玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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 #Gレコ カーヒル大尉はかっこいいんだぞ!3人の恋愛

 まあ、俺も悪いんだけどさ…。Gレコ劇場版第一作「行け!コア・ファイター」の感想で「カーヒル大尉は乱暴者」とか「カーヒルは上司の娘に手を出すのでクズ」とか言われてて、嫌だなーって思っていた。でも僕は10月からクリスマス頃まで風邪を引いていたのでGのレコンギスタ劇場版の記事を書けてなかった。一番盛り上げるべき12月に死んでいてすみません。
 そして元日にはG40の雑な記事を書いたら伸びた。嫌だねえ。
 最近は京アニを侮辱した門川大作市長を選挙で下ろしたいので政治の記事が増えたけど、このブログの本来の目的はレコンギスタである!


 そういうわけで、やっとこさGレコの映画の各論を書いていくけど、なんか知らんけど風邪は治ったけど過眠症で眠くてたまらないので雑に書く。1ヶ月ぶりくらいに配信で見た。
 Zガンダムの映画は各回10回見たので、今回は20回見たいけど、まだ6回しか見てないので記事を書くごとに見ていきたい。
 追加上映は時間的に無理なので透明ランナーで3600円課金しておいた。

  • カーヒル大尉はいい男なんだ。

 そもそもみんなカーヒル大尉は駄目って言うけど、カーヒル大尉の出番って序盤のG-セルフ拿捕と殺されるときだけなので、負け気味のシーンしかみんな見てないじゃん。でもさー、Gレコってクンパ大佐とかキア・ムベッキ隊長とか、見た印象では悪く見えるけどよくよく考えたら彼らなりに理想とか正義とかあるわけじゃん。
 だから描かれたシーンだけでカーヒル大尉は駄目な男って言うの、Gレコらしくないと思う!



 と言うか、TV版のGの閃光のエンディングでカーヒル大尉とデレンセン教官がベルリを連行するけど、そこの絵コンテで富野監督は「過去があるから現在があって、過去を引き継いでいく」みたいなことを書いてるわけで。ベルリにとって大事な殺人なわけですよ。
 また、アイーダさんが良き女王になる話だとすると、恋人がダメ人間だとアイーダンの格が下がってしまうので構造的にカーヒル大尉がダメ人間だと困るだろ!
HG 1/144 グリモア (ガンダムGのレコンギスタ)


 メガファウナの人がカーヒル大尉の戦死の話をしないのは人徳がないからっていう意見もあるけど、部下としては姫様が悲しんでるのにカーヒル大尉の死ぬ話をするのはマナーが違反とかしゃしゃり出てる感じだから辞めておこうという感じでは?
 あと、あきまんの証言ではクリム・ニックはカーヒル大尉が死んだら自分が一番矢面に立つべき騎士になってしまって死ぬ確率が高くなるのでベルリやラライヤを必死に利用しようとしているとのこと。なので、天才のクリム・ニックもカーヒル大尉を認めてる。G-セルフを初めて見たときのクリム・ニックとカーヒル大尉の会話も、クリム・ニックはカーヒルの実力を認めている感じだった。カーヒルは大人だけど大統領の息子と総監の娘には敬語なのでわきまえている。礼儀正しい。


 また、アメリア軍でのカーヒル大尉の地位だが、カーヒル大尉が死んだ後も劇場版Iの終盤(5話、6話序盤)でもカーヒル大尉の立案したキャピタル・タワー占領作戦のためにメガファウナは動くという方針は継続されている。なのでカーヒル大尉は戦略家としても大統領やグシオン総監の信頼をえているし、死んだ後もメガファウナはその作戦を継続している。(8話でウィルミット長官をメガファウナに乗せて、キャピタル・タワーを強引に占拠しなくても話し合いができたり、キャピタル・アーミィが守りに入ったので強襲は無理という情勢の変化があって、タワー占領作戦をアイーダは辞める。でも、クリム・ニックザンクト・ポルトを占領したつもりになっていた)
 2話相当のカーヒル大尉がキャピタル・テリトリィを強襲する作戦でもジョバンニ以外にも複数のグリモアやフライスコップなどがいたので、カーヒル大尉だけが突出したわけではなく、同調者はいる。(ジョバンニのグリモアがどうやって撤収したのかは描かれてないので謎だが)
 なので、カーヒル大尉が海賊部隊では浮いていたと言うのはおかしい。


