このシリーズはGレコの主人公のベルリがいかに殺人行為に直面してきたのかっていう、2015年に開催したトミノアニメブロガーナイトでの30分ほどのプレゼンテーションを改めて文章に起こしたものですが。
トークショーでは省いた話数もあります。この第9話など、直接的にベルリが殺人をしていない、人が死んでいない話は省きました。
しかし、時間が限られるトークショーとは違い、ここは僕のチラシの裏なので全話書きます。
ただし、今回は殺人をしてないのであんまり書くことない。
おそらく、新劇場版ではこの9話「メガファウナ南へ」は省略されるだろう。しかし、だからと言って面白くないというわけではない。(おもしろい)
- 前回の殺人考察
- 本放送の時の感想
nuryouguda.hatenablog.com
本放送の時の感想と重複することについては極力省く。
- 子供帰りするベルリ
連続殺人考察シリーズでの当話は、ベルリ・ゼナムが養母のウィルミット・ゼナムと合流して子ども帰りしていることが重視される。
この殺人考察シリーズでは全26話を4分割し、6話ごとに分けている。第1部はもちろん第6話でのデレンセンの死だが。その後、7、8話はベルリのリハビリだったと捉えている。そういうわけで、この第9話は憂鬱からニュートラルポジションに戻ったベルリが描かれるわけだが、物語の加速度としては、同じ位置の日常だった第1話よりも、落ち込みから上昇している第9話は上向きの加速度がついている。
なので、ベルリが第1話と同じような子供っぽい行動をしていても、それはポテンシャルエネルギーとしては異質なのだが、表面的な速度と位置は似て見える。(ややこしい物言いで済まない)
Gレコは子供向けアニメだと富野監督もおっしゃってる。
僕は『G-レコ』について「大人たちは観る必要がない、子供に見せてくれ」という言い方はしていますけど"子供に見せる"ということは、つまり親が許すということ。それを親が認識するということは、親が入口になるということです。
https://news.mynavi.jp/articles/2014/09/06/tominogreco/001.html
今回の冒頭のベルリは非常に子供っぽく、女友達のノレド・ナグや知的障碍者のラライヤ・マンディと騒ぎながらメガファウナのブリッジに入ってきて母親に叱られて登場する。
富野アニメのキャラクターは設定年齢よりも大人びていることが多い。しかし、今回のこのベルリの「子ども同士ではしゃいで親に叱られる」という描写はむしろ高校生相当に設定されているベルリにしては子どもっぽい。特に、親と確執があったり大人になろうと過剰適応して振る舞うことの多かった他の富野アニメの主人公たちに比べると、「親の前で子供っぽく振る舞う」ベルリは変わっている。大人に子ども扱いされないようにする(しかし愛情には飢えている)というのが他の富野アニメの主人公の方向性だった気がするが、今回のベルリは割と子供らしく振る舞っている。子ども同士ではしゃいで軍人の邪魔をするというのは過去のガンダムだと子供キャラの役割で、主人公はそれに苛立つ立場だった。しかも、それを「よそ様の軍艦」と養母に叱られて言われるのはさらに子供っぽさを強調している。
id:adenoi_today さんの同人誌「Gのレコンギスタ備忘録」でも、第3話でウィルがベルリの指の傷を心配することについて
しかしこの歳にもなればかすり傷程度に親が強く心配するのを、むしろ多少鬱陶しく感じるのが普通ではないだろうか。
と、評している。
しかし、それはベルリが子供っぽい奴だからだ、というよりは、第6話で唐突に恩師を殺してしまい、実家に帰って顔向けすることもできず、第7話でずるずると海賊船に居残ってしまってジャハナムを運転させられたベルリが第8話で養母と再会したことで安心した反動で子ども帰りしたんだろうな、とも思える。
やはり元気のGでもベルリはデレンセンを殺害したことで心に傷を負っていると見るべきで、戦場における人殺しの心理学が働いている。7、8話で鬱になりながら受動的にジャハナムを動かしたりラライヤやクリムの尻ぬぐいをしながらリハビリをして、9話では何とか第1話の子供っぽいベルリの段階まで精神的に回復したように見える。
