まだまだ元気な79歳! 劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」は富野由悠季を救い、そして地獄を見せている……?【アニメ業界ウォッチング第80回】 - アキバ総研b.hatena.ne.jp
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全然関係ない話だけど後ろの棚のガンプラが多過ぎて整理されてないように見える。隣の椅子にペーネロペーを2つ(機首が2本見える)、雑に置いてるのも印象が良くない。もっと丁寧に品物を飾って欲しい
2021/08/07 23:35
インタビューそのものではなくて棚のガンプラの扱いが気に食わないというクソみたいなブコメをしたわけだが。(僕は僕でポスターとかガンプラの置き方にはこだわるくせに、半分アクティブ状態の外部記憶装置である本棚はぐちゃぐちゃです)
まあ、富野監督は別の人なので、そうなのかーっていうところと、そうなのかなあ?っていう面がある。
- 音楽性について
富野監督が最近むかしの音楽劇DVDで古い映画を見た話をしている。富野監督の世代と年齢でもサイレント時代の映画は全部見てないのかーって思った。
それはそうと僕はGレコの劇場版第一部から音楽に例えていたのだが。
そうだグダちんさんの感想を読まないと!と思って読んできた。TV版と映画版が音楽に例えられてて皆これを読めば良いと思った。#Gレコ劇場版 行け!コア・ファイター 初日ネタバレ3割感想 - 玖足手帖-アニメブログ- https://t.co/rAKA48f4JD
— にゃー (@1kiga) 2019年12月1日
別に僕が先に思いついたから偉いとかいうわけではなく当たり前の話で、テレビの一話20分での起承転結と、劇場版の90分の起承転結の盛り上がりグラフの形は違うよねって言うだけで。
あと、劇場版第一部の絵コンテとTV版第一話の絵コンテの秒数を比較して楽譜の比較みたいなこともしているけど、第三部の公開前にまとめきれなくてごめんねっていう。公開中の第三部の感想戦が落ち着いたらやります。(落ち着いたらやりたいことが割と多いというか、そもそも僕がインターネットを始めたのは小説を書くためだったのだが)(監督にしてみれば絵コンテの比較とか嫌なオタクだと思う。でもマニアは危険で邪悪な存在なのでやらせていただく。ていうか高い金を出して絵コンテ付きBDを買ったので読むよ)
- ミュージシャンの話
はじめまして中村さま。こちらこそ直接ご挨拶できなくて申し訳ありません。
— 菅野祐悟 (@yugokanno) 2021年8月8日
にしても富野監督にやられましたね(笑)ドリカムと同じ作品でご一緒できてとても光栄です。青春ど真ん中のバンドですから。
世の中が落ち着きましたらどこかで直接ご挨拶させて下さい。
引き続き宜しくお願い致します! https://t.co/wo0n7jX3IJ
富野監督はドリカムさんを持ってきたから菅野祐悟さんに嫌われたって言ってたけど、別に喧嘩してないらしいけど。
でもまあ、劇場版第二部からの主題歌「G」のイントロとかは劇中でも便利に使われていたと思う。イントロ、メカっぽさがあるし。それで同じ曲でも劇場版第二部の終盤と第三部の冒頭ではぜんぜん違う使われ方をしていて面白かった。
富野監督はドリカムの中村さんは劇伴音楽をやってないけどやりたがるって言ってたけど、ご本人はやってたらしい。
#富野監督 ありがとうございます😊そんな俺ですが劇伴もまあまあやったことあります😅悪しからず😭#ドリカム #中村正人 #gレコ
— MASATO NAKAMURA ( DREAMS COME TRUE) 中村正人(ドリカム)公式 (@DCT_MASATO) 2021年8月8日
まあ、富野監督はG-レコのイラストレーターでメカデザイナーの形部一平さんのことをスニーカーのデザイナーだと思ってたらしいし、思い込みが激しいところがあるのは事実。むしろ思い込みが激しくないとあんな作品は作れない。
なので、富野監督の言っていることが全部が正しいわけではないのだけど、だからといって間違っていることを言うこともあるから悪いやつだというわけでもなく。
インタビューも含めて僕が富野監督の面白い部分をすくい取って面白がればそれでいい。
しかし、富野監督の菅野祐悟さんへの感じ方が間違ってるかって言うと全部がそういうわけでもないと言うか。
やっぱり新作画パートに合わせた新曲、とくに劇場版第三部のクライマックスの三日月に乗れ!の流れはTVアニメの第18話のクライマックスから、映画のクライマックスにふさわしいアクションシーンの音楽としてテンションを盛り上げて、クレッセント・シップの映画のスクリーンだからこそ感じられる巨大感とか荘厳さの迫力もアップさせてきていて、いい新曲だと思う。そこにはドリカムの「G」に触発された部分もあるのかもしれない。
それに対して、富野監督は菅野祐悟さんについて「(ドリカムに対して)頭に血が上らなければ一流の作曲家ではないですよ」って述べてるけど、それは富野監督が鬼滅の刃やシン・エヴァンゲリオンについてすぐ「潰す!」とか頭に血が上るタイプだからそう思うだけで、菅野祐悟さんはそこまで怒りっぽいわけではないのかもしれない。(いや、菅野祐悟さんの人となりは富野監督ほどしらんけど)
