脚 本:大河内一楼
絵コンテ:アミノテツロー
演 出:渡邊哲哉
作画監督:菱沼義仁、戸部敦夫
ひさびさの感想。
なんとも、不思議な味わいの話。
今まで謎に包まれていた月ので生活をいきなり紹介する、と云う骨子の部分ももちろん不思議なのですが。
今回はスタッフ的に、かなーり、いろんな要素があって、それが不思議な味わいだと思います。
まず、脚本が、当時、編集者兼小説家から脚本家デビューした大河内一楼氏の3本目の脚本。
「テテスの遺言」「ミリシャ宇宙決戦」に続く3本目。
今回も、ムーンレイスと地球人の風習や考え方のギャップが描かれている。これがプラネテスの宇宙描写につながったのか、と思うと楽しい。
地球人の普通の女の子であるソシエが月の生活を見ながら、視聴者に紹介していく、という書き方もスタンダードでよいね。
∀ガンダムは他のガンダムと違って、月面でも低重力です。月がテーマだからねえ。
(Zガンダムのハーフムーン・ラブで、サラとカミーユがピョンピョン飛び跳ねていたら間抜けだったろーなー)
で、その月の生活の設定だが、今までのガンダムシリーズで描かれていたグラナダやフォン・ブラウンシティという月面都市とはまったく違い、「月の赤道を一周する運河の下に重層的に街がある」という物。
しかも、裏設定ではその運河は太古の粒子加速器の跡だったらしい。
SF設定公証のスタジオぬえ・森田繁氏が飛ばしてるなー!めちゃくちゃハードSFですね。
しかし、その特殊SFメガストラクチャー設定を、機械や機構を主導で説明するのではなく、「運河を整備しながら太陽光を受けた魚介類を狩る運河人」「その運河の水で、宇宙環境から守られた町で暮らす人」、という生活感主導で描いている。
(赤道運河が月の長い昼と夜の温度差を緩和したり輸送路となっているという設定もグエンの「運河が血管の役目をしているのでしょう」というセリフに集約されて、クローズアップされていない。
また、それも続くギム・ギンガナムとの「地球人にしては勉強しているな」「ムーンレイスと交渉しようというのですから(グェン)」という腹の探り合いと云う人間的な芝居にすり替わっている。設定は非常にSFだが、人間描写を目立たせるんだなー)
こういう生活感を得意とするのは、絵コンテのアミノテツロー氏の感覚だ。
ロランの幼馴染のドナ姉さんとハメットが中心になって、町の人が協力して鯨のハリボテを作ったりするのって、なんかアミノテツロー監督の2000年の監督作、ヒヲウ戦記みたいです。
つながってるなー。
まあ、せっかく初登場のムーンレィスの生活なのに、運河人の街はともかく、運河の下のフォンシティも田舎っぽいというか昔っぽいので、20世紀初頭に似ている地球人の生活と差異がなく見えるのが残念と言えば残念?
ソシエが自然になじめるにはこの演出なんだろうけど…。
劇中では登場した街を「フォンシティ」とは呼んでなくて、フィルムブックや公式サイトで「フォンシティ」と言われているだけですが。20万都市にしては田舎っぽい。
使っているミシンが古風で、縫製所もクラシックな木造建築で、布を染めるのも手作業っていうのが、超未来人のムーンレィスにしては遅れてる。
アミノ絵コンテは26話「悟りの戦い」と今回のみ。「悟りの戦い」も屋台で物を食べる話だったが、今回も!
んで、ドナ姉さんがすっごくかわいい!というか、エロい!ウェットスーツとか普段着もおしゃれだ。
というか、イルカにまたがっているドナ姉さんの水も滴るいい女っぷりを映すカメラワークもエロイです。
あと、自分が美人だって言うことをわかって、その上でリーダーシップを取るドナ姉さんがよい。
安田朗氏の描く美人は自分が美人だと判ってるっぽいファッションや振る舞いで素晴らしいです。
補給部隊のアナンとかメシェーとか、正統派の美少女じゃなくても自分の魅力を出そうとしてるのがいいよなー。
あきまんの描いた前日譚萬画、「ターンエーガンダム外伝・月の風・読み切り」でロランはドナ姉さんを自転車に乗せて中学校に通っていたので、明らかにドナ姉さんに惚れていたわけだ。(弟のハメットはロランの親友だが、放置だ!)
