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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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何故Gレコはシン・ゴジラ、君の名は。のようにヒットしなかったのか

d.hatena.ne.jp
 昨日、富野由悠季監督が名古屋で講演会をしたらしい。
 私は4月にインフルエンザが治った直後に東京に富野監督の講演会に行って、そこでオフ会ではしゃいじゃって気管支炎を併発してまた3週間寝込んだという悪夢のような経験があるので今回は行かなかったっていうか、9月にも講演をするんなら4月に体調を無理して行くことなかったし今回の講演会は12 月にNHKのラジオで放送されるんでしょ!
てめーっ!ケンカ売ってんのか!

NHK文化センター名古屋教室講座「富野監督が語る『仕事力』~企画・映像・個性の問題~」を受講されるみなさまへ

この講座を放送したいという希望がNHKに寄せられ、富野監督にご了解をいただきましたので、
当日の模様を録音させていただくことになりました。録音した講座を60分に編集し、放送させていただきます。
番組名はNHKラジオ第二放送の「文化講演会」で、放送予定は以下のようになっています。

放送:12月4日(日)午後9:00~10:00
再放送:12月10日(日)午前6:00~7:00
in2mistletoe.blog.fc2.com

 そういうわけで、不貞腐れた僕は講演会に行かなかったわけだが。


 富野ファンが集まったりGレコ劇場版の機運が高まったりするので記事の一つでも書こうかしらん、と思って今回、昨年行ったトミノアニメブロガーナイトというロフトプラスワンウエストのGレコをテーマにしたトークライブで行ったプレゼンテーション、
「ベルリの殺人シーンの全分析によるGのレコンギスタがなぜ売れなかったか」
を、1年ぶりにまとめようと思う。
nuryouguda.hatenablog.com
nuryouguda.hatenablog.com
 いや、本来は今年の頭にはまとめておくべきだったのだが、知人が自殺したりキンプリを見て体調を崩したりキンプリの応援上映でインフルエンザを移されたりうつ病が悪化したりしたので。


 今回の講演会の後の富野ファンのオフ会のネタになるように土曜日に書こうと思ったのだが、うつ病が悪化したので倒れてしまった。富野監督は自称鬱病だけど、富野監督は支えてくれた家族がいらしたし、あんなの単なる更年期障害でしょ。ふざけんなよ!

  • なぜGレコが売れなかったのか

大衆に媚びなかったからです。
売れた作品は媚びています。以上。
ガンダム Gのレコンギスタ  1(特装限定版) [Blu-ray]

・Gレコの大問題は、ヒットしなかったこと。子供にウケなかったこと。ドラマではなく設定紹介になってしまっていた。映画版は広く観てもらえる作り方をして、ドラマを作り直している。Gレコをゆるキャラにする(表現の分かりやすさ)。 一本目はとても面白いと勝手に思っている
twitter.com

 富野監督はこういうけど、そもそもガンダム Gのレコンギスタという魁作をヒットさせたかったのか?
 僕は大衆は豚だと思っているから豚どもにヒットしてもうれしくないなあ。
富野監督だって

戦後50年で日本の人口は5千万人ほど増えているんです。
そうすると、有象無象がいっぱい出てきて、馬鹿が増えたように見える。
でも、馬鹿は昔からある一定の比率でいるわけ。(中略)
いじめが増えているとか、親族殺しが増えたとかいいますけど、
5千万人増えてるんだよ。だから事件も増えて当り前。
オトナファミ2007WINTER』(週刊ファミ通1月26日増刊・エンターブレイン)

 って言っているわけで。今、ジャパニメーションだとかポップカルチャーだとかいっても、アニメや映画に夢中に成るのは、僕も含めてあまり品のいい人間ではない。性能のいい人間は、えっと、いつかノーベル用でももらえるようにがんばっているとおもう。

  • ヒットするアニメは博打であり、博打は神事である

 で、ヒットするアニメというのはどういうことかというと、最近僕がハマっている
「人間は石器時代から進歩していない」
「ヒトは他の猿に比べて圧倒的に投擲能力が高く、群れで物を投げて狩猟することで圧倒的に繁殖した」
 という説から考えると、
賭博・暴力・社交―遊びからみる中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)
人体600万年史(上):科学が明かす進化・健康・疾病
人体600万年史(下):科学が明かす進化・健康・疾病



「投擲で的に当てて殺したかどうか確認する狩猟行動の延長線上のメタファーとして、パチンコやガチャや野球のバットやサッカーのシュートやや競馬のゴールやワイドショーのフリップ芸みたいな確率で盛り上げて結果を開陳する」そういう狩猟本能の神経回路を刺激するワクワク感が大衆に受ける。
 同時に、「自分は大丈夫」と自己肯定感を得られるものに大衆は快感を持つ。
 富野監督もそれはわかっているはずだ。
 分かっているくせにやりたがらない。そのくせ大衆に媚びないで啓蒙しつつ同時にヒットしたいと欲を出す。


子供は大人に対してどう思うか
明日はどうなるの?

これだけです
in2mistletoe.blog.fc2.com


そこで、
「明日も大丈夫!」と言えばヒットした。
 「ディアナさま、また明日」はすごくいいセリフなんだけど、∀ガンダムはあれで永久平和になったわけではない雰囲気があるでしょう。だから富野監督はヒットしきれないんだよ。


 最近僕は精神が限界になってアニメも楽しめなくなって社会恐怖障害回避性人格障害と親の自殺と機能不全家族が悪化して、キリスト教の聖書を読んだり親鸞歎異抄を読んだりして、「理性では自分はもうだめだと分かっているけど、神様や大日如来が裁きの日や来世で助けてくれるから大丈夫。現実的には自殺するしかないのだが神様は救ってくれる(っていう設定)だと経典に書いてあるから大丈夫」と念仏することでかろうじて自我を維持している状態になっている。もちろん精神の薬やアルコールにも頼っている!
 多かれ少なかれ、人間は「大きなもの」によって「明日」を保証されないと生きていけないのだ。人は裏切るが、エタノールと水は構造が単純が故に裏切らないからな!


