玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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なぜガンダムは売れ、∀ガンダムは売れなかったか?

まず、地球の皆様に知っていただきたい事があります。∀ガンダムはヒットしませんでした!(追記:kaito2198さん情報で、ガンダムとしては小粒だが、それなりに売れたそうです)
これは富野由悠季総監督自身が「∀ガンダムと言うヒットしないガンダムを作りました」と証言しています。
しかし、今回、∀ガンダムを10年ぶりに通して2年かけて見て気づいた。案外、放送当時は∀ガンダムを売ろうとしていたんだな、という事に気付きました。
(まあ、売るつもりがない監督な訳はないんだけど。フジテレビの放送局が少ないという酷い扱いはともかく)
結論を言いますと、富野監督がインタビューで「何で機動戦士ガンダムは売れたの?」と質問された時に監督が言う答え、また、多くの評論家がガンダムのセールスポイントとして挙げる要素が在ります。
そして、それを∀ガンダムがほとんど網羅している事実があるということです。でもターンエーは売れなかったのです。


と、言いながら、先日、

ekodataro 2010/01/17 22:35
うっかりアナタのブログを見つけてしまったおかげで
地球光・月光蝶だけでは物足りず、1〜13全巻を借りるハメになりました。

(中略)

さっき全部観終えた。
良いきっかけを作ってくれてありがとうございます。
大感謝。
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20100112/1263267088#c1263735340

というコメントが付いたから、私がブログで解説したら、売れないけど借りられるという事が発覚しました。ウン。実は、僕も買ってないんだ・・・。レンタルを繰り返してるんだ・・・。
id:kaito2198さんのブログだったらリーンの翼の売上に貢献しているのにネ・・・。僕は小説のリーンの翼のほうで手一杯なんだ・・・。


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とりあえず、いつか年金と生命保険を払えるくらいの大金持ちになったら買う。


閑話休題
では、皆で考えてみましょう。

機動戦士ガンダムが画期的だったといわれている点を挙げて行きます。
そして、それが∀ガンダムにもある部分だという事です。同じ要素があっても売れるわけではないという事です。つまり、売れるかどうかは時流と言う事です。
長いから以下は読まなくていい。

  • 主人公の性格がおとなしい。

アムロ・レイは内向的なマイコン少年。しかし、ハンドルを握ると性格が変わる。4点
ロラン・セアックもすごい性格がおとなしい。礼儀正しい少年執事。4点
79年、マイコン少年ブームが社会にありながら、少年向けのアニメでは熱血漢が主人公と言う物が多かった。で、おとなしい少年もヒーローに成りたいという潜在的ニーズがあったそうだ。んで、ロボットは少年にとって大人に異議申し立てをするための大きな体なので、主人公の少年がおとなしいのはのび太的にはまるのかしら。
99年、新世紀エヴァンゲリオン碇シンジがすごいおとなしかったので、その系譜と見られた所もあるのか?それからるろうに剣心の流れを汲んだ「不殺」の主人公なのだが、それを剣心ほどクローズアップしなかったために、煮え切らない印象があったのかもしれない。
アムロは最初からコックピット狙いだけど、ロランは最後からコックピット狙いだからなあ。

