玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

日めくりシャア専用その1「若さゆえの過ち」後編

  • 承前

nuryouguda.hatenablog.com


 前回はシャアのキャラクターの印象を単なる悪役指揮官ではなく、長浜ロマンロボットシリーズの美形悪役に並ぶ裏の主人公として印象付けるために「認めたくないものだな…」というヘンなセリフをぶち込む事が必要だったと書いた。
機動戦士ガンダム シャア・アズナブルぴあ 完全版 (ぴあ MOOK)


  • 第一話と第二話のブリッジとして

 シャアの性格から少し離れて、ドラマツルギーというか作劇の部品としてのセリフというふう見てみる。
 第二話ではシャアはドズル中将に「3機のザクを失いました。うち2機は連邦軍のモビルスーツに撃破されました」と報告しているのだが。
 3機目のザクが撃破された描写はない。ただ、帰還したスレンダーが右腕を怪我しているのが描かれている。なので、多分、サイド7防衛隊のミサイルか砲撃でスレンダーのザクが中破したのだろうなと連想させている。
 それはスレンダーの怪我だけの話ではなく、第一話と第二話の間に、更にホワイトベースとサイド7駐留軍の正規兵がほぼ全滅する程度の激戦(しかしこれは凄惨すぎるのでテレビでは放送しない)というのがあったのだろうとうっすらと視聴者に想像させる。富野アニメはたまにそういう時間のスキップをする。あと、人がたくさん死ぬけど、一部の例外を除いて臓物が出るなどのグロ描写はテレビ作品では、なるべく避けるという子供向けに一応配慮した演出がある。(死ぬことは死ぬけど)
 例えば、機動戦士ガンダム第一話の絵コンテでも、ジーンのザクによってモビルスーツ運搬車の運転席が押しつぶされる場面では、つぶされる瞬間には運転席がうまいこと画面のフレームの外に出るようにして映さないようにという指定がある。


 安彦良和先生による萬画、機動戦士ガンダムTHE ORIGINの冒頭では、割とその辺の激戦が戦記物萬画を書いてきた安彦先生らしく増量して描いていてリアル感が増していたのだが。(ガンダム一号機とか、パオロ艦長が元々は魚雷艇乗りだったという追加設定があったり)ORIGINは途中からジャブローの地下にアホみたいにザクが密集してたり、ミリタリー描写として明らかに失速してしまったのが残念。


 ORIGINはともかく、まあ、第一話と第二話の間にも戦闘する時間経過があったんだろうな、と想像させる機能を持つセリフとしても、第一話のラストでシャア専用ムサイからサイド7の港湾施設にミサイルをぶち込みながらシャアが「認めたくないものだな。……自分自身の……若さゆえの過ちというものを…」というよくわからないゆえに余韻を感じさせるのが効いているわけです。


  • 序盤のシリーズ構成として

 星山博之先生のシナリオでは、割とシャアはスタンダードな敵指揮官であり、元々の任務がコロニーを回ってV作戦の基地を探すことだった。それで最後に残った僻地のサイド7を本命の目標としてザク3機を送り込むという段取りだが。


 機動戦士ガンダムは十五少年漂流記がモチーフの一つであり、大人や正規兵が死んだあとに少年少女たちがホワイトベースに乗り合いして危機に立ち向かうというお話なのだが。
 シャアの部隊がV作戦に対してシナリオと同じ様に準備万端で十分な体勢で来ているとホワイトベースは負けるので。パワーバランスを取るためにシャアはゲリラ掃討作戦の帰りに偶然ホワイトベースを見かけて、戦力が十分でないのに戦端を開いてしまった、という「過ち」を犯したと示すためのセリフでもある。


 シャアの部隊は武器弾薬は少ないけど、シャア自身の戦闘力は強い。パイロットは新兵とベテランがそこそこいる。ムサイはミサイルは少ないけど、エンジンと直結しているメガ粒子砲はチャージしたら撃てる。ザクはシャア専用とスレンダーのがある。ガンダムより弱い。


