玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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無敵超人ザンボット3 第17話 星が輝く時 進撃の巨人よりも残酷な世界

脚本:荒木芳久 絵コンテ:斧谷稔 演出:行田進、菊池一仁
あらすじ
https://higecom.web.fc2.com/kingbial/story/story17.html

  • 富野コンテのすさまじさ

ここで富野コンテなんだ…。前回は金田伊功作画回でしたけど。今回は作画やアクションシーンや戦闘的な面が大したことない分、コンテワークによる心理描写が非常に重く、確かに20年30年の時を経ても名作トラウマ回として語り継がれるにふさわしい富野演出である。
(ちなみに、私は目の前で母親が自殺するところを見ていて、普段からトラウマだらけの精神障碍者(身体化ストレス障害)なので、画面の中でキャラクターが死んでもそんなにトラウマにはなりませんけど、古傷を揺すられるような感じはありますね)


今回は人間爆弾にされたことを悟って死の行列に向かう人々が視聴者に強烈なトラウマを植え付けたと語り継がれています。
たしかに、その人間爆弾の人々の死のインパクトはすごい。
しかし、その爆発を受けてのラストカットの勝平の悲しみの演技の絵コンテワークがすごい!



(↓背景に注目)



(勝平の顔アップはワンカットだが、同色味で背景が山と雲から、地面に切り替わっている。このさりげないアナログ演出の工夫がすごい!!驚愕から慟哭へ切り替わる)



「ちっくしょーーーっ!」


:追記
これ、富野監督の直筆原画らしい。最高ですね。感情の入れ込み方。

吉田健一 ‏@gallo44_yoshida
@akiman7 『星が輝くとき』のラスト、勝平の慟哭は富野さんじゃないかと思います。あそこ、よれよれなのだけど僕が描いてもあんなに伝わる絵にならないと思うんですよね、、、。好きなシーンです。未確認ですが。^^
https://twitter.com/gallo44_yoshida/statuses/317011774937370624

確かに、富野の絵コンテの絵柄に似ている。

↑富野監督のF91のストーリーボード


このロッキーみたいな万歳ポーズは富野アニメでは割とよく見られるもので、特にどうにもならない苛立ちを表現する時に使われる。
ぱっと思い出しやすい所では、∀ガンダムの25話「ウィルゲム離陸」(夜中の夜明けの2個前)で長崎平和記念像みたいなポーズで吠えるホワイトドールとか。

あと、この主人公のアップと俯瞰を繋げるのは、ブレンパワードの14話「魂は孤独?」の勇の伝説の長台詞とか。

(このブレン14話の絵コンテは川瀬敏文(カワッセ)さん)


で、その「ちくしょー!」からの、




「ごめんよ・・・ごめんよ・・・」で、振り上げた拳に視線を集めて、土下座に至る重力のイメージを利用した絵コンテによる芝居の付け方が本当に素晴らしい。
これで、俯瞰とか重力に逆らえない感じとか、勝平の落ちていくイメージを見せるのは富野らしい映像の原則のテクニックである。そう言うテクニックを使う事で、人間爆弾の恐怖が「人が死んで哀しい」とか「主人公が阻止できなかった」と言う表層的な理解だけでなく、哀しむ勝平の表情や無力感や後悔という感覚的な辛さを演出による身体化感覚を呼び起こして見せて、視聴者に何とも言えない感じを与えるわけです。
人間爆弾は設定だけでもインパクトがすごいのですが、その設定や筋書の凄さに安住することなく、演出効果でもこれでもかこれでもかと視聴者に追い打ちをかけてきているのです。だからこそ、この話が単なる一発ネタではなく、何十年も語り継がれる伝説の回と言われるのでしょう。
人が死ぬのは確かに辛いのですが、その死の辛さだけでなく、人が死んだ後に残されたもののリアクションを丁寧に描くことで、さらにその重さが何倍にもなるという演出ですね。
テレビ版機動戦士ガンダムリュウ・ホセイが死んだ後のホワイトベース全員(策士の妹のセイラ以外)号泣大会とか。