  • キャラが美形

79年、安彦良和先生は手塚治虫マンガ絵とアメコミ絵の融合を図って肉感的な萌え絵を発明。セル画を盗まれたりした。
99年、安田朗先生は安彦良和先生の絵を見て絵描きを志したり、ストリートファイターIIだったり印象派だったりした。Vガンダムで試された世界名作劇場路線の温かみがある(反面地味な)デザインに、色彩とシルエットのキャラクタライゼーションを加味して見せるキャラクターデザインをおこなった。
しかし、すでに99年には萌え絵はさらに記号化して先鋭化していたため、時流に反する物となってしまった。
私個人としては、油絵を番組テロップやDVDCDジャケットに使ったりというあきまんの試みはとても本格的で先鋭的で新しいことをやっているな、と非常に感心したのだが。
1999〜2000年のアニメのヒット作は、当時のターンAガンダムの録画ビデオのCMを見ると、カードキャプターさくらサクラ大戦ゲートキーパーズコレクター・ユイラブひな神風怪盗ジャンヌ鋼鉄天使くるみ、To Heart(ワンピース)あたりか。萌え絵だなあ。「萌え」という語句がオタクの中で流行り出したのも、だいたいエヴァ以降の98〜99年あたりだった気がする。
また、ここら辺は服装のオシャレが記号的な落としこみ「キャラ属性」に還元されてる。
お着替えアニメのはしり、ハニーのリメイク、キューティーハニーFが97〜98年である。
登場人物がキャラクターのコスプレをしているという感じでしょうか。
ターンAガンダムは服装をSF的にもビクトリア朝の歴史的にもかなり練り込まれているのだが、それがキチンとした普段の服として着こなされているのでキャラ属性、コスプレ、という感覚にはなりにくい。ディアナ様の女王服はコスプレっぽいけど。
ただ、上記の「オタク向け原作or少女萬画原作アニメ」以外の現代を舞台にしたオリジナル作品では、地味目なキャラクターデザインが結構流行ったかもしれない。
ガサラキ、ダイガード、リヴァイアス魔装機神サイバスター今、そこにいる僕南海奇皇あたり。サイバスターはねえ・・・。何で変えたのか。
ゾイドは上手くバランスが取れてた気がする。
ターンエーはまず、世界観が最終戦争の後の復興した世界と言うのが分かりにくく、本当の20世紀初頭なのかどうかが謎だったんだ。ナレーションがなかったからなあ。
ターンエーはリアルとも萌えとも違うオーガニック的な何かだったから、分かり難い。

  • メカがカッコいい

79年のガンダムスーパーロボットがゴテゴテしていった当時のロボットデザインに、パワードスーツの概念と野武士のイメージを付けて、安彦良和の人間的作画でシンプルに描くという素晴らしいデザイン。
大河原邦男の立体曲面でザクには全く無駄なディテールがない。
99年のターンエーガンダムシド・ミードデザインですよ。これも原典回帰を目指したシンプルなデザイン。
でもはっきり言って、嫌いでしたね。
何が嫌いだというと、ヒゲではありません!ヒゲはゼウスガンダムにもデビルガンダムにもDXガンダムにもありますよ!ディアナ様!
ディテールがゴテゴテしているんだ。当時、生意気な高校生でしたけど、当時のホビージャパンなどのプラモデル事情がディテールアップ偏重主義になっていて、どうかと思ってたのね。
ターンエーのフトモモにあんな線はいらない!だいたい、ナノマシン装甲に継ぎ目が必要なのかどうかも怪しいのに。そういう運用と乖離した所での格好だけの飾りで作画の手間を増やすのは好きではありません。
ヒゲは頭部を保護するバンパーとしてとても機能的だったので良いんですよ。
ターンエーガンダムの全体的なデザインは非常にシンプルで機能的で好きなので、線が多い部分だけは嫌いです。(でも、手のひらはあれくらいのパーツが在って良いとも思ってます)
ただ、シド・ミードがミードガンダムで「パーフェクトグレードになることも予定してデザインしました」と、今となっては泣けるコメントを書いているのを見ると、モデラーに勝手にディテールを追加されていた装甲パネルなどを、メインデザイナーの感性で制御したかったのだろうか?という気もします。
僕としてはスジボリよりもターンエーガンダムの尻の梁をきちんと尾艇骨と連動させて欲しいんですけど。「きちんと座れるロボット」というだけでもターンエーとエヴァンゲリオンは画期的ですよねー。
で、富野由悠季監督自身もスジボリについては意見があるようで、最近こんな事を言っていた。

例えばこの∀ガンダム(1/100 MG ∀ガンダムを手にとり)は、作り手が作り込みすぎていて危険だと思います。それを端的に表しているのが、この筋彫の部分。ここまでフィックスされるのは困る。こういった部分については、私のほうでやらせて欲しいとお客さんはいうはずなんですよ。
実際に車のモデルの多くは正確なスケールダウンをしていなくて、元の車をそのスケールで表現するためのディフォルメをしているのに対して、この∀ガンダムからは、そういった創意が感じられないですね。あくまでもそのままスケールダウンすればいいだろうという感じになっていて、これは機械屋が、それも理系が作るモデルで、文化系が作るモデルじゃないんですね。文化系の作るモデルは曖昧さがあるんです。でも、その曖昧さがいけない訳じゃなくて、どちらが素敵か、素敵でないかという話です。精巧に作っているからいいじゃないか、という意見もあるだろうけれど、モデルの世界では精巧がいいとは限らないと思っています。