 対するサイド7陣営は正規軍だけど、実験施設の駐留軍なので対モビルスーツ戦闘には不慣れだし、一応有線ミサイルとか対モビルスーツ用自走機銃座も配備しているけど、ザクには勝てない。組み立てが終わっているモビルスーツはガンダムしかなかった。(ホワイトベースで稼働したガンキャノンとガンタンク1台ずつは完成していたかもしれない)
 サイド7は一応、連邦軍の重要拠点なのでムサイ一隻くらい十字砲火で撃沈できないのか?って思うのだが、シャア専用ムサイの位置取りが巧みなのか、勝てない。ミノフスキー粒子が散布されているのでミサイルは数十キロくらい離れているムサイには当たらず、逆にサイド7はデカいし回避もできないので、砲台が次々と撃破された様子。
 ジーンとデニムの急襲でたくさんの戦死者を出して指揮系統が混乱していたのか、ホワイトベースのパオロ艦長がミサイル砲台の砲手をやらないといけないくらいスタッフが死んでいる。パオロ艦長もそれで重傷を負う。
(画面に映ってるのに増援を出さないルナツーの無能ぶり)


 ホワイトベースは新造戦艦なので強いけど、珍妙な木馬型の新型なのでちゃんとした動かし方を知ってる人が少なく、正規のスタッフも多くがジーンとデニムの急襲の対応に出ていって殺されてる。数話あとのルナツーで詰まったマゼランと同じく、ホワイトベースはサイド7の港に詰まって後ろにいるムサイに攻撃ができない。物資の積み込み作業中なのでムサイを迎撃するために宇宙側のエアロックを開けない。またコロニーの中にコア・ファイターを飛ばすのもハッチの関係で無理。(シナリオ段階では第一話でコア・ファイターがサイド7の中でガンダムを援護している)


 なので、どっちも万全の体制ではない泥仕合から戦闘が始まっている。


 シャアは最初は作戦の帰りのついでに見慣れない新造戦艦を追尾してザクを偵察に出してV作戦の写真をちょっと撮ってきたらいいだろ、くらいの気持ちだったのがジーンのせいで戦端が開いてしまい、結局ムサイの数少ないミサイルも使う羽目になった、というわけで「若さ故の過ち」と愚痴る気持ちもある。
(伝説巨神イデオンとか機動戦士Zガンダムとか∀ガンダムとかGのレコンギスタとか、最初は全面戦争をするつもりがなくてちょっと様子を見るつもりが、敵の実力を見誤ったり変な乱入があったりして、いつの間にかズブズブの泥仕合開始になるっていうのは、割と富野アニメの序盤には多い)


 また、シャアとジーンが「過ち」で戦闘を開始したということで、なんとかホワイトベースの素人も序盤に戦えるという言い訳を作っている。第三話「敵の補給艦を叩け!」では、ジオン軍の補給艦というあまり戦闘力がないものに攻撃をするという、正義の怒りをぶつける主人公側としては倫理的にどうなの?という展開があるけど、それも「過ち」で不十分な戦力で攻めてきたシャアのムサイが補給で十分になったらホワイトベース陣営は死ぬのでっていう展開にする説得力があるから、主人公側が先制攻撃して敵兵を殺害してもしょうがないだろということになる。で、「それまでのロボットアニメがなんとなく避けていた対人戦争」を描くアニメをやってやるという製作者(監督)意気込みの表現になっている。(ここで多数決で決めちゃうブライトの未熟さ)
 まあ、宇宙戦艦ヤマトや超電磁マシーン ボルテスVでも「敵も人間と同じような存在だった」という、まあ、今のアニメや特撮の魔法少女まどか☆マギカとか翠星のガルガンティアとか仮面ライダー鎧武でもよくあるアレはやってたんだけど。


 というわけでシャアが「過ち」をしているということで素人集団のホワイトベースの序盤のシリーズ構成の戦闘のパワーバランスに説得力を持たせている。
 また、「認めたくないものだな」とシャアが自分の過ちを客観視できているということで、単に失策をする悪の指揮官よりも深みのあるライバルキャラであるというキャラ付けもできている。


 第一話のラストの単なる変な独り言ではなくて、続きの話へのブリッジとか方向づけとして、このセリフは機能しているわけです。


  • 全体テーマ「若さ」

 「認めたくないものだな」と「過ち」はそう言うことなんですが「自分自身の若さゆえの」というものも要素。


 若さってなんだ?振り向くなアムロ!(宇宙刑事ギャバンの放送は機動戦士ガンダム劇場版第三部が公開された1982年です)