また、ベルリとウィルミットは養子の関係だと第9話でノレドの口から明かされる。なので、「本当の子供よりも子供っぽく振る舞う」ロールプレイをするのがベルリの処世術なのかも…。と、考えることもできる。
で、第1話ではレクテンでG-セルフに戦いを挑むなど少年らしいはつらつとした勇気とアイディアを見せたベルリですが、今回は「宇宙からの脅威にアメリアとメガファウナを合わせて立ち向かおう」というアイディアを見せる。これもちょっと突拍子がない思いつきなのだが、逆に子ども帰りしたベルリだからこそできることだろう。実際、母は大人なのでグシオンに提案できていなかった。
子どものフラットなものの考え方が状況を打開する、というのは主人公が屈折しがちな富野アニメよりもむしろ、トライダーG7とかエルドランシリーズとか長浜ロマンとか、もっと低年齢向けのロボットアニメでよくある展開だと思う。
機動戦士ガンダムZZで富野監督も「子どもはみんなニュータイプ!」ってやってたけど、プルツーやリィナの関係はそんなに子供のいい面だけじゃ無かったよね。あと、ファーストからZにかけて堕落したカツとか。なので、子供や次世代に希望を持ちつつ、子どもや愚か者を鬱陶しがる屈折が富野作品にはあるわけだが。
Gレコでは「恩師を殺害して鬱に陥った主人公が知的障碍者と触れ合って母親と再会して子供帰りしたことで、子供のような純真さを見せる」という、素直に見えるけど1周回っているテクニカルな青少年の描写を見せている。こういう文脈を操作するような技巧的な成熟は迷走しがちだったガンダムZZやキレたVガンダムよりも老獪に熟練熟練!
(また、キングゲイナーのゲイナー少年も親を殺害されているので人生が2周目。リーンの翼のサコミズも転生して人生2周目。ロランもムーン・レィスとしては棄民されているので2周目、と、1999年以降のガンダムブームの隆盛と衰退を経た富野作品では2周目っぽさがキーワードかもしれない)
(ガンダムとは直接的に関係はないが、ベルセルクのガッツが蝕以降、知的障害になったキャスカと関係を再構築しているのも2周目っぽい)
Gレコの恐ろしい所は2クールのアニメなのに9話で既に2周目というところです。金星に行くところで3周目、金星から帰ってきてからも4、5周します。1周2周というのは、移動だけでなくてパラダイムシフトや価値観の崩壊と再構築のメタファーなんだと思う。
(けものフレンズもじゃぱりとしょかん以降は2周目感があった)
ベルリの子ども帰りは殺人を犯した少年の精神が憂鬱状態から再上昇する過程の描写としても秀逸である。同時に、ロボットアニメの構造に対する技巧としての側面もある。というのは、往々にして主人公は成長するという問題がある。で、成長して主人公の成功率が上がる方向性があるのだが、劇の組み立てを面白くドラマチックにするためには主人公が成功するだけではつまらない。しかし、主人公が一面的に成長すると、序盤に犯したようなミステイクの行動を作りにくくなる。
また、ここでロボットアニメというジャンルに絞って話すと、第1話から3話くらいは世界観やロボットの性能や格好良さ、キャラクターの魅力を紹介していくというのが基本のテンプレートとしてある。んで、起承転結の承あたりでちょっとシリアスなことをやると、往年のロボットアニメでは「子どもが活躍する回」がある。富野監督がローテ参加した長浜ロマンとか、その前のライディーンとかマジンガーZでもこういう構成がある。これは子供向けアニメだから子どもを出すというだけでなく、群像劇としてもロボットプロレスとしても毎回同じような敵と同じように戦ってもつまらないので劇の振れ幅を持たせる一つの手段として、子供の巻き起こす事件などで変化球の話をつける。(子どもだけでなく、いろいろなゲストキャラクターとの触れ合い、というのはアニメだけでなく連続ドラマの要素である)(プリキュアとかけものフレンズとかね)
ただ、近年のロボットアニメは子どもを出す余裕が少なかったり、青少年の学生と軍人ばかり出てきて設定紹介をこなして2クールくらいで終わるのが多い。これはマーケティングなどの問題でもあるがGレコとは直接関係はない。