これだけで富野演出の素晴らしさが分かってもらえたと思うので、以下はネタバレなので閉じます。









また、「死ぬのが怖いよー!」と言って死んでいく浜本を、13話で香月に向かって「死ぬのは怖いけど、世の中がこんな風になっちまって生き延びてどうするんだよ」と絶望的なことを言った健太が直視して胸をえぐられるという脇役の伏線もヤバいですね。
なかなか、こんなあからさまに絵柄が簡単な脇役に、こんな人間ドラマを背負わせるアニメもなかなかない。
月組の手下どもってモブかと思っていたら、ちゃんと人間性がある命だったんだな…。という事に気づいたときにはもう半分死んでいる、という残酷さ、冷徹さがザンボット3らしい。

っていうか、脇役なのに声優がすごく豪華。この当時の井上さんは島村ジョーでブレイクする手前くらいの若手の時期だったのかな。13話で虐殺されるモブに石丸博也さんが居たりもして、ロボットアニメらしいです。
月組の手下たちは不細工でモブキャラの一般人だから大して注目に値しないキャラクターだと思っていたが、それでも第1話から登場していて勝平の幼友達だというキャラクターだったのだ。だから、重みはあるのだ。どんな脇役のように見える人間でも、命の重みはあるのだ。それを殺すことはひどいことなのだ!と、見せる演出だ。まあ、現実の世界でもアニメでも人は虫けらのように死んでいくし、僕の周りでも人は死んでいる…。


死を受け入れて歩く人間爆弾の進行方向も実に映像の原則だった。


落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>
人間爆弾たちは死ぬ運命に流されて、自分で考えることを放棄して死の行進を淡々と行う。この、力に流される感覚が非常に映像の原則。

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

で、「最期くらい恰好を付けさせてくれよ」って言って死の行進に加わった浜本だが、死の直前で自我に目覚めて反転するのも非常に映像の原則。

ここで浜本の方向が変わるのが実に良い。また、生きることを諦めた人の多くがポケットに手を突っ込んでいるというのも、新世紀エヴァンゲリオン渚カヲルを連想させてナイスです。庵野さんも富野アニメ好きだからなあ。

で、そう言う風に叛逆する方向に転身した浜本を、同じ人間爆弾の人が四方から追いつめるって言う構図が、絵としてはすごく簡単作画なのに、レイアウトとしては非常に煮詰まってる感じで、胸に突き刺さります。


また、浜本の両親はすでに死んでいるのに、「父ちゃんも母ちゃんも死んでいるから生きてても仕方がない」→「父ちゃんも母ちゃんもいない所で死ぬのは嫌だ!」→「父ちゃん!母ちゃん!助けてよ!なんでもいうこと聞くから!」と、ロジックが崩壊して幼児対抗していって浜本が死ぬ際のセリフは、死に臨んだ人間の極限状態を容易に連想させる。あと、「父ちゃん母ちゃん、なんでもいうこと聞くから助けて!」って、子供向けアニメでは子供に親近感がすごくあるセリフで、それが直後に死ぬのだから当時の子供の気まずさはすごかっただろうな…。
僕も親が目の前で自殺しているので、そう言う気持ちは割と分かる。僕もちょっと気を抜くとすぐ精神崩壊するし、毎晩悪夢にうなされていますしね。富野監督の親類が死んでどうこうという話はあまり聞かないんですが、戦争体験をお持ちの方なのでそこら辺の意識があるんですかね。

