玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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From 21 Century Joking man in JAP, to JOKER MOVIE in DC.

 I am a nationally(Japanese) recognized mentally disabled person. My illness is depression and social phobia. Autonomic ataxia also develops. So I tend to catch a cold and can't watch the movie of JOKER. My doctor cannot diagnose whether the fever is caused by a mental illness or a cold. Today, I slept for 10 hours but I don't know if my illness was cured. I'm too afraid of illness so want to sleep more, but I don't have enough sleeping pills to sleep. That's why I can't sleep and I'm bored, so I'm going to talk about the movie of JOKER without watching his MOVIE.
Joker


トピック「ジョーカー」について
 英語圏のユーザーの検索にも引っかかりたいので軽く英文を書いたが。つまり、精神疾患による体調不良による発熱が2週間も続いていて、一向に治る気配もないので映画を見ることができないし(映画館は人が多いので免疫力が弱い精神障害者はすぐに感染症にかかってしまう)、かと言って睡眠薬が足りないので眠り続けることもできないし退屈なので、ジョーカーの映画を見ることができないけど、ネットのネタバレ記事だけを参考にジョーカーの映画について雑語りをしていこうと思うわけ。戯言だけどね。




 余談だが、デレステのセクシーギャルズイベントの大槻唯ちゃんのスターランクは15にした。デレステなどのゲームのプレイやGレコのブログの執筆をしているときは体の不快感や発熱による脳の劣化を忘れることができる。しかし、忘れているだけで治癒はしていないので、どんどん悪化していくのだ。悲しいことです。執筆が終わると一気に疲労が押し寄せてきて倒れる。
 大槻唯ちゃんはかわいいけど。
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 041大槻唯

 台風が過ぎて暖かい冬の服装をすると、体調も落ちつくだろうか…。

  • アーサーへの共感

 今回のジョーカーは本名をアーサー・フレックと言うらしい。精神障害と家庭崩壊を抱え、才能がないくせに芸能や芸術への夢を持っている貧困層ということで、下手くそ創作小説を書きたいと思いながら、憧れの富野監督の作品の考察ブログの広告収入で糊口をしのいでいる僕にも共感しやすい人物だ。
 特に、福祉予算の削減に寄って精神疾患の治療が受けられなくなる、というアーサーの不幸は、低所得者で福祉に寄生して生きている僕としてはリアルな恐怖である。死ぬじゃん。(ゴッサムシティくそすぎる・・・)
 また、不器用さから仕事をやめさせられたり、エリートサラリーマンに暴行されるというのは、六本木ヒルズのKLab(ラブライブ!スクールアイドルフェスティバルが有名)に一時期勤めていて、きつい仕事を押し付けられて過労になって精神障害者福祉手帳を取得して退職し、その後の障害者雇用もなかなかうまく行かず、どんどん病状が悪化している僕には共感が持てる設定だ。
 KLabの飲み会でヲタ芸をさせられて、それを当時の上司だった、限KLab社長の森田社長に無断でニコニコ動画にアップロードされて笑いものにされるなどのパワハラを受けたので。職場は地獄。