とりあえず、子供を出せばいいというものではないが、いろいろなキャラクターを出すと劇に幅が出るという話。しかしGレコは振り返ってみればゲストを招くような作りではないし、子供やマスコットは出ない。ラライヤ・マンディがマスコット的であるし、ノベルもいるのだが。クリムにそそのかされたラライヤがG-セルフに乗る7話はある意味マスコットにフォーカスした回かもしれない。また、Gレコはロードムービーなのだがほぼ隙間の無い連続アニメなので主人公たちは成長していってしまう。スピンオフとかボトルショーが作りにくい。
ドラえもんやおじゃる丸などの長期ループアニメは成長しないので主人公がある話では成長したり、それをなかったことにしてまた愚かな子供っぽいことをしてもいいのだが、連続アニメは過去を踏まえがちになる。成長していく主人公が序盤みたいなミスを繰り返すと無能に見えるし、「今さらこんなことはしないだろ」と見える。
また、蒼穹のファフナーとか新世紀エヴァンゲリオンとか、主人公が成長するというよりトラウマを背負って純粋な少年が曇っていく業を背負っていく系のドラマもある。Zガンダムとかもそうだった。
成長するにしても戦士として張り詰めていくにしても方向性がある。が、ここで私が何を言いたのかというと、ベルリが恩師を殺害してシリアスに業やトラウマを背負っていって一方通行的に大人や戦士になっていくのではなく、憂鬱さを感じつつもリハビリして子ども帰りして元気なふるまいを取り戻すという、振り子の行ったり来たりする感覚が割と面白いと思う。また、私も過労や生育環境から精神障害を患っているが、メンタルヘルスは一方的に悪くなったり、風邪のように引いた後は治るだけだったりするものではない。なので、トラウマを負ったベルリがそこから立ち直る過程でいったん子供っぽくなるのは実感としてもリアルにも見える。
で、またロボットアニメの話に戻るが、構成のアイディアとしてもゲストキャラクターの子供を出さずに主人公のメンタルの状態が子供帰りしたタイミングで、子供っぽいキャラが作戦を立てるというコンVの小介回みたいなことをするというのは面白い話構成だと思う。
子ども回なので、今回のメカ戦闘がそんなにハードじゃなくて故障してるエルフ・ブルックとちょっと遭遇戦をするだけ、というのも「らしい」。
(そう考えると、コードギアスR2でルルーシュが記憶喪失に成ったりとかはギミックとして面白かったな。ギアスはギアスで学園祭回とかでシリアス一辺倒ではないバラエティを出していたわけだが)
ただ、これもそこまで新奇なわけでなく、伝説巨神イデオン第14話「撃破・ドク戦法」でも富野アニメで主人公が戦場のトラウマから子ども帰りしてミステイクをする展開があった。これはこれで独特の味わいがあるし、イデオンの逃避行において14話はまだ地獄の一丁目なのだが。
メガファウナの後部デッキからモンテーロの射出テストをするのをベルリが率先して提案するのは、機動戦士ガンダムでGアーマーのプレゼンをするアムロ・レイみたいな「メカオタクの少年が調子こいてる」描写だろうか。
第1話の「常日頃、臨機応変に対処しろとは、大尉殿の教えであります」と言った大人の中で安心して優等生の子供としてふるまっているベルリの調子が復活してきたリフレインだろう。これは母と合流して安心感が高まったことやメガファウナとなじんだからだろう。「メガファウナのせいで俺は恩師を殺す羽目になった…」と恨み節でシリアスに落ちていく展開ではなく、6話のラストで落ち込んだり7話でやる気をなくして量産型MSに無理やり突っ込まれたりしつつも、元の子供っぽさを取り戻していくリハビリの過程を1話のベルリみたいな行動のリフレインで見せて行くのは巧い。(ベルリが1話の状態を取り戻しても、周囲の戦闘状態は順調に変化しているというのもある)
滝やテーブル台地があるおかげでミノフスキー粒子やレーダー監視をかいくぐってメガファウナが南米大陸をキャピタル・テリトリィまで飛行できるという説明セリフを言ったことをベルリは「分かりきったことを説明しちゃって」と謝るが、これも明らかに第1話でのベルリとデレンセン大尉の授業の会話の繰り返し。「分かりきったことを言うのはかっこ悪い」というのがベルリの基本的な日常感覚のようだ。
やはりベルリは第1話の戦闘前の気分を取り戻しているように見える。しかし、デレンセンは事実として死んでいて生き返らない。なので、ベルリが正規のパイロットのアイーダの後ろを追って行ったり「分かりきったこと」と言ったりするのは、デレンセンへの敬意や親しみを女性として好きなアイーダに混同して転移している精神的代償行為かもしれない…。