  • ゲリラ戦と核のメタファー

前回も書いたように、ザンボット3の第三部は人間爆弾編であると同時に、スーパーロボットアニメから戦争映画に路線変更していると言える。
地球のほぼ全土はガイゾックの自動巡回型メカブーストに制圧されて破壊されつくしているが、神ファミリーも15話で国連軍の全補給物資を得て分解分散していた神ファミリーが結集し、キングビアルに再度合体していることで戦力が充実して戦い慣れている。
と言うわけで、ザンボット3に合体しなくてもザンブル、ザンベース単機で制圧地域に展開している自動巡回タイプのメカブーストを楽々と砲撃で撃破し、占領地区を解放できている。Gのレコンギスタのキーワードのレコンキスタのように、神ファミリーは領土奪回作戦をする段階になっている。
(神ファミリーの手が届かない国や地域は…)
なので、ロボットにならなくても敵怪獣を撃破できるし、陣取り合戦という段階になっているため、ロボットアニメというよりミリタリー映画に見える。
なんしろ、前半のガイゾックの末端兵士はマスコットキャラクターみたいなこんなのだったしセリフもほとんどないにぎやかしに過ぎなかったのに、

人間に化けたガイゾック兵はよく喋って改造された人間を指揮したり命令したりする。

ルックスもいきなりガチの兵士になってる。(これは雪風のJAMのように地球人に擬態したからなんだろう。地味にSFホラーテイスト)


ガイゾックが人間に化けて難民キャンプを運営して、難民を集めて爆弾に改造するというのも、便衣兵ナチス強制収容所を連想させる。私は、ザンボット3ではガイゾックをアメリカ軍、鎧武者のザンボット3江戸しぐさ、一般人を戦後厭戦主義者のメタファーとして解釈していたけど、捕虜収容所と連動する人間爆弾製造工場は連合国軍と言うよりはナチや旧日本軍の731部隊の要素も見て取れる。第三部になってから、ガイゾックは本格的に戦争の残酷さのモチーフを取り入れてきている。1クールで長浜ロマンの延長線のロボットアニメとしてお子様の目を引いて、クリスマス商戦で玩具を売り切った後にこういう展開をするとは、富野喜幸なかなかの策士である。
また、偽兵隊が難民キャンプを運営して慈善事業のふりをして強制収容所に送り込むというのは、宇宙人の無機質な作戦と言うよりはカンボジアやアフリカの内戦状態の混乱で反政府勢力とボランティアの区別がつかなくなっているようなリアルな現実の戦術に近い。
捕虜収容所で、雨が降ったらシャワーの代わりに外で体を洗わせるとか、戦争体験のない当時の子供にはわからないはずだが、そういうミリタリー要素を入れる。
また、収容所を脱出する時に、勝平は持ってきたコッペパンの中に仕込んだやすりで鍵を切断して逃亡する。
非常にミリタリーテイストの溢れる描写だし、現実の戦争の収容所でも使われた細かい生活風景や脱獄テクニックだ。
(こういう地味に生々しい戦場テクニックは子供にはわからないかもしれないが、1962年には日本でコンバット!が放送されていたし、当時の人も見ていたのだろうか?むしろザンボットの15年前なので、作り手が参考にしたと思われる。史上最大の作戦も1962年。大脱走は1963年)
なので、ザンボット3の恐ろしさはファンタジーの怪獣の恐ろしさとか、人間を改造するサイバネティックなSF的な恐怖感より、実際の戦争でも使用された戦術と地続きの生々しい恐怖感があると言える。
また、地名もリアルだ。
この収容所があるのは青森県下北半島の七カ所村と語られる。明らかに核施設が並ぶ六ヶ所村の改名です。子供にはわからない所で、原子力政策に対するチクリとした批判を行い、そこから広げて、日本にはこういう風に人間爆弾にも似た核貯蔵施設と言う爆弾があるんだ、というアニメと現実の地続き感を感じさせている。(ガイゾックがここに収容所を作った直接の理由は語られていないけど、劇中の展開を見るに海沿いで、また核貯蔵施設があったことで周囲の人口が少なく、同時に公的機関を防衛する兵隊に偽装しても怪しまれないという裏設定があったのかもしれないと想像する)