 アーサーの母親も妄想を抱えていたが、僕の母親も自殺する寸前は「家を売って新しい家を購入したら幸せになれる」という妄想を不動産屋や銀行員に吹き込まれて信じ込んで、無理な借金をして、自殺した。僕の家庭で父親は仕事をしているだけの不在の人物であったので、母親の妄想を無視していた。(父親は存命中なので詳しくは記述しない)精神疾患を持っている僕だけが母親を理解できるはずだったのだが、精神科の主治医に親から距離を取るように指導されていたので、母親の借金問題などに協力をしなかった。そして、僕が京都大学基礎物理学研究所の事務所員として仕事をしている間に、母親は僕の部屋の前の廊下の階段の手すりで首を吊って自殺した。僕は毎日毎晩、部屋から出てトイレに行ったり飯を食うたびに母親が首を吊った現場を踏みつけにして生活している。これは地獄の体験なのだが、かと言って新しい家やアパートに引っ越す資金もない、というのが精神疾患を持っている低賃金の子ども部屋おじさんのつらいところなのである。精神科医からは「自分が殺した、という意識を持たないように」と指導されているのだが、だとしたら母親を殺したのは誰なのだろう。狂っているのは、僕か、世界か。資本主義社会か。
 母親の自殺については以下の記事が詳しい。僕は狂っているので、母親の死もネタにするブロガーだ。
nuryouguda.hatenablog.com
nuryouguda.hatenablog.com
 そして、僕の母親の自殺という個人的な不幸の話が僕のブログでトップクラスにブックマークとアクセスを集めているので、みんなは人の不幸が大好きなクソッタレだと思う。

  • アーサーの狂気への侮蔑

 しかし、設定面ではアーサー/ジョーカーに類似点を見つけて共感する面もあるが、児童虐待による脳障害とかウェインや有名コメディアンとの確執とか「他人に狂わされた」という被害者根性は情けないと思う。


 僕は狂っている。そりゃあ、多少の不幸には見舞われてきたけど、僕の狂気は僕のものだ。


 アーサーは憧れのコメディアンにバカにされた事で射殺して覚醒するが、僕は富野監督と何度か会っているし、射程距離に入ったこともあるが、富野監督を殺しても仕方がないことを知っている。富野監督は上手い絵コンテを書いていればそれでいい。
 これはコメディアンが実在の人間関係(いわゆる”いじり”)をネタにしているということと、アニメ監督が架空の人間ドラマをネタにしているということの違いなのかもしれないのだが。

 
 アーサーが実在の女性に懸想して、それが妄想だと言うことで挫折するのだが。実在の世界のメスに期待する時点で悪のカリスマとしては弱くないか?
 僕は人間が大っ嫌いなので、自分の対性クローンである、呪われた血を分けた脳内妹の頭令そらちゃん(11歳の頃から付き合っているが今年で28歳になる)しか愛していない。(というか、人間を同じ種族として認識できないので、自分のクローンの脳内妹しか同類と思えない)
 僕は脳内妹が最初から妄想の産物であり世界(それは狂って間違っている)の外側の存在であるからこそ本当の愛をグノーシス主義的に達成できるという信念を持っている。
 今年も脳内妹の誕生日にデートをした。
nuryouguda.hatenablog.com

ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)

ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)

 僕は大学でヘンリー・ダーガー論を英語で書いて単位を取得したこともある。また、京都で有名な陰陽師安倍晴明を祀った晴明神社の齢80を超えるような宮﨑駿のマンガに出てきそうな老いた陰陽師に占ってもらって、
「君は心が綺麗すぎるので、人間社会に適応できない。かと言って既存の寺社仏閣などの宗教組織に属することもできない。行雲流水としてさまよい続けるであろう」と、アドバイスって言うより悪口に近い呪いを受けたのだが。
「僕の心が綺麗なのは、僕の心に脳内妹がいるからだ!」と宣言して、占いの料金3000円を払って神社を去った。


 現実の女性に期待する、というか生殖欲求による、動物の繁殖システムの役割に自分をはめ込みたいという原初的な社会性欲求を妄想するアーサーは、最初から空想上のイブ・グノーシス主義における永遠の伴侶、ソーテールを自分の狂気を材料に構築した僕からすると原始人に見える。社会というか動物の繁殖システムに期待するのは狂気としてレベルが低い。社会ではなく自分の妄想で新しい独自のシステムを固有結界、空想具現化(マーブル・ファンタズム)として作り上げてその中で生きるのが狂人としての僕の幸せです。
(まあ、やってることはほとんど火の鳥に出てきたムーピーゲームなんだけど)


