玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

「マイマイ新子と千年の魔法」,まずは好意的な感想

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トップページ|「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト(2009年公開映画)

ロングラン公演のアニメーション映画である、マイマイ新子と千年の魔法を見た。
マッドハウス制作、片渕須直監督作品。


まず、感想。良い映画であった。2回見たい映画であるな、と思った。
僕の好きな赤毛のアン高畑勲のような少女描写(膨らんだ袖!レェスのスカァト!ガラスの衣装だな!)緻密に考証され美しい自然描写、
宮崎駿の金魚や妹と猫(これは夢ではないという事で対比的であった)、
磯光雄電脳コイルのような(この例えは変かな?あまり業界人知らないw)CGを駆使した子供の夢幻、
富野由悠季リーンの翼のような山口県の特攻隊の生き残りの鬱屈と息子の鈴木君、
出崎統劇場版AIRのような平安時代と現代の交錯(平安時代編の意味合いは正直、1回目の観賞ではよくわからなかった)
というエッセンスが盛り込まれ、なかなかボリュームのある内容であった。
そのような盛りだくさんな曲を(こまかい意味合いがはっきりしないとしても)見ている間は感情が上手く音楽的に指揮され、とても良い気分になる映画観賞であった。
ボリュームは多いのであるが、93分に編集されている。おお、もっと長く感じたのだが。良い映画を見ると、主観的に長生きができる。
では、ネタばれを交えて。




僕、1982年生まれで作中の舞台である昭和30年代、黄金と公害の戦後の時代のノスタルジーは体験していないのであるが、登場人物の子供たちがやっていた事は大抵やってたなあ。すげー懐かしかった。ダムも作ったし、そこら辺の草を食ってたし、怪我をしたら薬草で直していたし。平成初頭の長崎の田舎だったからかもしれん。でも、コミックボンボンは読んでましたよ。
で、ガンプラとか駄菓子を集めたり、ガンプラでごっこ遊びをしたり、ガンプラを壊して弟を泣かせたり、金魚をぶち殺して泣いたり、転校して泣いたり、大抵やりましたね。
転校した先で小汚い同級生がいてうっとうしいと思っていたら以外に良い奴だったり。
そのように、子供の気持ちがとてもとても再現されていて、ああ、そうだよなあ、うむうむ。と、思った。


また、宮崎駿的なロリコン趣味な描写もあった。
いやあ、小学4年生のパンツが見える事、見える事。
しかも、声優としてはジブリ的に有名俳優を主役に抜擢。しかもそれが、ロリータ女優界隈にかつて旋風を巻き起こした、実写版ちびまる子ちゃんのさくら姉妹を演じた福田麻由子森迫永依。私のロリータコンプレックスが燃え上がる。
水沢奈子も美人、だが、美人さを感じさせない自然な小学生になっている(ふわふわっとした前半としゃっきりした後半の演技指導も見事、転校したては緊張してて後半の方が地なのかも)。
本上まなみや福田も実写ではおそらく体型の路線が違うために演じていないような役柄をアニメならではのまた違った雰囲気の演技で上手く表現しておる。うむ。ただの客寄せではない。脇を固める役者も良し。


おっと、ロリコンの話であった。
いやー、もうね、僕ね、赤毛のアンとかって言うか膨らんだ袖とか吊りスカートとかそこから見える少女の足とかシュミーズとかもう、すっごい、すっごいすき。美しいの!
で、「うわー、おれ、名作映画を見てるのにまた劣情を刺激されちゃってるのかしら?ロリコンは病気です!死ね!」とか見ながら思う。
が、でも、いや、ちょっと、待てよ、と。これはもう、あれですよ。大人が子供を無理やり性的対象にしたいという気持ちとはちょっと違うのでした。また、アニメキャラクターの記号や百合萌えという風に感じるようなだけでもないのでした。
えーと、恥ずかしいけど端的に言うと、やっぱりこれも第二次性徴前に子供同士で感じた恋心にも満たない、女の子への感情もあるのだな、とも思いました。(まあ、おっさんとしての邪念もある事は認めましょうが)
おそらく、女性視聴者の場合は女の子のそのような描写に、ちょっとしたオシャレをしたがった子供時代を共感したり、ちょっと気になる男子への気持ちを、男性視聴者が感じたかのように思いだしたりもするのではないでしょうか。
大人の食べ物や大人の映画や大人の失恋や大人の痴情に共感したり、それを見ていた子供時代を思い出したり。



以下、ネタばれ。



また、ラストシーンのネタばれになるが作中の登場人物の子供の大半は片親なのである。家庭崩壊の危機にもさらされているのである。戦争の傷跡が濃いのである。
で、あるが、確かに、平成初頭の僕も子供のころは絶えず「子供としての無力感」とか「無力である事も知らない無知」とか「大人の顔色や戦争や恋愛や経済や社会などのよくわからない何かで生殺与奪を握られている不安」などを感じていたので、そのように子供が不安定であるという風に描いたこの物語はとても良いと思った。
で、子供が不安定だ(狂っているという意味ではない)、大人が保護しなければいけない、というだけの映画でもなく子供がきちんと大人になるために子供をやろう、という子供の意気込みもあり、世代をつなげていくオーガニック的な人間らしさも感じたのである。


しかし、あまりにも描写される子供登場人物の家庭環境に片親が多いと、それはそれで「ああ、これはアニメにありがちな、『子供を描くために夫婦を出す描写を節約するために親を出さない手法』か」、とか、「女性作家にありがちな、『父親を理想化するあまり、性的な存在でもある夫よりも庇護者としての祖父を優先させる手癖』ではないか?」などと、見ながら「オタク俗流精神分析」的な勘ぐりをしながら見てしまったりもするのであった。ほんと、オタクブロガーの見方ってイヤァよねえ(笑)
だが、そこが、また、よかったんですねえ!
ラスト、すべての事件が解決し、主人公の少女二人が夜道を歩く。
ああ、これで終わるのだ。







危険!「重大なネタばれ。」







と、そこで、今までめったに家に帰ってこないために登場していなかったお父ちゃんが登場。
この、安心感と言ったら!
別に、このお父ちゃんは何かをしたわけではない。大学の先生をしている偉丈夫ということでそれなりに理想化された父親でもあるのだが、特になにかをしてはいない。
ただ、子供が一生懸命した後で、来る。そんだけ。
それだけでも、ああ、よかったね、そうだね、お父ちゃんがいて良かったね、色々あったけど良かったね。ってなる。
きれいな絵やめくるめく想像力で盛り上げたり、子供時代のノスタルジの共感とか現実の事件のドキドキや千年前からの人の営み、などで子供の気持ちに徐々に徐々に、観客を寄せていって、最後に「お父さんと家に帰れてよかったね」という、ただ、それだけの事が、子供にはとても重大な安心感になるんだ、という事をガーン!と、こう、でも、さりげなく持ってくるのです。
それで、そうだっな、と思い出したり、ちょっと電話でもするか、と思ったり、墓に布団は着せられないな、と思ったり、子供の前ではしゃんとしようと思ったり、このリア充め!と思ったり、色々な事を思わせるのだなあ。いやぁ、懐が深い作品じゃあないですか。
たったこれだけのラストで色々と思わされて、ああ、俺もまだ人間だったんだなあ、人間ってこういう生き物なんだよなあ。
そりゃあ、いいものですよ。