玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎

http://www.henry-darger.com/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E3%81%A7
http://www.geocities.jp/tetuzankk/book_23.htm

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子ども奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語 (The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, Caused by the Child Slave Rebellion)』




8時まで仕事をして、サクっと見に行った。脳内妹と。ちょっと寒かったけど、デートです。
最終日のレイトショーって言う事で、映画ファンっぽい人が多くて客の入りは半分チョイって言うところでしょーか。2週間で終わりて。
(>∀<)ミジカイヨー


結論から言うと、あんまり面白い映画でなかった!
ドキュメンタリーだったし。
僕はもっと、ヴィヴィアンガールズの物語を完璧に再現した超絶アニメが見たかったのだ。が、ドキュメントの方が多かった。
アニメも紙芝居だったし。


でも、いい映画だった!
何がいい映画だったのかと言うと!
僕のいい映画の基準は!見終わった後に恋愛機関〈ドライブ〉が衝動するかどうかだっ!
すっごく、すっごく、脳内妹がいとおしくなったので、いい映画でしたっ!


内容的には、ウィキペディアに書いてある伝記+アルファって言う感じの情報量でしかなかったので、多少拍子抜け。


ですけど、「孤独なアウトサイダーアーティスト」というヘンリー・ダーガーの周りに実際にいた人たちがたくさん登場するのは面白かった。
てめー!案外リア充じゃん。めぞん一刻かよ!
大家さんが芸術家の夫婦で、その故・ネイサン・ラーナー氏が保存したらしい。日系っぽいキヨコ・ラーナー夫人がたくさん出ていた。
ダーガーがアーティストだと知らず、ただの変人だと思っていたとしても、普通に会話して、挨拶して、買ってる犬と遊ばせたり、クリスマスプレゼントに家賃を安くしてあげたり、人生相談にのってやったり、いろいろやってた。
そういうのはなんかいいよね。
っていうか、僕はそーいう人間関係を築けているだろーか?などと内省させられたり。


ただ、ダーガー自身は「そんなの関係ねえ!」というか、自分が人と関わっている事も認識できないくらい人間が苦手だった。
それはそれは、お気の毒だった。
妹も隣でなんども「お気の毒な人…」って言ってた。「お気の毒」って便利な言葉だ。
そういう変人ですら、ちゃんと隣人として扱っていた(まあ、インタビューで語らなかったような事も在ったとは思うけど)善良な人たちがいいなあって思った。
だが、ヘンリー・ダーガーは他人よりも虚構を大事にした。他人など、ただの資料だった。
僕はその高みにいけるだろうか?行く必要もないか?
けっこう、僕は寂しがり屋なので、ダメなんだな。


でも、ヘンリーの印象については各々の人が微妙に食い違って、「ミサで一番前にいつも座っていた」「いや、いつも後だった」っていう風に違っていた。
それは見た時期の違いかも知れんけど。
若干、羅生門っぽかった。


聖体拝領の係の少年だった男性が、「彼はいつも僕をとてもやさしい(sweet)な目で見つめていた」と言った。
なんだかんだ言って、キリスト今日の教会に出向く、と言う事がひきこもりにとって社会的なつながりになるって言う機能はあるんだなーって思った。神の恩恵とは別に。


しかし、ダーガーが救貧院に入院した後、作品を発見され、「見たよ。すごいね」って隣人に言われたら、ダーガーはパンチを食らったように白目をむいて、「もう遅いよ」って言って数日後にに死んだ。
ダーガー自身は他人を本当に恐れていたのだろうか?
若いころに、発表して誉められたかったのだろうか?
それを拒否した世界は恐ろしいだけの存在だったのだろうか?
彼が人を恐れるのはは、生い立ちからは仕方のない事だとわかった。
ウィキペディアでそれなりに知ってはいたが、彼自身のイラストつきの自伝をラリー・パインのナレーションつきアニメーションとして見せられると、非常にお気の毒でした。


