第17話 甘くみるなョ子供じゃないぜ 脚本:篠崎好 絵コンテ:紺屋行男
第18話 死んだはずだよ、ハンズさん 脚本:篠崎好 絵コンテ:さきまくら(出崎統)
第19話 これで最期か?不死身のシルバー 脚本:山崎晴哉 絵コンテ:さきまくら
第20話 こんどは磔!ロング・ジョン 脚本:山崎晴哉 絵コンテ:今切洗
海賊小説、冒険小説の嚆矢ともなった宝島である。この、大海賊が埋蔵した宝をめぐっての冒険というジャンルの魁はこの宝島であり、現在大人気のONEPIECEもこの延長線上にある。
だが、ワンピースが魚人族への差別とか、なんだかんだと言って主人公たちの正義が普通に正義だし、悪人の悪も少年マンガとして普通にわかりやすい悪だ。
それに比べると、宝島5巻の海賊の大人たちのクズぶりは本当にクズだ。
なんというか、宝島第8話 「幽霊船がオレを呼ぶ!」でも描かれていたけど、「海賊なんてのは乱暴だけど、すぐに怯える肝っ玉の小さいやつ」という海賊たちだ。富野由悠季も、「海軍や海の男というのは、海に引きこもっているようなもの」って言っていた。そのような海賊たちのクズさがすごい。
17話で、霧の夜に船の碇が外れたというだけで、海賊たちが酒に酔って幻覚を見て殺し合う。ピタゴラスイッ死ぶりがすごい。ちょっとしたことで精神のタガが外れてしまうのが、海賊という世間にも馴染めないし、法律を犯して暴力行為で生計を立てているクズの弱さだと言うふうに描いている。
19、20話でシルバーに対して反乱を起こしても、シルバーの暴力に屈服する海賊たちの精神的な弱さが非常に印象的である。この「体格だけは大人になったのに、人格は未成熟な不良のクズ」という描き方は珍しい。ヤンキー漫画とかだとヤンキーの行動力を肯定的に描くし、ワンピースや他のジュブナイル小説、少年マンガとかだと、このような悪のナイーブさは描かないように思う。
ガンダムSEEDのクルーゼ隊長など、過去のトラウマや因縁によって狂気になるという悪役は割と描かれがちなんだが。
宝島は普通の大人の延長線上のような脇役の大人たちが、ちょっとしたきっかけによって発狂したり、暴力に判断能力を委ねてしまうというのが、人間の愚かさを描いていると思う。なかなか、ほかの冒険小説とは違うのではないだろうか。
ここら辺、「蝿の王」や無限のリヴァイアスでは「少年たちの不安定さ」というふうに描いているんだが、宝島では大人も不安定という感じ。
まあ、海賊はクズだからなー。
そういう海賊のクズぶりが堪能できる。
エクセレントモデルA.I. ジョン・シルバー from 宝島
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ワンピースは「仲間」というのを強調してるんだが、宝島では「仲間」というのが欲望や感情や状況の変化ですぐにコロコロ変わってしまう。僕としては、絶対的な仲間という絆を礼賛する物語よりは、感情に左右される人間を描いている物語の方が人間としてリアルだと思う。
ただ、こういう人格の不安定さを描くのは子供向けの教養小説としては珍しいと思うし、子供には理解しにくいと思う。だが、大人になってから見ると染みるなあ。狂気の精神的な描写、子供には理解しにくい抽象的な心理はガンバの冒険のノロイ様の美意識などでも描かれていたかなー。
シルバーとジムの絆が18話で描かれるが、この絆も生死の利害関係と、男と男の約束と、大人と子供の依存関係と、仲間同士の友情がリアルタイムに揺れ動く関係だし、単純な仲間意識とか信頼関係とは違って微妙だ。だが、この微妙な感じがいいんだよなー。
シルバーがジムに言い返されて、拒絶されてはっきりとは言わないけど悲しそうな寂しそうな顔をするってのが微妙な男心でゾクゾクする。シルバーは男の中の男だし精神力が強いから、自分の利益にならない無駄なことは言わない。そういう理性的で強い男が「俺のジョン・シルバーじゃない!」って言われて杉野昭夫顔で微妙な表情を見せたり、画面下手でBLベタの船底に押されて揺れ動いたりするのが、非常に演出的だ。
演出で心情が表現されているというのは、心情が登場人物には自覚されていないが作り手と視聴者には意識されるという感覚である。ジムは自分の言葉がシルバーを傷つけたということは分かっていない。ジムがシルバーの気持ちを分かってあげてないのが、シルバーの寂しさでもある。でも、視聴者にはそれが匂わされているというのが演出的な楽しさでもある。演出による密室感、視聴者とシルバーの秘密めいた感覚、こういう微妙にナイーブな男心というのが楽しい。