 というか、子ども向けアニメとかロボットアニメだと、今も昔も若い命が真っ赤に燃えてゲッタースパーク空高くというわけで、常識や世間体や金銭とかで腐敗している無能な大人に対して、子どもや若者の純粋な能力とか理想や志で倒していく、というのは定番。ジョージ秋山の悲劇的なロボットマンガの名作ザ・ムーンも(かなり構成に難がある作品とは言え)ロボットを作った汚い大人より、ロボットを操る子供の純粋さが希望、みたいなやつだった。(忙しくて寝てるのでゲッターロボアーク見てなくてすまない)
 アニメファンの大人が増えた現在の人気ロボットアニメの新幹線合体ロボシンカリオンでも、大人の組織力とか科学に子供の柔軟な発想が組み合わさって力が増すっていうのがある。エルドランシリーズもそうだし、長期シリーズになった名探偵コナンやクレヨンしんちゃんとか、ドラえもんののび太の応用力もそんな感じなのですが。


 なので子ども向けが多い傾向を持つアニメや萬画という媒体においては「若さ」は割と「良いもの」「柔軟な思考力」「進歩の象徴」として描かれていることが多い。


 この機動戦士ガンダム第一話でも、ガンダムを作ったテム・レイはガンダムにめっちゃ詳しいはずだけど、自分では動かさないで「正規のパイロットのところにガンダムを運ばなくてはいけない」という常識的な思い込みに縛られていた。(正規のパイロットは特に描写もされずに死んでる)
 それを見たアムロは、事前にテム・レイのコンピュータのデータを盗み見ていたのと、運命的な偶然でガンダムの極秘マニュアルを入手したことで、ガンダムを動かせて、勝つ。
 ガンダムの知識としてはマニュアルの一部をチラ見しただけのアムロより、テム・レイの方が確実に上なのでテム・レイが自分で動かしても勝てた可能性はあるが、若さゆえの義侠心とか正義の怒りや柔軟な行動力を持っているアムロがガンダムを動かして2機のザクに勝利する。柔軟な対応力でデニムのザクはエンジンを爆発させないでコックピットをビームサーベルで確実に刺してパイロットを焼き殺して勝つ。うん。戦闘の天才!


 現代では発達障害的な行動と言われるかもしれないが、サイド7の避難している大人たちが「カプセルの中にいないとみんなの迷惑になる」という常識に縛られていた前半の時にもアムロは率先して「こんな退避カプセルでは保ちませんから、今日入港した船に避難させてもらう様に頼んできます」と老人の静止を振り切って飛び出す。
 しかし、ザクの攻撃が激しくなってきて他の避難民も退避カプセルを出てホワイトベースに列をなして向かっているときには、アムロはその列から離れてガンダムのマニュアルを速読している。
 若くて常識や集団行動に縛られないので、アムロはガンダムを動かすために最適な行動を勝手にする。シャアも偶然見つけたホワイトベースに若さゆえに突発的に襲いかかってきているが、アムロも突発的な行動をする。やはりライバル…。ある種の精神疾患の人は普段はボケっとしているくせに危機的状況で行動力が増したりするらしい。



 新兵ジーンの若さゆえの過ちから戦闘が開始されるが、アムロも若さゆえの行動力を示す。若くて戦功を焦っているジーンは序盤は乱暴な言葉づかいでデニムの命令を無視していたが、アムロが乗ったガンダムに軽くひねられて、ザクの顎をちぎられて何十メートルも突き飛ばされたら、若い戦意を喪失して、助けあげてくれたデニムに対して敬語で「補助カメラが使えますから、見えます。ジャンプします」って大人しく言う。
 そんなやつはアムロが逃がすわけないので秒殺される。(ちなみに終盤のアムロはガンダムの頭をふっ飛ばされても「たかがメインカメラをやられただけだ」です。ていうかニュータイプモードに入ったアムロはカメラやモニターを見るよりも勘で動いてる方が早いからな)


 じゃあ若者は正しいのか?って言うとそうじゃない。確かに機動戦士ガンダムは永野護川村万梨阿のカップルなど新人類世代と言われる当時の若者に熱烈に指示された。(まあ、クリスとマリアはガンダムのファンと言うより、FSS的にもうちょっと別の次元の人みたいなところはあるが)


 だから、「認めたくないものだな。……自分自身の……若さゆえの過ちというものを…」なのだ。

  • 「若さ」への疑問

 富野喜幸監督によると、機動戦士ガンダムは無敵鋼人ダイターン3よりも、乳離れをする中学1年生の神勝平を描いた無敵超人ザンボット3の延長線上で、勝平の年代が2,3年して15,6歳になって乳離れから新たな思春期の悩みに突入するあたりをアムロで描くとしている。