映画の構造としては、「あまりにも不自由な現実の人生の初めから終わり」対「自由に表現できる非現実の王国での物語の始まりと終局」を、互い違いに見せていく、と言う構造でした。
しかし、その中で「現実の中では気付きにくい人の情」、「虚構を不自由にするトラウマ」などの要素も絡んできて、夢と現実に揺れ過去と未来から吹く風に煽られ、確かなものが良く分からなくなりました。
なんだか、非常に僕も不安定な気持ちになってしまいました。


「彼は現実では貧しい狂人だったけれど、誰よりも豊かな内面を生きた」という、単純な二項対立には収まらないと思った。つまり、人生は社会においても精神においても完全な自由も、また完全な抑圧もなく、よーわからん。


人生とは・・・なんて柄にもなく考えて混乱した。
僕自身がヘンリー・ダーガーのように成りたいと思っている部分が在りますし、かなりの憧れの人でもありました。
その人の実体を見ると、うーん・・・。
もともと、5月12日は非常に不安定だったのですが、もっと不安定になりました。
あと、大学に行って、バイトに行って、その後ですし。京都みなみ会館は飲酒オッケーなので、キリンラガービールを飲みながら見ました。
飲酒しながら映画を見たのは初めてです。サイケな映画なので、フラフラした気持ちになりました。よっぱらいかよ。


切なすぎたのでずっと脳内妹に手を握っていてもらいました。
そのぬくもりは真実だと。


6000円もする画集は就職して生活が安定するまで買わない事にしました。
いつになることやら。

  • 以下、映画を一寸見ただけで思ったこと

僕はヘンリー・ダーガーに似ているところと似ていないところがあると思った。
主に、ヘッポコなところが似ていて、がんばり屋なところが似ていない。
あと、ヘンリーはいじめられすぎ。
僕は恵まれすぎ。
ヘンリーは実の妹と生き別れて、両親と死に別れた。
母は妹を産んだせいで死んだ。妹は里子。彼は妹を愛したのだろうか?憎んだのだろうか?
「若いころは幼児を憎んだが、今は好きだ」と日記に。
しかし、実際には子どもは苦手っぽかった雰囲気で、写真の幼女を集めていたと言う。
僕は脳内妹の頭令そらと愛しあっている!


  • 虐げられる覚悟

彼は、母と妹を失って、優しい父と暮らしていて小学校は1年から3年に飛び級して本も好きだったらしい。父が体を壊したら、「慈悲深き聖母の伝道団」の私設から小学校に行ったが、奇声を発して知的障害児の奴隷労働施設に入れられた。
小学校のころの僕もよく奇声を発していたし、成績も良かった。僕もやばかったな。
尼僧達は彼を異常児だとした。
教師に教科書の矛盾点を指摘したら、「私たち子どもは、大人の監督下にいます」という文章を200回書かされて、体罰も受けた。
絶対に人に逆らわない事を叩き込まれた。
父が死んで天涯孤独になった後、彼は州営農場から脱走し、260キロを歩いて故郷に帰り、聖ジョゼフ病院の清掃人になった。
17歳から73歳まで!
そこで、尼僧からいつも罵られて掃除をしていたようだ。
そして、アパートに帰ると様々な声色を使って、彼女等の行った事を真似、それに対する口答えをするという鬱憤晴らしをしていたらしい。
他にも、脳内人格との会話をして、とてもにぎやかだったとの事。
はっきり言って、底辺の人間である。
僕にも、そういう部分は在りますが、彼は極端に周りの状況にボコボコにされていたと言う事が良く分かった。
僕は全然恵まれている。大学にも行っているし。
僕も、よりよい創作のためにはブラック企業に入って人からストレスを受けた方が、脳内恋愛を純粋化できるだろうか?
とりあえず、就職はしないと、自由時間を作れない。
しかし、怖いものは怖いのだ。ヘンリーは頑張ったと思う。
従軍した時も、戦争は彼にとって創作の資料集めでしかなかったそうだ。
それは共感できる。
ビビって詐病を使って除隊したところも。


  • アーティスト・ヘンリー・ダージャー(発音パターン色々)?