また、ベルリはデレンセンに対するように「分かりきったこと」と言うが、叱る口調で授業をしたデレンセンと、笑って済ませた年上のお姉さんのアイーダのリアクションは違う。同じような言葉を言っても相手によってリアクションが違うのは当たり前なのだが。アイーダはデレンセンとベルリの会話は知らない、視聴者とベルリだけは、この会話が1話の繰り返しだと重ねてみてしまう、というちょっとした悲しさも感じる。
マスクとの戦闘の後、ケルベス・ヨー教官殿にベルリは「自分はキャピタル・ガードの候補生のままです」と自称するが、デレンセンを殺したマシーンで海賊船に乗っているけど自分は変わっていないと言うのも微妙な感じがある。ベルリは「色んな事があるけど自分は自分」という基本姿勢があるのだろうか。数回人を殺したくらいでは学生気分は抜けないのか。
- 変身するマスク
ベルリは変わらないし、人を殺しても母と再会して安心したら子供っぽさや学生気分を取り戻して第1話と同じようなことをする。ということが描かれるが、逆に変身するのがマスク大尉です。仮面をつけて変身!
マスクは最終回まで見るとラスボスというかダブル主人公だったかもしれない人物だったわけだが。マスクは戦争状態とか立場に応じて振る舞い方を変える人物で、出世という変化を望んで頑張っている。なので、無敵のメカと血縁に恵まれているのに変化を望まずに子供っぽくのうのうとしているベルリを見たら、そりゃあ腹立つよなーーーー。
マスクはやっぱりベルリとの対比を非常に面白くしてくれた人物だ。Gレコは一人脚本なのにいろんな立場で違う思想や価値観の人物が同じくらいの重みで出てきて面白い。
復讐戦を仕掛けるマスクの好戦的な感じはルイン・リーとは違うかもしれない。
しかし、この飛行角度の構図は第1話のルイン・リーがG-セルフに向かって行ってバッテリー泥棒にトリーティの復讐戦を仕掛けるリフレインなのかもしれない。絵コンテは同じ人だし。でもデレンセンの不在はここでも思い出される。
マスクは変わろうとしている人だが、変われない部分もある。
後ろを向いたG-セルフに突撃するマスクだが…。
雑なバックキックでベルリに返り討ちにあう・・・。ベルリはこの後、マスクのマックナイフのシンプルな変形に「そこに隙が出る!」と同じことを言って脚をもいだ。隙をつくのはキャピタル・ガードの同門の戦法かもしれないがベルリはクソ強い。
前回負けて本調子ではないエルフ・ブルックは無人のモンテーロとへたくそなアイーダの攻撃で半壊。マスクは決死のスカイダイビングをする羽目に。
ベルリはそのマスクをルインとは知らずに助けるが、これはベルリの学生気分の変わらなさ、戦士になりきれなさだろう。同時に、ケルベスのエフラグを助けた3話やクリムのモンテーロを助けた6話の繰り返しだし、ビームライフルを武器としてではなく道具として使うのもラライヤの枕にした3話からの流用。
なので、ベルリやG-セルフはあまり変わらずに人助けをしたいという優しさとか道徳的に正しい道具の使い方はあるんだけど、人殺しをしてでも出世したいマスクにしたらG-セルフに助けられるのは滅茶苦茶屈辱だろうし、やっぱりラストにキレて独裁者とか言うのはプライドとして当然。自分を殺せるのに気まぐれで助ける飛び級生とか独裁者になるくらい傲慢な奴だと思う。これは男の闘争本能かもしれないんだが。
ベルリは基本的に善人ぶりたいしいいことをしたいのは変わらないが、変わらないやつが無敵のロボットに乗っていることで周りのマスクとかに滅茶苦茶勝手に恨まれる。後半では金星人に恐れられたり。っていう自分の印象が他人によって自分の知らないところで変わっていく恐ろしさはある。
子どもっぽさが変わらないのに戦闘マシーンを無自覚に完璧に動かせるベルリというザンボット3やVガンダムみたいな怖さもある。
で、マスクの決死のスカイダイビングだが、G-セルフのキックが滅茶苦茶あっさりしているわりに、バララがマスクを助けようとしてエフラグの位置を合わせるシーンはマスクの命の重さを実感させるようにじっくり描かれる。
また、マスクは敵に助けられて命拾いというスーパーみっともないプライドが傷ついたところを初登場のバララ・ペオールに見られるわけだが。
声優は日本ナレーション演技研究所の広告塔でCLANNADのメインヒロインの中原麻衣さんやぞ!萌えアイドル声優やぞ!