そういうことを最後まで考えていったときに生まれるガンダムのモデル、モビルスーツのモデル、そしてそれに類するモデルの方向性は、フィクションの世界に住んでいる大人たちにとって、とても重要なアイテムとして、好かれ続けていくという気がします。


 こんなことをいえるのは、絵の鑑賞や値段がつくということと同じ次元にミニチュアモデルが入ってきているからなんです。そういう意味では、本当の意味でのアート性が求められるようになってきたと承知すべきでしょう。
http://bandai-hobbyproshop.net/gunpla30th/supporter_tomino2.html
ガンプラ30周年公式サイト│ガンプラサポーターズ 富野由悠季監督

監督もスジボリ嫌いなんだ。うん。墨入れめんどくせえんだよ!
ただ、重田敦司さんのウネウネした線のウォドムやホワイトドールはすげえナノマシン装甲らしさが出てるし、線が多くてもカッコいいし、他のアニメーター氏もアクション作画では適度に線を減らしていたので、やっぱりアニメはアートですなあって思う。超カッコいい。
でも、一般的にはヒゲだからダサいって言う認識。
っていうか、富野が劇中でヒゲヒゲ言わせるからじゃ!リュウタロスの方がヒゲだろ!

  • メカがリアル

79年、機動戦士ガンダムはリアルロボットの金字塔と言う事らしい。まあ、ミノフスキー物理学がリアルなら光子力もリアルなんですけどね!量産された機械という扱いが画期的とも言われる。
でも、アニメロボットの関節などがリアルに成ったのは、ガンプラが咀嚼されて、エルガイムの洗礼を受けてからでしょうかね。
99年、埋まっていた物を拾う・・・。イデオン・・・。でも、逆にここら辺はエヴァンゲリオンの流れを汲んで流行り物といえるかも知れん!が、黒歴史の概念を理解するのは正直難しかった・・・。
ターンAガンダムに出てきたメカはとてもリアルだったと思う。動き方が。
96年に柳田理科雄空想科学読本という、アニメや特撮の設定の不備に突っ込む本が出た。

ロボットとしては、基本的に歩行時の上下運動がよろしくないという事が書いてた。あと、ウルトラマンはすごく硬いから別に音速を超えてもいいとおもう。
で、ターンエーガンダムは律儀に歩行する時は極力コックピットや人を乗せている手が揺れないような設計とアクション作画が行なわれていたのが、画期的でリアルだった。
コックピット周りのレイアウトも乗り易い感じだ。(毎回、富野ロボットの新作が出るたびにコックピットの居住性が他のロボットアニメに比べて考え抜かれている事に感心する。エアバッグとか。好きなのはVガンダムのシリンダー型のキーボード一体型の操縦桿)
ただ、動力は無限なんだよなあ。マウンテンサイクルから出た核融合炉のモビルスーツは。

  • 社会がリアル

79年の起動戦士ガンダムで気をつけたこと事について、富野由悠季はこう言った。

ほんとに戦争物をやった時に主人公だけが活躍すれば、主人公メカだけが活躍していれば良いんです。ガンダムで初めてやった事があるならば、その、巨大ロボットを動かすためには絶対に補給論がいるだろう。ということをきちんと物語の中に組み込んだのはガンダムが初めてだと思う。


で、当然その事は、その事は、実を言うと戦争全体を考えるといった時に、かなり難しい単語を言います。

「兵站論」

兵站という言葉をご存知の方は、えー、お年寄りには聞いていません。ようするに、戦争するための補給路なんです。だということを、僕はガンダムをやった時に間違いなく意識しました。

で、その事をやったために、マチルダさんというとても大事な女性キャラクターを殺してしまいました。で、マチルダさんを殺す事が大事なんじゃないの。

その、兵站論というのは決定的にあるだろう、補給論というのは決定的にあるだろう。そういうものを抜きにして、アニメといえども戦争を描いてもらっちゃ困る。
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20070219/1171870115