そういうわけで、間違っている部分もあれば感覚的にあってる部分もある。同時に感覚の感じ取り方は個人差が大きいというのも。
また、キネマ旬報によると久石譲などの音楽家や映画ファンは「劇伴という言い方は音楽を馬鹿にしている言葉なので使ってはいけない」という文化もあるらしい。が、ドリカムの中村さんは「劇伴」という言葉尻自体には対して反論してないな。
僕は劇を盛り上げる音楽があったほうが楽しいと思うけど…。
- エンディングについて
これも個別の感想記事にしようかと思っていたけど、話題に出たので書く。エンディングクレジットで「振り付け、富野幸緒」って出た時点で「まさか????」ってなったけど、もうネタバレ解禁だと思うので書くけど、TV版のアイキャッチの映像の連続がエンディングで流れる。
正気か?
同じ「G」という曲を使った劇場版第二部のエンディングが色んなキャラクターがフォーカスされるNG集エンディング的な?ロボットアニメ映画のエンディングとしては格好いい場面ばかり集めたわけではないというか、笑える場面も入っている謎エンディングで、そのゴチャゴチャ感が面白かった。
「G」の歌詞はシェイクスピアの話をするなど高尚な部分と、初っ端に「モビルスーツ」って単語を出したり俗っぽい青少年の感情的な部分があって、それはそれで富野作品らしいのだが。ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和さんが富野監督の発言をネットで調べまくった結果だそうだけど。
で、エンディングの絵は歌詞は美しいのだけども、エンドロールは高尚さよりも明るくワイワイガヤガヤした楽しさを優先して子供向けアニメにしたいという感じ。
それはTV版エンディングでアホみたいにラインダンスする「Gの閃光」とも共通してる雰囲気なのだが。
でも「Gの閃光」も「死」とか「地獄のような現実で懐疑しつつも絶望をしない」とかいうメッセージ性とかモチーフがあって。子ども向けではあるんだけど、楽しさの中にガチ要素を入れるという、ロボットアニメという娯楽作品の中に様々な要素をブチ込んでいる富野作品らしく。
なので、楽しいのだけど気が抜けないという。
その上で同じ曲だけど別の絵を載せないといけないという第三部のエンディングでやってきたのが「TV版の、1個5秒のアイキャッチで流れるダンス映像を歌に合わせてたくさん連続でぶち込む」という超奇策。一部のアニメファンから「クスリをキメながら作ったようなエンディング」と言われていて、酷いとは思うけどそのとおり。
で、富野監督作品のオープニングアニメーションと言えば歌のタイミングに映像を合わせてくるっていうのがとても得意なタイプで。だから音に合わせるのは得意な演出家だとは思うのだが。
しかし、アイキャッチで流れる5秒のダンスという別素材を4分くらいあるエンディングというぜんぜん違うものに合わせた映像にするという。サイバーフォーミュラの継ぎ接ぎトミノオープニング…。しかも完全に映像と音楽の面白さと気持ちよさを優先していて、あんまりメッセージ性はないというか、具体的に言うと主人公のベルリ・ゼナムくんのダンスは1回しか出ない。
じゃあ主人公が出ないからだめかって言うとそういうわけでもなく、やっぱりマスクやクリムが変だったり、女性キャラクターが美しかったり、制服姿のマニィの尻がミニスカートギリギリだったり、おもしろい。本来は別の用途のために作られたダンスなのだが、様々な奇策を交えた映像表現で面白いなぁーって思っているうちに「あれー?この人が最後なのー」って気分でチルアウトして終わる。
(ノベルのお辞儀で終わるのは演劇的でもあるのだが)
(欲を言えば、エンディングがチル・アウトして終わるので、その次の瞬間に「特報!第4部!何月公開!」って出してほしかったけど、それはまあいろんな事情があるから……)
「G」の歌詞の分析も他の富野作品との比較という形でしているのだけど遅れている。
富野監督はそれについて若手編集者の「好き勝手に映像を作れるデジタル世代の編集センス」とインタビューで答えていらっしゃったが、先日の閃光のハサウェイの舞台挨拶のハサウェイ✕G-レコのスタッフクロストークでは富野監督がその編集作業にもかなり指示を出していたという話で。
まあ、映画は建前では監督のものだけど、個々のパートで誰の手柄かというのも不毛な話ですので。とりあえず、かなり異様なエンディングが若手と監督の力で面白く見れたというのが僕の感想です。いや、本当によくやりましたよ。背景のアブノーマルカラーとテロップの蛍光カラーには監督はまだ満足してないかもしれないけど。でも全体として頭がハッピーなダンスだったと思うし、それを新作ではなくTV版の素材のパッチワークというある意味村上隆的な制作法でやったのはすごいと思う。やっぱ、第一部のオープニングなどTV版も全否定しないってしてくれたら「はじめたいキャピタルGの物語」からの10年以上のファンとしてはうれしいので。
ただ、若いデジタル世代のそういう新しいものを吸収していくセンスを認めつつ、富野監督自身は、デジタル時代の映像ばかり見ていたら、自分の世代は間違えるとおっしゃっている。どういう意味だ?
