玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

ベルサイユのばら第35話「オスカル、今、巣離れの時」命の数は

脚本:山田正弘 絵コンテ;さきまくら 演出:竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二
あらすじ
http://animebell.himegimi.jp/kaisetsu35.htm


ほぼ原作通り。が、ニュアンスがやはり微妙に変えられている。

  • 国民議会に対するジェローデルを止めるオスカル

ラ・ファイエット侯が平民議員に味方をして剣を抜くのも原作通り。原作よりもラ・ファイエット侯の仲間の貴族たちが増えているし、近衛連隊との銃剣とサーベルのにらみ合いは緊迫感がある。そこへ割って入るオスカルが「引け!引け引け―っ!」と馬で乗り込んで来るのも「私の屍を越えていけ」と言うのも、原作通りの台詞。しかし、声が付くことで演劇、と言うか歌舞伎のような外連味がある。
ジェローデルの「君がため謀反人にならん…」というポエムは、原作に近いが、アニメだとモノローグと言うよりオスカルに小声で伝えたような感じで、オスカルもそれを受けた感じ。

  • オスカルを斬ろうとする父

原作では王妃からはオスカルは処分がないと知った上で、オスカルを斬ろうとする。が、アンドレが「オスカルを殺すなら私を殺してください。」と言い、ジャルジェ将軍は「お前が死んだらばあやも生きてはいまい。知能犯め」と、剣を収める。もちろん原作でもジャルジェ将軍がアンドレの深いオスカルへの愛に感心したというのはあるのだが。
アニメでは、貴族からはオスカルを追放しろと言われ、優柔不断な王は決めかねて処分保留のまま、ジャルジェ将軍が独断でオスカルを成敗して自分も死ぬという。すったもんだをしている間にマリー・アントワネットからの早馬が来て「オスカル様もジャエルジェ家も無罪放免」と伝えられて、ジャルジェ将軍は「命拾いしおって」と、泣く。
また、アニメではジャルジェ将軍が「謀反人を出せばもはやこれまで。お前を神のもとに送り、わしもすぐに逝く」と言えば、オスカルが「それならば、なおのこと御成敗を受けるわけにはまいりません」と返し、将軍は「優しいことを言う…」と、泣きながら斬ろうとする。
歌舞伎っぽいなー!時代劇ですね。まあ、フランスだけど江戸時代だしなー。
また、原作では父の剣幕に終始ビビりっぱなしでアンドレの助けを待つだけだったオスカルだが父に対しても「私の部下12人が今、銃殺になりかけているのです。私が御成敗を受け彼らが助かるなら喜んで命を差し出しましょう。しかし、そうでないのならここで死ぬわけにはまいりません」と、自分の命で駆け引きをしようと父に対してもやっていて、かっこいい。
で、アンドレが父を止めようと割って入るのだが、そこで嵐と雷でシャンデリアの蝋燭が消えて稲光が炸裂して内海賢二さんの熱演が叫ぶので、ものすごい迫力。
内海賢二ラオウ)さんが命令と親の愛と貴族の伝統と家の規範がないまぜになった複雑な演技で、アンドレに「それがお前の気持ちか!」「貴族の結婚には国王の許可が要る!!」「貴様!二人とも許せん!」とマジギレする。原作では「ばあやが悲しむからやめよう」位の熱量だったが、アニメではばあやが部屋の外で泣いててもマジギレして二人とも惨殺しようとするので、歌舞伎的に滅茶苦茶盛り上がる。
将軍に斬られようとしても将軍を見据えているアンドレの眼光も鋭い。
そこで、切るか、死ぬか?と、雷が落ちまくっている所へ、御恩情の急使が来て「命拾いしおって…馬鹿者めが…」と、滅茶苦茶歌舞伎だなー。
原作では、ここで「私は無力だ」「アントワネットさまのお情けで処分を免れ」「お前の力で父上の刃から逃れ…」「それでも愛すると誓うか!」「一生涯私だけを愛すると誓うか!」とオスカル、アンドレが「千のちかいが〜」とラブロマンスらしい名場面があるのだが、アニメでは全カットです。
う、うわああ。原作の最大級の見せ場をぶった切る。アニメのオスカルは自分の弱さを利用してアンドレに愛を迫るような女ではないのだ!そして、助かったオスカルはすぐに仲間の釈放のために次の戦いを始める。
アニメはラブロマンスというより冒険ロマンの方がさきなのかな。まあ、でも、部下が死にかけているのに恋愛にうつつを抜かすのはヒーローとしてはカッコ悪い。でも、部下が死にそうと言うストレスを男に支えてほしい、と言うヒロインが少女漫画、って言うのもあるので、媒体の違いによる性格の描き分けと言うのもあるんだろうなあ。

