玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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ガンダムAGE感想へのご意見への返答と、女の支配?

機動戦士ガンダムAGE第1話 映像の原則1stと比較して地味 - 玖足手帖-アニメ&創作-
↑この機動戦士ガンダムAGEの感想に追記した部分と、書き下ろしです。長いので別エントリに。

上手と下手しか考えていないのは、いくらなんでも片手落ちとしか思えない。
『映像の原則』にも左右だけでなく、上下の位置関係について書いてあるはず。その「原則」は、簡単にいうと上にあることと上手にあること、下にあることと下手にあることが同じくらいの意味を持つ。力の拮抗を表現したいなら、同じ高さで左右からぶつかる構図にするのではなく、左上からと右下からの力がぶつかる構図で演出するべきとなる。
『機動戦士ガンダムAGE』を『映像の原則』と照らし合わせた感想について少し異論 - 法華狼の日記

とのご意見をいただきました。ありがとうございます。
たしかに、左上と右下は拮抗しているもの、と考えられますね。それは私の前の記事では欠けていた視点です。


ただ、カメラ位置が平坦。

フリットが下手上方に立っている。小さいし、あんまり主人公らしく感じない。上手の下に立っているバルガスとエミリーも小さいので、迫力がない。あまりぶつかりあう感触はない。
フリットは一応上に立っているからえらいという感じではある。だが、カメラが真横から移している平坦な構図なので、インパクトとしては薄い。「単にガンダムが高い所にあるから移動」というだけな気もする。
あまり力や二つの意見がぶつかり合うというという感じには見えないなあ。平坦だから。



↑確かに、法華狼さんに指摘してもらった通り、上から見下ろした主人公が強く見えるというカットもある。
(キャプチャを面倒がっていました。すみません)
だから、上から見下ろした主人公が、下手から上手に向かってこうやって「ぼくはガンダムに乗るんだ!」って叫ぶカッコいいシーンもある。下手から上手に向かって意思を向けるのは決意の表れにも見える。
これは映像の原則に合っている。フラウを下手から叱咤するアムロのシーンとも対応している。
ただ、ここでの問題は、フリットが意志を向ける上手側が「女の子とジジイ」なんだよ。「僕はガンダムに乗るんだ!」って叫ぶのはカッコいいんだけど、そこまで強い意志をぶつけるのが「女の子とジジイ」なんだよな。しかも上から目線で。なんか微妙な感じがする。
普通のドラマだと、例えばスポーツドラマなどだとこの構図でも良い。「俺は試合に出るんだ!」って上から目線で下手から上手に居る女(試合に出るのを引きとめようとする人)に→と意志をぶつけるのは意志の強さだから良いのだ。
だが、ガンダムAGEでこの構図が微妙に感じるのは何故かというと、格好を付けているフリットの背後の下手側に「UEの暴れまわっている場所」という「女の子とジジイ」よりももっとヤバいものがあるから。女の子に格好を付けている場合じゃないと思う。敵に背を向けてる構図になってるので、なんだか微妙なのだ。
(ラーガンの出撃のシーンのせいで、下手側にUEの脅威がいるという舞台感覚が場を支配しているのだ。)
ちなみに、アムロが下手側から上手側のフラウをビンタする時、フラウの背後には「母さんとお爺ちゃんと大勢の人の死体」が広がっているのだから、そういう「怖い物」に対してもアムロが意志をぶつける、というシーンにもなっているわけ。
また、アムロがフラウを叱咤したりガンダムに乗りこんだりする時、ザクは縦横無尽に暴れまわっているし、砲撃音は続いているし、アムロガンダムに乗りに行くまでにカメラがアムロを追って、上下左右に動いている。だから、ファーストは不安感とかどこから弾が来るかわからない危険性、その中での勇気も表現されてる。
ガンダムAGEだとフリットは基本的に右から登場して左に在るガンダムに乗って、さらに左のUEと戦う、という単純な演出がなされている。分かりやすいんだけど、高揚感は足りない。
また、ラーガンを襲ったUEがいるのに、シャッターが閉まった後は外の戦場の音が聞こえていないので、ちょっと緊張感が薄れている。下手側に在るべきUEの存在感がもっと脅威としてあってもいいのだが、それが薄れている。
だから、フリットが上から目線で下手から上手の「爺と女の子」に強い意志を発揮しても、なんだかぼんやりした印象がある。


下手をしたら、下手側のUEの圧力に押される形で、上手側の「爺と女の子」に意志をぶつける、という受動的な態度と言う風に見えてしまうかもしれない。これはちょっとハッキリしない演出だったんじゃないかなあ・・・。
<<追記の追記:
今思いだしたが、上手側の下に居て試合を引きとめるスポーツドラマの女と言えば、あしたのジョー2のホセ・メンドーサとジョーの最終決戦前の白木葉子があまりにも有名。
ここではジョーの話はあまり長く書かないけど。ジョーは白木葉子にグローブを渡すシーンが終わってから、白木葉子が泣き崩れて、それを残して、下手側に居るホセに立ち向かうという絵が挿入されている。
ガンダムAGEも下手側に居る事を暗示させる敵のUEに立ち向かう移動があるのだが、ジョーと違って、ガンダムに乗るために、また振り返って下手から上手に移動する。それはちょっとあしたのジョーとは違うなあ。
>>

また、カット単体のレイアウトで見るとフリットは下手から上手に向いているが、バストアップで中央ポジションに映っていて他の対比になるものがない。そのため、フリットの意思の方向性がぼやけて見える。なんとなく被写体が中央に居る、って言う感じなので、あんまりインパクトがないのだ。(集中線で漫画っぽく迫力を出そうとはしている)
山内重保だったら、もっと叫ぶフリットの顔をドアップにして、下手から上手の角度を強調するんじゃないかな。
山内演出ほど極端じゃなくても、叫ぶフリットの台詞尻の後に短く「フリットの後頭部ナメで上手側の下に居るエミリーを見ている主観カット」を挿入するだけで、フリットの意思を盛り上げる事は出来ると思う。



ただ、法華狼さんの指摘したとおり、「上手側に居る女の子が語り部のように主観カットで見上げる」という演出意図はガンダムAGEオリジナルです。

第1話は、主人公ではなく少女の視点で見ている物語と解釈していいのではないかと思う。

そこは面白いと思った。上手側の人物は主観的な印象だし。実際、フリットの思い出を回想するのは上手側のエミリーだし。
エミリーが「三代のガンダムパイロットのグレートマザー」になって「三代の少年たちの語り部になる大河ドラマ」だとすると、独自の面白さがあると思う。
でも、それだとフリットの主体性は若干薄れるよな・・・。
下手側の母親にガンダムの設計図を渡され、上手側の恋人に観察されるという形になるし、主人公の少年が母と妻に挟まれて支配されるような印象で男の子としてはちょっと弱くないか?
いや、妻になり、母になる女性が語り部になるという構図自体は美しい、と言えるかな?大河ドラマ的だし。
ファースト機動戦士ガンダムの富野メモの「私はあなたの子供を産んでみたかった・・・」をアニメとして実現する、と考えたら富野ファンとしても面白いと思う。
さて、今後はどうなるのでしょうか。今後に期待です。

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

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