そんな美少女軍人にみっともない第一印象を晒して命を救ってもらった上にニッコリ受け止めてもらって落ちない男はいない!シャアがララァに執着したのもみっともない所を見せても男を立ててくれたりしたっていうのがあると思う。
男は本当、そういう所があるので…。
まあ、ルインの彼女のマニィ・アンバサダの高垣彩陽さんもアイドル声優スフィアやぞ!ノレド・ナグの寿美菜子さんもスフィアや。スターライトクイーンや。写真集買いました。マスクとベルリはアイドル声優にモテモテ。(石井マークくんはプリキュアと結婚した。)
ただ、ベルリはノレドに好かれつつアイーダさんにみっともない童貞臭さを見せながら一歩踏み込めないのに対して、マスクはマニィの前でクンタラのプライドがどうのと格好つけた次の話でバララみたいな女軍人とも付き合って見せているので、対照的だ。
- しっかりしている大人
リアルタイム感想では、私は9話に対して「南米の自然の中を旅するのが世界名作劇場、というか母をたずねて三千里みたいだ」と感想を述べたが。
世界名作劇場はハードな展開もありつつ、基本的には子供向けテレビ漫画だ。富野監督はアニメ新世紀宣言やリアルロボット路線などで子供向けのアンチと見られたこともあったが、世界名作劇場のローテーション演出家としてテレビ漫画を作りまくってきた当事者でもある。
そしてGレコも子供向けアニメという自称だが。
今回、「ベルリが子ども帰りしている」ということに着目してみて気付いたが、やはり養母のウィルミット・ゼナムとアイーダの父のグシオン・スルガンの目の届く範囲だから、安心してベルリが子供っぽく振る舞えているというのはあると思う。
キャピタル・タワーの運行長官だからと言っても、海賊を敵視するヒステリーを起こすことなく、「クリム中尉のアーマーザガン」という言い方をして冷静なウィル。ヒステリーを起こさない賢い母親は富野アニメでは貴重。
母の小言を素直に聞く主人公はもっと貴重。
きちんと船を動かす艦長。地味に富野アニメで「ホワイトベースがゆっくり低空飛行をするのはエネルギーを使う」という35年ぶりの自己反省が。
特に今回光る活躍を見せたのは段取りが異常に上手いケルベス・ヨー。ベルリがデレンセンを殺害したことがどうのと怒らずにきちんと仕事を果たす。
このケルベスの声には思わずベルリもポップアップを2回も出して喜ぶ。実家に戻った安心感。
親や教師の下で安心して子供をできる、というのは恩師を殺してしまった後のリハビリとしては非常にいい安定剤になったのでは。
しかし、ケルベスだけが有能で善人だというわけではなく、スコード教の信者は全般的に仕事が丁寧で倫理的と描かれるので、ケルベス個人に対する信頼と同時に社会への信頼感もバックグラウンドとして下支えとして感じられる。
スコード教は人工宗教だけど、神様ではなく「きちんと仕事をしましょう」という倫理とそれを実践する隣人たちや社会を信仰する宗教的規範意識のようで。未来型の儒教か。
社会への信頼感があるというのも、ひねくれた世界観が多かった富野アニメでは貴重だ。ベルリが子供をやれているのも、こういう大人のしっかりした姿があるからだろう。子供向けアニメで汚い大人を出すのは良くないと、富野監督も孫を持って気付いたのかもしれない。しっかりしない大人の中で子供が子供でいられないことが多かったのが富野アニメ。特にVガンダム。
母の仕事を誇らしげに語るベルリ。
ノレドはクンタラとして差別されているし親の描写が一切ないけど、友達を自宅に泊めるくらいは気軽にできる実家への安心感がある。(マスクの親はどんな人物だったのか…。ザンボットの香月は家族の描写が充実してたよな)
- ユーモラスな大人
しかし、Gレコの大人は仕事をして規範を示す杓子定規な人というだけではない。
息抜きで踊る。
