作画がいいアニメとは、アニメーションの絵なんてものは大したことがないということを自覚しているアニメだ!
上記のことがわかっている人はもう帰っていいよ。
アイドルマスターシンデレラガールズU149のアニメ版の作画がいいと評判だ。
僕もいい作画だと思う。
で、さっきまで見ていたのだが。同時に次のような問題意識を持っていた。
「最近のデジタルアニメは、デジタルで動画が管理されているので、動画の線が丁寧。しかし、だからこそ、口パクや動く部位やスライドする背景など以外は線が動かない。過去のアナログアニメは微妙に動画の線がぶれているので、それはアニメーターの技術としては失敗なのだが、生っぽさを感じる」
最近のアニメ雑語りおじさん!
まあ、アニメーターでもないのにこういうことを言うのもなんだけど、富野由悠季監督の小説の「ファウ・ファウ物語」で異世界から来た妖精がアニメを見て、違和感を表明するというくだりがある。(妖精は初めてアニメを見たので、止まっている絵の連続が動いているようにしているということを理解していない)
「ファウ・ファウ物語」の地の文でもアニメの絵は絵としてあまり品質がいいものではない、と書いてある。
いや、僕が言いたいのは何でもかんでも常に動かせと言うことではない。
アニメーションとは錯覚である。静止した絵を一秒間に30~8枚見せられて、何となく動いているような気分にさせる手品の一種です。
というわけで、動く動かないじゃなくて、そもそもアニメの絵は一枚が一秒以下の鑑賞時間しかない、一瞬で見過ごされるものであり、一枚絵とは全く性質が違うものだということです。
だいたい、アニメの原画用紙ってA4サイズくらい?らしいし、その程度の小さいキャンバスに描いたものをデカデカとしたモニターに拡大して映すのもちょっとアレだ。
まあ、映画館とかは仕方ないし、劇場版用の演出技法と言うのも、僕にはできないけど、名監督という人たちはできている。
(個人的には肩幅より広いモニターでアニメを見るのは苦手です)
というわけで、U149に戻りますが、かなり工夫されている。それは絵をうまくするとか動きを多くするというのではない。ダンスシーンとかはがんばってるんだけど。
- U149でいいなあ、と思った点。
エンディングの止め絵でもじわパンしていたり、微妙にカメラ(デジタルアニメにはカメラはないんだが)が揺れていたり、簡素な絵について「簡素な絵だな」と思う前にカットが切り替わったり、カットごとにカメラが(まあ、ないんですけどね)魚眼レンズっぽくなっていたりズームしたり、パースを強調したり、同じカットでピントを切り替えたり、視点を別のキャラクターや物に動かすように誘導して一つの場所を注視させなかったり、その他照明や撮影効果を足したり、そういう工夫がある。
つまり、アニメーターが描画する作画がいいのは最低条件として、それでもなお、それはじっくりと見る絵ではない、という自省に基づいて絵にトリッキーなジャミングをかける。
いや、僕はこれでも精神障害者手帳で国立美術館、国立博物館に無料で入り浸れるという特権階級なので、(過労や成育歴の悪さの結果なので自慢することではない)たくさんの名画を見てきた。
5秒で済む絵もあれば、30分ほどずっと眺めていられる絵もある。(無職なので平日にダラダラと入り浸るぞ)
まあ、絵や美術品の耐久鑑賞時間というのは生理的なもので個人差も多いので、有名だからとか価格が高いから、と言うのとは関係があるようでなかったりする。
もちろん、アニメの絵は一瞬しか見ないものだと言いつつ、安彦良和先生の機動戦士ガンダムの原画集などは持っているし、それは見飽きない。
ガンダム展や富野由悠季の世界展などで展示されている、超有名なガンダムの設定画も、鉛筆でガンダムのガンダムらしいところをスパッと描いていて、線の美しさに何度見ても魅了される。鉛筆やぞ!