殺人の恐怖はアニメの中だけでなく、現実と地続きなのだ!現実の世界は残酷なんだぞ!というのを無邪気に玩具のロボットアニメを見ていた子供たちに見せつけた77年当時の富野喜幸は明らかに確信的犯行である。
どんだけ現実が嫌いなんだよ…。
また、人間爆弾にされた人と改造前の捕虜をどっちも区別せず、雑に吸い込む人間収容掃除機メカは進撃の巨人の巨人が人を捕食する所に非常に似ていると思いました。
富野監督は進撃の巨人について批判するメルマガを昨年書いたので、皆さん108円払って読んでほしい。

https://chokumaga.com/magazine/?mid=101&vol=19


■『進撃の巨人』は作者の気分がストレートに出ている作品

『ワンピース』が少年漫画としての制御の効いた、

万人が親しみやすい娯楽作品だとすると、

進撃の巨人』は非常に私的な読みづらい漫画です。

僕は作者の諫山創さんをニュース番組で二度見ているのですが、

彼の話を聞いてすごく腑に落ちたんですよね。

こういう人だからああいう漫画を描いてる
んだって。

要するに、かつては意気地なしのいじめられっ子で、
その鬱憤を漫画を描くことで晴らしている。

進撃の巨人』というのは
作者の気分がストレートに出ている漫画
なんですね。


ただ、少し安心したのが、あの巨人の絵を描くために、
彼は人間の嫌な顔の写真をとにかく集めて、それを参考にして描いているんです。


つまり、全部が全部作者の気分ではない。
僕、本当に絵が描けないんですと言いながら、
自分にとって一番嫌なものを描くための努力はきちんとしていて、
そこまで承知してあの漫画を連載しているということは、
彼も漫画家である前に作家になる努力をしているのです。


その作家性の部分は、物語を作るという部分にものすごく傾斜しているということからもわかります。


だけどその根本にあるのは、子供時代のいじめ体験であり、
その鬱屈ゆえにああいう敵やテーマを設定することができた。
そういう背景がわかったので納得もしたのですが、
それにしてもあれだけのグロい世界を漫画で表現することに関しては、
じいちゃんの立場で言わせてもらうと

絶対に認めがたい部分
 

なのです。

まさにエロとグロが同居していて、

あれは絵にしてはいけないだろうということです。


だから僕個人としては絶対に読みたくないし、

評価もしたくない作品なのです。

そういう漫画がこうも受けているというのは、

今という時代がかなりひどい

有料メルマガなので、これ以上の引用は控えるし、この後の号を読むに、富野由悠季氏が批判したいのは1萬画作品に過ぎない進撃の巨人だの諫山創さん個人ではなく、それを内包する日本社会の政治のトップから大衆に至るまでのインテリジェンスの欠乏、愚民どもへの絶望を書きたいのだとわかる。
https://chokumaga.com/magazine/?mid=101&vol=20
しかし、愚民は愚民なので、そのような議論を内省することはなく、「ベテラン作家の富野監督が進撃の巨人を叩いたぞー!」と言うような些事をまとめサイトで書き連ね、ネチズンたちもそれだけを読んで思考停止する。
富野監督もそれを分かっているから、クリティカルな原発論や政治批判をする前の隠れ蓑、ダミーとして進撃の巨人批判やONEPEACE論などを前置きにして文脈迷彩に使っている。しかし、大衆はその構造にも気づかない。
こういうメディアの状況を見ると、やはり大衆に知性を求めるのは絶望的だな…。


なので、富野監督が進撃の巨人を叩いたと言う話はあまり本質的ではないのだが、この稿はザンボット3の17話の感想なので、何を言いたいのかと言うと
「富野監督自身が自分でグロい世界をテレビアニメで表現してたじゃねーか!どの口で言う!」
ということと、
「富野監督御自身が意気地なしのいじめられっ子で、同じように世界の残酷さを表現する物語を書き続けて精神異常にまで陥った経験を反芻して、遠回しに諌山先生に忠告をしつつ、自己反省をした結果書いた文章なんだろうな」ということです。
富野自身、残酷アニメをヒットさせてしまったし、そのまま見てはいけないと自分で言うほどのVガンダムまで走り続けたので、進撃の巨人を見ると自分の若さゆえの過ちを掘り起こされたような気分になったんだろうということは容易に想像できる。