 これは出崎統監督の白鯨伝説の後半の感想で詳しく書くつもりだが、人間は神の愛によって自分は大丈夫だと思い込まないと生きていけない。
 古代原始人が投擲で集団でマンモスを狩ったり、あるいは他の群れと闘争したり、日露戦争203高地第一次世界大戦西部戦線塹壕爆撃など、自分の努力や実力とは関係なく確率論で他人が死んで自分が生き残るという現象に人間は直面してきた。(自分が死んで他人が生き残る場合のことは考えなくていい。なぜなら死体は思考しないからだ)
 これはハッキリ言って理不尽なのだが、大体人間は理屈付けしたがる生き物だからニュートン以前の科学が発達する以前から因果関係をこじつける。
(現代の人間が科学的な思考をできているのかというと、そうではない。ホメオパシーが流行したり、株式市場が存在したり(科学的に適正な値段が付けば株式は存在しない)。そもそも大統一理論も理解できない程度の地球人が科学的とは言い難い)
 で、「俺が生き残っているのは神に愛されているからだ」「悪い奴は神に愛されていない」「だから差別してもいい」「悪い奴を殺すのは神の地上代行であって自分は悪くない」
こういう考えをするわけですな。
これが「神の発明」です。

塹壕の祈りから始めて - Walk in Jesus


塹壕(ざんごう)の中に無神論者はいない」という言葉は、第二次世界大戦中にあるアメリカ兵が言った言葉らしいですが、誰でも死と隣り合わせの激戦地の塹壕の中のような状況に置かれれば、神様を信じていない人でも、神様に向かって祈らざるを得なくなるということは容易に想像できることです。


実際のところ、すでに救われた信仰者の多くの方々も、それぞれ与えられた危機的な状況に際して「塹壕の中の祈り」をひたすら捧げ、その結果、主イエス・キリストと出会うという体験をされて来られたということが少なくないのではないかという気がします。私自身も、「塹壕」というほど大変なことではありませんでしたが、似たような経験を通じて、イエス様に出会いました。


もちろん「塹壕」に放り込まれて、祈り出した当初は、自分が誰に対して祈っているのか、誰に対して祈りたいのか判然としません。人から、「イエス・キリストだけが本物の神様なんですよ」という話も聞いても、すぐに信じることができる人は稀なのではないかと思います。


しかし、塹壕戦のような苦しい持久戦の中に長く身を置いていると、そこでの祈りも、「誰でもいいから、とにかく助けてください」といった抽象的な叫びから、「もし神様というものがいるのならば、どうか助けてください」というように、神の実在を前提にした具体的な祈りに変えられ、最終的には自分が祈ってきた対象が、まさに神であり、救い主であるイエス・キリストだったことを、後になって確信するということがあるのではないでしょうか。


イザヤ 43:1
恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。


マタイの福音書 14:27
イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。

新約聖書 ─まんがで読破─



 ベトナム戦争枯葉剤散布によってべトちゃんドクちゃんなどの奇形児が生まれた時も現地民は「アメリカの化学なんかよく分からねーけど、どうせ母親の前世が悪かったから神様が裁いたんだろ」という差別がひどかったと聞く。ヒロシマナガサキの原爆とかライ病の差別とか。
 困っている人に対して「困っているのか、そうか、手を貸そう」と考える思想もある。
 一方、自然で一般的で自分が生き残ることでいっぱいいっぱいの大衆は困っている人を見ると「あいつが困っているのは自業自得で神様に裁かれた結果だから、自分は助けなくていい。むしろ弱い奴を攻撃して奪っても正当化できる」と、そうやって争ってきたのが人類の歴史です。
暴力の人類史 上

全ての社会的動物には社会的ヒエラルキーがあり、おのおののメンバーは自分の位置を知っている。社会秩序は行動に関する一定のルールによって維持され、支配的なメンバーは罰を通して秩序を強める。しかしより秩序だった霊長類にも互恵性や不公平の感覚がある。


チンパンジーは50前後の個体がしばしば分裂、融合を繰り返す緩やかな繋がりの中で生きる。人類の祖先も同じような規模のグループで生きていた可能性はありそうである。現存している狩猟採集民社会の規模から考えれば、旧石器時代の人類は100-200の個体が連合して暮らしていたと考えられる。道徳は100から200人の集団で社会の統制、対立解消、集団の団結の手段として発達したかも知れない。


ドゥ・ヴァールによれば、人の道徳には他の霊長類の社会では見られない二つの洗練された特徴がある。人間はかなり厳格な報酬、罰、評判の構築で社会の道徳規範を強制する。またある程度の判断と理屈を用いる。これは動物の世界では見られない。


心理学者マット・J・ロッサーノは宗教が道徳から派生し、個人の行動の社会的監視を代行する超自然的存在を含むまで拡張されたと主張する。絶えず監視する祖先、精霊、神を社会領域に含むことで、利己性を抑制し、より協力的な集団を構築する効果的な戦略を発見した[8]。彼は宗教の適応的価値は集団の成功にあったと考えている[9] [10]。


小集団や部族は血縁関係にある少数の人々からなる。しかし国のようなより大きな集団は何千もの無関係な個人からなる。ジャレド・ダイアモンドは組織宗教が、それがなければ敵対的な関係に陥りやすい無関係の個人同士に結びつきを提供したと主張する。彼は狩猟採集民族の社会での主要な死因が殺人であったと主張している[26]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90ja.wikipedia.org


 で、僕は基本的には文系でも理系でも学会に所属していないので、僕の意見は戯言に過ぎないとして聞いてほしい。
 僕はグラブルのガチャでアンチラや水着ヴィーラを単発で出すほどの業運の持ち主だ。SSR確定虹色演出が出たり、パチンコで大当たりした時、神の愛を感じた。選ばれた感じというか。物理的にはそんなものはコンピューターの乱数に過ぎないのだが。
 ソシャゲのガチャやパチンコやギャンブル、江戸時代の富くじなどがなぜこんなにも大衆に流行したのか?それは自分が選ばれて当たり、他人が蹴落とされるという神からの承認欲求が満たされる快感が絶大なものだからです。エースをねらえ!の原作版や転生ラノベなど「何のとりえもない普通の読者の感情移入しやすい能無し主人公」が「神様のような大いなる力に選ばれて活躍」という物語の類型は非常に快感の代償行為として古くから今に至るまで大人気である。
 みんな権威ある何かに愛されて選ばれたいのです。そして、それには理由はなければない方が、努力は少なければ少ない方が、しかし権威付けとしてはしっかりとしていれば「効率よく」「大いなる愛」を受容できる。

