玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ヤマト 我が心の不滅の艦

精華大学においてあった、宇宙戦艦ヤマトのインタビュー集。
製作1994年。
内容は、YAMATO2520
http://ja.wikipedia.org/wiki/YAMATO2520
および、
宇宙戦艦ヤマト復活編
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%B7%A8
の製作前のプロモーションビデオです。
1万円もする。当時、これを勝った人はどんな気持だったのでしょうか?

何でこれを見たのかと言うと、∀ガンダム以前にシド・ミードがメカデザイン・フューチャーコンセプト・デザインに参加したと言う事で、ターンエーガンダムを見る前にシド爺さんがどういうものかどうかを知っておこうと思ったのだ。
ターンAガンダムを見るには、本当に広い意味でのオタクに成らないといけないので大変です。
もうすぐナノマシンの本をあらかた読み終わるので、そしたら金詩篇萩原朔太郎の月に吠えるを読んで、ヒッチコックのハリーの災難も見なければ。大変だ。
もちろん、SD以外の全てのガンダムをあらかた知っておかなければならない。
それでいて、知らなくっても普通に世界名作劇場やカッコいいロボットアクションとしても見れるのだから、ターンエーガンダムは凄すぎです。


そんで、このヤマトのビデオですが。全編、企画 / 原作 / 製作総指揮:西崎義展がスッゲエ!という自画自賛です。もちろん、このビデオの構成も西崎義展。あはははははははは!
まあ、僕はシド爺目当てで見たので、西崎受刑囚の事はどうでもいい。
っていうか、シド・ミードはスゴイよ!
さすがファイナルファンタジーのおじいさん!


船の三面図だけで無く、細かすぎる水平、垂直、正中断面図を膨大に描き、それを組み合わせるとそのまま3D設計図になるとか、ドンだけ右脳の立体感覚が強いんだ!
それでいて、「感性が大事なのデース」とかいって、イメージボードも描くぜ!
シド爺すっげえええええエッ!
シド爺さんの描いた物を見た後の日本側の旧ヤマトのデザインの意味のなさ、古臭さ、おもちゃっぽさ、うぅぅ・・・・。昔はこれでカッコいいとおもってたんだよう・・・・。
でも、当時中学生だった僕は良く知らないくせに、「こんなのヤマトじゃないよね」と思ってました。すんませんでした。
まあ、ヤマトじゃないわけだが。
「超機能的スペースバトルシップ」としては凄くカッコいいな。
まあ、西崎の「宇宙は海で、ヤマトは船だ」というオファーは厳守したみたいだが。
ターンエーガンダムは中身がすかすかで予算が浮いてよかったなあ。本当に!
でも、ターンエーガンダムはカッコいい。俺がマスターグレードで買ったのは結局ガンダムシャアザクとヒゲだけだもんな


ていうか、インタビューの面子のカオスッぷりに噴いた。





死んでる人も含めて、いろんなところから人が来過ぎ!
あははははははは。


阿久悠さん、宮川泰さんたちスタッフの人は「西崎さんの注文が凄かった」と言う事ばっかり言ってた。「スゴイ熱意だからついついがんばっちゃう」とか。


松本零士はなんか、女性キャラとメカデザインを誉められてた。今回の企画に付いてはキャラクターデザインをして、19年歳をとったメインキャラを描いてた。ソレを、北爪宏幸先生がアニメ絵にしてた。全然違ってた。
でも、企画はポシャった。


結城信輝は絵柄と違ってヒゲ面だった。ファン代表だった。
米沢嘉博代表は、コミケットの始まりはヤマトだったとか言う感じで出てた。コミケ開場は幕張だった!
庵野秀明はファン代表だった。部屋にはセーラームーングッズがいっぱいあった。この人は・・・!
ファンクラブの人たちと語らう西崎代表や、ファンの少年が丸太を彫って作った宇宙戦艦ヤマトの模型を宝物にする西崎プロデューサーも出てた。
でも、オタクってやっぱりキモイな。
うん。
何でオタクって気持悪く笑いながら喋るんだろう。
おれはガクトみたいな喋り方を目指そうとして、久米田康治みたいなしゃべり方になっているわけですが!絶望した!


ヤマトで育ったファンがヤマトを作ると言う事を肯定している。
ちなみに、

伝説巨神イデオン完全設定資料集 トミノのコメント

Gacktさんも『ガンダム』ファンでしたね。自分が育成した世代が、こうして
上がってきた、ということですか?

