京都国際マンガミュージアムで、ウルフ金串をジョーがぶちのめす所まで読んだ。
原作と話はだいたい同じ。
ただ、だいぶ雰囲気が違う。
俺が出崎統ファンで、ちばてつやファンじゃないからなのだろう。原作はアニメーションより非常にナレーションというか、ト書きが多い。
漫画ではト書きでスルーされていた青山や西の少年院退院シーン等がアニメではオリジナルで書き起こされて情感たっぷりに描かれている。
また、「ボクサー志願」「ガンバレ、西!」等のアニメオリジナルボトルショーもなかなかいい。原作は、原作なのに、「あらすじを駆け足で追った感じ」がして、余韻が少ない。薄い。
あと、ジョーがプロテストでボコボコにした高校チャンピオンの稲垣とプロテストの前から出会っているのはアニメオリジナルだが、その出会いがノリちゃんにジョーが忘れ物を届けに高校に行った所ってのがアニメオリジナルというのは意外だった。慣れない学校でふざけるジョーは下町ギャグっぽかったし。どうも、アニメ版のジョーはシリアスで、萬画版はほんわかしたちばてつや風味だとおもっていたので。
でも、アニメ版もギャグの入ったシークエンスをオリジナルで作っているのね。ちなみに、そのシーンのある29話「明日への挑戦」は富野喜幸演出回。ギャグも出来るんだ。富野。
でも、まあ、今の眼で見たら古臭いギャグセンスなんだけどね。ジョーがノリちゃんにブルマの忘れ物を届けて、みんなにうっかり見せびらかして恥ずかしがらせるというベタな・・・。あ、でも、ブルマとか、ちょっと萌え文脈かwww?
また、29話でジョーが新聞記者たちに向かって、すごく劇画っぽい線の多いかっこいい作画でVサインをするのは、てっきり原作の絵をトレースしたものだと思っていたら、ここもアニメオリジナル。
ブイサインの間からジョーの眼光がのぞいたり、ブイサインの手とジョーの顔が別セルになっていたりなど、レイアウトやカメラワークもカッコいいのである。29話は番組最高視聴率29%なのである。
- 作者: 高森朝雄,ちばてつや
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/02/08
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- アニメの方がつじつまが合ってる。
白木葉子が漫画では「ジョーの詐欺事件の被害者の一人に過ぎない」って裁判の傍聴席での初登場だったのが、アニメでは最初から「嫌な慈善家」として登場し、最初からジョーは白木葉子をターゲットにして詐欺事件を行っていたので、縁が深い。また、アニメの場合の出会いの方が運命的だし、今後の白木葉子と矢吹丈の最後までの因縁の流れとしてふさわしい。
というかですね、萬画版は白木もそうだし、力石の最初の体格からもそうだし、行き当たりばったりな週刊連載漫画って感じ。で、アニメはその行き当たりばったりな展開を後出しじゃんけんで再解釈したり、原作の隙間にオリジナルを入れてつじつまを合わせたり、感情の流れを整理したり、時間経過を感覚的に分かりやすくさせたりしてる。
そうすると、出崎統は情念を描くことに長けているし、何をやっても旅人っぽい作品にしてしまうが、同時に、自分の主義主張を描くだけでなく、原作を補完し補強するという批評的演出家としての面も持っているのだなあ。そこら辺は、同世代の虫プロ監督の富野と比べて、出崎統は圧倒的に原作物を手掛けていることからも分かる。出崎統も富野由悠季も我が強いというか独特の作家性を持ったアニメ監督だと思うが、出崎統はあんまりオリジナルはやらないよね。でも、原作つきなのに全て出崎統作品としか言えない出来栄えにしてしまうというのが、本当に謎。
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- 力石が最初からかっこいい
アニメは原作の後の方から逆算して初登場を描いたりしてるんで、最初から力石がかっこいい。
漫画の力石徹は、最初は不気味で不細工な、笑ゥせぇるすまん的な謎の郵便配達員で、しかも意地悪で、無意味にジョーに手紙を落として、拾おうとしたジョーの手を自転車で踏むという嫌な奴だった。ぬぼーっとした感じ。
でも、アニメの力石は最初から、原作後期のような感じで知性と礼儀と獣性と強さを兼ね備えた落ち着いてダンディーな男性として描かれている。顔も。カッコいい。やっぱり力石がかっこいいと安心する。
アニメは後出しじゃんけんだなー。
- アニメはコマが大きいし、人物が大きい。
あしたのジョーは古い萬画なので、コマ割が基本的に長方形で、単調です。
そして、一つ一つのコマが基本的に小さい。大ゴマは手塚治虫みたいな、大勢の人が一斉に騒ぐモブシーンが多い。アニメは時間の制約があるので、大勢の人が一斉に騒ぐのは無理。