トリウム鉱床のオデッサを巡っての戦いとか。中立地帯とか、そう言う描写もあった。
99年のターンエーガンダムでは、パン屋のキースの世界名作劇場出世物語に絡めて兵站(銃後)が描かれまくっていた。キースはパン工場を大きくするためにミリシャにモビルスーツ・フラットを売るが、そのモビルスーツが戦争を大きくして貨幣価値が暴落し、キースの貰った金が紙切れになったり。キースのパン工場に亡命者が集まった事で中立地帯が形成されたり。
ディアナカウンターが内政担当のアグリッパに裏切られて補給が滞り、前線での略奪行為や強引な占領になった。
フラン・ドールが戦場カメラマンとして記事を書いてもルジャーナ領主の圧力で新聞が発行停止になっていたり。
ただし、富野の思惑とは違い、はっきり言って分かり難い!ここら辺の社会構造の面白さはボンクラだった高校生の時にはわからんかった。分かったのは、10年経ってからダモン。ガンダムSEED以降のガンダムでは兵站論はほとんど描写されないもん。で、売れたもん。


  • 女に受けた。

富野監督はファーストガンダムは女の子に受けたと言っている。

たまたま中・高生の女の子がついてくれたんです。ロボット物なのに、この年齢層の女の子が熱烈なファンになってくれたのが不思議であると同時に、映画は女性客をつかまなければダメだという鉄則を思い知らされたわけです。
 作り手としては、彼女たちに気に入るように仕掛けていませんでしたから、予想もしていなかったのです。
(略
 初めのファンが女の子だった理由は、彼女たちが一番興味を持っている人間関係が描かれていたからでしょう。ヒーローの男の子もかわいいし、敵方の男の子もかっこいい。その間をつなぐ人間関係が、わかりやすい青春群像として描かれていたのでしょう。彼女たちは、ロボット物というジャンル分けを無視して、自分たちの好きなものを見てくれました。時代に関係ないピュアな部分があったから、その後の長いリアクションが呼んだのだと思います。
 その上で、メカ物としてのプラモ人気などが重なって、作品へのさまざまな人口ができたことが、20年保った理由なのでしょう。

http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-2731.html
女子中・高生の見つけたガンダムの魅力

しかし、この発言は実は政治的な匂いのある発言です。富野監督は「女性にも受け入れられるガンダム」と喧伝する事で、イメージ戦略を行なっているのです。
もちろん、崖の上のポニョの宣伝でワイドショーに出た鈴木敏夫氏が「この映画は、女の人が一番偉いという映画です(キリッ」と言い切ったことよりはマシです。鈴木!もっと暗黒映画だ、あれは!フェミってんじゃねえ!


古谷徹氏のエッセイではこういう風に書いてある。
「いままで、アフレコスタジオに女の子が来る事は何度かあったが、ガンダムでは男のファンが来た事が新しかった」

トミノと逆じゃん。
ただ、作家になる前のよしもとばななとか女子高生がサンライズに見学に来たと安彦良和先生が言っている。
両方の発言から考えると、声優ファンだけだった女の子が製作会社に行き、男の子でも芝居に興味をもってアフレコスタジオに見学に行ったというのが、ガンダムのすごさだったという事だ、と、好意的に捉えるのがよろしいか。


そして、ターンエーガンダムガンダムシリーズの中ではZガンダムに次いでガチの女性ファンが多い印象があります。
WやSEEDに比べて、ターンエーファンの女性はもっと年齢層が高いガチの、むしろダンバインとかも本放送で見てたような人が多いのがネットでの観測結果な気がするです。ボーイズラブと言うよりやおいやおいというより御耽美。
でも、やっぱり女子高生に受けたのはSEEDか?うーん。僕の高校時代の部活の後輩女子は「金曜はターンエーだから早退します」って部活にこなかった女だったが、彼女も割とガチヲタ臭がしてたなあ。