下手に若々しいものを作ろうとしたら自分がそれまで自分の中で培ってきた美学的なものや技法が揺らぐみたいな話か?かと言って批判もしつつデジタル世代を全否定するわけではなく利用するし、そもそもG-レコは本編もかなり塗りとか、エフェクトとか巨大構造物の作画とか撮影処理とかデジタルやCGを使っているので。
富野監督はデジタルソフトを使いこなせないけど、ディレクションはしているんでしょうね。その微妙な塩梅がな。僕が変なダンスと謎色彩のエンディングを楽しく見れたのはファンの贔屓目かもしれず、客観的にはクスリをキメたような映像なのかなあ。
クスリをキメたようなシト新生を作ってた庵野秀明監督が社会性を手に入れてしまったので、その反動で…。
そして、第三部のエンディングでここまでの奇策をやったので、そりゃあ次の第4部でまた別の変化をつけようとしたら苦労するだろうなというのはわかる。
いや、映画なので黒塗りに白文字のエンドロールでもいいのだけど、サービス精神旺盛だなあ。旧劇場版エヴァンゲリオンのエンドロールはあんなに頑張って回転していたのに、シン・エヴァンゲリオンのエンドロールはなんであんなに長くて退屈なんだろう。
- 世代の話
インタビュアーの廣田恵介さんは「G-レコを褒めているのはガンダム世代のおじさんなのでは」と言い、富野監督は「年寄りは先に死ぬから、年寄りの支持は何の基準にもならない」とガンダム世代のおじさんをパージした。僕はVガンダム世代ですが。
10代の視聴者がいることとか、デジタル世代のスタッフとかを認めている。かと言って、自分がデジタル世代の感性を身につけるというようなことはない。おじいさんはおじいさん。
まあ、でも、若者が評価しているから偉いとか、おじさんが好きだからダメとか、あんまりおじさんをいじめないでほしい。僕もおじさんになってしまった。というか、テレビ放送から7年も経てば小学1年生も中学生になるんだが。おじいさんは72歳から80歳になってもおじいさんですが。
- メカの話
富野監督は自分を真性のメカ好きと自嘲しているけど、いや、G-レコ第三部の改訂の重点はラブストーリーでは?その前に富野監督は高校以降理系の数学できなかったって自分で言ってるじゃん。
というわけで、富野アニメは面白いけど何でもかんでも監督の言うことを信じるのもどうかなーって思ったり。
(そもそもメカ好きと言ってもいろんな機械があるのでサブジャンルが多すぎる)
- パンケーキを味見する話
富野監督が「キネマ旬報も俳優の話ばかりで作り手の話が少ない」とおっしゃったので、「そうかなあ」って思って、富野監督がGのレコンギスタについてのインタビューに答えていたので買ったキネマ旬報を読み返したけど、たしかに俳優のインタビューページも多かったけど、映画評論家の読者に過去の映画の知識を要求する膨大な文中の引用を付けた文章と読者層の高齢化(読者投稿コーナーが大体60代)の方が問題な気がした。だが、それを言うと映画ファンがかわいそうになってしまうか。
だから、若者に受けるのが良くて高齢者に受けるのはダメみたいな女子高生マーケティング信仰はやめよう!トリトンファンクラブの人ももう高齢者だと思う!