漫画で大ゴマを使ってアップを描くのは、ジョーがクロスカウンターを決める所など、ごく一部の、本当の見せ場中の見せ場だけ。
でも、出崎統版のアニメは、カメラの位置やカット割り、カメラの被写体への距離が漫画よりも自由自在である。一つの止め絵でも、カメラが引いて、アップからロングに移行したり、カメラが回転運動をして動きを付けたり、漫画では絶対に不可能なカメラワークをしている。(単に動画になっているという異常の演出意図がある。)
また、アップでカッコいい絵が漫画より多い。さすが杉野昭夫、金山明博、荒木伸吾。
てなわけで、アニメの方が迫力がある。
しかし、あしたのジョーの1期は虫プロダクション制作なのに、手塚治虫的なモブシーン(ウォーリーを探せ!のような感じといえばイメージしやすいだろうか)はちばてつやの漫画版に多く、アニメ版ではそこら辺が一切排除されている。あしたのジョーの漫画のモブシーンは、たとえば少年院でのボクシングの練習を俯瞰で描いて、その中で喧嘩をする者や失敗する者などの微笑ましい描写を入れて和ませるのが多い。が、アニメではそのような面はほとんどない。ギャグを入れるとしても、メインキャラクターにカメラが注目して話の本筋や感情を強調するための物だ。脇役のどうでもいいギャグを入れて、楽しい絵本みたいな感じの萬画版とは違う。
そこら辺に、アニメ版の「漫画とは違う映画志向」を感じる。
で、手塚治虫やちばてつやのそういうガヤガヤシーンや単調なコマ割は、今の眼で見ると古臭い漫画だと思う。が、アニメ版は動画枚数が少なかったり陰や色の付け方が変だったりはするものの、雰囲気としては漫画より古臭さを感じない。そこら辺は、やはり、映画っぽさや、ドラマ性、リアル感を重視した出崎統の方向性の明確さがあるからだと思う。
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- 間の取り方
この間取り上げた、「ジョーがおっつぁんを蹴り落として、おっつぁんが動かなくなってジョーが困る。それで、丹下段平の父性の絶対性が脅かされて、ジョーも困惑する」というシーンは原作にもあったが、アニメはそこで動かなくなったおっつぁんをワンカットでも長尺で描いているので、おっつぁんの重傷っぷりとジョーの困惑が強調されている。
漫画だと、一こまワンカットでも、一コマだと即座に読み進めてしまうが、アニメだと尺の長短を演出意図として制御でき、そこで情感を演出できるのだなあ、そこがメディアの違いなのだなあ。と、実感した。
あと、段平とジョーの出会いも、漫画はあっさりしてるが、アニメだと泥酔した段平にジョーがたかられてマジギレする
世の中全体のうらぶれた感じがする。出崎統の場合はジョーの感情にフォーカスしてるので、どこか熱気がある。
だが、アニメの方が叙情的な時もあり、いろいろ。
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- ボクシングのルールや歴史が紹介されてる
文字媒体だし、挿絵も入れられるから注釈っぽい説明がアニメより入れやすい。あと、出崎統はとことん段取りが嫌いなので、思いっきり削っている。
だから、萬画で階級の違いとか、有名なボクサーの逸話とかの設定が補完できる。富野ガンダムで言うと小説版みたいな・・・。原作なのに・・・。
- まとめ
ウルフ戦までは、アニメ版は原作より、
段取りを省く、ドラマの整合性を補完している、段取りよりも感情の流れを整理している、抒情的、絵や人々がかっこいい。潔い。独特の美学が貫かれている。
そして、重要な事は、原作に対して、さらに原作以上に原作のテーマを整理してみせるという、アニメ版の批評的な態度。抒情的で美学的だが、独善的ではなく、あくまで原作に対する分析の結果として、最適に修正しているという演出態度。
漫画原作は週刊連載なので、読者の反応や、作者の思いつきで雰囲気が変わるが、アニメはそこを、あたかも古典劇を再構成するかのように、雰囲気を統一して演出し直している。
そういうわけで、出崎統は作家性ももちろんある人だが、やはり演出家なのだなあ、と思うのであった。
そういう原作に対する批評的演出家としての出崎統は、それこそブラック・ジャックやAIR・CLANNADや源氏物語千年紀 Genjiまで一貫していたと思う。
宝島や白鯨伝説はほとんどオリジナルだと思うのだが・・・。そこら辺は未見なので、もうちょっとちゃんと見よう。
- 作者: ちばてつや,高森朝雄
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