 僕も人間を殺したくてたまらないので殺人しまくるシン・ゴジラの前半は楽しんで鑑賞できた方だが、偉大なるゴジラがクソみたいなちっぽけな人間の一国家の一地方の都合で寄ってたかって狩られる後半はゴジラが可哀想すぎて辛かった。
ゴジラ ムービーモンスターシリーズ ゴジラ2016(第二形態)

 でも、大衆はマンモスを集団で狩って絶滅させた成功体験によって繁栄した猿どもの子孫なので怪獣を寄ってたかって狩ると原始的な興奮が得らえて楽しいし、快感脳内麻薬が脳の報酬系からドバドバもらえるのでシン・ゴジラはヒットしました。
 アメノハバキリに乗っていた名もない顔もない他人がゴジラの無作為(に見えるが庵野によって調整された)暴力によって殺害されるけど矢口や巨災対や「守ってもらえた日本人」に感情移入したがる視聴者の猿どもは「ゴジラという神の試練を突破した自分たちは選ばれて生き残る価値がある」と錯覚して神の愛を感じて報酬系から脳内麻薬がドバドバ。




 現実ではメタファーだのなんだのと言っても今も放射性物質は海にドバドバ流れているし築地市場移転程度の工事も不正するのがクズの人間の本性だけど、なんとなく惰性で生きている日本人たちは「自分が生きているということはそんなに原発事故とか酷くないんじゃない?日本の明日は大丈夫!」って思いこみたがるよねえ…。そしてそれを補強してくれるシン・ゴジラのようなフィクションで現実の埋め合わせをしたがるよね。人類の英知で原子力とも共存できる!ってね。
 そんな英知を持っていれば「新元素は半減期が20日だからハッピー!」とか能天気なわけねーんだが、馬鹿どもは「明日が大丈夫!」という目の前の幸運に縋り付きたがるでしょう。97年の庵野秀明君だったらそういう群体として行き詰った人類を補完しようとしたんだが、今の庵野君は家庭やスタジオを家長として支える立場だからねえ。そりゃあ世間にもすり寄るさ。
 そして世間様は「親方日の丸で自衛隊と保守党は国民を絶対に見捨てないし、仕事のためなら命を捨てられる」というドリームに酔えるわけですよ。
 ゴジラの設定としても、血液凝固剤であんな風にわかりやすく突然、一斉に全身の表皮まで凍結するわけないんだが。ゴジラが固まるあのシーンはパチンコエヴァンゲリオンの使徒撃破確定リーチ演出フィーバーの援用でしょ?結局、日本人はハラハラさせられてもギリギリになって一気に結果が分かって「自分が助かる」っていう展開を好むモンスーン型思考というか、パチンコ中毒というか…。
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 パチンコで大当たりする、千と千尋の神隠しのラストで特に意味もなく大当たりする、ワイドショーやバラエティ番組や衝撃映像などで視聴者が「来るぞ来るぞ…」と予想する、ある程度の確率での結果の開示「やっぱりね!大当たり!」という映像体験は、狩猟投擲や集団戦闘における「一定確率下での好結果の摂取快感」の代償行為として作用する。
 シン・ゴジラは前半は何が起きているのかわからなくてハラハラするのが面白かったが、終盤は「ヤシオリ作戦が成功するか否か」「ゴジラが倒れるか起きるか」の単純な二択に収束する。ここで「いきなりキングギドラが来てゴジラをぶち殺しました」とかいう「大日本人」みたいななんでもありのトンデモ展開が起こったらネタとしては面白くても、猿の子孫という共通項を共有する一般人には受け入れられない。
 ハラハラして分かりにくい混沌とした世界が「狩って獲物をゲットするかどうか」の石器時代の狩猟本能に収束することでサルの価値観を持つヒト脳にとって解釈しやすくなり、非常に快感原則に訴求するわけです。
 (こういうふうに映画を分析してしまうと人生が面白くないので、一般的な人はワイドショーとかやらせ番組に一喜一憂して、やらせ番組やタレントの不祥事を面白おかしく消費して生きて仕事のストレスを曖昧にしていくのが賢い生き方だと思うよ。僕も不条理系の洋画など、もっと日本人的な枠組みではない広い芸術を見るべきかもしれん)
 (富野監督のシン・ゴジラ君の名は。への言及もネットではワイドショーでの有名人の失言レベルのネタにされている。それが世間である)



 また、シン・ゴジラが受けた理由はもう一つあって、実際の東京や神奈川が破壊される聖地巡礼ご当地映画であるということ。しかも、今回は昭和ゴジラやVSシリーズのミニチュアや観光旅行ぽい感じではなく、徹底的にリアルに実際の自分たちの見知った光景が破壊されるというところに観客はカタルシスを感じたようだ。
 しかし、シン・ゴジラは適度に破壊するが破壊しすぎもしなかった。つまり、「自分たちの家が映画に出ている」「自分たちの震災の経験が映画に反映されている」ということで地域的な誇りとか有名な大作映画と言う権威に箔付けされて叙勲されたような快感を得る。そして、自分の見知った土地が破壊されるが、現実では破壊されていないという安心感を映画館を出たときに感じることができる。また、放射能の被害に苦しんでいる人もなんか無限の福音とかを錯覚で与えてもらえて安心できる。本当はそんなものはないのだが…。
 シン・ゴジラの東京は破壊されるが、広島の原爆の瓦礫やマグマの混沌までは破壊されなかった。「守るべきわれらが土地」として認識される程度に適度に調節された破壊に過ぎない。ここら辺が庵野秀明総監督と樋口真嗣監督の政治的に賢しい所なのだ。(熱線流によって気候が変動して核の雨が降ったり、ということはなかったでしょう。シン・ゴジラはエンタメだよ。あんなの本当の破壊じゃないよ)