 で、富野アニメには善悪の相対化が多いという特徴があり、ガンダムの第一話では「戦争に負けた大人は愚かだったが、逆に若者は本当に常に正義なのか」
という意地悪な問いを当時の新人類世代のティーン向けアニメとしてぶっこんできている。



 私は無敵超人ザンボット3について「ニーチェじゃん」という感想を持った。

 幼年期の終わりと言う作品では「オーバーロード」という宇宙の知的生物の全てを見守る宇宙人の保護から地球人が巣立つ話だった。


 知的生物の全てを見守る「オーバーロード」と全てを殺す「バーサーカー」はSFの中で対になる存在とも言える。だから、バーサーカー的なガイゾックのコンピュータードール8号を粉砕した勝平は親の洗脳や家族の理念も破壊されたが、宇宙の秩序という大きな父なる律法からも解放されたと言える。


富野監督の言う「乳離れ」とは、「規範からの解放」なのだ。と、私は読み取った。

ニーチェは著書「ツァラトゥストラはこう言った」にて、人の道徳観が成長していく過程をロバ、ライオン、赤子の3つの状態に例えていた。すなわち、人は何ももたない赤子として生まれ、まず他者から与えられた規範に従う不自由なロバとなる。つづいて、他者から与えられた価値観のみならず自身の価値観をすら疑い、抵抗するライオンへと変化する。


そして、十分に自身の価値観を噛み砕き血肉としたならば、もはや「価値観」などという言葉にとらわれる必要はなくなる。なぜなら、もはや自身の内にある道徳観に従うだけで十分だからである。


この状態をツァラトゥストラは「赤子」と表現した。赤子の状態では心に従うことがそのまま正義の体現となるはずであるから、もはや与えられた規範など不要である。むしろ規範は積極的に打ち捨てられるものとなるのだ。そして、赤子の境地に到達した人は、どんなに好き勝手に行動したとしても全ての行いが正義であり肯定されるのだから、これこそが真の自由を獲得したということである。


実際には、赤子の境地に到達するのは至難の業である。そこで、ツァラトゥストラは赤子の境地に到達するための方法論として、「超人」という偶像を思い浮かべよと説いた。超人とは、自分の価値観をもとに想像した最善の理想像であり、赤子の境地に到達した自分の姿である。


 そして、生まれ直しの儀式を行い、赤子のような無垢な顔で目覚めた神勝平はニーチェのいう所の超人となったのだ。


無敵超人の誕生である。

無敵超人と言う副題は、つまり、ニーチェ思想だったのだ!

宇宙の秩序をつかさどるバンドックの神は死んだ!


d.hatena.ne.jp


 で、サイボーグ技術で誰でも超人になれる未来を描いたダイターン3を経て、ニュータイプという超人に人類全体が変質適応する機動戦士ガンダム、というふうに思想性が連続しているのだけど。(あと無限力が赤子の純粋な生存本能に反応するというイデオンとか、人造人間による世代交代を描くザブングルとか)


  • 大人の中の若さ

 まあ、それでも基本的に富野アニメも若者に期待する面は大きい。ただ、無軌道な若さとか、大人のくせに変に色気を出すのは富野アニメでは地雷。
 「戦場ではしゃいでいるから死ぬぞ!」とか。アムロも中盤でガンダムを勝手に持ち出して出奔したり、駄目な若さを発揮したりする。


 企画書を見るに機動戦士ガンダムはザンボット3から年齢が少し上がって、思春期を超えて、若者の集団が戦争の中で、自由と生存を求める過程で、責任や義務を果たすことを覚えて大人になっていくというモチーフがある。「君は、生き延びることができるか」が次回予告だけど、番組放送前のキャッチコピーは「君は、何に命をかけられるか?」だったりする。
 ホワイトベースではアムロ以外にも色々な個性を持った若者が集っている。アムロだけが偉いというわけではなく、個性的な得意分野によって徐々にホワイトベースの中で果たす役割が決まっていき、その仕事の責任を命をかけて果たすことで生き延びる協力をする。(まあ、大体のメインキャラクターは一度は過労に倒れるか脱走を試みるかしているのだが)