キャピタル・タワー運行長官のウィルミット・ゼナム長官がアメリア軍のグシオン・スルガン総監に「宇宙戦艦は人類を滅亡に導く技術の象徴」って言うのは、「船酔いしてイライラしたから」ですよ。このエチケット袋のポカーンとしたユーモラス感。これは笑える。宇宙エレベーターの長官が宇宙戦艦を擁する軍人に「これは人類を滅亡させる技術の象徴!」って言うのは文面だけではシリアスなSFの思想対立っぽいが、劇としては船酔いしたおばさんがオッサンにエチケット袋を出されて強がって偉ぶってうっかり口にした言葉というギャップ。面白いね。
ザブングルやZZの一部でギャグが滑るし、いなかっぺ大将が苦手だったという本人の談話もある富野監督だが。こういう微妙な雰囲気の文脈ユーモアのセンスはある。
宇宙を股にかける炎上屋のクンパ大佐も、週末の息抜きパーティーで女の子のダンスを眺めたり、自分もカジュアルなフリルの服を着て遊んでたついでに、帰還したマスクについて電話して
「土日は軍の事務はお休みです」って言われて「つくづく地球人は絶滅していい動物の中に入るな!」って、宇宙を股にかける巨悪とは思えない器の小ささ。これもユーモアだ。巨悪と言っても普通の短気なおっさんという親しみやすい面もあるクンパ。(この直後に法皇様の所に行くときにはきちんとマントを着こんでいくのもかわいいよな)(死に方もけものフレンズみたいな雑さでかわいい)
女の子同士の関係はオッサンには分かりづらいが、同じ釜の飯を食ううちにいつの間にかなあなあで仲良くなってるノレドとアイーダとラライヤ。
「アイーダが来たせいでベルリは人殺しをしてしまった!」とかキレないヒロインはそれだけで優しい。人間に対する温かみが富野アニメの中でもかなりおおらか。
∀ガンダムのソシエ・ハイムお嬢さんもキエルお嬢様とディアナ様の両方を自分の姉だと思うっていう器量を見せてくれたのだけど。こういう優しい女の子同士の関係はいい。
初見では「ベルはもらいっ子」とアイーダに明かすノレドは、アイーダよりもベルリの過去を知っている自慢かな?と思ったのだが、どうやら普通に親しくなってなんとなく噂話をしただけかな。ノレドは普通の女子高生だ。普通に他の女子と仲良くできる。いい子。
ベルリに好かれているアイーダに嫉妬してべーッと舌を出すところもあるが、四六時中憎んでばかりいるのも疲れるので、なんとなく親しくなる面もあるのか。
- 豊かな自然
世界名作劇場っぽいと言ったのだが、とにかく9話は自然描写が多い。
子どもが子供でいられないVガンダムは環境汚染が進み過ぎて鯨が腐って海が悪臭で満ちるみたいな宇宙世紀末期が描かれたが。Gレコのリギルドセンチュリーも一回人類文明が崩壊して環境汚染が行くところまで行って回復中で、人間が暮らせる範囲が少ない、という設定が事前にアニメ雑誌などで公開されたのだが。
本編ではあまり砂漠とか荒野は出ない。∀ガンダムの麦畑とかの自然にディアナ様が感動する程度には、Gレコの自然も豊かなのだろう。
しかし、「エンジェルフォールみたいな滝はいっぱいあります」って話なので、自然は貴重!環境を守らないとダメ!というエコロジーな切迫感はあまりGレコにはない。
自然や動物は周りにいっぱい普通にいる。という、ジャパリパークみたいな感じで、とにかく9話は動物がたくさん出てくる。環境破壊が極限まで行った後、自然に復活したのか、バイオテクノロジーで復活させたのかは本編では語られない。
(↑このパーカーはおそらくヒル避け)
富野監督が絵コンテを切ったシートン動物記くらい動物が出てる。
けものフレンズが流行したけど、そもそも子供は動物がテレビに出るのが好きなので、ここら辺でもGレコを子供向けにしたいという意図が見える。
また、大人に余裕があると同時に、自然にも余裕があって人間の生活やメカニックとも共存しているおおらかさがある。「増え過ぎた人類は資源を枯渇させて宇宙に移住するしかなかった」とか「一年戦争の後の度重なる戦争の環境破壊で地球が持たん時が来ている」という、ローマクラブの「成長の限界」の論文が1979年のガンダムの基本にあったわけだが。