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 巨大な怪獣に住み慣れた街が蹂躙される恐怖。
 人間の叡智の結集たる武器や兵器が何の役にも立たない絶望。
 そして、その恐怖と絶望のドン詰まりの中でギリギリ存在する一縷の希望。


 きっと、60数年前、昭和29年の映画館で、日本人はこの映画を観たんだ。それと同じ映画を、俺はたった今観たんだ。
 映画館からの帰りのバス停でベンチに座りながら、そのことに思い至った私は涙が止まらなくなった。ボロボロに泣いた。幸い、周りに人はいなかった。

 「ゴジラ」公開当時、昭和29年の日本にしかない「文脈」があったのと同じように、2016年の日本を生きる私たちには、私たちの「文脈」がある。戦後70年という時間。東日本大震災福島原発事故。(そこに「ハリウッドにお株の『ゴジラ』まで奪われた映画界」を付け足しても良いかもしれない)
 「シン・ゴジラ」はそんな2016年の今この瞬間に生きる私たちに向けて作られた、私たちの「ゴジラ」なのだ。
 今までのどんな「ゴジラ」にも似ていない、誰も見たことがない、全ての人々が初めて見る、62年前そっくりそのままの「ゴジラ」。それが「シン・ゴジラ」だ。

 あでのい氏は「一縷の希望がある!」という所に日本人としての自分を肯定されたという感動の文脈を感じたようだが。僕は「そんな都合よく希望があるわけねーだろ、死ね」としか思わなかったですね。

ミサト 「多分ね、自分がここにいることを確認するために、こういうことするのよ。」
アスカ 「バッカみたい。ただ寂しい大人が慰めあっているだけじゃない!」
リツコ 「身体だけでも、必要とされてるものね。」

  あー、あと俺は日本人が嫌いだ。まあ、アメリカに生まれていたらアメリカ人を憎んでいただろうが…。別に明日日本人に殺されても、ああそうかと思うだけだ。俺の住所を知っている人もいるだろうし殺しに来るなら来てもいい。おもてなしをする。
 しかし、多くの現生人類にとっては生きているということが共通項のコモンセンスとしてあるので、生きていること自体を肯定されるとほぼ無条件で快感を得る。そして、死人に口なしである。全ての意見には生存バイアスがかかっている。
 あでのい氏は62年前の高度成長時代に突入することが保証された時代の日本人と同じになることで感動したのか。バカバカしい。俺の祖父は陸軍中野学校卒業のスパイで戦争犯罪者で原子爆弾で先妻が死んだために私の祖母と再婚して戦後は戸籍を変えて公安を勤め上げて戸籍を買えたのに勲章をもらったバリバリの右翼だけど、原子爆弾がきっかけで生まれた俺はメンヘラだぞ!俺が怪獣なんだよ!ゾーラギなんだよ!
 まあ、こういうブログを書いていても僕が消されていないということは、まだ僕の親戚の公安関係者が権力を持っているということなので、左翼の人はそれをわきまえてくれ。
ブギーポップ・オーバードライブ歪曲王 (電撃文庫 (0321))

 まあ、見てないし、親が死ぬアニメとか地雷だし、そもそも新海誠のアニメは「ほしのこえ」のロボットが惑星間戦闘をするわりにジェガンよりも糞雑魚っぽくて全然かっこよくなかったし、秒速に至っては「鉄ヲタ」という感想しか持てなかったし、はっきり言って好きじゃないので俺が金を払って見るわけねえだろ!
新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

 あーーーー????
 絵がきれいなアニメだと?そんなもんは灰と幻想のグリムガルレベルのテレビアニメで間に合ってるんだよ!なんかおっぱいが大きくてよかったよなグリムガル!(マコちゃん絵日記みたいな口調で)
 マジレスすると、俺は精神障碍者手帳の力で無料で国立博物館を平日スルーパスで、しかもバレない程度に飲酒してダリやゴッホレンブラント現代アートの本物の美を日常的に鑑賞しているので、新海誠程度の「きれいな作画」ごときで感動するほどガキじゃねえんだよな。大麻LSDよりも、飲酒して美術館に行くのはインスピレーションが得られるってヤク中の人がネットに書いてるのを見た。


 そういうわけで「君の名は。」見る気が全くないのでネタバレサイトを見たんだが、あれだな!
・隕石で人が助かるかな?→助かったー!
・二人は出会えるかな?→再会できましたー!
・メールとか思いは届くかなー?→つながりましたー!
・世間に認められるかな?→説得できましたー!
 っていう、やっぱり「大いなる運命、神様の導き」の力で成功を掴んだ自分たちの「明日は大丈夫!」というリア充に向けた安い自己肯定でしょ。
 なんか小難しい設定とか神話とか伝統とか壮大な映像で尺を伸ばしてハラハラさせて位置エネルギーをためてるけど、結局は「結果発表!ハッピーエンド!」っていう芸能人格付けチェックと同レベルのエンターテインメントだよね。理系の目線では結果なんか過程の方程式が合っていればおのずとわかるので、ガタガタもったいぶってんじゃねえ!って思う。結果をもったいぶって権威づけをするのも文科系のコネクションの生存戦略でしょ。


 でも、その程度のラブコメや震災のトラウマ疑似体験解消ごっこを見せる程度でなぜ売れるのか?それはガラガラポンの福引の大当たり~~~!にも似た幸福感のテンポがいいからである。なんかロックバンドとかが調子よく歌うし。
 ワイドショーや人間観察バラエティなどのナレーションは、ほぼ落語と同じ緩急なのだが、人間はサルなので文脈の内容よりも、その語調で感情が動く。
 なんとなくテレビで笑い声が聞こえると面白いと思うし、ピアノの低い音が鳴ると深刻だと思う。

ロボット犬AIBOも立派なペット? AIBOがオーナーの感情を理解する


 AIBO(ソニー製)という人工知能を組み込んだロボットを使って、オーナーが感情を込めてAIBOを呼んだとき、AIBOがそれに合わせた応答をする仕組みを構築している。

 「AIBO~」と誉めた口調のときと「AIBO!」と叱った口調のとき、それぞれの平均的な音声の周波数などを解析して、オーナーの問いかけに応じるようにしている。  誉めと叱りの口調では、声の高さや強さ、速さが異なり、音声の抑揚のパターンが異なるのである。この抑揚のパターンを元にして、誉めた声のパターンにはAIBOが喜ぶ動作をするようにし、叱った口調のパターンには、AIBOが戸惑うような動作をするようにプログラミングする。こうして、ロボット犬AIBOが、まるで本物のペットのようにオーナーの呼びかけに応じることができようになるのである。
よく分かる!