 その「何のために戦うのか」という人間性は敵キャラクターにも共通していることだそうだ。


 Blu-ray BOXに付属の宇宙戦闘団ガンボーイの企画書段階では敵はまだ宇宙人だったんだけど、巨漢だが性格と話し方が女性的な鬼堂丸明と、彼と一緒にフリーダム・クルーザーに乗り込むボーイッシュ・ガールの八丈志麻が互いを補い合うなど、少年少女の集団の中で個性を表現する上でトランスジェンダーの要素を盛り込みつつ、男女の要素の相補性も匂わせるなど、42年前のアニメとは思えないアイディアがあって面白い。だれもポリティカル・コレクトネスとか言ってない時期に。宝塚の影響もあるそうだが。宝塚の影響は前年のライバル作のボルテスVのプリンス・ハイネルにもある。
(この要素は∀ガンダムのローラとグェンでハッキリするのかもしれないが、富野アニメって割と女装回があったりする。カミーユは美少女だし)


 まあ、この企画書と第一話のシナリオと絵コンテと台本が付属している機動戦士ガンダムのブルーレイボックスは廉価版が出たのでちょっと入手困難かもしれないが。全文引用は避けるが。


 話が企画書の方にそれたけども、男の中に女性的な要素があるように、大人の中にも若さがある。それで浮ついたら、死ぬ。


 たとえば、機動戦士ガンダムの第一話の前半でホワイトベースの入港を迎えるサイド7の基地責任者っぽい中佐(基地司令の階級としては中佐は低いかもしれんけど)が、でかくてめっちゃ光っている(単なる警告灯ではなく、レーザー通信でサイド7の設備に情報を送っているらしい)ホワイトベースの絵としてもすごいパースのついた偉容を見て「さすがわが地球連邦軍の新鋭戦艦だな」「この艦とガンダムが完成すればジオン公国を打ち砕くなぞ、雑作もない…」って感嘆するのだが。
 この中佐は割と貫禄のある軍人として描かれている。なので、コン・バトラーVの流れからすると、この中佐が四ツ谷博士的に基地であるサイド7やホワイトベースを男らしい熱血親父的にまとめてくれて、テム・レイ博士が南原博士みたいになるのかな?ってAパートの時点では思うけど、特に名前が出ることもなく、デニムとジーンの敗戦を知ったシャアのムサイのミサイルに当たって死ぬ。(いや、長浜忠夫ロマンロボットシリーズの博士たちの死亡率も結構高いけど)


 コン・バトラーVのパターンだったら、巨大な基地と優秀な軍人と博士とかっこいい巨大戦艦と、合体マシーンがそろって、そこに才能を認められた正規のパイロットが集められて…という流れになるのだが。
 サイド7は建造中とは言え、当時人気だった宇宙開発のNASAとかマサチューセッツ大学のオニール教授の提唱したスペース・コロニーというとても魅力的な未来的なSF巨大構造物なんですけど。2話であっさり放棄されて基地にならない。
 ホワイトベースが基地になるけど、ホワイトベースに感嘆した貫禄のあるサイド7の中佐とかパオロ艦長とか、テム・レイ博士とか、若いパイロットたちを導いてくれそうな大人たちは速攻退場する。寒い時代。決まった基地もなく、船で放浪する。(それが逆にその後の富野アニメのパターンになっていくのだが)
 コン・バトラーVのバトルチームみたいに選出されたであろう正規のパイロットは顔も出さずに死ぬ。


 むしろ、大人のくせにおもちゃカラーのトリコロールのホワイトベースやガンダムを見て「これがあれば戦争に勝てる!戦争が終わる!」ってはしゃいでいた大人は、罰を受けるように死ぬ。明らかに長浜忠夫ロボットシリーズとは違う路線の話にするぞ!っていう意思表示なんだけど、単に十五少年漂流記をやるだけではなく、大人の楽観的観測(つまり大人の中の若さ)に天罰が下るかのように殺される。
 テム・レイ博士は息子のアムロと同年代の少年や19歳のブライトが戦場に出ていることを「嫌だねえ」と言って、「ガンダムが完成すれば戦争は終わる」と人道的かつ楽観的なことを言ったが、結局アムロがガンダムのパイロットになり、ブライトがホワイトベースの艦長代理になり、テム・レイ本人はアムロの戦闘の巻き添えになって宇宙に放り出されて酸素欠乏症になるというテム・レイが避けたかった最悪の結果になる。(本当にどうやってサイド6まで生き延びたのか謎だけど、第一話の段階では結構ガタイがいいんだよな)
 なので、酸素欠乏症になったテム・レイが再会したアムロに「お前も軍人になったんだろ!」と言うのは子供を戦わせたくない気持ちでガンダムを作った頃のテム・レイとは逆の思考になっちゃってる。まあ、壊れかけの頭でジャンク屋の居候をしてたテム・レイがオデッサの戦いやジャブロー攻防戦などで、自分が作った誇りあるガンダムが活躍している報道を、どんな気持ちで見ていたのかって想像するとかわいそうすぎるんだが。ぎりぎり正気を保つためにガンダムの活躍の報道を見ていたんだろうなあ。