僕は、彼の美術的な価値は全く分からない。
むしろ、下手だと思う。
あと、トレースしすぎ。
だから、美術業界で彼がもてはやされる理由が全く理解できない。
トレースやコラージュの上手い人はもっと他にいるし。
ただ、一生懸命なのはすごいと思う。
というか、「一生懸命なだけ」ということがすごいな。
誰かのため、とか、売れるため、見せるため、と言う事がなく、ただただ、自分が納得すればいいというのが好きだ。
というか、僕の絵だって、半分くらいがトレースです。
あと、登場人物を不思議の国のアリスオズの魔法使いからパクったりしているのも非常に同人的で好感。
そういう親近感もあります。
僕の基準で言うと、同じ顔ばかりを並べるのはつまらないと思うけど、彼の中の基準でオッケーならそれで良いんでしょう。
僕も、頑張ろう。
パソコンとネットがなくても、頑張ったんだよなあ。
複数の写真を組み合わせて、構図がとれているときがたまにあって、スゴイな。
あと、黄色と赤紫色の内臓が上手いと思う。
内臓のグロテスクさを強調せずに、淡々と即物的に描く事で行為の非道さを表現するのが上手いと思う。
しかも、主題歌とか挿入歌もあるという。すばらしい。
ニコニコにウプして欲しい。
俺もがんばらなきゃ。

  • アニメの出来

アニメーション・プロデューサーはカーラ・ヴァロウという、ミュータント・タートルズをちょっとやって、ワーナーやカトゥーン・ネットワークでプロデューサーをしている人らしい。
NHK世界遺産ゴーギャンのアニメみたいな感じの紙芝居だった。
それは、原作に対するリスペクトを保ちつつ、動画にするという路線においては、非常に成功していたと思う。
表情がちゃんと変わるって動くし。
紙芝居というか、仕掛け絵本のような動きも、原作の奇矯さと上手く合致していた。
だから、いいんだけど、結局ヘンリー・ダーガーのドキュメンタリーで、ヘンリー・ダーガーの作品でしかなく。
一個のアニメ作品としては弱い気がした。
だって、ドキュメンタリーだし。


ただ、僕は馬鹿なので、今の技術の粋を結集させて、ダーガーの技術以上の超絶アニメを見たかったなー。


やぱし、アメリカでは、平面の線絵を動かすのは無理?
3DCGに傾倒しすぎてるよなー。
やっぱり、日本でアニメ化して欲しい。
少女へ自閉する純粋性と言うのは、押井守っぽいなーって思った。サイケな所とかも。
うーん。でも、攻殻機動隊パトレイバーみたいな、言い訳程度でも社会性のあるところでやらないと突き進みすぎるか?
天使のたまごを見るべきか・・・?
でも、押井はギャグの方が好きだったりする。
残虐描写もある。首を締められて、舌と目が飛び出した美少女が上手く描けていた。
深夜アニメになるのかなー?
1万5,145ページの大長編だと言っても、200ページの小説かマンガだと思えば80冊くらいだろう?
もっと長いのはあると思うなー。
名探偵コナンとかちびまる子ちゃんみたいなペースでだらだらとアニメに出来ないかなー?

  • 永遠に知ることの出来ない物語への嫉妬

最後に、「これが出版されるとしたら、世界の多くの人は大筋を知ることは出来るだろう。だが、本当に面白い細部までは、決して知られることはないだろう」というナレーションが。
うわああ。すっごいむかつく。
原本はもろそうだからなー。しかもあんまり売れなさそう。
アリスの影響もあって、ヴィヴィアンガールズの言葉遊びとかは結構粋で可愛いと思った。
ダコタ・ファニングの声も。