 感情を機械が理解するわけがない。むしろ人間の感情も口調の周波数レベルの機械に過ぎない。そして、映画とはそういう条件反射の集積である。
 シン・ゴジラも科学的、政治的な内容が理解できない漢字でも、役者の口調や雰囲気やBGMのなんとなくのとりあえずの説得力で楽しく見れるものだ。コンテ千本切りの富野由悠季はそのテンポコントロールには熟達しているはずだ。
 しかし、ここで話の内容とは関係なくテンポだけでGレコと他のアニメを比べると、Gレコを見直してみると、音楽と台詞と動きが非常にマッチしすぎているのが問題だと気づいた。富野由悠季のテンポコントロールは非常に熟練である。ものすごく心地よく聞けるオーケストラのように緩急を聞き流せる。非常に上品。モーツァルト自身は下品な性格だったらしいが、その弦楽曲のように聞こえる。作品として非常に高度に構築され、導入、アクション、盛り上がり、次回への引き、が絵コンテと音響スタッフの連携でスルスルと聞ける。
 ここが問題なのです。上品なオーケストラで、しかも細部には富野演出らしい小芝居があったり、主題の変奏が繊細にリフレインしたりする。何度も聞いても飽きないし、見るたびに微妙な表現に気づけて退屈しない。
 でも、大衆が分かりやすく聞けるのはそういう組みあがった交響曲ではないのだ。
こんな大事件が!
 そんなとき驚きの展開が!!!!

  続きはCMのあと!


 っていう、そういういやにハッキリして説明台詞があるワイドショー番組的な、笑いどころやツッコミどころが明示されていて、「大当たり~~~」とクライマックスを強調して盛り上げるのが大衆向けなのだ。最近のテレビ番組はなぜか「芸人の顔のワイプ」が出て「ここはこういう感情になるべき」ってガイドラインが示されているのだが。Gレコは笑っていいのか泣いていいのかわからない場面が多い。泣いているアイーダが「悲劇!悲しい!」ではなく、それを無視する船員が描かれて相対化したりする。Gレコはそこで人の有様を考えさせようという狙いがある。だから、そんなものは「考えたくない」「分かりやすく思考停止して感情を操作されたい」「文学的な内容とか思想のテーマはどうでもいいし、科学的な確かさなんか知ったことじゃないけど、アトラクションとして映画の高揚感を体感したい」という一般視聴者の支持は得られない。今の映画は体感型なの!!
 

富野監督は劇場版Gのレコンギスタラブライブにしないらしい。
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ラ!についての説明は省くけど、まあ、なんか努力して、それなりに試練っぽいのを乗り越えて、サクセスして神の恩寵を受けて気象を変化させて、観客に「ライブをやるのかやれないのか?」ってハラハラ確率を感じさせて、結果発表でド派手なライブをして栄光を掴む奴で。
 これもまあ、石器人の「よく分かんねーけど俺は神に愛されて幸せ」っていう快楽原則だな。
 そんで、ラブライバーとかも作品愛とかを重視するし「俺たちは神のμ'sに愛し愛されている一体感がある」っていうサルの群れの延長上の宗教的快楽に酔っているやつでしょ?集団心理っていうか。ああ、楽しいよな。群れで狩りをして、失敗した奴は死ぬけど大多数の群れは生き残ってメスがあてがわれるの、そういう本能、動物としては正しいと思うよ。
 むしろ、サンライズのアイドル物としては同期のアイカツ!で「ファンに対してきちんと気持ちを持ってサインをしろ」とか現実的なことを言ってる。視聴者の年齢層の高いラブライブ!の方がアイカツ!よりストレスが少ない。アイカツ!から派生したアイカツスターズ!が「過ぎた力は身を亡ぼす」とか「テレビのスタッフの気持ちも考えよう」とか割と教訓っぽいことを言っている。これは子供向けの方がオタク向けよりも教育的と言うアニメ業界の慣例かもしれない。Gレコは神崎美月さんの中の寿美菜子さんがチアガールの役で出てるのでアイカツ!になりませんかね…?レコカツ!


 あー、あと、スクフェスのガチャ課金でKLabの株価が上がって倒産の学校を救ったりするのも射幸心を刺激するよな。


 ガチャと言えば、そもそも「あたりを引いたら神に愛されていると思う」感覚自体が哺乳類固有のものだ。酪農高校の萬画の方の銀の匙のアニメの豚丼を見たらわかるが、「当たりの乳首を引いて他の兄妹よりも栄養がもらえると親に愛されていると思う」のも、原始的宗教意識の芽生えの一つだ。私やナウシカは親に愛されなかったが。
 哺乳人類には何の力もない赤ん坊のころから「なんとなく選んだものから偶発的に愛や栄養を与えられて快感を感じる」という報酬系の回路が脳にインストールされているのだ。
 では、愛を選べなかった人はどうなるかと言うと、そんなものは死ぬだけなので考えなくてよい。
輪るピングドラム 下
 神国日本に生きている臣民諸君はみな陛下に愛されておるぞ!皇軍である!皇軍であるぞーっ!