 また、タワーからのバッテリー泥棒という海賊部隊の基本的な作戦の指揮もカーヒル大尉がやっている。それについて、アイーダさんはデレンセンたちに捕まって泣きながらも「時間的にカーヒルがバッテリーを回収した頃」と、カーヒルの作戦の成功は信頼しているので、腕もやっぱり確かなのだと思う。
 それに、アイーダを奪還しに来たのはカーヒルだって、カーヒルのことを見てないのにアイーダは直感的に思って嬉しくなるので、そういう信頼感もある。


 もちろん、カーヒル大尉が完璧な人物というわけではない。そもそもアメリア帝国の宇宙に対する認識もカーヒル大尉だけでなく、大統領や総監も「トワサンガになにかあるらしい」「キャピタル・タワーを宇宙基地にできると思う」というレベルで、あまり宇宙の真相をわかっていなかった。だから、金星まで行ったアイーダにとって、徐々にカーヒル大尉は過去の人になっていくのだが。(これはベルリにとってのデレンセン大尉も同じ)


 主人公が成長するにつれて、大きく思えた大人が小さかったと思うようになるのは成長譚としての要素だ。が、最初からダメなやつに恋をしていたというのは違うと思うなあ。


 上司の娘に手を出すのはダメ、という21世紀人の感覚だけで考えるのは超未来の時代劇のGレコでは違うと思うなあ。
 また、キャピタル・ガード候補生が女子生徒にモテたり、チアメンバーやラライヤに触りたがったり、性欲を出すのが禁じられているような文化でもないようだ。(ノレドさんは好きなベルリくんに尻を触られて振り払うが)
 西暦21世紀とはリギルドセンチュリーは性欲とか倫理観が違っているのだろう。

 そもそも、もうネタバレしてもいいと思うから書くけど、アイーダにとってカーヒルの美点は、ベルリにまくし立てた「熱血漢で優しくてアメリアを引っ張っていける優れた大人」というだけではない。劇場版で付け足されたアイーダのカーヒルへの評は「私の欠点を一番わかってくれている人」ですよ。
 これは、アイーダの女友達のステアへの評とも同じ。

Q.17 黒咲瑠璃さんからアイーダへの質問 Q.第5話でメガファウナアイーダが操縦士のステアと身を寄せ合うシーンがありましたが、あの時はどういう心境で、ステアはアイーダをどう思っていたのでしょうか。あのシーンは印象的だったのでとても気になります。
アイーダ「ステアは私以上に私の事を分かってくれる人です。だからあの時は、彼女の肩を借りたのです」
char-blog.hatenadiary.org

 アイーダさんはお姫様なのであんまり弱みを見せられない立場。だけど、欠点をわかってくれてたしなめてくれる人が自分を成長させてくれると思うし、安心や恋心を抱く。
 だから、アイーダさんがカーヒル大尉のアメリア帝国覇権主義の思想に心酔して、それで好きになったというわけではない。アイーダにとってカーヒルは王室の家庭教師兼、騎士団長のようなものだったと思われ。
 単にイケメンだったからとか強いからではなく、アイーダの欠点をわかってくれる懐が広くて優しく欠点も受け入れて、その上で成長させてくれる優れた大人だから、アイーダさんはカーヒル大尉を好きになったんだと思う。
 海賊船に父の反対を押し切って乗っている姫様なので、身分の違いからともすれば孤立しがちだし、利用されたりしがちだと思う。カーヒルはそんなアイーダ姫様の欠点をわかってくれて諌めてくれる勇気と義侠心のある男性だったはず。(諌める役はドニエル艦長が、理解する役はステアに引き継がれる)


 で、富野監督は構造主義とかニーチェの影響を受けている世代だと思うけど、ロバと獅子と赤子の話もあって、指針としていたカーヒルを失って自分で考えなくてはいけなくなることがアイーダのさらなる成長を促すということになると思うし、劇場版ではそこが改定されると思われる。


 また、富野監督は劇場版でベルリとアイーダの関係を書き直すと言う。その前段階として、カーヒルともちゃんと恋をしていたという風に整理し直している。ちゃんと恋をしていたから、それを壊したベルリが仇になったり味方になるという位置エネルギーの変化が強く劇的になるってわけ。

