アイーダの父、アメリア軍総監のグシオンはドレット艦隊と協力してキャピタル・アーミィを叩くとクリムに断言する。だが、バララの大型モビルアーマー、ユグドラシルが2つの艦隊を直撃、宇宙に死のカレイドスコープが閃く。
- 今回のテーマは許容
「許し」と「受容」を合わせて「許容」が今回のテーマだと思った。
戦争をして人殺しをしてみんなが恨みつらみや因縁を重ねている時、どう相手を許すか、どのように状況を受容するのか、とても難しい問題です。戦争や虐殺は起こすのは簡単ですが、矛を収めたり停戦をしたり罪を処理するのは非常に難しいことです。僕も許せない人はたくさんいます。なのでガンダム Gのレコンギスタは遠い未来のお話ですが、とても現代の僕らにも通じるメンタリティの問題を感じさせます。
そして、戦闘ロボットアニメの終盤だから「あいつは絶対に許せないんだ!」という気持ちを激しく燃え上がらせてクライマックスに突入するものだと思っていたのですが、今回、色んな人がいろんなものを許すシーンが印象的でした。ラスト前に「許し」の可能性を伏線として置く…。最終回のラストはどうなるんだろう…。そう思います。
- アイーダ・スルガンの許し
許していく人ごとに書いて行こうと思います。
今回、本当に重大だったのは第2話で恋人のカーヒルを殺されたアイーダが、ベルリを許した事です。許すまでに22話かかりました。第16話のトワサンガでアイーダはベルリを指差して「けれどG-セルフを操れたおかげで!わたしは恋人を殺され、ベルリは…弟は人殺しの汚名をかぶることになったのです!」と叫んだ。
そこからさらに8話かかって、やっとベルリに「カーヒル大尉のことは、もう、あなたは忘れていいわ」と許せるようになった。
ラスト3話でやっと恋人を弟に殺されたことを許すと口に出すのか―。重いなあ…。いや、許すのではなく忘れてもいい、と言うのだが。人の死は重い・・・。
また、人を殺すアサルトパックを使うことにためらいがある弟のベルリを元気づけようという気持ちでもあったのだろう。じゃあ、弟に戦いをさせるための方便でカーヒルの事を忘れてもいい、と言ったのだろうか?そこまで冷たく割切った顔だとは思えない…が?
アイーダはベルリに目を合わせて微笑んだし。
アイーダだけでなく、ケルベス・ヨー中尉とリンゴ・ロン・ジャマノッタ少尉も「アサルトは殺しだけじゃなく、純粋な牽制にも使える」「みんなを守ってほしいんだよ!」とベルリを許容してやった。そういう後押しや支えがあるのは戦いには心強いな。
また、アイーダは法皇に対して「育てられた運命があると思っています」と言って、捨て子にされたことも「許した」。
ロルッカとミラジがアメリア軍にジット団から盗んだ強力MSを横流しするのも、アイーダは「許した」。
まあ、メガファウナ隊にG-ルシファーやG-セルフのパーフェクトパック、G-アルケインのフルドレス、ザンスガット、テンポリスのポリジットと強力モビルスーツが合流しているので、メガファウナだけが強くなりすぎて政治的に軋轢を生まないように、クリムにも適当なおもちゃを与えておく、と言う政治的配慮なんだと思う。
アイーダの「昨日のサラマンドラの動きがあったから、私たちが法皇様をキャピタルタワーにお戻しすることができたんです」「クリム・ニックにも私のわがままで迷惑をかけました。ゴメンナサイ」
と、アイーダ姫様は5話にベルリにお礼を言った時のようにどこも見てない顔で形だけの謝罪をしている。アイーダが目の焦点を合わせてない顔でお礼を言ったりするときは大体演技。
あーーー政治的に動く姫様だー。それを見て、ベルリは「姉さん、すごいな」と心の中で誇らしく思う。そんなベルリはモビルスーツを指差して「これスゴイっすねー」って言うだけなので、ベルリにはやっぱり政治的な才能は無いな。自分に対してはともかく、他人に嘘がつけないもん。
そして、強敵のユグドラシルをメガファウナのみんなと協力して倒した。父のグシオン・スルガン総監とも合流できた。
だが、父は死んだ。
父を殺したビームを撃ったユグドラシルは殺すつもりではなく、破壊された後のたまたま出た流れ弾だ。
「許す」がテーマの今回、アイーダはベルリをついに許した。捨て子にされたこともクリムやベルリが戦うことも、アイーダは許した。
ここで、アイーダの背負う重りが軽くなったかな?と思った所で「突然の死」!!!