シルバーは強い男だが、やはり他のクズのような海賊と同じく、海の男の引きこもり的な寂しさ、心のナイーブさ、精神の不安定さを持っているというのが匂わされていて、シルバーに親近感とかボーイズラブ的な萌えを感じる。(シルバーが精神的不安定を持つということを非言語的に示すための演劇上のヒントとして、他の海賊は露骨に精神を不安定にしている)
そして、セリフで明言されてないのに「登場人物の心情」とか「演出家の意図」というのが感じられるというのは、私の魂に響く。
と、言うのは、私は唯我論、唯脳論を多少親近感を抱くような人物であり、他人を信用していない。むしろ、他人は状況や環境に化学反応や条件反射するだけの物質に過ぎないんじゃないかと思っているところがある。そういうわけで、魂は孤独ではないだろうかという感覚を持ちやすいのだが。「演出家の意図」とか「魂」みたいなものを感じさせてくれるアニメを見ると、「自分の他にも出崎統という人は魂を持っているのかもしれない」という錯覚を得られる。それは少しであるが孤独感を慰めてくれる。自分以外にも命を持った存在がいるというのは、社会的生物の本能的な喜びだ。(まあ、出崎統くらいの魂レベルにならないと寂しさが癒せないというのは、僕の性格の捻れたところではある)
また、宝島には「ジムとシルバーの魂が同調したり、別れてしまったり」という物語要素もあり、それも「魂は孤独かどうか?」という感情を喚起してくれて面白い。
欲望とか暴力とか海賊の掟に流される脇役の海賊は魂のレベルが低い。「船長の責任」とか「みんなで決めたこと」とか言っちゃうジョージは格が低い。これがシルバーが勝利するというシナリオ上の説得力にもなってる。
ルールとか利害よりも「自分の魂」を優先するというのは魂のレベルが高いし、宝島以外にも出崎統作品はこういうテーマ性がある。この「俺が決めたことをやるんだ!」というマインドは、ワンピースにもスピリット的に受け継がれている。
なんでルールとか利害よりも自分の魂を優先するのがかっこよく見えるのかというと、自分の魂を優先して行動する時、自分の魂を感じて「自分が生きてる!」と感じられて生物的な喜びが得られるんだ。他人にも魂があると感じるのも寂しさを紛らわせる暖かさだが、それ以上に自分の魂を感じる時、自分が生きているという熱い喜びを得られる。それで、こういう熱いアニメを見てると、俺の生きてるって感じがして、だから、出崎統のアニメが好きなんだな。俺は。うん。
あと、今回はあまり出番がなかったが、トレローニ氏、リブシー医師の正義っぽいグループもやっぱりいい年をして「大海賊フリントの宝をゲットするために戦うことを諦めない!」というやる気と冒険心を持ってて、生き生きとしてるなーと思う。いい年をこいてるのに、落ち着かずに夢を見てる。これもトレローニさんとリブシー医師の魂を躍動させている事なんだろうなあ。
あと、やっぱりジムは純粋な少年だし、単純な感情の持ち主だから見ていてわかりやすい。
ジョン・シルバーは単純にすごく強いんだが、精神的に結構微妙な面もあって、その微妙さがジムの単純さによって引き立っている。
ジョン・シルバーが「悪の要素を持ちつつ、強く、精神的に微妙さを持っている、主人公の父親的存在」ってのは、あしたのジョーの丹下段平、エースをねらえ!のコーチ、ガンバの冒険のノロイ様などの要素をミックスした感じであるなあ。特にノロイ様の絶対悪という要素を、父親的な人物に添付するのはすごく珍しいことだと思うよ。なかなかこういうシルバーみたいなキャラクターはいないなあ。
「悪の要素を持っていても、それを乗り越えてでも父親的な人物との絆を保ちたい」という劇要素は魂の熱さを感じさせるドラマ性だ。出崎統に多大な影響を受けたと思われる幾原邦彦の輪るピングドラムの「親父や兄がテロ屋だった」というのも、こういう要素だと思う。
おにいさまへ・・・の御苑生さんやマリ子の親父も、「浮気をしたかもしれない父親」という点で、「悪の要素を持つ父親」かもしれんなー。少女漫画世界の中で浮気をする父親ってのは、殺人をする海賊と同等の悪だよなー。
BJ先生もダークヒーローだしね。