  • だからGレコは売れないんですよ

Gレコのあらすじをベルリの視点でまとめると
・信じていた世界が毎回崩れる
・やることなすこと裏目に出て何とかリカバリしようとするけどその度に人をぶち殺す
・仕方ねーから悪い奴をぶち殺したら何とかなるだろ!って思って最終決戦に臨んだら、そこに待っていたのは世界の黒幕ではなく「単にお前の態度が気に入らない」ってだけで自分を嫌ってた学校の先輩だった。
・あーもー、めちゃくちゃだよー。
・でも世界は広いってことはわかった。これからもがんばるぞ。
・明日がどうなるかはわからん!君たちががんばって明日を作ってくれ!
 完


です。
「明日は大丈夫」なんて要素はない。


「明日はどうなる?」っていう子供は
大人に「大丈夫だよ」って言ってほしいのです。
「頑張って明日を作れ」なんて原発をふっ飛ばして国債を破たんさせ年金を流用して不正ばかりする大人に言われたくないわけです。
 嘘っぱちだとしても子どもは「明日には希望がある」って言ってほしいの。ゴジラの血液凝固剤を作るためにずさんな製造過程で危険な二次化合物が全国で生成されたとか、そういうヘドラみたいなサヨク映画は望んでないの!大衆は「お上がきちんと原発も処理してくれる」「日本はスクラップビルドで発展するから大丈夫」っていう安心感が欲しいんだよ。人は安心するために生きている。by DIO withポルナレフinジョジョの奇妙な冒険
 「君の名は。」も「きっと二人の明日はしあわせなんだろうなああああ~~~ぽわゎ~~」っていう安心感がヒットの要因だったの。そういう風に夢に酔わせるのがアニメなの。
 富野監督みたいに

・Gレコのテーマは、現在の科学技術の進歩と金融資本主義に汚染されてしまった現代の問題
https://twitter.com/char_tweet/status/721624740528570368

 とか民草の子どもに不安を与える作品が売れるわけないじゃん。
 子どもは「なんかおそとはこわいけど、おとうさんおかあさん、せけんさま、かみさまがきちんとまもってくださるので、しあわせです」「ただしいくにをつくりませう」っていう話がアーキタイプなんですよ。
 東映動画わんぱく王子の大蛇退治から50年間、アニメは進歩していません。
 金融資本主義なんて言う概念を理解して、その問題点を克服しようという賢しい子どもがいるか!気味が悪い!
 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズの「世の中は怖いけど、家族ファミリーの絆があれば安心感がある!」っていう方がBDが売れてますからね。オルフェンズが6000枚、Gレコは5000枚。五十歩百歩だな。
 機動戦士ガンダムユニコーンの「ニュータイプには無限の可能性があるけど、地球の世間並みの幸せでカップリングしたいです」「ガノタのおじさん頑張りましたよね」っていう等身大の感覚の承認が売れるわけじゃないですか。


 あと、やっぱり「脱ガンダム」がダメだったと思う。富野監督のエゴとしては「ガンダムに並ぶ別の代表作がほしい!」って思っちゃったんだろうけど。Gレコって2話と最終回にザクとかズゴックが出ただけで、あんまりガンダムっぽくないですよね。スペースコロニーとか出ないし。むしろ惑星間を移動するのでスター・トレックとかキャプテン・フューチャーに近い。富野監督はかなりクラシックな宇宙ロケット好きなので、そういうことをやりたかったんだろうけど。
 ガンダムユニコーンの方がなんとなく売れて日曜日に放送されているという現実を見れば、シン・ゴジラが「あのゴジラの日本での最新作が日本で一番売れてるロボットアニメのエヴァンゲリオン庵野監督の!」っていう箔付け、「あの新進気鋭のアニメ作家新海誠さんとあのスタジオジブリがタッグを組んだ震災以降の日本の伝統とラブコメ!」という君の名は。の箔付けを見れば。現代の火の鳥望郷編のような不況の高齢化社会の日本の大衆が求めている「文脈」は「伝統シリーズの正当な後継」という安心感です。世間というのは権威主義で思考停止です。ブランドが大好きな日本人は自分でものを評価する能力がありません。日本人が物の見方を変えるのはお金と外圧だけです。

 Gレコはガンダムを作った本人の割に「日本を代表する伝統のガンダム」って作り方じゃなかったでしょう。むしろユニコーンやオリジンのように「端正な絵柄のリメイク」の方が「正当シリーズ」って思っちゃうのが大衆なんだよ。


 富野監督は子供や大衆のポテンシャルを過大評価しすぎ。大多数の普通の人はフィクションにそこまでの思想性を求めていない。


 富野監督とは私の母親が自殺する前の月に話をさせてもらったのだが。

nuryouguda.hatenablog.com
「ただし、そのような若者の反発心が通用したのは20世紀まで」
「有限の地球という事が見えてきた21世紀では新しいシステムを生み出さないと破滅」


「この地球を次の一万年以上の未来、人間が永続的に使うには」「孤立主義ではなく、個々の蛸壺に入らずに、他国が隣に存在するということを認め合って、融和できるようにしていかなくっちゃ」
「その発明を模索し続けるなら、欝になって絶望しているのではなく、顔を上げていけるのではないか」


「だけど、我々大人は次の世代にこの地球を受け渡すにあたり『この程度のレベルにしかできなかった』という謙虚さを持たなくてはいけない」
「次の世代に伝えることは、「教える」という態度ではなく、「申し訳ないが次に頑張ってくれ」というお願い」
「だが、そのお願いは謙虚に子供たちに頭をたれながらも、溌剌とした態度であるべき」
「我々はこの程度のレベルにしかできなかったけど、「このレベルにしかできなかった」ということを伝えていくことはできる」「そのように謙虚に自分にもできることがあると思えるのは喜びだ」




「人口が70億もいるというこの現実は狂気」「その上で右肩上がりの成長、経済回復しか理想として想定できない政治、経済は狂気」「掘削技術が進歩しても資源は200年でなくなるし、原発の排気管理費を考えればコストの帳尻は合わない」


「だから、次に作る作品はそういう発展を目指すものではなく、次の百年に通用する新しいものにしたい」
機動戦士ガンダムがなぜ人気が出たのか考えてみると、ガンダム第二次世界大戦までの陣取り合戦をアニメにしたものだったからだ」「ガンダムではベトナム戦争以降の戦場の区別ができなくなった現代戦は想定していない」