そういうわけで、いい絵は長く見れるのもあるけど、まあ、でも、やっぱり、ひどいことを言うようだが、テレビアニメで大量生産される動画は基本的に耐久鑑賞時間が長くても数秒程度だ。
昔よりも色の数が使えるようになったとはいえ、やはり、主線で輪郭を描いて、影も多くて3段階、多少ハイライト、こだわりが強い場面では瞳などに一工夫、という程度で、絵としてはアニメの絵は簡素です。油絵とか織物とかその他の国宝級の美術品に比べると、もう、それは圧倒的に簡素な図です。
というわけで、アニメの絵というのは基本的に長く見ると粗が目立って鬱陶しく感じる、と言うのが僕の感覚です。
なので、口パクや頭部や腕などの動き以外は停止した絵で長尺のアニメを見せられると不快感をおぼえる。(いや、制作費用とかの兼ね合いでしょうがないものはしょうがないんだろうけど)
というわけで、禅問答のようだが、よい作画のアニメとは、よい作画の限界を自覚して、その絵をあんまり長々と止めで見せないものだと思う。(出崎統監督が多用した連続パンやハーモニーも、アニメの絵の耐久鑑賞時間を意識した工夫だと思う)(新世紀エヴァンゲリオンの後半の長尺カットはむしろ、その止め絵を見せつけられる不快感を演出意図にしていたような気がする)
テンポよくカットを切り替えたり、細部が見えないようにちょっとぼかしたり、その他に撮影処理をしたり、視点を動かしたり、よい絵なのだが、よい絵を注視させないことで、よい絵だと認識させる、誤認させる、錯覚させる。それが見ていて印象のいい良作画のアニメだと、僕は思う。これは個人の感想です。
いい絵を完全に全部を見せないことで、いい絵のように思わせる。
そもそも、アニメ自体が残像やら脳神経の視覚時間の錯覚を利用した手品なので。
アニメーターの人にとっては、一生懸命描いた絵を見せたいという気持ちがあるのは重々承知。しかし、絵というものは残酷なもので、1分以上鑑賞に堪える絵は有名画家の展覧会とかでもごく一部である。
僕は障害者手帳を持っているということもあるし、持ってない時期にも割と一般的な人よりは美術館に行っていた方だと思うが。
その館内の鑑賞者の動きを見ると、注視する人の方が少なく、たいていの人は作品名と概略を見て、十数秒で他の絵に移動する。じっくりと絵を鑑賞する人は、絵描き以外には少ない。美術館に入場する人ですらそれなのだから、テレビでほとんど無料で見れるアニメの絵を注視する人はもっと少ない。
なので、アニメの絵は基本的に見れたものじゃないんだから、演出でごまかす、という意図がある作品の方が、逆説的に絵がよかったような印象が残る。
うーん。自分でもわかるようなわからんようなお気持ちを書いてしまった。(実は洗濯機の掃除のために漬け置きをしているので、少しブログでも書いて時間を潰していたのだ)
その、作画のしょぼさを演出でごまかすというテクニックが一番感じられるのは、現在ただいまYouTubeで配信されている伝説巨神イデオンです!(隙あらば富野作品の宣伝するオタク)
www.youtube.com
まあ、今、無料で見れるのは第12話とかなので全体の1/3は過ぎてるけど、イデオンの前半はちょっと展開がだるいというか、イデオンが本来の力を発揮してないし武装もあんまりないのでバトルシーンも地味と言うか…。
なので、今から見ても全然大丈夫です!
うーん。やっぱり僕は美麗な作画よりも、演出の方に興味があるタイプのオタクなんだろうなあ。
洗濯槽洗浄剤の漬け置き時間がそろそろ終わるのでこの記事も終わります。
- ほしい物リスト。
https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用
著者へのプレゼントはこちら。
匿名で住所を伏せてプレゼントを送るための、つかいかた
nuryouguda.hatenablog.com
このブログは最後まで無料で読むことができますが、物をもらうと嬉しい。
note.com
noteでは金銭のサポートができます。無職なので金には年中困っている。
(この記事が良いと思ったら読者登録お願いします!)