それは違う(笑)。彼に関しては、僕も本当にうかつだったことで、
あの人がガンダムファンだなんて知らなかった。
もし知っていたら、はっきり、極端に避けていました。
そうじゃないと視界が狭くなるし、ブレが大きくなる仕事をやると、
とても面倒なことになるとしっていましたから。
極端な話、ファンには仕事をさせません。だから、プロになっちゃいけないんですよ(笑)。

・本日はありがとうございました(2007年2月27日 上井草にて)

でも、あきまんには

ぼくらのオタッキーは自閉するのではなく、外にむかって威張れる物であって、それは個性を持つと言う事である。

だって。いつも「個性なんかない!」っていってるのに。あきまんさんは個性があるんだろうか。あきまんさんくらいの個性があればいいんだろうか。


っていうか、1994年と言うと、ヤマト完結篇から10年、Vガンダムの次の年、エヴァンゲリオンオウム事件の前年と言う、ある意味オタク的には一番夢を見ていた時代だったのかもしれん。
宇宙戦艦ヤマトはオウム的だなあ!
あっはっは。
「死ぬんじゃない!新しい形の命に変わるだけだ!命と言う物は数十年の寿命で終わるようなちっぽけな物じゃないはずだ!だから俺は自爆する!」
とか言って古代は死ぬが、何度でも生き返る。
まあ、「死なないで生きつづけて、ちゃんとした幸せを築くもの達も必要だ」って古代進は言ってるけどな。
そんで、「戦うべきではなく、愛し合うべきだったんだ!」と言いながら、何度でも新シリーズで戦争勃発。
あーはーはー。
もう、ヤマトはいいよ。
その点、ガンダムは偉いよなあ。
うん。
変な思想に走らないで、ただの超能力者の「密会」としたし、巡る命と歴史という体感を、理屈でなく作ることが出来てる。
ヤマトは世襲制だからなあ。そこも気持悪いんだ。
おれ、そんなに森雪がいい女だと思わないし。せいぜい、チェーン・アギレベルの媚び女だよな。
ガンダムもただの機械で、変にイマジナリーコンパニオンの依り代とならないで、潔く壊れたらそれっきりって言うのがいいなあ。
ヤマト復活しすぎ。
ファンクラブの面々も大人になりきれてない顔つきだったなあ。でも、一応子どもはいるらしい。まあいいか。俺よりもててるなら偉いよな。
そんで、翌年にはオウム事件が発生する。
このとき、アニメ作家で責任を感じたのは鬱病富野由悠季だけだった!
そして富野はうつ過ぎて日本刀を持ってサンライズを襲撃できず、西崎は日本刀と覚せい剤の所持で今も獄中です。
トミーノ大勝利!


それにしても、昔のアニメは宇宙の愛を描いてたぶん、今のセカイ系よりも達が悪かったんですね。万能感とかが。
それで、セカイ系から純愛エロゲーとか、社会系とか、小コミュニティー系にシフトしていくのは案外おたくが健全になっていってると言う事なのかもな。



小林誠の模型技術が面白かった。


そんで、前田真宏がオールバックのイケメンでカッコよかった。っていうか、みんな若いよな。
で、「シド・ミードさんのデザインはいいんだけど、こういう未来世界に住んでみたいかって言うと、それは嫌だ」「だから、こういう自分とは感性の違うデザインを使うのは面白い冒険ですね」
って言ってた。
マエダマヒローはターンエーガンダムにも参加してたけど、ターンエーはシド・ミードの無機質で未来的なデザインは徹底して過去の遺物の技術として描いて、地球側は自然がいっぱいで月面もクジラや運河の人が労働して管理すると言う温かみをもって描いていたよな。
安田朗氏の服装デザインも未来を意識しすぎず、自然で、かと言って素材には未来的な感覚があるような良いバランスだった。


んで、阿久悠とかマヒローとか、やっぱり自分の意見を持って仕事の出来るスタッフは喋り方や面構えが、ただのオタクからシフトした自我の弱い子どもっぽいスタッフとは違うな、と感じた。
ごにょごにょ喋らないのがいいな。