なんて残酷なシナリオなんだ!!!
しかも加害者を責めることもできない。
アイーダは何を許さないでいたらいいんだ?何に怒りと悲しみをぶつけたらいいんだ???
ベルリは「強力なメカを復活させたビーナス・グロゥブと、それを持ち出したマスク」が悪いみたいに言うけど
…。G系のメカを全部殲滅したらそれでハッピーエンドと言えるのか?そうではないだろう…。じゃあ、どうしたらいいんだ?
うわー。先が見えない!あと2回!!!
やっとアイーダがいろんなものを許せるようになったのに、許せないことが起きてしまう。人を、人生を、世界を許すことってなんて難しいんだろう!
- 作者: 伊集院静
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- 天才クリムの受容
アメリア軍とドレット艦隊の連合による停戦について反対の意見をグシオン・スルガン総監に訴えた天才クリム・ニック大尉だが、謎のミノフスキー粒子が散布されると「どう見る?天才クリム…。観戦させてもらうか!」と事態を受容して戦線を離脱して生き延びた。
ダーマとトリニティはまだ慣らし運転中だし、ナイス判断。
だが、残り2話でクリム・ニック大尉には決着がつくんだろうか?クリムってかなりガンガン人を殺していて、4話ではベルリがデレンセン教官と通信するのを妨害したり、かなりの罪や業を重ねてきた好戦的な奴だ。しかし、そんな奴が主人公のベルリとアイーダと表面的には敵にはなっていないし倒せない。どうするんだ?
嫌な奴が味方に居ても許さざるを得ない状況、と言うのも描いているつもりなんだろうか?
- バララ・ペオールの許し
「マニィ・アンバサダ。みんな貴様の活躍があったからだ」「わたしはいっぱいいい思いをさせてもらったから、大事にすんだよ」
って、バララ・ペオール中尉はマニィがマスクの恋人であることを許す。
バララはマスク大尉に対して恋愛感情があったのかどうか?でも18話でバララを助けるためにマスクがミサイルを撃ってくれたのでバララはマジ泣きしていたので、惚れたのかもしれない。
で、ユグドラシルの発進の時にも軽くマスクのカバカーリーを袖にして出て行く。サバサバした雰囲気を見せる。
そんな風にバララは彼女と彼氏を許したのかな、と見せかけて、
「あの小娘を殴り飛ばしてマスクに嫌われるのも嫌だが、何もできない女だと思われるのはもっと嫌だ!」
「私はパイロットとしては完璧だ!あんな小娘なんかと比べるんなら、こうしてやるよ!!!」
と、全然許してない!
その個人的な恋愛のうっ憤晴らしのためにドレッド艦隊とアメリア艦隊の二つの集結地点にユグドラシルのテンダー・ビームを浴びせて一挙に殲滅しようとする。うわあーひどい!
えげつない殺人大出力砲だが見た目はきれい…。正に女戦士…。あと、このエフェクトのコンテと原画は重田敦司さん(ブレンパワードで活躍し、∀ガンダムのアニメーション用デザインをした人で、私が一番好きなアニメーター)が描いたとのこと!上手い!!!
しかし、マスクは水を飲みながら「バララめ…、戦場に嫉妬を持ち込むと死ぬぞ…!」と思った。マスクは外面ではジット団の面々に「ユグドラシルの性能がここからでも見えます」って言ってるのに。
余談だがどうも、Gレコでの水を飲むシーンは「気持ちのリセット」の儀式になっているような気がする。僕もこのブログを書く時に、一段落付くと水を飲むし。ベルリも1話でレクテンでG-セルフに挑む前に水を飲んで気分をリセットしていたし。今回の24話でも法皇、ジュガン司令、ベルリも水を飲んで気分をリセットしていた。
クリムは戦況を悩みながらうまい棒を食ってた。食べながら考える!動く前に飲む!