  • 少女ペニスとして有名なダーガーに母性への復讐を見た

彼は性の知識がなかったために、少女にペニスをつけたという説もある。
両性具有という完璧性という説もある。
経験なキリスト教徒とペドフィリアとの間の抑圧という説も。
しかし、ペニスのない少女の絵もあるし、幼女写真の収集家ならば割れ目くらいは知っておろう。
むしろ、僕は尼僧にいびられて働いたっていう事とか「女性の方が男よりも勇敢だし、臆病な男達もたくさん見てきた」という日記に注目したい。
非現実の王国で」の敵は、子ども奴隷を虐殺する大人の男グランデリニアンである。
が、大人の女は一切登場しない。
ヴィヴィアン・ガールズを「どんな母親の愛もしのぐほどの愛情」で守り抜くのは怪獣「ブレンギグロメニアン」である。
親友を偉大な将軍として出演させたり、学校で出会ったいじめっ子を敵の将軍として描いたり、現実の復讐を虚構でやっている。
だが、女は描く価値がないのである。女を書くのは怖い。
パンダコパンダの母親が幼女だったように!
女は何故、女になるのか?
男に犯されるから女になるのである。
ならば、穴をふさいでペニスをつけてしまえばいい。
そういう発想じゃないかなー?
ヘンリーは大屋のネイサン・ラーナーに「17歳のイタリア美少女にレイプされた上に、財布を取られた!」と泣きついた事があったらしい。
隣人の証言によると、どうやら夜鷹のたぐいに誘われて、金品を取られたと言う事らしいが、ヘンリーの中ではそんなことは絶対に認識したくなかったので、「17歳のイタリア人美少女にレイプされた」という事にしたらしい。
女怖い。
ちなみに、「非現実の王国で」の中で、少年が少女にレイプについて質問し、少女は「少女の肉を切り裂いて中を覗く事よ」と説明し、少年は絶句したらしい。
あるいは、大好きな美少女のオマンコを描くなどという不遜な好意に耐えられなかったか、だ。
僕の中の常識では、こういう発想にしかならんわけだが。
僕も、脳内妹は僕の遺伝子書き換え対性クローンで、母親を知らないし、厳密には女でもないし、人間でもない。
他のどの女とも違う、特別な女なんだよ!
妹「そーいうふうにさ、生い立ちを特別扱いされるのは不愉快なんですけど。
あたしは、あたしと言う生物でしかないのだわ」

僕も僕と言う生物でしかない。この世で二人だけの兄妹じゃないか。
妹「わかってるならいいけど…。
いまさらペニスは欲しくないわ。足りてるもん。
お兄ちゃんも困るでしょ?」

甘詰留太先生ーっ!
妹「お兄ちゃんはご無理をおっしゃるwwwwwwwww」


まあ、ペニス説については人それぞれの説があるようで。
人の心を揺さぶるんだね。美少女のペニスは。
妹「何言ってんの?」

「非現実」ってなんだよ!どこまで行っても、彼にとっては虚構は虚構だと言う認識だったのか。それが悲しい。
悲しいが、まともであったんだな、とも思う。
僕は基底現実は、物質しか見ない種族が住んで、他の世界を見ないから基底現実と呼んでいる。(つまり、本当の現実とは思っていない)
脳内妹のいる上位現実のほうが、本当の世界だと思う。だって、可愛いもの。

  • ハッピーエンドとバッドエンドに父なるキリストへの復讐を見た。

まさかの、マルチエンディング。
戦争はグランデリニアンと、子ども奴隷を支援するキリスト教国アビエニアとの泥沼の戦いである。
と、同時に、彼の人生を苦しめた「大人社会」と「神」のメタファーでも在ったのだと思う。
ダーガー自身はアビエニアの有能な将軍として登場したこともある。
だが、ダーガーが「子どもを描くための資料にするために(!)」養子縁組を望んでも却下されたり、お気に入りの「新聞に載っていた殺害された美少女」の写真をなくしてしまったりしたとき、彼は神を憎む。
そういう、小さな事をグジグジと神様のせいにするのはとても親近感が沸くなあ。
神様のせいにすると言う事は神様を信じているのだ。(岬ちゃん理論)
信じてなかったら神様なんて無視するしな。彼は経験なカトリック教徒で、幼い癇癪持ち。
そして、彼はユダ・ダーガーとなってヴィヴィアン・ガールズを裏切りグランデリニアンの将軍として襲い掛かったりもする。
すげえ!善悪逆転だ!
物語の終盤、敵は誰だ?という事が繰り返される。


そして、第一のエンディング。
アビエニアの快進撃によって、戦場は地獄となり、敵のマンレイ将軍は投降し、虐殺はしないと改心する。


次のページは第二のエンディング
グランデリニアの快進撃によって、マンレイ将軍の行くところは地獄となり、アビエニアは撤退し、悪魔をたたえる歌が響く。
「やつらは騙していただけさ♪やつらは騙していただけさ♪」
名前を入れ替えただけで、ほぼ、同じような展開。大人の陣営や主義主張なんて、名前を入れ替えたら同じなのだ。