  • まとめ

つらつらと長ったらしく書いてきましたが(削ったら時間がかかる)、どうやら、ターンエーガンダムにもガンダムの売れた理由だと富野が言い張っている要素があったとわかった。
そして、同じ要素をもつターンエーガンダムが売れなかったので、ガンダムの売れた理由自体も何だかよく分からなくなってきた・・・。
っていうか、ぶっちゃけ、最初は売れなかったですからね、ガンダム
http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-7.html
↑(人気のなかったガンダム
もう、何かの間違いで売れたとしか思えないというのが、ガンダムSDGF以外は全部見た私の感想だったりします。異常現象です。
リアルに徹した科学SFは特撮分野や小説にはあっただろうし、アニメでもあったかも知れん。世界観のリアルさはタツノコもリアルだったし。
ドラマ性も長浜ロマンロボットもすごかったし。
富野がそれを取り込んだというのもあるんだろうが。


うーん。
まあ、あえてこじつけるなら、ガンダムの前にはガンダムがなかったけど、ターンエーガンダムの前にはガンダムが合ったので、売れる要素を同じように持っていても新規性がない、あるいは、売れる要素に売れる要素を付けると過剰になって視聴者のキャパシティを超えた。(リアルなディテールや社会描写に、さらに輪をかけてリアルさ(あるいは神話性)を付加)
と、考えられるかな。
もっと簡単に言ってしまえばつまり、時代性というものでしょう。


ファンの人格も違うし。30年前にガンダムファンを熱心にするようなパーソナリティの持ち主は、現在では別の分野をやっていて、30年前はガンダムファンではないようなパーソナリティがガンダムを見るようになったとか。


あと、これは上記の「初代ガンダムターンエーガンダムは似ている」論とは逆だが、ファーストガンダムターンエーガンダムは抽象理解のしやすさという面での大きな差があるために、ターンエーは売れなかったのではないか?という気はする。

 『ガンダム』のドラマが好きだ、というタイプのファンの間で評判がいいエピソードは、たいてい星山脚本回なのだ。安彦良和があげる『ガンダム』の良さを象徴する回のすべても星山脚本回である。
 星山脚本の魅力は、児童小説のジャンル分けでいえば「小学生高学年から中学生以上が対象」のヤングアダルト向けの作品がもっているそれだ。子供が現実の苦さを舐めて、それでも前にすすんでいく、という面白さである。
 また安彦良和も、作家としての彼は、大人の男が描けないという問題を抱えていて、子供から若者までを主人公に彼らの主観世界を描いたとき、その才能と魅力をフルに発揮するタイプである。


 二人の天才ジュブナイル作家を要所に配した『ガンダム』という作品は、高畑勲の影響も受けている富野監督の下、ジュブナイルとしての魅力が横溢している。『ガンダム』は好きだが、他の富野作品は苦手、というひとは、おそらく星山ファンである。
 ジュブナイル作品というレベルでみたとき、『ガンダム』は間違いなく成功した作品である。
 しかし、『ガンダム』は決して成功した作品ではなかった。ジュブナイルに徹しきれてないからだ。

 「ジュブナイルはいやじゃー」と必死に抵抗したメインスタッフがいるのだ。
 当の富野監督である。

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-6.html
ガンダムの挫折」@ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だ

フラットキャラクターは、いわば「お約束」の人物たちなので、視聴者の負担が軽いのである。
 初代、TV版『ガンダム』では、そのあたりが、敷居の低さにつながっていたのではないか、と思われる。

 「リーダー」ブライト、「ヒーロー」アムロ、「巨漢の人情家」リュウ、「皮肉屋」カイ、「チビ」ハヤト。
 『ガッチャマン』以来の五人ヒーローものの人物構成であり、その容姿とともに、視聴者が「がんばって」理解する要素はゼロである。「みたまんま」なのだ。「よくできている」。

 おそらくこのあたりの功績は、星山ー安彦ラインのそれだろう。


星山博之と再び組んだ『∀ガンダム』では、冒頭「三人一組」が登場する。
 「男ふたり・女ひとり」で、フラットキャラクターとしては常道である。この三人一組を活用すれば、リアクションの三分割がなされ、「わかりすい」話になったはずである。星山博之が関わっているという点で、俺などは無意識のうちにそれを期待していたのだが、まったく活用せずに終わり、かなり「狭苦しい」印象の作品になってしまったな、と感じている。ファーストガンダムの「みやすさ」におよばなかったのはそういう理由があるのだろう。
 『∀ガンダム』に関しては、もう少し星山色が強かった方が面白くなったのではないか、という残念な思いが先に立つ。