- ユグドラシルを許さない攻略戦
物凄い顔でテンダー・ビームを発射してドレット艦隊、アメリア艦隊を同時に砲撃するバララ。この顔、吉田健一さんがアニメーションディレクターを務めたキングゲイナーの中村嘉宏さんの萬画版キングゲイナーの後半のようなカエル顔。コンテの指示か吉田健一さんか黒崎さんなのか?すごいインパクトがある。
- 作者: 富野由悠季,中村嘉宏
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だが、テンダー・ビームも不安定に位相が変化する。ビームが相互干渉をしているのか。
クリム・ニックのダーマとサラマンドラは戦線を離脱。クノッソスも離脱。
そこへ、メガファウナ隊のアサルトパックを中心にしたビームとミサイルがユグドラシルのバリアを張ってない部分に砲撃。
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フルドレスは夏の大阪ガンダム展の初期設定で見たんだけど、没設定になっていたかと思っていたらやっと出た!カッコいいし強い!
そこでテンダー・ビームの隙をついて、アサルトビームがバリアーを貫通して砲撃!
弱らせたが、まだユグドラシルのテンダー・ビームの抵抗!
そこでコピペシールドでG-セルフもバリアーを貼りながら突撃して刺す!
ユグドラシルはビグ・ザムなみにバリアーと火力があったが、メガファウナのみんなの波状攻撃でG-セルフを応援して叩いたのが印象的だ。
G-セルフだけが強いのではない。逆に、カバカーリーやジット団のMSが援護に来ていなかった
だが、単に強敵メカを破壊した、と言うだけではない。
「艦隊を丸ごと破壊することがどういうことか分かれ!!!」
と言うベルリは「それだけ多くの人を殺している罪を自覚しろ!許さないぞ!」と言うことなんだろう。
絶対に許せない大量殺戮に対して、ベルリは一人一殺のビームサーベルを振るった。
「許す」がポイントの今回なので、「許せない」というのも鮮烈な印象になっている。そして、ベルリはまた顔見知りの兵士を殺してしまったのだが。彼は自分を許せるのだろうか…。
- 法皇の許し
ゲル・トリメデストス・ナグ法皇、序盤に出てきた時は宗教のトップとしてクンパ大佐と組んで暗躍しているのかと思っていたのだが、どうもそうではなく、割と本当に心の広い僧侶だったようだ。
メガファウナ隊が金星に行っている間にノウトゥ・ドレットの艦隊に法皇はカシーバ・ミコシに押し込められて人質になって、大変な思いをしたはずなのに
「私は同じ部屋で座っていただけですから」と笑って許す。メガファウナが金星に行くというスコード教を越えたタブー破りをしても「ラ・グー総裁はどのような方でしたか?」と女学生に親しく聞いてくれる。
(で、女学生のノレド・ナグさんは「面白いファッションでした」「あと謙虚な人でした」とゆるい感想を言うけど、それも許される)
度量が広い!これこそ人の上に立つ人だ!感動した。「権力者や指導者は悪だ!」ってカリカチュアするアニメが多い中、
権力を持つものにふさわしい立ち居振る舞いを特に強調するでもなく自然に描く…。法皇様…尊い・・・スコード…。ラ・グー総裁が謙虚であらせられたのも高貴なるもの、妬まれる者の宿命としての生存戦略として身に付けたマナーだと思うと尊い。(あと2話で法皇はどのような「良い旅」をするのか?)
ただ、そんな法皇が許さない、と言うか懸念していたことは「スコード教やタブーの成り立ちが忘れられるようになったことを、お二人のご両親は恐れていました」ということだ。
しかし、そのようなトワサンガや法皇が知っている宇宙世紀の戦火の記憶を「宇宙世紀戦争のトラウマを引きずっている連中などは信用できません!」と戦いを面白がる世代のクリム・ニックに言われてしまう。
「戦争を知っているから戦争はタブーにしましょう」と言う法皇か、「戦争を自分で体験してサクセスしたい!」と言うクリムか、どちらがこの作品で許されるのだろうか?
