玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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このブログの趣旨は俺の思い付きをそのまま転写して脳のメモリを軽くすること

2006年ホットライン運用ガイドライン案騒動跡地
この法案を思いついてしまうような人格の最大の欠点は自分の心の中の幼心の君を殺している事だ。
自分にも子供時代があったことを忘れた伊武雅刀のようなものだ。
こどもだって、セックスしたい!
っていうか、俺が一番性欲が強かったのは小学5年生のときだったと思う。
そう言う子供時代の恥ずかしい記憶を無かった事にして大人になった気になっている人というのは、人格の足場である幼児体験を封じる事なのだから安定性を欠くことになりはすまいかと思うんだが、そう言う無定見な大人のほうがちゃんと仕事をして俺よりも年収が合って俺よりも社会的地位が会って俺よりも幸せになるに決まっているので、生き方を曲げてサバイバルしたほうがいいのかもしれない。正しい生き方を模索して苦しむよりも小ずるく生きたほうがいいのだ。



私の言う事を額面どうりに受け取らないでいただきたい!


あと、こういう性的アクションから子供を遠ざけようという動きは、
「子供をよき大人にならしめるための道を示す」の教育というよりは、「子供によき子供たらしめるような態度を示す」の教育なんじゃないかなーと最近思いつく。
進行と停滞、長期と短期、継続と断裂、同化と異化、速度と位置、不可解と思考停止、etc。
それって、教育という理性的行為ではなく、感情的行為なんじゃないかと思う。


が、最近の僕の思いつきの中には、
「すべての理性的行動は、感情によって決定された後に理由付けされるっぽい」
というのがあるので、ニュータイプに覚醒する以前の時代を生きる僕たち人間にとっては、こういう政策の発生はそれほど不自然なものではないと思えるし、それゆえそれほど悪いと言い切れるものでもないんじゃないのと思ったりする。
っていうか、大人も人間だしナ、よき大人でないとよき大人になる手段を教えられないとしたらそれは、血を吐きながら続ける悲しいマラソン*1ですよ。テキトーでいいやんねー。
まー、テキトーな政策に振り回されてロリ風な絵を描いている人がその行動を疎外されるのはかわいそうだとは思うんだが、そのロリ絵を書くのを阻害されるという現実も、ロリ絵が好きだという現実もやはり理由などなく、ただの感情でしかなく、あやふやな何の意味も無い、あだ花の、蜃気楼の、陽炎の、紙ッペラの、思い込みの、刷り込みの、洗脳の、市場原理の、現実逃避の、狂気の、惰性の、幻影の、現象の現実に過ぎない。


つーわけで、僕を含めて大概の人は考えていると自己認識しつつ虫のように状況と刺激の入力に反応しているだけなんだから、そういう考えの振りをしたものに振りまわされて本気で考えないほうが良いな。
だからやっぱり、「現実は夢、夜の夢こそ真実」と言いたくなるわけ。


かく言う私も童貞でしてね

*1:ニュアンス優先