 カーヒルを殺される前の短い時に、アイーダはベルリを「自分を捕まえた飛び級生で優秀な少年」だと思っていた。


 で、カーヒルを殺されて泣いたり、「人殺し!」と罵ったりしたが。


 カットシーを撃退したベルリを見て、アイーダは「あんな子がカーヒルの代わりになるものですか!」と独り言を叫ぶ。
 大陸間戦争でも、カーヒルが見事にモビルスーツを操って敵を撃退したことが何度かあって、その姿にベルリを重ねたから、そう思ってしまった自分を否定したくて「カーヒルの代わりにならない」と言ったのだろう。
 だから、モビルスーツを巧みに扱うベルリの実力への敬意は怒りより先に感じてしまうようだ。同時に、やっぱりカーヒルはベルリのように優れた戦士だったのだろうし、戦場に慣れていない頃のアイーダさんを守ったことも何度かあったのだろう。(で、G-セルフを得て調子に乗ったアイーダさんを単独でクラウンを人質に取る仕事にやったら、捕まる(これはドニエル艦長も責任を感じた))


 劇場版のラストのハイライトでベルリを褒めることで傷つくアイーダだが。腹を立てながらも、ベルリという騎士を褒めるのは総大将の娘の姫としては任務だということは不本意ながら同意している。未来だけど、ココらへんは時代劇っぽい。だから倫理観とかも現代人と同じだと思わないほうがいい映画ですね。
 で、泣きながらカーヒルの敵だったベルリを褒めることを罪悪感に感じて詫びるが。カットシーを撃退した実力は直感的に認めてしまったし、コア・ファイターをドッキングさせるときも「君ならできます!」とベルリを戦場のハイテンションの状況で認めた。


 なので、理性とか義理人情の思考のレベルではカーヒルを殺したベルリを憎んでいるのだが、直感的に強い男としてはベルリを認めてしまうという感覚があって、その乖離にアイーダは苦しんで泣くのだろう。6話相当の部分は劇場版でどうなるのだろう?TV版でもデレンセンを倒したベルリをアイーダは心配する素振りを見せたが。


 また、ベルリを「強い男」として見ていたのがトワサンガでどう変化するのだろうか?ベルリがアイーダに向けるのと違って、アイーダはベルリに性欲は感じてないようだが。

 ベルリは去勢されていると同人誌に書いたことがあった。
nuryouguda.hatenablog.com


 しかし、劇場版ベルリは最初の髪の毛の匂いや囚人服のアイーダの背中だけでなく、メガファウナで私服に戻ったアイーダの美しさ(呼吸する胸の上下でさり気なくおっぱいをアピールしている)と、自分を褒める時にドチャクソエロいインナースーツで足から股間から胸まで体の線が全部見えているのを見る時に、惚れ惚れとしているというか欲情しているような視線を向けている。
 ベルリ自身は性欲を感じているのだが、少年なので「僕はなんでこんなところに来てしまったんだ?あの人は何なんだ?」と、自分の性欲を持て余している様子。
ガンダムトライエイジ/VPR-016 アイーダ・スルガン【箔押し】


 また、最初のレクテンとG-セルフの戦いでも、テレビのベルリは「顔を焼いちゃいますよ!」と脅迫していたけど「女性の声だった!」と言っていて性欲が強調されている。(モビルスーツに女性が乗るという意識がキャピタル・ガードのベルリにはなかったということでもある)
 (あと、この時、キャピタル・タワーMMFから外れると地球に落ちるっていうとき、テレビのアイーダさんは「この機体はそんな風にはなりません!」と言ってクラウンに急加速をかけた。TV版では謎のMSの謎感を出したかったのだろう。映画版ではスルッと「クラウンに戻ります」と言っていて、TV版ではしばしば異常な性能の恐怖すら感じさせたG-セルフが劇場版ではマイルドになっている)


 で、ベルリは劇場版ではアイーダへの性欲がより明確になっている。性欲があるけど、ベルリが潔癖な性格だからか、好きとか付き合うとかでなく、借りを返すとか、謝りきれないけど謝ります、というふうに戦闘行動に結び付けられているけど。第2部の第10話相当の「恋を知ったんだ」はどうなるんですかね。また、性欲を感じているのが明確になった分、失恋のダメージが大きくなりそう。

  • まとめ

 というわけで、ベルリくんの失恋のダメージを描き直すという富野監督の劇場版のプランから鑑みても、カーヒル大尉とアイーダの恋はちゃんとしたものであるべき。
 うつ病なのでちょっと書くのがしんどいけど、今日はこれくらいで。


 他にも見返す度にちょびちょび各論を書いていきたい。

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