 でも、ガンダムも一機で地球連邦軍を支えられるようなコン・バトラーVみたいな決戦兵器ではないし、ちょっと装甲が硬い先行試作型ジムだし、中盤からは囮に使われるし。長浜ヒーローロボットやマジンガーシリーズとは差別化したかったんだろう。いや、劇中のガンダムはちゃんと強いし活躍するんだけど。(マジンガーZやコン・バトラーVでも人間側の脇役ロボットが建造されたことはある)


 なので、若さが良くて、大人はダメ、っていう若者礼賛ではなく、大人のくせに若者みたいにはしゃぐと死ぬし、若者のくせに大人ぶろうとして成果を焦ると、それはそれで死ぬ。っていう。修羅の連続!
 若者たちが大人になる過程を描くのがガンダムのストーリーの背骨だとおもうのだけど、若さと大人のバランスが取れる状態というのは非常にマレで、難しく描かれている。
(大人のくせにはしゃいでいるから!死!子供は図々しい!死!というのは他の富野作品でも描かれている)


  • 先輩としてのシャア

 で、機動戦士ガンダムの物語の中では大人の要素と、可能性と活力のある若さのバランスが難しくて命がけだけど、その中でアムロたちホワイトベースの少年少女は大人を目指して成長していかざるをえないという構図がある。
 

 その構図では、シャアは敵なんだけどホワイトベースの少年少女よりもちょっと先に軍に入ってルウム戦役などの功績を立てて少佐まで出世している。シャアは若者と大人の段階でアムロたちよりちょっと大人側の先輩ということになっている。ランバ・ラルとかスレッガーは大人だけど。


 シャアは「認めたくないものだな。……自分自身の……若さゆえの過ちというものを…」と、自分が若いと思っているのだけど、それを客観的に自己反省する程度には大人側にいる。シャアはザビ家を倒すために早く出世して大人になりたい男なんだけど、動機がそもそも殺意なので大人を目指す過程で色々と歪んでいるし、ジオンの子として変に期待をかけられたり、ニュータイプというまた違う方向のものに執着したりして、結局うまく大人になれなかった。


 逆襲のシャアまで見るとシャアがそういう風に人生設計に敗北していくのがわかるのだけど、ファーストガンダムの序盤では明らかに「大人を目指す少年少女の壁となる大人びた先輩で、敵」というふうに立ちふさがってきている。(ヤンキー萬画か?)
(で、シャアとアムロたちの間にいるお坊ちゃんがガルマ)
(ランバ・ラルはシャアよりは大人だけど、マ・クベよりは組織内権力闘争をするのが下手で、いくさバカと揶揄されている)
 たぶんあしたのジョーの力石徹(少年院の先輩)の要素もあるんだと思う。富野監督は出崎統の感性を真似したかったけどできなかったと言っているし。
 もちろん、プリンス・ハイネルがボルテスチームの兄だったとか、勇者ライディーンのプリンス・シャーキンも実は裏設定ではラ・ムーやひびき洸の血縁者だったとかそういう美形悪役の先輩っぽさも入れてきているのだろう。


 最新作のGのレコンギスタでもラスボスがパイセンだったので、小田原や日大執行部などヤンキーっぽさが強い学校でそだった富野監督としては「先輩、このやろう!」という感覚は肌身にしみていたんだろう。
 同時にアニメ業界とかでサバイバルするに当たっては「後輩を潰す!」「隣の同僚を出し抜く!」という気持ちも芽生えていたんだろうなー。(今もそんな感じだし)