「つまり、ガンダムは20世紀前半までの文明が発達拡大していく右肩上がりの成長という過去を承認するノスタルジーでしかなかった」
「続編のガンダムは枝葉であり、次に原作者である富野が作るとしたら、また枝葉を継ぎ足しても仕方ないので、幹になるものを作りたい」


「右肩上がりのシステムではなく、永続的にもたせるシステムは江戸時代の幕藩体制にあるのではないか」

 という話があった。だから、富野監督は「安心感」を子供に与えることが大事だとはわかっているはずだ。
 だが、大衆が欲しいのは人類の永続的な存続や、他国との共存ではない。「頑張らなくても愛されたい」「安心したい」という欲求を口を開けて待っているのが子供というものだし、今の成熟を拒否したまま小学生レベルの地上波テレビ番組で世の中を分かった気になっている大多数の人も子供と同じだ。
 なんだかんだいってみんな「右肩上がりの経済成長にゆだねて楽して安心したい」って思ってるので、アベノミクスでオリンピックを絶対成功させような!ってみんなが思ってるのに、成長に批判的なGレコは国策としても違っている。
 そして、Gのレコンギスタのラストは幕藩体制のように「偉いお殿様、お姫様が民草を守ってくださるぞ」という安心感はあったのかっていうと、ないじゃん。

めぐりあい京都より富野監督との対話。絶望をするなと直接言われた。 - 玖足手帖-アニメブログ-

「やはり子供に伝えるべきメッセージは「愛とロマン」である。ただし、「愛とロマン」や「希望」という言葉使いは大人のもので、子供には伝わらない。子供にはもっと体感的に、足を伸ばしてぐっすりと安心して寝られるということを感じさせるのがいい。
その、安心して眠るためには「また明日」「目が覚めたらまた遊ぼうね」と、人生が続くという明日を信じる実感を持たせるべきなんだ」


「江戸時代の人間にはその明日を信じるためのシステムがあった。
それは「祭り」だ。」

「毎年毎年繰り返す季節の中で、「これからいい夏が来る」という季節感からくる喜び。台風が過ぎ去って実りの秋、「嵐でまた村の何人かが死んだが、それでも生き延びた俺たちは楽しく収穫祭をやろう」という、大人たちが人生を楽しんでいる態度が希望になる」
「気候風土に寄り添ったハレの気というものは、民主主義のシステムやインテリの政策ではなく、もっと根源的な生きる歓びになる。」
「富野が子供の時代にはあったローカルな青年団は子供の目線と土地を結び、人格育成につながっていた」
「もちろん、地域社会の中では犯罪や暴力もあった。だが、その清濁併せ持つ感覚が人間の心性ではないか」
「そのように、次の世代に一つ一つ申し送りするということを繰り返していく」

ガンダム Gのレコンギスタは僕にとっては面白かったけど、大衆レベルでの大ヒットにはならなかった。
 それはやっぱり富野監督自身が「明日は大丈夫」っていうことを能天気に信じる人ではないし、それを子供に「親が大丈夫だと言ってるんだから大丈夫なんだ!」っていうタイプの人でもないから、シン・ゴジラ君の名は。ジブリやディズニーみたいな「安定感、安心感」という嘘をつけなかったんだろうなあ。(風立ちぬやポニョは割と不安感がある内容だと思うけど、マーケティングジブリブランドの色を出したね)
 (僕の中ではシン・ゴジラは内閣総辞職ビームの後、火の七日間が続いて世界が滅んだけど、サーバーに保存された人間の残留思念がタクシードライバーのロバート・デ・ニーロみたいにヤシオリ作戦を夢見ていたバッドエンドっていう設定です)


 うーん。
 とにかく、ベルリ目線で「信じていた世界が崩れ続ける」っていうのがGレコの持ち味だけど、だからこそ大衆が一番欲する無批判な安心感、自己を肯定される感覚が足りてないんだよなあ。「進むにつれて信じていた世界像がスクラップビルドされて傷を負いながら進んでいく」っていうことに一般の臣民は耐えられない。ゴジラが暴れても内閣と言うシステムは存続するって思いたいじゃん。隕石が落ちてきてもサマーウォーズとか地域の家族とか伝統は守られるっていうファンタジーを信じてマイルドヤンキーしたいわけじゃん。
 いや、まあ、キャピタル・テリトリィの一般人から見ると、「レイハントンの皇子と皇女はご苦労なさったが、宇宙と地球の絆がより一層強まってクレッセントシップが出港して盛大なお祭りが行われました」と言うところで世代の申し送りと政治基盤の強化という安心感を感じさせられる内容だった。
 でも、ベルリやマスクという目線で見ると、「常に流動する世界の不安定さにさらされる」という内容だったわけで。
 そして、ベルリは「未確定な明日」に向かって船を下りて失踪してしまうじゃないですか。
これを僕はこう、分析した。

「作者の作った設定世界の外に出る」という点では『Gのレコンギスタ』はさらに飛躍している。同族のアイーダに恋をして幼馴染のノレドに好かれていたベルリは、物語の中で金星にまで行ったが恋愛としては狭かった。物語の後でもっと広い恋をするのだろう。
 作者や親の想定した範囲の外に出てほしい、というメッセージは子ども達に対する富野監督の熱いエールのように見える。また、少子化の現代において、親は子に過大に期待したり干渉するものだ。そんな自分の子を王子様やお姫様扱いして玩具や服やアニメやモビルスーツを買い与える現代のオタク世代の親に対して、『Gレコ』は痛烈な批判になっている。「私は私自身で見つけて、成し遂げます!」と宣言するアイーダと、王子様として期待された役割を脱却するベルリを通して、「王子や姫という役割を親や社会から与えられたからと言って従う必要はない」という自由なメッセージが込められている。
 「レコンキスタ」「国土回復運動」という単語自体が、「自分ではなく、自分の先祖が持っていた財産や因縁に縛られて行う戦い」というニュアンスを含む。そして、『Gのレコンギスタ』のラストではその因縁からの解放が描かれた。
nuryouguda.hatenablog.com

ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス

  • 富野監督、ヒットしたいの_?

