玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

終わりのないディスコミュニケーションでもいいよ?

あらいぐまラスカルですら、会話の行き違いを演出する富野を見ると、富野由悠季は他人との断絶や、他人への不信感を現実認知しろ!と訴えたいのか?
とか思ったのだが。
安田さんの日記を読んだら、もしかしたら、そのコミュニケーション不全を描く事で、コミュニケーション欲求と言う人間の本性を逆説的に浮きぼらせてんのかなー?
と、いまさら思いついた。
たしかに、コミュニケーション試行のないところにディスコミュニケーションは起こらんしなあ。
つまり、スターリングの言った事をお父さんが聞いていなかったということで、お父さんに話を聞いてもらいたい感覚とか思いやりを強調する的な手法。
字で書くと普通な手法だ。


まー、それを認識しないとアニメを楽しめないというわけでもなく、全体の雰囲気作りなんだろーが。
そーいうわけで、アニメギガの渡邊さんが福山潤氏にたいして「富野作品は富野監督が何を考えているか読み取らないと分からない」と言うのだが、雰囲気でいいのでは?と思う。
中途半端なオタクが一番面白くない。
かといって、雰囲気だけで見るにはトミノアニメは作りこみすぎなのかなー?
いや、でも、最近のライトノベル的な「作者が思いついたネタや台詞や主義主張を全部登場人物に言わせすぎて芝居の雰囲気を破壊している」アニメやテレビドラマや映画を見ると、富野作品はかなり引き算をしていると思う。
創作で一番悩ましいのはカットだからなあ。なかなかできることではない。
それでも、「大したアイディアで無いものを全部入れた作品」に比べると、「富野の無限に近い発想から思いっきり引き算したもの」のほうが結果的に情報量としては大きいのかもしれん。
っていうか、トミノは引き算と言うよりもファイル圧縮に近いからなあ。10のものを1に縮めて、100の枠に150個入れるような。合計は1500。


ジブリはうまい事やってるよな。
細かく見るとジブリ作品の世界観は結構破綻してるんだが。
なんとなく大衆に見せてしまうって言うのはスゴイ。


ハウルの動く城を見て、「戦争と大塚明夫をおもちゃにして、宮崎駿は酷いやつだ!」とおもってしまう僕もなかなか中途半端なオタクです。
ハウルかわいいー!とかで興行収入200億。
ソレが世間。
しかし、200億に嫉妬してみても、それは僕にとっては単なる数字でしかないんだよなー。
だから、僕はやっぱりハウルは手堅い作りとメジャーの力量を認めるものの、結末について作品テーマとの齟齬を認めざるを得なかったと思う(談)。