玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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夢使い

予備校時代に講師がベルサイユのばらを例に挙げて、「説明を説明として演出するのは最低だ!」と言っていました。予備校で習った事はこれくらいしか覚えてない。あとは化学の語呂合わせ抱けだな。あとはビルの屋上で自分の内面を見つめたりしていました。
そういうわけで、ディスコミュニケーション精霊編は丹念にやってたよなあ。
演出はそれとして見るのが辛い話は辛いなあ。原作の夢は思春期の不安定さ、終わらない思春期の夢という感じでしたが、アニメ版の夢は終わらない生活の鬱屈から来る大人の歪んだ夢という感じなんだよな。
かといって、大人がダメってわけじゃない。
ディスコミもだけど、夢を見るのは少年少女だけなのだが、決して「大人になるのは嫌だ!」というだけではない。
ロリキャラの美しさのインパクトやら変態ガジェットに目が行きがちであり、また大人のキャラクターが少ないので、一見、子供世界に閉じているヘンリー・ダーガー的な雰囲気があるんだが。
というのは冥界編のラストで就職、結婚した松笛と戸川に対する暖かな眼差しやら、鉱物の聖母編でのラストの前向きさを見るとわかることだ。戸川の親父とかもなかなかいい味出してるよな。松笛にちょっと似てるし。
つーわけで植芝理一は決して思春期の夢のほうが大人の俗世よりも「良い」とはしてないよなあ。
(良い悪いというのは価値の話で、美しさとか悲しさというのはまた別にちゃんと描いてるのがいいよな)
思春期での心の混乱を全力で混乱して、それを乗り越えたらしっかりと大人になりましょう、そして新しい世界で生きていきましょう、という思想はとてもまっとうなものだ。さすが早稲田大学文学部哲学科(除籍)だ。
だから、アニメ版で大人の悪夢がメインになり過ぎると気が滅入るんだよな。。。芝田顕作博士は大人をやるのを放棄したらちゃんとショタに変身してたのに。
いけませんか!
24歳のダメ人間がこんなことをいって!
でもね、ボクは植芝キャラに大人をやって欲しかったんですよ!
そう言っちゃいけないんですか、大きなお友達が…。
オタク系クリエーターは前から狂気に走る物語を芸術だといって無定見に作っていたし、非オタプロデューサーはヲタが芸術を作っていたって、視聴率とグッズ収益に満足しちゃって、そんなクリエイターを見向きもしなかったんです。現実の経済ってそんなに大切なんですか!?夢か現実かってそんなことじゃないんです。
テレビの前のお友達が社会に出る希望をうばわれちゃあ、たまんないんですよ!