純烈のショーのファンのおばさんは多分G-レコは見ないと思うけど、まあ、純烈も仮面ライダーだからバンダイスポンサー的には同じかもしれないけど。
で、話はぜんぜん変わるが、このブログは僕のチラシの裏なので書くけど。
キネマ旬報のコラムの文化映画紹介の文系インテリっぽい渡部実さんの文章では「パンケーキを味見する」という映画は割とよくできているとか風刺が効いているという話だった。いや、僕は貧乏なのでG-レコ以外の映画は見ませんが。コロナが怖いので極力外出もしたくない。(コロナの前から映画館は空気が乾燥しやすいし他人がいるのでマスクしていても普通に風邪を引く体質)
「パンケーキを味見する」、監督かプロデューサーのインタビューだっけ?「鬼滅の刃とシン・エヴァンゲリオンのせいで小さな映画はシネコンを追い出された」という話が炎上した。「パンケーキを味見するの人よりも、鬼滅の刃とエヴァをライバル視する富野監督のほうが立派」というご意見も。
たしかに僕はそういう僻み根性はよろしくないなあと思うのだが。
でも、クリエイターには自己中心的な面とか思い込みが激しい面もあるということは富野監督の件で承知している。で、自己中心的で思い込みが激しい人が作る映画は面白くないのか?という問題もある。
また、キネマ旬報の監督インタビューや作品批評を読むと「パンケーキを味見する」は創作というより、国会中継を素材にしたり、官僚やら学生に取材したり、というドキュメンタリーな部分があり、監督の性格は劇映画よりも反映されにくいのではないかとか思ったり。まあ、国会は長いので恣意的な切り取りをしないと映画の尺には収まらないし、菅総理大臣を揶揄するようなアニメーションパートがあるとか。
石飛徳樹氏の作品評でも、やはりそのような政権批判に誘導する演出のある作品は好きではないと言っている。だが、末尾では「好きじゃないと言いながら、とても得るところの多い作品だった」と言っている。
僻み根性とかも現状批判の原動力で、そういう気持ちがないと政権批判の映画を完成させられないんじゃないのではないか、とか。
なので、なんだろうな。インタビューの僻み根性な言葉の一言をもって映画全体を断罪するというのもどうかと思う。
話を強引にG-レコに戻すと、富野監督のインタビューがGのレコンギスタそのものをあらわしている、ということもないような気がする。
ベルリくんやノレドとかマニィとマスクはもっと若々しいし。ロックパイとか、そんなに難しく考えずに戦ってるような気がするし。クリムは天才なのでレコンギスタ作戦の推理が半分当たるけど半分外れる。白旗作戦はG-セルフがいなければ即死だったけど、めちゃくちゃ笑ってるしな。
どうなんすかねー。
まあ、そういう雑なところも含めて富野監督は面白いし、また、富野作品は、富野監督が嫌いなVガンダムですら見てると元気になるしシュラク隊とカテジナさんはすごい美人なので。作品は富野監督と完全にイコールでもないとおもう。
うーん。なんかちょろっとしたネットインタビューの感想のはずがなんか変に長くなったな。台風による低気圧で精神状態が悪化したのが悪い。
まあ、あまりにも衝撃的なエンディングのダンスの感想はどこかで書こうと思っていたので、それで。いや、キンプリのヒロ様ぶりにダンスで分身する人見た。そういえばTV版Gレコの絵コンテマンの一人に五条桜…。
そして五条桜の師匠の井内秀治監督の「ママは小学4年生」のオープニングの富野絵コンテで分身している・・・。いや、そんなに赤ちゃんは増えんやろ・・・・
- 自慢
Gレコ応援団から認められて、厳正な抽選(と相手が言っているんだからそうなんだろう)の結果、富野由悠季総監督、アイーダ・スルガン役嶋村侑さん、ベルリ・ゼナム役石井マークさん(年齢順)の直筆サイン入りB2ポスターをもらいました!
ウッキウキで額縁を買いに行きましたね!
僕は認められたんだ!
すごく調子に乗っている。
でも、Gレコ応援団から送り状は届いたけど、団員ステッカーはもらえてないです。シール一枚くらい同封してくれてもいいのに。非公式な動きを見せる海賊団員です。13日の金曜日から映画館でも(ちょっと違う絵柄の)団員ステッカーは配られるらしいですが、来週も映画館でやってるかなあ。
- ほしい物リスト。
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↑グダちん用
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つかいかた
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このブログは最後まで無料で読むことができますが、著者に物を送ることは出来ます。病気以外のもらえるものは何でももらいますが、先日、読者から送ってもらいましたレトルトのご飯とレトルトカレーの一部が8月に賞味期限を迎えるので、友達にあげちゃいました。
なんか最近昼ごはんを抜くことが多いので。ダイエット中だし。
こないだ少しバズった記事で
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2021年8月5日
「ほしい物リストを公開する奴は信用できない」というブコメをもらったけど、千人に嫌われても十人から物を貰えばペイできる!
読者の方から0カロリーとクロスボーン・ガンダムをもらいました!
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