- クンパ・ルシータ大佐の受容
ジュガン・マインストロン司令の出撃に際して、「アメリアの大統領を狙い撃ちにできるミサイルとフルムーンシップを持っているのになぜ出撃するのですか」とクンパ大佐は問うた。
ジュガン司令も戦いを面白がる人間なので、「戦争の臨場感を知らなくては指揮は取れん」と言う。それに対してクンパは「キャピタル・タワーは絶対に破壊されないのに戦争をしたがる地球人というのは腐りきっている!」と心の中で思う。
だが、だからと言って何かをするでもなく事態を受容して放置している。何がしたいんだこの人。
あと、クンパ・ルシータ大佐の正体がピアニ・カルータだとアイーダは知ったのに、それを法皇やキャピタル・アーミィの士官やアメリア軍人には教えない。アイーダもクンパ・ルシータ大佐をあえて受容しているのだろうか。
- 停戦協定・ドレットの受容
カシーバ・ミコシをノウトゥ・ドレット艦隊がスコード教とキャピタルに返すことで、停戦協定としようとした。クレッセントシップがメガファウナからアメリア軍へ、フルムーンシップがマニィを通じてキャピタル・アーミィへ戦力を提供したことでトワサンガの技術的優位は崩れたし法皇人質作戦も英雄・マスクに破られたので、第2ナットまで戦線を伸ばして示威行為をしている現状で停戦協定を持ちかける、と言うのは現実的な政治的判断だ。(まあ、アルジェボルンとかだとこういう政治的判断に1話くらいかけそうなものを、Gレコは2,3分で流すので、異常なスピード感なのだが)
とりあえず、ドレット艦隊はどっちつかずで勝ち目が薄い現状を「受容」して停戦しよう、というスタンスのようだ。ドレット艦隊はアメリア軍の宇宙船をいきなりザンクト・ポルト上空で撃墜するという最悪のファーストコンタクトをして戦端を開いてしまった。その矛をどう納めるのか、これが戦争を始めるよりも難しい。
一時はアメリア軍もキャピタル・アーミィもトワサンガの軍港で「みんなお友達さ!」だったこともあるが、金星からの技術供与とGIT団のレコンギスタの影響でアメリア、キャピタル、とトワサンガのドレット艦隊は密度巴の泥沼戦争になっていたようだ。それを何とか収束するにはある程度双方に戦線を伸ばして互いに疲弊してから停戦協定、という。
だが、マスクが取り戻して空にしたカシーバ・ミコシがメガファウナ隊の手で巡り巡ってアメリア軍に抑えられたことで、ドレット艦隊の交渉は不利になった。
アメリア軍とドレット艦隊が連合してキャピタル・アーミィを叩くというのはキャピタル・アーミィに対する攻撃であると同時にアメリアへの停戦交渉でもある。そこで、外交カードの一つであるカシーバ・ミコシがアメリア軍の手に渡ったので政治的な力関係が難しくなったと。
そして、アメリアの艦隊と合流しようというタイミングで、バララ・ペオールのユグドラシルからのミノフスキー粒子散布によって、互いに疑心暗鬼になってしまう。
アメリアを許そうとしたが、ノウトゥ・ドレット総司令は「近距離で砲撃戦をするんだ!撃たせろ!」と叫んだ。ロックパイのモランに乗っているターボ・ブロッキン大佐とラトルパイソンを指揮するグシオン・スルガン総監は「第三者が撒いたもの」と気づいたようだが。
しかし、ユグドラシルのテンダー・ビームの猛攻でノウトゥ・ドレット総司令は死を覚悟して受容する。そこの末期の態度がすごい。「敵前逃亡ではない」「艦隊の本来の目的はレコンギスタである!」「一人でも多くのものをキャピタルタワーから地球に潜入させて将来化けさせるのだ!地球に降りれば願いは化けるっ!」
自分の死を受容しつつ未来に願いを託す。声の芝居もあってすごい気迫。自分の死は基本的に受容しにくいものだが、その時に次の手を打つ将軍とはやはり傑物だったのではないか?