  • 星山博之さんのシャア

 「認めたくないものだな〜」は明らかに富野節なんだけど、シャアが大人ぶって若さを捨てようとしているだけかと言うと、そうでもない。


 「デニムに新兵が抑えられんとはな」と嘆息するのは、やはりシャア自身も「自分がスピード出世した若造ということは自覚しているので、ちょっと年上の部下に舐められる」ということがわかっていて「実務ではデニムやドレンのような叩き上げのオッサンを間に挟んだほうが部下に言うことをきかせやすい」と、オッサンの力に頼ろうとしている若い部分があると思うんよ。コンスコンに「若者をいじめないでいただきたい」とか言うし。そういう点ではシャアもまだ若いんですが。でもオッサンの部下のデニムをあてにしてたのに、新兵が抑えられなくて、シャア自身も自分の指揮官としての人事経験の不足や見通しの甘さを痛感している。
 個人的にはシャアはララァやレコアやナナイみたいな女を公私共にパートナーにするより、オッサンの副官のドレンとつるんでルパンと次元みたいに悪事を企んでたほうが安定して仕事ができていたんじゃないかと思うんだが。ドズルとキシリアの都合でドレンと引き離されて、ドレンはアムロに殺されるし。うまくいかない。後半の副官のマリガンは真面目だしシャアよりも感覚が若い割に常識人なので、ドレンのような兵隊やくざオッサンほどシャアの異常行動をサポートする女房役ができない。(スター・トレックシリーズでも戦艦は副長のサポートが重視されていたし)
 Zでもブレックス准将の下で、エゥーゴを作ってヘンケンとつるんでアポリーとロベルトを舎弟にしてレコアがスケバンだったいた頃は安定していたけど、カミーユやカツやシンタとクムを拾っては面倒を見きれなくなってたり、清純派のエマ中尉が来てサークルがクラッシュした。んでレコアさんが脱走して、ブレックス准将が死んで、シャアは親父の名前を出すようになったけど、それをアムロに人身御供の家系と言われたり…。カミーユはカミーユで勝手にいろんな女と問題を起こしていっぱいいっぱいになるし。逃げたと思ったら二十歳になったハマーンが隕石ごと追ってくるし。シャアは対等なパートナーというか巨人の星の伴宙太みたいなちょっとのんきでタフな女房役に恵まれないんだよなあ。数少ない友達を自分で殺しておいてやさぐれるし。
 めんどくさい・・・。めんどくさいので結局シャアはパイロットとして「私が出るしかないかもしれん」って出ていっちゃうんだよなあ。最初から最期まで。



 話をファーストガンダムの第一話に戻すと、星山博之先生のシナリオ段階ではジーンの暴走の理由がちがう。(戦闘シーンや設定の説明セリフはかなり変えてあるけど、フラウなどの日常セリフは星山さんのままだったりして、演出家と脚本家の感覚の違いがわかる)


 シナリオでは同じ新兵とされているデニムからジーンが暴走したと報告を受けたシャアは
「戦いに馴れた者ほど手柄欲しさに暴走する、それを恐れたからこそ戦いの経験のないものを送ったのだ……それが裏目に!」と、ちょい説明気味に自分の人事の失敗を反省する。
 まあ、シナリオでもシャアが人事に失敗しているのだが。シナリオのほうがちょっと一段階、策におぼれている感じはする。新兵に指示役の先輩をつけるTV版のほうがセオリーっぽい。ただ、「若さの暴走」という要素はオンエア版でも残っていて、それを作品全体の「若者が大人になろうとしてもがく」というテーマと印象的に共鳴させるために、ラストの締めのセリフとして、
「認めたくないものだな。……自分自身の……若さゆえの過ちというものを…」を持ってきたんじゃあないかなあ?
 シナリオのシャアはラストでザクが惨敗したのを見て「見ていろッ、必ず私が叩いてやる…」と、割と普通の敵指揮官の捨て台詞っぽいことを言っている。


 富野アニメはかなりオリジナリティの高い架空の世界を舞台にすることが多い。なので、第一話は特に世界観や空気感やリアリティラインを匂わせるようなセリフを置く傾向がある。ちょっと普通と外れた変なセリフで世界観の異質さを現代のテレビの前の人に伝えようとしているような。
 ∀ガンダムの「地球はとてもいいところだ!」とか、Gのレコンギスタの「世界はぁ!四角くないんだからぁっ!」とか。キングゲイナーの「エクソダス、するかい?」とかザンボット3の「道路交通法違反!」(これは第2話か)もかな。単体では変なセリフだけど、あとから見渡すと、第一話のそういうセリフが全体のラインを引き締めているような・・・?そして放送当時は変なセリフと批判されたセリフがいつの間にか名台詞として後世で評価されるっていう流れが富野アニメにはある。