で、そのドナ姉さんに今回ロランは「あんた、お姫様のナイトになったんだから、しっかりやんなさいよ」と言われる。
失恋なんでしょーか。多分、ロランは中学卒業の時にドナ姉さんに告って振られてると見た。
しかし、泣き虫ロランとハメットや友達に言われていたロランが地球からガンダム様に乗って帰ってきて、超かっこいいナイトに成長しているのを見て、ドナ姉さんが見直したとも見えるか?
ロランすげー。
っていうか、今回のドナ姉さんの作画はエウレカセブンなどでブレイクした吉田健一氏がスタジオジブリを出てから初めて富野班に参加した作画。
ああ、エロい。ジブリだし。
ドナ姉さんが「お前たち、恐いだろうけど突っ込んでよ!」とイルカや鯨を操るのって、もろにナウシカっぽいんですが。
というわけで、今回はコードギアスなどの大河内氏のサンライズ21世紀要素、スタジオぬえのSF、アミノテツロー監督と吉田健一氏のBONSEっぽさ、あとジブリっぽさが入っていて、しかもガンダムという、不思議な味わいの作品。
そして、それを取りまとめるのが富野由悠季監督だ。
今回は1話単独エピソードだが、運河人達のセリフの端々に「アグリッパ・メンテナーが悪政を敷いている」とあったり、ハリーがアグリッパの陰謀を突き止めたり、相変わらずディアナ様がそれを自分の責任と感じて突っ走ったりというメイン・ストリームも進んでいる。
軍人のギンガナム隊と、アグリッパを中心とした政治家や官吏が庶民に嫌われていて、庶民は美人のお姫様であるディアナ様を守っているとか。
あと、富野監督はブレンパワード以降、「悪役は独善的で、普通の人は人と人の繋がりを求める」っていう作風にしたって言っていた。
今回、敵であるマヒロー隊は自分たちの軍功を建てるために、月を守る運河を壊しかねない戦い方をした。反面、ロランは鯨のハリボテを作ったり、鯨の群れに助けられたり、ディアナ様が機転を利かせて潜水艇で目くらましをしたり、協力プレー。
そんな感じ。
で、これは次回の最初の振り返りだが、ロランは
「僕は二年半ぶりに月に帰ってきて、心身ともにリラックスできた。そうでなければ、モビルスーツで戦うことが続いて、僕は、とっくに駄目になっていたんじゃないかと思う」
と、述懐する。
人とのつながりのないまま、核兵器を使ったり、人殺しをしたりが続くと、ロランのような少年もカミーユのように心が壊れるんじゃないかというのが、ガンダムの戦争観。というか、ガンダムのパイロットって基本的に精神を病むね。
いや、ロランは「ダメになっていたんじゃないか」ってダメになる前に気づくことができるから、狂わなかったんだろうか?
最終回で、ロランが隠遁生活をするディアナ様に従ったのは、ロラン自身も休みたかったのかもしれない…。次の年の仮面ライダークウガもそんな話だったなー。
90年代からは「不殺」がテーマになることが増えたらしいねえ。るろ剣とか。ガンダムSEEDはそれがメイン。
(人殺しの件だが、ロランはなるべく外そうとしているが、すでに誤射で何人か殺しているし、その覚悟はある)
るろうに剣心の古橋一浩監督が、人殺ししまくりの機動戦士ガンダムユニコーンをどう料理するかは楽しみですね。ガンダムとしてどうこうというのは、富野ガンダムじゃないから、まあ、いいんだけど。アニメとしては楽しみ。
それにしても、ロランの「前回の振り返りナレーション」でいつの間にかレット隊が「善良な人」になっていて、放送当時はびっくりしたなあ。散々戦い合っていた相手だったのに、最後に協力したら「善良な人」ですよ。ロランは優しいねえ。
人の繋がりだねえ。
だが、ギンガナム隊が人の繋がりから外れているのは悪役だからっていうより、構造的な物もあるよね。
演習ばかりして皆に嫌われているとか、そのために軍功を建てようと焦ったりしているのは、日本軍や自衛隊に対する民衆の意識に似ている。
そこらへんも冨野っぽいよねー。
あと、なんか、「好きなことをしなさい」って言われたから、久々にブログ描いたけど、「今回はいろんなスタッフが参加していろんな要素があって、富野っぽさもあって面白いね」って一言を描くのに、やっぱり長くなった。なぜだ!