Gレコはカーヒル、デレンセン、キア・ムベッキと、死んでから「あの人は良い人だったね」と気づく所が多い。ノウトゥ・ドレット総司令も最初に「本当の兵隊を育てるにはあと百年かかるか…」と部下を見下しているように見えたが、本当はそれくらいのスパンで未来を見据えている人だったんだな・・・って気づいたときには死んでいるというリアルの地獄。
- 停戦協定・グシオン・スルガン総監の受容
ドレット艦隊への攻撃ではなく停戦についてグシオン・スルガン総監は
「キャピタル・アーミィを叩くためだ」
「ドレッド艦隊だって疲れているんだから、地球に降ろさせてから」
と、現状を受容した様子で語る。
「その後のことは、自分の頭で考えるんだな、少年」とクリム・ニックに語るグシオンの真意とは…。
遠くで見ているキャピタル・アーミィのジュガン司令は「アメリアにはクレッセントもカシーバ・ミコシもあるのだからグシオンがドレット艦隊と手を結ぶとは考えられんのだ」と考えていたが。
しかし、娘のアイーダが最後に「お父様は本当に停戦を信じておられた・・・」
グシオン・スルガン総監は軍人のトップだが、最前線でも戦火が広がらないように努めたのだろう…。しかし…。お辛い・・・。
死んだ人の本当の願いは分からない…。
死を受け入れる間もなく流れ弾で死ぬのも戦場だが、彼はストレスで乾燥肌に成るくらいの激務でも覚悟して前線に出ていたんだろう…。ニューアークの大統領は何をしている?天才クリム・ニックが指揮権を簒奪するんだろうか?
- 敗走・マッシュナー・ヒューム中佐の受容
マッシュナーはロックパイの仇討のために停戦はしたくない!って言って会議のテーブルにもついていなかったのだが。許してないんだが。
ドレット将軍のギニアビザウにテンダー・ビームが直撃したら「ここは逃げろとロックパイが言ったんです!」と死者に逃げることを許されたと主張する。これもまた一つの人の形。
- マスクは絶対にベルリを許さない!!!
マスクが、ルイン・リーが、という個人の感情もありつつ、「クンタラの代表の俺がキャピタル、スコード教の代表面をしているベルリを許さない!」という気持ちもごっちゃになっているようだ。
だからこそ、ジット団が作ったG系のMSであろう黒いモビルスーツにクンタラの魂の安住の地、カーバの守護神のカーリーの意味での「カバカーリー」という名前を付けた。G-セルフと同じ「Gなんたら」っていう名前のMSに乗ること自体が許せないのだ!クンタラの名誉をかけているのだ!だから名前もつけ直す。
宗教戦争だ!
マニィはマスクに置いて行かれたことは許す。マスクもマニィと再会できて戦う力、戦うことを許される恋人の暖かさを実感する。そこでマニィはマスクに「ベルリと友達になってください!」って「敵に対しての許し」を願う。
だがマスクは、いやルインは「それはダメだ!」「あいつは母親の家系の力で将来の長官の道を約束されているような奴だからな!」「アメリア軍の総監の娘とも手を組んだのだから、独裁者のようになる」「人に食われる過去を持つクンタラなど、虫けら以下に扱う奴なんだよ!」と叫んで拒否した。
ベルリ本人がルイン・リーに辛く当たったことは無く、むしろ1,2話では主席と飛び級生と言う優秀なコンビとして行動していた。ルインもベルリに対しては良き年上として接していた。
だが、富野監督が言うには、マスクは心が弱い人でマスクを付けることで本音が言えるようになった、とのことらしい。だから、秀才のルインは学生生活を送る中でベルリと親しく話すたびに天才ベルリの家や才能に愛された所を感じてコンプレックスを刺激されていたようだ。ここら辺は機動戦士クロスボーン・ガンダムのラスボスを知っていると分かりやすいんだが。
僕も必死になって国立大学に行ったのだが、同じ学校に合格しても努力せずに優秀で余裕のあるリア充に対してはすごくコンプレックスがあった。また、高校も進学校だったしそこで僕はクラスで4番目くらいの成績だったんだが、1〜3番目の成績の(帝国大学に進んだ)人にはすごくコンプレックスがあった。
だから、ルインの感情はかなり歪んでいるんだけど、男子学生のコンプレックスとしては割とあり得てもおかしくない感情ではある。
そういう学生同士の成績争いに輪をかけてルインは「俺は被差別人種で反権力で、権力者に実権道具にされながらも革命をしたいが、ベルリは生まれながらの権力の申し子」という階級闘争の感情もある。「俺は数千年かけて差別されてきた人の代表として権力者に鉄槌を喰らわせなければならんのだ」という使命感もある。そんな大義名分が個人的な恨みやコンプレックスとごっちゃになっていて、本人も区別がつかないようになっているんじゃないか。