  • ちょうどいい若さと大人

 なので、若すぎてもダメだし老化して思考停止するのもダメ。
 機動戦士ガンダム劇場版第三部「めぐりあい・宇宙」のラストで「そして、今は皆様一人一人の未来の洞察力に期侍します」という英文が流れたけど。
 丁度いい大人になるためには、単に若いっていうだけではダメで、洞察力を持って行動して成長していって欲しいというメッセージだったのだが。
 アニメ新世紀宣言とか、新人類世代を褒めるようなニュータイプとかがあって、アニメグッズやプラモデルやレコードも経済効果を上げていると注目され、社会に認められたっぽくなって当時のアニメファンは「アニメはナウくて最先端の文化!それにハマっている僕達は新しい若者!」というふうに全肯定されたと思って、はしゃいでしまったのではなかろうか。(宮崎勤事件までのロリコンブームとか)


 最近の富野監督は自分が80才間近にも関わらず、「60代、50代のガンダムファンの人は何も変わらないのでG-レコを見なくていいです」と言っているが。まあ、僕も∀ガンダムやキングゲイナーのあたりで富野ファンになって、ぼんやり作品を追っているだけで年齢が倍になった。年齢はほっとくと倍になります。わかるけどわかりたくないわ。あまり大きな社会的文化的な成果を残せてないんで、僕も富野監督に見限られる側だろうなあ。まあ、監督に嫌われても作品は面白いのでブログには書きますが。


 ちょうどいい大人になるロールモデルがない。と、今年、精神科医でエヴァとガンダムのオタクの熊代亨さんも言っているわけだが。
gendai.ismedia.jp

 冷戦が終わったから、一億総中流が終わったから、大きな物語がなくなったから、とか色々と最近理屈を付ける人がいますが。
 42年前の機動戦士ガンダムの時代ですでに学ぶべき人がいなくなる寒い時代だったので、もう、どうしようもないし、人は状況変化を与えられて流れていくしかないような気がする。僕もぬらりひょんやしろうるりみたいなオタクですし。


 70年代にあしたのジョーやみなしごハッチなど、孤児を題材にしたアニメが流行ったのは、戦争中に生まれて戦争に行った親の愛情を知らないクリエイターの作品が、高度経済成長期で仕事漬けの親にネグレクトされた子どもたちに受けたから、という説もある。現在もアニメファンはかつての宮崎勤扱いよりはマシになったとは言え、少し家庭に恵まれてない感じはある。毒親という言葉が過ぎて、今は「親ガチャ」が流行っているし。僕も不幸自慢したらいくらでも言えるし、富野監督も自分のファンについて「カリスマを求める人は哀れだ」みたいに言ってたりする。


 戦時中も、大正デモクラシーでも、文明開化でも、安定したロールモデルはいなかったのではなかろうか。江戸時代でも将軍の政策で文化が変わったり、長崎からチョロチョロとオランダの科学が入ってきて数学が発展したりしてたし。数万年続いた原始農耕時代とか旧石器時代までいかないとダメかも。かと言って、人間は自分自身も環境も変えることで繁殖してきた動物なので。


 模範的な大人になるのは難しいですね。とりあえず僕は人様の子供の前くらいでは細い道でも横断歩道の信号を守るようにしたいです(ハードルが低い)。未来では交通ルールもIT化とか安全化で変わるのかもね。


  • つづく

 最初からガンダムシリーズでトップクラスに変なセリフがお題だったし、全体にも影響してるんじゃないかと考えて長くなった。Blu-ray BOXに第一話だけシナリオ、絵コンテ、録音台本が特典でついていたし。
 第二話からは一話に付き日めくりセリフが複数だったりするので、できるだけあっさりになるように頑張りたい。
 オタクはついついネタを盛ってしまうので。


  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用


 著者へのプレゼントはこちら


匿名で住所を伏せてプレゼントを送るための、つかいかた
nuryouguda.hatenablog.com
 このブログは最後まで無料で読むことができますが、著者に物を送ることは出来ます。特に返礼はないです。


 脳内妹との結婚祝い用のほしいものリストはこちら↓
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 もう結婚しちゃったけど、年末くらいまではこのリストを残しておきます。クリスマスプレゼントだろ!



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