しかし、
「世界は残酷だ」というのが進撃の巨人のキャッチコピーの一つですけど、進撃の巨人の作品世界は一応、異世界か遠未来ですよね。富野監督はザンボット3で現実の1977年当時の日本や世界を舞台に似たような残酷描写を行い、
「世界は残酷だし、戦わなければ殺されるだけだ!」と子供に突き付けたわけで。
酷いことをしたなあ。
しかも、ガイゾックは宇宙人なので進撃の巨人の巨人と同じような架空の存在ですけど、ガイゾックのやってる戦争行動は実は現実の戦争でも行われた戦術を多く取り入れている。
なので、進撃の巨人の中で「世界は残酷だ」って書いてもまだ「進撃の巨人の作中世界が残酷だ」と言うところで踏みとどまれるけど、ザンボット3時点の富野監督は子供たちに向かって「これはアニメだけど、似たような残酷なことは世の中に出たらいくらでもあるし世界は残酷なんだよ!」とテレビアニメで表現したわけです。
ひどい。
しかも、富野監督は

山梨英和大学 紅楓祭 富野由悠季監督講演会


じゃあ「私が作る物語」というのは、今言った様なものを目指して欲しい。そうすると、僕が5年後に死ぬ時に、「あいつが作ったものは凄いよね」ってものを見せてもらえるかもしれない。
現在そういったもので、見せてもらえるものは去年の夏くらいまで一つありました。だけども去年の夏くらいから読むの止めました。「ONE PIECE」って漫画です(会場笑)。
最近で言うと、「進撃の巨人」も4巻くらいまでは読んだんですが、後はもうイヤ! だけど、こういう様な物語論を持っていたり、物語世界を持っている気持ちは分かる。
気持ちは分かるが、これが50年100年保つ物語かというとそうではない。どうしてかと言うと……「進撃の巨人」のファンがいたら、その人から石つぶてが飛ぶのを覚悟で言います。
現在という時代の反吐だからです。だから「進撃の巨人」は買えない。という言い方をしておきます。……ごめんね、喋り終わって気づいたことがあります。知らない人いっぱいいるんだ、っていう(笑)。


……だったら3巻くらい読め(会場笑)! 


それが学習をするという事でしょ。たかが漫画なんですけど、「進撃の巨人」、本当に見るのもイヤな漫画だったんだけども、
本当に周囲から薦められてというのは、20代30代のスタッフから薦められて「見ておかなきゃダメですよ、富野さんは」、だから4巻までは読みました。


本当に嫌いだし、絶対に言いたくはないですけども、4巻くらいまで見て、劇を作る、劇構成をする手法みたいなものを本能的に知っているというのはあります。
だからそこは僕は買います。徹底的に買います。ただ、あんなヘタな絵で漫画描いていいのかってのは、あんなヘタな絵で描くなって、それだけの話です。
「ヘタな絵」ってのは本人が言ってんだからね。……また作者の名前忘れた。

ザンボット3は確かに作画に恵まれなかった作品だけど、天才安彦良和デザインで金田伊功の筆で、子供にも親しみの湧くかわいらしい絵柄でお茶の間の子供にアピールしたわけです。
諌山先生の絵柄は下手な絵かもしれないけど、「このマンガは残酷な描写を含んでいます。年齢層が高いです」という事を直感的に子供にも分かるようにしてる面がある。


富野監督は「都市生活者は観念的にものを考えているから、進撃の巨人のように頭の中で生と死を描く。ひと昔前に田舎に住んでいた人間だったら、絶対にああいうものは描かなかったでしょう。」
と言うが、エログロ・ナンセンス萬画家の丸尾末広先生が世界的な評価を得ているという現実もある。丸尾末広先生は1956年生まれで長崎の田舎の出身で、高卒で上京した後、萬画家になる前に30回も転職して世の中を見てきた人だ。また、丸尾末広が題材にするのは江戸川乱歩夢野久作であり、夢野久作は戦前の九州の人だが、「いなか、の、じけん」という淡々と田舎で起きた地味な殺人事件などを数十も集めた短編を書いている。グロテスク趣味は大正時代からも江戸時代からもあったのだ。
なので、富野監督が「最近の都市生活者の若い者は」という論旨はあまり正確ではないと思うのだよ。
(まあ、地味に文章の中で富野監督は諌山先生個人に対するフォローは居れているのだが、有料メルマガなので、これ以上は金を払って読んでください)