ルインはベルリに対する感情が非常に歪んでいる。ベルリの「優秀だけどちょっと抜けていて根は善人」というふるまいをちゃんと見ていたらそんなに憎しみもわかないだろうし、ベルリと一緒に数週間旅をしていたマニィが「ベルリと友達になって」と言うのだからベルリが悪い奴なわけがないって分かりそうなものだ。だが、マスクはそれを見ないふりをして、「独裁者に成る」とか「クンタラを虫けら以下に扱う」と理屈をこねて敵視を維持しようとする。ニュータイプは「誤解なく見ることができる人」なので、見ないふりをするマスクはガンダム世界ではニュータイプにはなれない悲しい人なのだが…。だが、ガンダム以前のザンボット3の香月というとても感動的なエピソードもあるので。どうなるんだろう。
脱ガンダムはガンダム以前のザンボット3に帰ることなのかなー?と、思うと「富野さん、成長してないなー」って思うのだが。でも、ザンボット3を見てない人はガンダムを見てる人よりも多いので!ザンボット3の布教としてのGレコはありうる?
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ちなみに、マスクはマニィに対して「ベルリは戦友やデレンセン教官を殺したのだ!」と、殺人は咎めていないというのがポイント。戦士たるもの戦場での生き死には恨みにはならない。だが、権力者と差別は許さない。それがマスクのプライド。
で、どうも公式サイトなどを見るとマスクのカバカーリーがG-セルフのラストバトルの相手になるようなのだが。
何でだろうね?
エルガイムとかZガンダムだと「裏で手を回している権力者や死の商人が悪いから殺そう」って話だったし、それをGレコに当てはめるとラ・グー総裁やドレット艦隊やGIT団のキア・ムベッキ隊長を打倒したらいいのかって話になる。だが、そうはなっていない。争いを産む元凶は分かりやすい権力者や軍事組織ではない。
逆シャア、F91、Vガンダムとかイデオンとかだと「人間が生きてること自体が悪いから大衆も権力者もみんなまとめて殺す!みんなまんべんなく殺すが、それでも生き残った奴が結果として正しい」というアナーキーでニヒルな話だった。
∀ガンダムのラスボスは実質ディアナ・ソレルの暴走を鎮める話だったのだが、戦闘アニメとしてのラスボスはギム・ギンガナムに背負わせて終わらせた。しかし、Gレコは子安が金星人のボスとして出たのに子安武人をやっつけてメデタシメデタシという話にはなっていないで、ラ・グー総裁はスルーされている。
争いの元凶はそこではない、というのがGレコ。
ちょっと考えてみたんだが、ガンダムって基本的に人の屍の上に立っている話です。一年戦争の冒頭で人類が半分死んでるし、逆襲のシャアの冒頭でも隕石落としで大勢死んでいるし、∀ガンダムもGレコも「宇宙世紀で間違った増え方をした人類が減って地球が豊かになった後」の話。
滅亡後の世界の描くのはSFとしてありがちとはいえ、酷い話ですよ。「人が増えて地球が汚染されました」「だから人を殺してエコロジーな世界が作れました良かったね」っていう。
殺される側にしてはたまったもんじゃない!!!
それについて、直接富野監督に問い詰めたことがあった。
富野由悠季 豊島公会堂2011年3月6日で質疑応答してきた。 - 玖足手帖-アニメ&創作-
「富野監督は人口を減らしたいとか、未来について考えるとおっしゃいましたが、半分は嘘です。監督がおっしゃらなかった事があります。つまり、どういう事かというと、未来の終局は死だという事です。そこから目をそらして、軌道エレベーター技術などで、希望を軽々しく語る態度は嘘くさいと思う。富野監督の作品では、人類を虐殺しようという悪役の方が思想的な道理があり、それを叩き潰す主人公は力だけを持った存在に見える。それはエンターテインメントとしては正しい。
∀以降の作品も、劇が始まる前に人が破局して人口が減ったから、本編では人があまり死ないエンターテインメントに成れたと言える。
死を無視して未来の希望を語るのはズルいと思います。人の生きる希望が人口を増やした。
未来を考えるには、未来に向かうために必要な血の生贄からは目をそらしてはいかん。それにどう向き合えばいいのか分かっているのか!