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-11.html
(「フラットキャラクターは初期配置が大事」@ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ)

わかる。
富野は分かりやすい話をやれば売れるのに、あえてチャチャを入れるようなリアルっぽさを入れるんだ。
つまり、ファーストガンダムが売れたのはきちんと要素がまとまっていたからで、富野がまだ押さえられてたんだけど、ターンエーガンダムでは富野が売れる要素にカウンターを入れたから売れない。
えーと、もう、富野のリアルはリアルすぎてカッコよくないんだよ。
だってさー、あれですよ。普通、ファンはランバ・ラルを男の中の男だと思って燃えて見たいわけですよ。そこで、富野は「なるほど、イクサバカとはああ言う男の事か」とか入れちゃうの。で、ランバ・ラルは馬鹿扱いされてマ・クベの派閥争いの間で補給を断たれて死ぬの。ふざけてるのか!
ギレン・ザビの演説とかもファンはカッコ良いと思って見てるわけですよ。ジークジオン!って叫びたいわけよ。
でもね、富野演出としては「ガルマの国葬演説は全世界に向けて放送したギレンが、ア・バオア・クーでは自分が基地の兵士に直接演説をしないとヤバイ」というリアルなしょっぱさを匂わせる。よく考えたら全然カッコよくないの。
後年、シャアは同じ事をやって「これでは道化だよ」って言うの。
いや、基本的にカッコいいのはできるんだけど、意固地なほどにリアルをいれてしまって、イメージとして分かりやすいカッコよさをやらない。
多分、富野由悠季は「ファンをフィクションで酔わせる事」が出きるけど、嫌いなんだと思う。
ファンの快楽よりも、むしろ「フィクションの中の人物を現実化したい」という欲求のある思想を持つのだと思う。バイストン・ウェル思想が「人の想念が形をなした物」だからなあ。聖戦士ダンバインの「テキストの戦争」で現実と釣り合いを取らせようとしていたり。


機動戦士ガンダムのラストだと、「チビちゃん三人組がニュータイプになって未来への希望」だったら、ジュブナイル話としてすごくわかりやすいんですよ。スタジオジブリっぽい。
ターンエーガンダムのラストは「パン屋のキース、キャスターのフラン、隠遁するロランが普通に暮らす」です。
これもよーく考えたら、「超能力なしでニュータイプとしての明日を作る」というテーマがあってすごい良い話なんですが、フィクションとしては分かり難い。「狭苦しい」印象といわれても仕方がないよなあ。
だから売れないんですよ。富野さんは。
みんな、わかりやすくスカッとしたい物を見たいわけで、それが興行で芸能じゃないですか。

私の職場に非常にまっとうな感受性を持つ若者がいて、私は彼のすすめる映画はなるべく観るようにしている。

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「ちかごろはハリウッド映画でも善悪が複雑にからみあっててよくないです。いや、いいんですよ、深みのある映画になって。でもそんなのばっかりじゃ疲れちゃいます。『アバター』の悪役はいいですよ。出てきた瞬間『あ、こいつ悪役』ってわかる。もう顔からして悪役。そして案の定ひどいことをする。大虐殺とかする。うん、これだよ、これ、って思います。『アバター』いいですよ、ぜひ観てください。宇宙人が飛び出すので楽しいです」

http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20100103/p1
まっとうであるとはどのようなことか

トミノも「アニメも芸能です」って言うから分かってるとは思うんだ。でも、「事実,キャメロン監督の『アバター』という映画がモーションキャプチャーで絵を作っているが, まだ未完成も甚だしい」 とか言う。
良いんですよ。富野さん!
トミノさんは夢を現実にしたいと思いすぎるから、あの程度のCGを見たら「うぇえ」ってなるのは分かる。だって、ナヴィ族って表面的で内臓がなさそうでオマンコなめたくならないんだもん。でも、リングオブガンダムはCGだけどユリアの太腿の量感はいいじゃないですか。


そこら辺、やっぱりお富さんは真面目なのよね。視聴者に対して「こういうつくりにしたら分かりやすいだろう」じゃなくて「俺の本気はコレだ!」だから。
あと、登場人物に対してもすごい真面目。「キャラだからこういう動きをするだろう」じゃなくて「物語に頼まれなくっても生きているキャラクター」を書きたがる。イデオンって物語に翻弄されるけどみんな元気一杯だったしなあ。