んで、西崎プロデューサーは常に眉毛と頭皮をうねうねと運動させながら発言する。これが変な迫力を生み出しているのだろうか?
僕のママンは結婚前はジュリーのレコードジャケットを描いてた人だったんだけど、ヤマトより愛をこめての打ち合わせの時に会ったそうだ。
んで、目の下には紫色のクマが出来てて、部屋には怪しい匂いが立ち込めてて、あきらかにヤッチャッテル人だったそうだ。
だめじゃん。
沢田研二はヤマトには興味がなかったそうだ。
西城秀樹にむりやりターンエーガンダムの思想を語って「監督は正直すぎて言葉使いが下手だ」って言われた富野の方が好きだ。
「スターに馬鹿にされてる!」と勝手に思ってトイレに逃げ込む富野が好きだ。
そのあとヒデキにフォローされる富野が好きだ。



そして、石原慎太郎です。
なんか、
まほろぼ」とか「全宇宙的規模」とかすごい電波な作文をテロップで乗せていた。
そんで、インタビューで「植民地主義は白人がやったが、日本が唯一アジアで近代化したから植民地主義が終わった。」「悪い事もやったかもしれないが、今こそ日本がやった事を誇るべきだ」「それがヤマトだ」「敵の宇宙人には白人の狭量さとかを暗喩的に盛り込んでやりたいね」
とか、アニメを小さな現代地球人レベルの思想に押し込めようと言う器の小ささを露呈させていた。
だからポシャるんだよ。
ガンダムは人種差別とかナショナリズムを越えた、次の時代にも生まれてしまうナショナリズムを描いてるからセンスオブワンダーだなあ。
現実での復讐をアニメでやるなよなあ。
っていうか、石原慎太郎の思想も、13歳の思春期の時の敗戦で体制に迎合する大人に対する恨みを持ち、ソレを23歳で芥川賞なんかを取ったからどこまでも調子に乗ってしまっているだけの話だ。
それで、ヤマトが正義で何でも破壊して特攻してお涙ちょうだいで満足なのか。
それって、安易な自己肯定じゃないの。反吐が出るわ!
だから、僕はヤマトよりもガンダムが好きだ。
トミノ自身は自分の思想を誰よりも疑って、自分を決して正義だとせず、悩みながら作劇する姿勢が好きだ。
現状に絶望しつつ、それでも何かを探そうとする若者を描く富野が好きだ。
俺はトミノが好きなんだ!


もしかしたら、エヴァンゲリオンがオタク批判だと言われたのは、こういうヤマト世代の自分たちに対する批判だったのかと思った。
僕はエヴァでオタクになったので当時はオタクとしての日も浅く、批判と言う事がよくわからず、ただただシンジ君が大変だなあと思って感情移入していた15歳だったのだが。
THE END OF EVANGELIONでの

ねぇ。
何?
夢って何かな?
夢?
そう。夢…
わからない。現実がよくわからないんだ。
他人の現実と自分の真実との溝が正確に把握できないのね。
幸せがどこにあるのか、わからないんだ。
夢の中にしか幸せを見出せないのね。
だから、これは現実じゃない。誰もいない世界だ。
そう、“夢”。
だから、ここには僕がいない。
都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね。
いけないのか?
虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね。
僕ひとりの夢を見ちゃいけないのか?
それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ。
じゃあ、僕の夢はどこ?
それは、現実の続き。
僕の、現実はどこ?
それは、夢の終わりよ。   ――碇 シンジ & 綾波 レイ & others (新世紀エヴァンゲリオン 第26話 まごころを、君に

とは、彼等の世代に向けられたものなのか。
じゃあ、おれはあんまりよくわかんねーや。
とりあえず、庵野秀明監督がヤマトとかマジンガーZとか昔のアニメ特撮でスルーされてた矛盾点をかっこよく整合性を持たせるアニメ補完計画をしていたのはそういう事情もあったんだな、と了承しました。
しかし、石原慎太郎はまだ、都知事だ!
結局、ナショナリストが現実の復讐をしてるのがヤマトだろ?
それでもシド・ミードを起用してみたり、アメリカ版で売り上げたのを自慢してみる島国根性
石原慎太郎シド・ミードデザインのヤマトを見て「当世風だね」と切って捨てていたが。
まあ、昔の宇宙戦艦ヤマトもごてごてしたSF風で、本物の大和が一番スマートだと思う。


毒気に当てられたのか、とてもつまらない事で時間を浪費したせいか、アニメ分が補給できなかったせいか、勉強してないからか、見終わってから非常に心臓が痛くなりました。
3時間くらい。
ガクトが哀戦士を歌うのを聞いたらやっと治りました。
やっぱガンダムだな。