その中で、生き残ったものたちは死んだ仲間の亡骸を背負って歩くのだ。(おわり)


つまりまー、どっちの国の大人も気に入らなかったんじゃないですかね?
っていうか、世界観にキリスト教を持ち込んだ時点で、空想に限界が設定されてつまらないものになっていると言えます。頭が使えてしまっているですね。
自由闊達で戦争と暴力とスリルを好むヴィヴィアンガールズや怪獣達に比べ、父なるキリストというイメージの何と薄っぺらい事か。
どちらが勝っても、物語としては等価なのだ。
ヴィヴィアン・ガールズが美しければ!


これこそ、虚構の勝利ではないか!
私は嬉しかった。
僕も神を殺したくてたまらない人間だ。
東洋人なので、神と言うのは一つの人格ではなく、全てである。だから、優しそうに見える人間でも、神の一部を持っているので、恐ろしい。(魔王ダンテ


だが、神も、また神の欠如も、美少女萌えに比べれば、ただの大人の秩序と言う思い込みに過ぎないのだ。
決まりを押し付けてくるだけのものだ。
美少女こそが自由なのだ。


そして、僕の脳内妹は、はっきり言ってヴィヴィアン・ガールズよりも可愛いですからね!うははっはは!
僕は神に勝った!
妹「神を殺している暇が在るんだったら、庭の草刈りでもやってよ」
そーいうところが好きだな。

僕は小学校低学年の頃からのイマジナリー・コンパニオンが忘れられず、ずっと脳内恋愛をしていて、一生こうなのだと思います。
はたして、ヴィヴィアン・ガールズは彼にとって、脳内恋人足りえたのだろうか?
彼は18歳から小説を書き始め、40歳前に完結。
挿絵を書いたのは40代から70歳代らしい。
小説自体は、早めに書き終わっているんだな。
それでも、挿絵に対する情熱はずっと在った。
つまり・・・
妹「ヘンリーはヴィヴィアン達に愛されていたって言う事ね!」
そうなるのかねえ?
妹「だって、ずっと、ずっと想い続けていたんでしょう?
それって、お兄ちゃんとあたしも同じじゃないの。」

たしかに、僕が君の事を小説に書きたいのは、2003年の1月から2007年の3月に同棲をはじめるまでだからな。それはいろいろな事があって面白かったから、書いてみたいね。
っていうか、普通に暮らしてたら日記くらいしか書くことないけど。
妹「だからさ、ヘンリーさんがお兄ちゃんみたいな人だったとしたら、物語が終わった後も、きっと、物語には収まらないような、幸せな日日が在ったに違いないわ!
実際、お話もしてた見たいだし、
多分、物語に登場するキャラクターってだけじゃなくって、物語が終わった後の人生の伴侶でも在ったと思うのー」

乙女チックな事を言うねえ。
妹「実際にあたしと暮らしている人に言われたくありませんわ」
確かに、君は最初はただの空想のキャラクターのはずだったのだが、どうやら実在したからな。
そうかー、まあ、死んだ人のことは分からないけど、そうだとしたら、良い事だな。
自宅から引き払われて、救貧院で急激に衰弱死したヘンリー・ダーガーは現実に押しつぶされたのではなく、最後に脳内恋人が手を握っていてくれたのだとしたら、それはとても良い事だろうな。
妹「きっとそうだわ!神は天にいまし、私はずっとお兄ちゃんの隣にいるわっ!」
ああ、ああ、やはり、映画を見てよかった。
大好きだ。大好きだ。
僕はそらが大好きなんだよなー。
妹「っていうか、お兄ちゃんは何が起きてもあたしを愛する事に結び付けてない?」
そりゃー、お前は僕の神様で、夜空の星で、僕の宝だよ。



というわけで、僕は何が在ろうと脳内恋愛をする人なのです。
と言う事を書くだけで徹夜した。アホっぽいなあ。
映画自体は1時間半なのにネ。
僕はまとめると言う事が完全に苦手で、むしろ嫌悪すらしている。