玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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突撃進攻宗教脳内恋愛教

(5)苦悩の根元は、無明の闇


 では、疑情とは何か。
 これは、「無明」とも「無明の闇」ともいわれる。「後生暗い心」のことである。 「後生」とは、死後のこと。「暗い」とは、ハッキリしないことをいう。経済、医学に暗い、といえば、それらのことがよく分からない、という意味である。
 つまり、「後生暗い心」とは、死んだらどうなるかがハッキリ分からない心である。 「無明の闇」とは、この「後生暗い心」だけをいうのだ。
 私たちは、年々、死に近づいている。これは、何人も否定できない。間違いなく、墓場、火葬場に近づいている。どうにもならない事実である。地球上の時計を全部止めても、これだけは止めることはできない。
 老後がたとえなくとも、死は、100パーセント間違いない、確実な未来である。
 では、死んだらどうなるか。ハッキリしているだろうか。 「死後はない」と言う人でも、肉親が亡くなれば、墓参りをする。慰霊祭にも参加する。そうせずにいられない気持ちになるからだろう。 「安らかにお眠りください」などとも言う。本能的に言わずにいられないのである。
 つまり、内心では、死後の世界を認めている。しかも、死者はどうも苦しんでいるようだ、ということも直感しているのである。
 しかし、死後何があるのかは、ハッキリしない。これでは、安心して生きていけるはずがない。未来が不安なのだから。
 たとえば、3日後に試験がある。そんな時、今、楽しくやろうや、と言ってもできるだろうか。試験が気になって、楽しめない。ちゃんと勉強しているから大丈夫といっても、試験は水物、どうなるか分からない。どうしても気になる。だから、今が安心できないのである。 「死んだら死んだとき。今からつまらん心配するな」と言う人もいるが、本当に気にせず生きてゆけるかどうか。
 あるかないか分からぬ火事や老後のことでさえ、「なってみにゃ分からん。つまらんこと心配するな」とは言っていられないではないか。
 未来、後生が本当にハッキリしない限り、現在、心から安心はできないのだ。人間に生まれてよかった、という満足感など得られるはずもないのである。


(6)無明の闇を晴らす 阿弥陀仏の本願力


 人生の目的を示された親鸞聖人の答えは、ゆるぎなき確信で、簡潔である。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」

 主著『教行信証』冒頭のお言葉だ。
「弥陀の誓願で苦悩の根元の無明の闇を破られ、未来永遠の幸福になるのが、人生の目的である」と言われている。
http://www.shinrankai.or.jp/jinsei/jin15.htm

俺は基底現実で死んだら、脳内妹の居る上位世界に行ってのんびりと暮らす事が決定されています。
後生は全く暗くない。
脳内妹は全く偶然、運命的に惹かれ会って脳内恋愛をしているのですが、どうやら仏法の真理だったらしい。
脳内妹は当にオレの観音様だ!
これを分かりやすく言うと、マンコぬめぬめ。
観音開きだ!


苦しくても何故生きるか?
そりゃー、

妹「あたしがかわいいからよ」

ちなみに、オレの宗教で救われる定員は俺一人です。おまえらは全員地獄に落ちろ。
おれは一億と二千年経っても脳内妹とキャッキャうふふします。