だから、売れなくっても、わからなくっても「ああ、このアニメは何か本気っぽい」ということは伝わるので、出崎統版の国崎往人とか僕みたいな困った人間のファンがつくんだろうなあ。


そう言う訳で、トミノトリトンからリング・オブ・ガンダムまでずっと一生懸命物を作っている人で、その中でたまたまガンダムが売れたのは、色んな要因が在るけど結局は時代の「運」だったと思います。
富野監督自身も「ガンダムを作れてすごく運が良かった」と、発言しています。
監督はインタビューで求められるとガンダムの売れた理由をいろいろ言うけど、やっぱり実感としては運なんじゃないかなー。
ただ、運を掴むためにやっぱり一生懸命いつも作ってたって言うのも大事なんですよねー。
で、一生懸命ゆえに運を捨てて損してる部分も在るんだろうなあー。いろいろだなー。


運といえば、香山リカ先生の「しがみつかない生き方」や「勝間さん、努力で幸せになれますか」で

勝間和代さんとか成功者は「自分の成功が努力の結果」と思い「偶然の結果で、運が良かっただけだ」とは認めたがらない」


って書いてる。
でも、2009年3月に放送された真剣中年しゃべり場富野由悠季が若者に向って「僕は電脳紙芝居なんか低俗な物をやって悔しかった。悔しかったから『絶対映画にしてやるぞ』ってガンダムを作ったの。それがハングリー精神で、足場に成るの。今、不況だったら若者はハングリー精神をもっと持てよ!」
って叫んだ。
そして、同席した勝間和代さんは「富野さんとかは自分が成功してるからバイアスがかかりすぎてる。今の世の中は昔よりも若者に対して酷くなってる。もう、個人の努力でどうこうできる段階じゃない」って叫んだ。
あれー。いつの間に勝間和代さんは立場を逆転させたのか?
香山リカ氏のポジショントークかなあ。


でも、トミノは同時に「運が良かったw僕はガンダムがあるから安心して老いて死ぬまで食っていけるけど、日本人はこれから地獄を見るでしょうねw」とか言いやがる。
くそっ。

 「ガンダムのときも,誰も助けてはくれなかった。あのとき近くにいた現場のスタッフが寄り集まって作ったのがガンダム。そういう時の運が来たら,それを掴めるように自分を研鑽する,それくらいしかない」
 「『化ける』必要はない。自然に死ぬまで生き続けられればそれでいいし,それはとても難しいことだ」
 「毎日毎日,飽きずにコツコツやった人の勝ちです。億劫がらず,自己研鑽し,スキルを高めていく。教えられるようなものではない。なぜなら人間,実際にやるのは『自分』であって,『あなた』ではないから。教える人は,あなた自身になることはできない」
 「富野がこうやって喋っているのは,自分を縛るためだ。俺はまだ,ここにいるみんなには負ける気がしない。FFに負けっぱなしなんて嫌だ! そういう思いがないと無気力になってしまう」
http://www.4gamer.net/games/103/G010304/20091221034/

富野は今でも頑張っている。進化中だ。
だから、今回、ガンダムターンエーガンダムの似ている部分と違う部分を比較しましたが、実感としてはどっちも一生懸命作ってる感じがして、好きだ。僕は今ザブングルを見ているけどすごく面白い。ターンエーガンダムキングゲイナーよりも人が死にすぎる。
作風が違う。でも、おもしろいんだよ!
富野だけじゃない、他のスタッフとかキャストの一生懸命も、見えてくるのだから、それは作品個々のテーマや思想を超えた所で命を感じられるんだ。
富野ファンでも「黒トミノ」と「白トミノ」を分ける風潮がある。だが、そのように割り切れる物だろうか?
俺、イデオンの中にも希望を見るし、キングゲイナーの中にも絶望を読み取れるよ。それでも、どっちも好きだし面白かったよ。
白だの黒だの!
思想的一貫性など、仏ではない人間に過ぎない富野に持てるはずがない!その時々の全力を出すだけだ。今もトミノは道の途中なんだよ!
そんな富野アニメだから愛せるんじゃないか!本気が見たいんだよ!


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