍼の先生も僕がガンダムのオタクだからか、先日のマツコ・デラックスが富野監督に会いに行った夜の巷を徘徊するを見てくれて、その話もした。


 その鍼の先生は元々は編集者で脱サラして鍼治療に転校したという人で、まあ、人生経験が豊富な人なので話をしていて楽しい。(もちろん意見の違いはあるが、そこはお互い大人なので察する)
 

 で、鍼の先生は編集者という経歴からか、いろんな患者と話を合わすためかテレビやユーチューブのメディアにアンテナを張っている。
 それで仰るには、YouTuberのヒカキンがテレビに出たときの子供と大人の反応の違いがあったそうな。
 子どもは反射神経で生きているので、ヒカキンが顔芸と声色で強調して、くだらない馬鹿げた一発芸をするとゲラゲラ笑うが、大人はヒカキンの何が面白いかわからないというリアクションをした、という番組があったらしい。
 僕はヒカキンもくだらないが、笑い女を用いるような地上波テレビ番組もくだらないというか、小学生レベルの知性だと思っている。


 でも、資本主義社会では、そういうくだらないヒカキンとかYouTuberが再生数や広告クリック数につながって金儲けの手段に成れば、それを推奨する。ガンダムもくだらないグッズとか金儲けのコンテンツになってバンダイナムコホールディングスの金づるになっている。
 テレビで一億総白痴と言われた時代から半世紀、YouTubeで子どもたちはもっと馬鹿になっていっているし、Twitterを使ってお気持ち表明するフェミニストも、Instagram映えを追求して危険行為をするタレントも、思考ではなく反射神経で馬鹿馬鹿しい行為をしている。


 富野監督やデカルトは人に内包されている理性を正しく育てれば皆、真理に達するしニュータイプというか誤解なく理解できる人になれるという期待感を持っている。


 だが、現実は激辛カレーを同僚の目に塗っていじめて笑う教師を真似していじめをする小学生という、知性が殆ど無いような人間にあふれている。これでは、人に品性を求めるなど絶望的だ。
 そういう訳でGのレコンギスタを見て思考を巡らせることができる子どもが本当に発生するのか?という懸念は僕もある。
 また、そのように高邁な理想を掲げている富野監督は、バンダイナムコからは単純にカッコイイ(機能性は関係ない)ガンプラを売っていくコンテンツを作った人で、創始者だから排除できないが目の上のたんこぶのような爺だと思われているのかもしれない。それで、Gのレコンギスタの広報や宣伝は貧弱で、前売り券も売られてないし、上映館も少ないし、作品として会社から期待されていない。ガンダム世代の大人のオトナ帝国的なノスタルジーとオタクの収集欲を刺激するガンプラブランドだけあれば良くて、思想性を云々する原作者などは邪魔者扱いされているのかもしれない。
 鍼の先生も「サンライズのプロデューサーが二人、マツコ・デラックスの番組に出てたけど、全然仕事ができなさそう。新作を宣伝しようとしてない。チャンスを活かそうとしてない。むしろ富野監督だけががんばって表に立っていて、そこがプロデューサーに恵まれてカリスマとして偉ぶっていられる宮﨑駿との違い。富野監督とサンライズのスタッフの間にも溝を感じた」とおっしゃってる。
 特にオタクでもない一般人の鍼の先生から見ても、サンライズのプロデューサーや制作スタッフは仕事ができなさそうだと言われている。それでいいのか、サンライズ!(まあ、有能な人間はアニメ業界なんかには入らんか・・・。シリコンバレーとかに行くか)



 ただ、富野監督は数万人が見たであろうテレビのGのレコンギスタの劇場版もおそらく数千人が見るであろうが、その中で5,6人に伝われば上出来、と言っている。監督自身も現状が厳しくて正しく理解できる人は十人にも満たないだろうと自戒している。デカルトも正しく導けば真理に達すると願いながら、異端審問が怖くて筆を折った。
 人の目覚めは遠い…。



 とりあえず、視聴機会を増やすことが僕にできるせめてもの応援です。

mantan-web.jp
 アニメ「ガンダム Gのレコンギスタ」の劇場版の第1部「行け!コア・ファイター」が、劇場公開される11月29日にAmazonプライム・ビデオほかでも有料配信されることが分かった。デジタルセル配信のHD版が2530円、SD版が1980円で、レンタル配信は1100円。

www.g-reco.net
VOD

  • 配信情報

2019年11月29日(金)正午より有料配信開始!

  • デジタルセル配信(EST※1配信)

価格:[HD] 2,530円(税込)/[SD] 1,980円(税込)

Prime Video(レンタル・購入対象)

TSUTAYA TV

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(順不同)

  • レンタル配信(TVOD※2配信)

価格:1,100円(税込)

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※1 EST(Electronic Sell Through):視聴期間・視聴回数に制限のない購入型配信サービス
※2 TVOD(Transactional Video on Demand):視聴期限のあるレンタル型配信サービス
※販売開始日程・配信期間・配信価格は配信サービスによって異なる場合があります。詳しくは取扱いの配信サービスにてご確認ください。

 映画館は全国に23館しかないけど、インターネットの力で見てくれーーーっ!頼むーーーーっ!!!
一人二人にでも伝わればいい!(ドバ総司令)


 というわけで、どんな時事ネタもGレコの宣伝につなげる僕ちゃんなのであった。お後がよろしいようで。

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