Gレコの余裕のある動物や自然の描写の包む作品の雰囲気は、全滅戦争に向かいがちだったガンダムシリーズとはまた変わっている。
もちろん、名作劇場風のガンダムと言えばすでに∀ガンダムが18年前にあったわけだが。
∀ガンダムはナノテクの肥料でやっとアニスばあさんの畑が収穫できるようになったとか、ムーンレィスは冬眠をしないと資源が足りないとか、ロストマウンテンが残っているとか、復活しきっていない自然の乾きがあった。ディアナカウンターが略奪をしないと食べられないとか、貧しさがあった。
しかし、Gレコは宇宙海賊が出かけた先の農家の人から電話を借りるついでにいっぱい鶏と魚を売ってもらえるくらい豊かな生物資源がある。この安心感は大きい。ロボットアニメだけど、「人造たんぱく質しか食べられない」とか「戦争をして食料を得ないと飢える」のではなく、「戦争をして豊かになりたい気持ちはあるけど、最低限の牧畜や養殖は出来てるし飢えないしおいしいものをたくさん食べられる」という安心感のある世界観はおおらか。
しかし、そのおおらかに安心感のある自然や社会もフォトンバッテリーというとんでもなく便利な電池が普及しているからで、それを意識してないで暮らしている地球人は平和ボケかもしれない?
という懸念が法皇様の言葉で想起される。
では、見ないようにしてきたタブーのフォトンバッテリーの元はどうなんだ?タブー破りを起こすヘルメスの薔薇と、ブラックボックスのフォトンバッテリーの流通元を確かめたい。というのがアイーダが宇宙を目指す動機付けになるのだが…。
法皇様に何も言えなかったお子ちゃまのベルリに対して、アイーダは世界に安心感を齎してくれる謎のフォトンバッテリーと宇宙からの脅威を関係づけて問題視して問いかける政治家の素質がある。ベルリは戦士。
しかし、世界の幹部4人にアイーダが問いかけていた答えが得られるより先に、戦場に連れていかれるリアルは地獄。
子どものベルリを連れ出す中堅職員のケルベス。
リギルドセンチュリーの歴史や国益や宇宙的思想を背負って動かない4人の幹部。
兄貴分のケルベスに連れられて戦場に赴くベルリは、次回第10話で恋を知って子どもから青年になる(?)(結局恋は実らないのだけど)
さて、どう戦い抜くかな。
しかし、子供は希望と描くのが富野アニメではよくあったが、ケルベスみたいな成人男性が溌溂と仕事をしているのは富野アニメでは珍しい気が…。動かない4人の幹部と、動かされるベルリの中間の年齢のケルベスが良く動く。
キングゲイナーのゲイン・ビジョウほどの過去もなく、自然と少年を導いている。
ZガンダムやVガンダムの頃はアニメ業界批判のうっぷんがたまっているかのように20代や30代の扱いが悪かった気がするが。富野監督の中でアニメ業界の若手たちへの信頼感が増してきているのがキャラ造形に反映されたのだろうか。リーンの翼の自衛隊コンビもなかなか良かった。
Gレコはイライラした気分が抜けているように見える。
- まとめ
今回のベルリは前回のラライヤとのリハビリと母との再会のおかげで、心を閉ざした兵士にならずに済んで、第1話の子供に戻ることができた。しかし、状況は変化していて、同じ子供のままではいられずに戦いに行くのだろう。
だが、かつてのガンダムや富野作品では母なるゆりかごから脱したり、母への依存を卒業することがテーマになったが、Gレコは子供向けアニメだからか、ベルリは母やメガファウナや安心できる社会を幼児の心理的安心基地のようにして、そこから戦いに行って、また戻るということを振り子のように繰り返して、一方的ではなく、行ったり来たりしながら成長していくのだろうか。
社会に安心できずに変身を望むマスクも同時に描かれるのだ。
- 次回の殺人考察
- Gレコ感想目次
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