 しかし、シン・ゴジラ君の名は。のヒットを見て、そして富野監督はそれに匹敵する大衆受けを欲しているという話を聞くに、やはり僕は「 ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ!」って思う。人がそんなに便利に成れるわけない。
 ファーストガンダムがヒットしたのは、富野監督の思想とかではなく、SF的な新しさもあったと思うが、アムロの「僕には帰れるところがある」という圧倒的安心感と、当時の新人類世代に対する自己肯定感の触発であっただろう。(そして、その新人類に対する絶望や侮蔑や申し訳なさがZやZZや逆シャアやVで炸裂したわけだが)
 映画としても「戦争でハラハラしたけど、アムロが助かったり、アクシズが落ちないで済んでスッキリ安心しました」っていう感想で快感を得てヒットしただけだろ。大衆はその行間の情念なんかほとんどスルーするよ。大事なのはママンがベイビーにミルクをあげるような圧倒的安心感、国土が世間様によって安堵されるという安心感、そんなマリア主義の夢を見続けたいのが大衆だ。そこに批判的な理性を持ち込むと売れないです。マニア向けになります。
 それにガンダムブームと言われるガンプラブームと言っても、ベトナム戦争後の70年代(はだしのゲンが連載されていたころ)に作られた「ナチスやアメリカ軍みたいなミリタリーや戦記物は不良」という風潮の左翼や良識派のPTAや世論に対する、当時の若年消費者の軍事的な娯楽に対する飢えや大戦中へのノスタルジーが、宇宙戦艦ヤマト架空戦記物ブームの後押しもあってロボットものという子供向け商戦で展開したからなのでは?ガンダム自体の価値と言うよりその当時の商業的要請で適度に軍事要素が子供向けにマイルドになったガンプラというものが需要に合致しただけでは?(ナチス趣味はガンダムOVAで現在まで続くことになるが、ナチスが格好いいのはナチスの思想が正しいからではなくナチスの広報担当者が格好つけたから格好いいのである。その広報戦略はアメリカ軍にも転用されている)


 そういうわけで、昨年のトミノアニメブロガーナイトで語った「ベルリの全殺人シーンの解説によって、いかにベルリの世界観が常に揺さぶられていたのか」ということを説明する前の段階の、
「Gレコは不安定なアニメなので大ヒットしませんでした」
 を提示するだけで結構な時間を費やしてしまったので、炊事洗濯などをするのである。


 ベルリの撃墜スコア評論はまたトミケット前くらいに書ければいいかなーと思う。
 トミケット、まあ、あでのいさんが講演をするらしいけど、なんか嫉妬心が湧いてきそうだしアイマスのライブに行くし、たぶん行かない…。同人誌即売会って知ってる人にちやほやしてもらうのは楽しいけど、知らない人の同人誌を買わない選択をするとき「俺が石油王だったら全部買ってあげられるのに、俺が石油王じゃなくてすまねえ…」ってなって辛いので、お買い物はプライベートな通販でやります。すまねえな・・・。
 俺、あんまり人に承認を与えるような人間じゃないんだ…。っていうか、承認欲求を求められるの、本当に苦手なので人の行為にこたえられない…。俺はバブみをこじらせている…。
http://tomiket.blog.fc2.com/blog-entry-19.htmltomiket.blog.fc2.com
 トミケットでファン同士が交流するのも群体としての人としては楽しいんだろうけど。いや、そういう行為は否定したりけなしたりはしませんけど。やっぱり僕はボッチなので「これだけ自分と同じ趣味の人がいて安心だ」って喜べなくて、「なんで富野ファンがアイマスライブよりも少ないんだよ!」って思っちゃうので…。あんまり群れにいることで安心したりできない…。ぼっちだから…。自分と似たような人がいても、やっぱり自分が嫌いなので…。傷をなめ合っても、ちょっと殺したい。アイマスのライブでも他のライバルの(札束で殴り合う間柄の)プロデューサーと一体感をあんまり感じたくないし、みんなライバルだし俺は彼氏スタイルだよ。



 少なくともGのレコンギスタは僕には売れたんです!僕は全部BDもサントラもムック本もプラモデルも買ったんですよーっ!
 僕が買っただけでは監督は褒めてくれない????大衆の愚民どもにヒットされたいの???


オルファン! あんたには私がいるじゃないか! 他の誰もいらない。あたしがずっといてあげるから!
ブレンパワード Vol.6 [DVD]
∀ガンダムキングゲイナーのBD-BOXを買ったのはブレンパワードのオルファンの美術をBDで見るための投資だと思っているので、そこはお願いしますよバンダイさん。

 で、ベルリ目線でGレコを見たら
「俺は悪くない!」って思っていたら「てめーが一番悪いだろ!」ってパイセンに怒られて失恋して「俺、悪かったのか…。旅に出ます」って話なんだが。
 マスク目線では
世間から「お前はクンタラだし悪い!」って言われ続けてきたのが「俺は悪くない!悪いのはあいつだ!」ってキレ続けて、「まあ、彼女いるし悪くないかな」って自分が悪くないと認識が変わって落ち着く話。


 そういう風に善悪の認識が変わる若者たちの話なんだが、
クリム・ニック君は「俺は天才だし殺人しても勝てるぜ!」「宇宙でも勝つぜ!」「メッチャ殺人したけど特に反省はしないけど、俺を利用した親父はボコる!」「自分より身長の高い金髪美女と南の島で人生をエンジョイするぜー!」って、状況が変わっても徹頭徹尾「自分は天才だし何をやっても大丈夫」という圧倒的安心感、自己肯定感を自分で作りだして貫いていたので、天才はすごい。クリム・ニック君は本当に楽しい。
でも、最近のアニメは「殺人は悪い!悪い奴には報いがないと落ち着かない!」っていうアニメファンが多いので、クリム・ニック君はかなり特殊なキャラクターだと思う。
HG 1/144 モンテーロ (クリム・ニック専用機) (ガンダムGのレコンギスタ)




 でも、やっぱり殺人しても美女をゲットしたいっていう本能は石器時代からあるよな…。ジャベリンは!こう使う!


ビジネスで結果を出す人には“自己肯定感



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