まあ、ここは公共の場だから、監督が全部を答えられないという事情は分かっていますし、そこは適当にぼかして答えてくださって構わない」
って質問しました。
富野「公共がどうとかではなくって、そんな事を語ると物凄い時間がかかるから、ここではまとめられぬ」と。
富野は「虐殺作品は若気の至りでやりました」とか、「虐殺や鬱屈した作品を作る事は簡単だ」
「二百年かけて自殺や戦争をせずに人類の人口を減らして軟着陸させる希望を持ちたい」と、富野に言われた。
富野は「この一年、宇宙エレベーター研究を通じてアカデミックに触れ、人類の英知に希望を持った」らしい。しかし、皆がエネルギッシュな科学者として生きてはいけない。飯島愛みたいな死に方もするんだ!「富野は人類の英知に絶望してはいない」と言ったが、愚民はその前に地球を食いつぶすぞ。と、私は思うが、それは僕がアカデミストではないからか。
富野は「地球環境の事についてはニュータイプになる宗教的修業をしなくても、地球が有限だと意識すればいいし、アカデミックにはそれは抽象論ではなく具体的課題だ」と言った。
富野は「地球が有限だといつも意識したらニュータイプになれる」って言ったが、俺は電灯を点けるだけで事故で寝たきりの父を抱えて原発の内部で働く幼なじみを思い出して罪悪感に苛まれる。ニュータイプになるより先に鬱。
富野は「孫が生まれて、自分の後に続く物が居るのは安心できる。人類の文明も僕の孫と同じなんです。だから、それが200年程度で滅びるのは容認できない。孫の命と同じように、人類を1万年続く存在にしたい」と言った。
だが、その子孫繁栄が人口を増やしたし、富野が批判する官僚や政治の情実も、自分の家族や味方を優遇するという点では、監督の孫に対する感情と同じではないか?そんな温かさが地球を潰すんだ。
富野は政治批判をした。
「全人類の事を考えられず、自分の派閥、自分の企業が数年継続する事しか考えられない大人というものは許しがたい!
そのような政治家しか、選んでこれなかったのが現代の我々やあなた方なのだ、と、考えなくてはいけない。
かと言って、我々の高度経済公害汚染世代や、その上の戦中派の世代が正しいとは言えない」
と。
それはそうなんだが、その様な政治家にとって、自分が生み出してきた組織は自分の子や孫のような愛着がわいて、本能を知恵で正当化して暴走してしまうのではないか?監督もそれと同じなんじゃないのか?
監督は「昔の人や、政治経済の物を自分と切り離して考えるのは無責任だ。無自覚に成る」と言う。
だが、僕にとっては、孫が出来た程度で安心されては困るって思うんですよ!
と、「富野監督の優しさも地球を潰す一因と同じですよ!」って言いたかったけど、サシのケンカじゃないから辞めた。
この講演会の公開討論の何が酷かったのかと言うと、この2011年3月6日の講演会の5日後に東日本大震災が起きて原子力発電所が水素爆発したこと。
「軌道エレベーターなどを取材してアカデミズムに触れて、人類の英知に僕は絶望していません」と言う富野監督に対して、僕が「いや、それは誤魔化しだ。未来に人口が減少して安定するに至るまでには、人類は互いに傷つけあうし地獄を経験する。人は愚かなんだよ!」と言ってしまったことが予言みたいになってしまったのだ。いや、僕には地震を起こす能力は無いですよ?
でも、結果的に富野監督には嫌がらせみたいになってしまった。
で、こういうことを言うのはおこがましいんだが、「マスク」は東日本大震災とかコロニー落としとか月光蝶の犠牲者へのアンサーなんじゃないのかな?と。今までのガンダムは人の死体の上に立っている話なんだが、その死体にされた人たち、すなわちクンタラの怨念がルイン・リーという潔癖な青年の理想を借りて出現したのがマスクなんじゃないのかな、と思う。
富野由悠季ほどの作家には地震ごときで右往左往してほしくないという気持ちはある。だが、マスクには今までのガンダムや富野アニメにおいて「殺され、そして顧みられなかった多くの脇役や犠牲者たちの怨念」が宿っているように見える。
まあ、ダンバインの黒騎士とかもそうなんですけど!