ただ、富野監督の文章をよく読むと、作家が衝動的に書くこと自体は否定していない。(これはエヴァンゲリオン庵野秀明氏に対しても同じである)
むしろ、周りのメディアが売れたからと言って日陰の物を日向に出す編集方針やメディアミックスの手法について批判をしているというのが本筋だろう。
たしかに、リヴァイ班のグッズは売れているが、彼らは無残な戦死者であり、無邪気にコスプレごっこに使うのは、僕はどうかと思う。また、その日陰の萬画のアニメを紅白歌合戦和田アキ子のような歌手としては優秀でもコメンテーターとしては低俗なタレントを使ってワンコーナーでネタにするというのは、僕はあまり好きではない。
僕自身、丸尾末広さんの絵は見てて気持ちが揺さぶられるし、もともと夢野久作筋肉少女帯のファンということもあり、好きなのだが、あくまでそれは高校生以上の読者が親から隠れて読む、アンダーグラウンドなものだと思っている。(もちろん、芸術的評価はアンダーグラウンド作品に対しても行われて当然であるが)
そう言うわけで、丸尾末広先生が少年ジャンプの持ち込みを断られてガロやビームで発表してるという事情は棲み分けとしてはいいと思う。
ちなみに、丸尾末広先生は現在、コミックビームで「トミノの地獄」を連載中です。富野由悠季監督とは関係ないけど、西條八十のポエムの原作で、富野監督は西條の「かなりや」が好きだとおっしゃってた。


進撃の巨人のアニメは、あまり人目には晒してほしくないというのが正直なところではあったが、立体機動装置のアニメならではの表現は素晴らしかったし、きちんと人の死の重さ(死体に対する丁重な扱い)やそれに対する人々の露悪的ではない真っ当な心理的反応(アルミンの正義感)などが表現できていたのは良い作品だったと思います。あと、モブキャラだと思っていた脇役にもちゃんと生きる意志やドラマがあって、それが踏みにじられることへの憤りなどは、ザンボット3の今回の浜本の死とも共通する要素かと。


ただ、それに自分では何も生み出さないニュースメディアやメディアミックスプロデューサーが寄生して持て囃すのは気に入らないな。


しかし、まあ、僕も目の前で母親が自殺している人間なので、はっきり言って名探偵コナンや土曜ワイドショーサスペンスのような人の死をコンテンツとして扱っているゴールデンタイムのテレビ番組は見れないし、母親の死に顔を思い出して吐き気がしてくる。だが、大衆は他人ごとの人の死を面白がってドラマで楽しむ。
その上、大手テレビニュースや新聞ですら、政治論や経済論、科学論などの受け手が思考する必要のある内容よりも、誰と誰が嘘をついただの、誰と誰が離婚しただの、スポーツ選手が失敗しただの、隣国の国民が貧しい生活をしているだの、誰が誰に殺されたのだの、他人の人生の不幸をコンテンツにして毎日垂れ流している。
正直反吐が出る。
俺だって、母親や叔父が自殺したり、過労死寸前になって精神病になったりせずに、人の不幸を娯楽にできるような一般の健常者だったら、どんなに生きやすいかと思うよ。だが、そんな愚民になるくらいなら精神病者のままでいた方がいい。
心理テストと簡単な試験を解かせる実験では、鬱病患者は健常者よりも正確に事実を読み取る能力が高かったそうだよ。健常者は浮かれてイケイケどんどんで原発でも零戦でも使って破滅してしまえばいいだろう。だが、実際には苦痛を受けるのは思慮深い人であり、浅い人間は何も考えないまま時流に乗ってしぶとく生き延びてきたというのが歴史だ。これは許せん。
富野監督よりも僕は人類に対する憎しみが深く、進撃の巨人児童ポルノやアニメの残酷描写や性描写がどうのこうの以前に、もう普通の毎日の新聞やNHKニュースやワイドショーやスポーツ中継の低俗さが全て許せないし、その程度の知性しかない一億人以上の集団に合わせて雑なインテリジェンスしか使わない官僚や政治家も軽蔑の対象だ。
もちろん、これは今に始まったことではなく、19世紀に新聞が出来た時、イギリスの大衆がゴシップを読みふけり、バイブルを捨てたと言う風刺画がある。
私はそういう人類の本能、積み重ねてきた歴史そのものが許せん。だから粛清する。(具体的に何を、とは検閲化のインターネットでは逮捕されるので書けない。これも嫌な世の中だ)