  • 衛兵隊の釈放

命令拒否で投獄された衛兵隊12人は、欠席裁判で銃殺になろうとしている。
オスカルは原作と同じく新聞記者のベルナール・シャトレを訪ね、彼の演説によってアベイ牢獄に囚われた衛兵隊の釈放を求めるデモ行進をするように要請する。ちなみに、シリアスなアニメなので、ベルナールはアンドレが手配した秘密の酒場でオスカルと密会して、ロザリーとオスカルが再会してロザリーがオスカルに抱き付いて夫が嫉妬するというギャグシーンはカット。
ベルナールは「そのまま暴動になったらどうする?」と聞く。原作ではオスカルが「責任は取る!」とふんわりとした回答をするのだが、アニメは妙にリアルだし後だし考察なので、「私はパリの治安の責任者の衛兵隊の隊長であるから、パリの治安が不安定になれば、衛兵隊の隊員の釈放を要求することができる。そして、もし君たち平民にけが人や死傷者が出れば、私は衛兵隊を辞めて君たちの小間使いにもなんでもなる」と、作戦の筋道と失敗した場合の責任の取り方を具体的に述べている。なるほどなあ。それで、ベルナールも「君ほどの知恵者が僕たち平民の側にも欲しいものだ」と、感嘆する。
それでも独断はせずに、ベルナールはロベスピエール先生に相談して、先生に「欠席裁判で銃殺になる平民出身の衛兵隊を助けることは、我々の革命の次の段階への布石として有効だ」との了承を得る。
うーん。リアル。
しかし、花のサン・ジュスト君はそれを聞いて「先生、そのまま暴動をベルサイユに向けましょうよ」と幕末人斬り維新志士浪人のようなことを言う。原作でもベルナールの家に来たオスカルにサン・ジュストが銃を向けるという展開はあるのだが、原作ではギャグシーンで助かっている。原作のオスカルは自由主義の本を読みまくっているので、サン・ジュストの著作の「オルガン」も読んでいて感心する。だが、アニメのサン・ジュストは普通にテロリスト。
で、原作ではオスカルはデモ行進で衛兵隊が釈放されるのを飯を食わず待つだけだったんだが、アニメではデモの監視と言う体裁で衛兵隊を指揮して自分の目でそのデモ行進を見届ける。
ベルナール・シャトレたちが「衛兵隊たちは軍人だが、我々平民の息子だ!我々の12人の息子を救え!」と雄々しく行進をする。
だが、その民衆数千人の行進の中で、サン・ジュストはオスカルを暗殺しようとする。オスカルが暗殺されれば、民衆の集会が禁止され、さらに民衆に不満が高まって暴動が起きやすくなるだろう、と言うのがサン・ジュストの目論見なのだ。サン・ジュストは革命派だが、平民たちを暴動に動員される単なる数の道具として見ているのだ。対して、オスカルは貴族だが平民一人一人も部下の12人の命も大事に思っている。そして、その二人の格闘は数千人の行進の中ではだれにも見向きもされない。と言う所で貴族とインテリと大衆の対比が見せられていて、演出として上手いと思う。
で、オスカルはベルナールに「3000人くらい集めてくれ」と言い、アンドレはオスカルに「アベイを取り囲んだ民衆は5000人を超えたぞ!」と、言う。そこで、衛兵隊中隊長としてオスカルは「民衆は三万人を超え、このままでは暴動の恐れあり、警備不能!」と数を盛って報告している。
こういう細かい所での情報戦がすごく頭よさそうな感じがする。オスカルは現場をろくに知らない最高指揮官などは数の情報を嵩増ししてやればうろたえるだろうとわかっているのだ。
民衆の数の情報を操作するが12人の部下の命を守るオスカル、集まった民衆を暴徒に仕立てようとするサン・ジュスト、そしてフランス人口の96パーセントの平民の代表であると自称するロベスピエール。人の命の数は色々な風に解釈され、利用される。


それで、現場から遠く離れた宮殿の国王の会議場でブイエ将軍は「王の権威にかかわりますぞ!」と言うんだが、マリー・アントワネットが割って入って、「たった12人のために美しいパリが火の海になっていいんですの?!」と言って、釈放が決まる。
そしてアランたちは助かるのだが、オスカルはアランに「これはベルナールの力でもなく、ましてや私の力でもない。全ては民衆の力だ」と語り、アランは「あんたも世の中ってもんが分かりかけたようだな」とクールに言って握手をする。アランはどんな意味で「世の中」と言う言葉を使ったんだろうか?やはり、人の世は数で、多いものが流していくということなのだろうか。人口が増えすぎて資源がまかなえない21世紀に生きていると、それもまた違うと思うんだが、まあ、これは時代劇だからな。
原作でオスカルを慕う少年兵たちが釈放されて母のようなオスカルに抱き付くのも感動的だが、アニメでの革命の胎動を前にクールに自己分析をするオスカルや、命が助かっても平然とした顔を保つアランの豪胆さ、これもカッコいい。


原作は感動ロマンスで、アニメはカッコいい人間賛歌なのかなー。