聖戦士ダンバインも体裁上は権力者のドレイク・ルフトや死の商人のショット・ウェポンがラスボスっぽくて、黒騎士はラスボスと言うよりは「ショウの敵」と言う感じだったのだが。その怨念を殺す!
あと、香月真吾も「被災者」だったなー、とか。
しかし、マスクはベルリを許さないが、ベルリはマスクをそんなに絶対悪とは思っていないように見える。ジット団やクンパ・ルシータ大佐やラ・グー総裁を倒せばいいという話でもないようだ。じゃあ、どうしたらいいんだ?勝利条件が見えない。どのような決着に成るんだろうか…?
- メガファウナのインターナショナルな許し
ブレンパワードのノヴィス・ノアではないけど、メガファウナの「色んな所から来た人たちの寄り合い所帯」というインターナショナルな姿が、差別や分離主義や敵対に対する「許し」なのだろうか?
富野監督はなんだかんだ言っても手塚治虫先生の弟子なので、ナショナリズムに対するコスモポリタニズムの人と言う感じがある。それは左翼的なスタジオジブリともまた違うんだが。
しかし…アイーダは今回、育ての父を死なせて決定的に悲しみを背負ってしまった。それがアメリア軍に対する恨みになるのか、それとももっと大きな視点で平和を願うようになるのか、「許し」はあるのか…?
- この絵コンテを許した奴は誰だーっ!!!
「間」の芝居をすっ飛ばしているというか、時間経過を視聴者が咀嚼するためののりしろの部分を削ぎ落している。20話の感想でも書いたと思うけど、非常に「ソリッド」な印象。
・マスクとマニィの「ベルリと友達になって」というロマンス芝居の直後にいきなりマスクがカバカーリーに乗ってユグドラシルのテストに立ち会っている。
・クレッセントシップでダーマとトリニティを受領したクリムが「ラトルパイソンに直行する!」と言った次のカットですぐに到着して3秒も経たずにクリムは指令室に入っている。
・ユグドラシルのテンダー・ビームの光が走るドレット艦隊とアメリア艦隊の空域、それを見ているガランデンのマスクとジット団、それが見えないフルムーンシップのマニィとフラミニアのシーンも距離がめっちゃ離れているのに連続しているので気分的には慣れていると認識できなくて、視聴者には戦況が混乱して見える。マニィとマスクの離れている芝居はもっと尺を使ってゆっくりと見せてくれよー。
(やっぱり3クールが最強では?ダイターン、ガンダム、イデオン、ウテナ…)
・重田敦司さんの絵はすごく好きだし、絵コンテの芝居もファイ・ブレインですごく好きだったんですが。ユグドラシルって神のパズルっぽいですね!見た目が!
・やっぱり尺が足りない!でも、企画構想7年でやっと半年のテレビの枠を取れたというのも大変っぽいし、リーンの翼よりは全然潤沢…。富野監督は語りたいことがたくさんあるんだろうなあ。多分4クールあっても密度は半分ではなく7割くらいだと思う。
- まとめ
「今回は人が何かを許すシーンが印象的でしたね!」という一言を書くためにかなり長く書いてしまったと反省していますが。
しかし、「許し」は救済のイメージにもつながるのでラストのような気分だが、あと2回ある。
今回、「カーヒル大尉のことは、もう忘れてもいい」「ベルリと友達になってください」との「許し」発言があった。
しかし、ラストでカバカーリーと戦うらしい。そのきっかけを作るために、どうも来週は「許せない!」が来そうな予感…。
次回、「死線を越えて」
ハッキリ言って怖いんだけど、見届けようと思う。
- スタッフ
脚本:富野由悠季
絵コンテ:重田敦司、斧谷 稔
演出:吉沢俊一
作画監督:[キャラ] 柴田淳、黒崎知栄実、杉本幸子 [メカ] 城前龍治、伊藤一樹 仲盛文(戦艦)
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