話しが斜め上に盛大に逸れたが、それくらい人間爆弾編第2作はショッキングで動揺させられた内容ということです。

  • とりあえず、

富野絵コンテの感情を揺さぶる凄さと、現実の戦争と地続きのシビアな現実を描いた内容の凄さについて書きたかった。
また、戦争の描写についても、富野監督は子供に向けて「世界は残酷だ」と描いているけど、この頃はまだZガンダムでオタクに絶望する前だったし、富野監督のGレコまで一貫しているテーマとして「次世代のために地球を残す」と言う物なので、残酷さを描くけど、決してその「グロさ」とか「露悪主義」がテーマにはなっていない。グロさを強調するには簡単作画だし。
(人が死ぬのは当たり前だ、という態度はドライだが、それ自体は冷徹ではある)
人が死ぬグロさや死の恐怖や戦争状態で人が人として尊重されないのが当たり前だ、戦いを避けても殺されるだけだから戦うしかない、それが世界の残酷さだ、って進撃の巨人の読者層よりももっと低年齢層に見せていたザンボット3ですが。
むしろ、子どもに対して「君たちが巣立っていく世界は残酷で不完全だけど、覚悟して生き延びてほしい!」というエールだ、と言う風にも取れる。死んでいく人は無残だが、それを軽々しく扱わないで、「脇役でもちゃんと生きたいという気持ちや個別の命を持っている」ということと「それに主人公がショックを受けて、戦争に望む責任感や贖罪意識を負う」と言う点では、消える命に対する敬意はきちんと描かれていて、単なるグロテスクなものの怖いもの見たさではなく、本気のメッセージ性や命への経緯がある。
まあ、小学生に大人が本気で「命がけで社会に対して覚悟しろよ」って言うのもかなりきついんだけど、富野はマッチョな面もある。
また、ザンボット3ZガンダムVガンダムもまた、進撃の巨人と同じく「現在という時代の反吐」だったんだろうな。だから、富野監督が進撃の巨人を批判するのは、自戒も込めているのだろう。


そして、実際に社会に出るとみんな弱肉強食で合法脱法ギリギリで足の引っ張り合いをして、人は簡単に過労になったり精神を病んで壊れたり、ちょっとした借金のために私の母親が死んだりする。
地獄さ。

実際が地獄なので、別にアニメの中で地獄を薄めた表現物が描かれていても、まあ、面白ければいいと思いますよ。
現実はちっとも面白くないけど。


ああ、でも、家庭菜園などは心がなごみますね。命をいじる楽しさはあるし、植物の生命力は傷ついた心を和ませる。
あと、サイコパスなので母親が自殺した時のままの状態に庭を保つのも最近の趣味です。花が咲くたびに母親が自殺した時の気分を反芻する、と言うのはサイコパスの特徴です。

サイコパス 秘められた能力

サイコパス 秘められた能力

なので、健常者の皆さまにはお目汚しにしかならないと思いますが、僕だって富野アニメを見て自分のブログの中で文を書く権利くらいはある(というか、今のところアカウント停止警告は受けていない)と思うので、それはやらせてもらう。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z

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