うわあ。
ふるくさい
と、いうか、俺は2歳。
既に神話的幼児体験時代!
まあ、初めて見たのは高校くらいのときだが。
それはそれとして、河森氏は今も流行りものを変形ものに組み込むのが上手いので、オタ
クといっても作り手としてはサメハチ*1なのかもな。
というか節操が無い所はやっぱりおたく?
BGMとしては最適かもな
一回見たし
http://homepage2.nifty.com/tarao-m/dia0303.htm
創作においては、つねに「冷め」(計算)が必要である。そのことについて、「ターンエー」まで気がつかなかった(?)という富野御大は、まさに直球一筋のヒトであった。
いま「新世紀エヴァンゲリオン リニューアル版」の放送をワウワウで観ているんだけど、庵野以下のスタッフがそれなりに冷めつつ作っていたことが、いまはわかる。おそいよ。ていうか、いまにして観るとあれほどヒットしたのが不思議に思えるくらいふつうのアニメだな(ただし19話までね)。
この小文でなにが言いたかったのかというと、作品=作者じゃないということ。サメジュウ(思い入れ度0%)でも客は満足するわけだし、創作者は自分の思い入れではなく、客の満足を考えて創作すべきであって、げんにすぐれた創作者はそうしている。
河森さんはキャラクターのいる世界よりも客を優先しているのかもナ
富野は優れてない創作者なのに、おれをゆさぶるので、神!ゴッド!ゴッドミサイルゴッドバード!ゴッドブーメランゴッドゴーガン!
俺は富野に娯楽を求めていないのかもしれん。俺は命を!
俺はこの世界が嫌いだっ。富野の世界を!
しかし、この世界の空の下にトミノがいてアニメを作ったり勉強したりプールで泳いだりしてるんだなーと思うと、そうイヤでもないかもな。
恋空・・・。
それはイヤだ!
ミリア市長は元々老け声だったのね。
柿崎ィ!
グレンキャノンもだ!
端折ってるわりに絵は綺麗なのでニコニコのゲームのプレイ動画っぽい。
マクロス7の方がサービス精神としてはストイックだったのかもしれん。
バサラが本当に歌が上手い。
歌詞もドレマの展開にあってるし。
バサラはマジで歌に本気。迷ったり、傷ついたり、怒ったり。
生きてる!
ふしぎ!
マクロス7はマクロスの反省に立っているのかもな。
愛おぼは音だけ聞いてたら、必要に迫られた台詞の羅列で、リズムが悪い。
やっぱり、おたく向けに作ると段取りなのかしら?なんて、最近思ってること。
段取りなどくだらねえゼ!ペラい、というか、知ったことか。って思う。
話が理詰めで、冷めてる。
ミンメイがあの場面で本気で歌えるわけ無い嘘っぱちなのに、感動するなよなー。
ゼントラーディが何で感動したかと言うと、遺伝子操作が何とかで遺伝子の記憶とからしい。伊佐未博士か。オレのDNAだ!
オ・ル・ファ・ン・組・が!
熱気バサラは熱い。いや、スプーンおばさんも好きでしたよ。
マクロスで熱いのはフェティシズム?
しかし、俺は妹萌だからメカ燃えなどは文化区分が違う。妹以外の美少女など知ったことか。
やっぱ、TV版のダラダラした方が人間らしいのかしら?あんまし覚えてねーけど。
カムジンが好きだった。あのいらない感じが。
まー、流行歌というのが、この作品を表してるんだローナー。
愛は流れる。
まあ、富野の場合は生きてるようなリズムのために必要な段取りや見せ場を犠牲にしているようなところがある。
そういうのに惹かれている自分を自覚する。
俺は生きていないニートだというのに!
ニートは自分を誤魔化して萌えーとか言いながら死んでいけばいいのにっ!
うーん。
っていうか、何を見ても富野のことが頭から離れやがらない。
俺は富野を倒さなければ前に進めなくなっちまった。
女の基準点は妹だけど、男の手本は富野だな。
そうなのか!
それもどうかと!
虚構の中で生きていきたい。
しかし、高度に発展した虚構は現実と同じだ。
目の前の現実も見えない俺は虚構に愛されない。
脳内妹に夢中だ!
樹を描くのは難しい。