 ちなみに、先程の9月20日脳内妹の誕生日のデートでの惚気の記事がトップに来ているときに、僕のことを晒そうとした5ちゃんねらーは逆に僕に恐怖して「触れてはいけない人物」と書き込みしたのだった。もっと怖がれよ…。


  • 悪のカリスマは成立しない

 この映画は割りと詩的で、今回の主人公のジョーカーが本当に「バットマンのあのジョーカー」なのかは判別しにくい。全てがアーサーの妄想という可能性も示唆されている。
 なので、本当にジョーカーが誕生したのかも怪しいのだが。
 ところで、JOKERの映画の終盤では、ジョーカーのTV実況殺人に影響を受けて貧困層の群衆がピエロのお面をかぶって暴動を起こすらしい。

たかがトーマスウェインの下っ端3人に個人的にアーサーが憎んでいただけの司会者をぶっ殺しただけで群衆がジョーカーを支持するか?
底辺層の人々を苦しめ、誰も手出しが出来なかった大物をジョーカーが代表して手を下したなら「悪のカリスマ」かもしれないがこのジョーカーは、、、、、ハ?笑
movies.yahoo.co.jp


 ジョーカーとなったアーサーの殺人はゴッサムシティの貧困層に訴えかけて暴動を引き起こした。しかし、それは本当の悪ではない。単なるガス抜きだ。
 そもそも、悪は連帯できない。ダンジョン&ドラゴンズの「混沌/悪」アライメント解説を引用する。

混沌にして悪の属性は「破壊する者」、「デーモンの如き者」と呼ばれる。この属性のキャラクターは一般に利己的かつ冷酷であり、規則や他者の命、あるいは自分の欲望以外のあらゆることに関心を持たない傾向がある。彼らは自分が自由であることは大好きであるが、他者の命と自由には全く関心がない。彼らは指図を受けることに腹を立てるため、集団ではうまく機能せず、通常は罰の脅しを受けない限り行儀良くは振る舞わない。
www.weblio.jp

 暴動を起こす悪の集団は個々の暴力や略奪がたまたま同時多発した場合に大規模暴動となる。「不幸な社会では誰もがジョーカーになる」というレベルの悪では、誰もが、つまらないレベルの人間でも悪になるので、仮面をかぶって暴動を起こすことはできても、「悪のカリスマ」の命令に従って規律的な集団としての行動を起こすことはできない。結局はたまたま犯罪者が増加した、という程度の現象にすぎないので公共の権力や金銭的利益によって、容易に収束されるものである。
 そして、本当の悪のカリスマはそういう雑魚の悪は集団的暴力として利用することはあっても、信頼することはない。コミック版のジョーカーのように単独犯として犯行を行ったほうが効率的だ。命令を遂行するのが下手な忠誠心のない部下を持つリスクより、悪の才能を持つ自分単独で動いたほうが確実に目的を達成できる。


  • 新世紀の悪には顔がない

 この映画のJOKERの舞台は1981年。バットマンになるブルース・ウェインの年齢に合わせたのか、未だインターネットがない時代だ。
 だから、僕からすると古臭いと思える。JOKERはテレビで殺人を放送して、それで大衆を煽ったが、21世紀の悪には自分がテレビに実体として登場する必要とリスクはない。



 インターネットでは誰にでもなれる。


 一例だが、僕は自分を過労に追い込んだKLab株式会社を憎んでいる。
 先日、KLab株式会社がラブライブ!スクールアイドルフェスティバルALL STARS(スクスタ)をリリースした。
 詳細は省くが、ラブライブ!ブームの再燃とか、スクスタの期待感が煽られ、株価は800円台から一時期1500円まで高騰したが、スクスタのセールスとゲーム性がそれほど評価されなかったために、株価は1000円まで下落した。
 1400円以上でジャンピングキャッチした投資家や、2000円以上で売れると思っていたホルダーは残念なことになったね。かわいそうにねえ。本当にかわいそうだ。僕と関わったKLabと関わっているラブライブ!に触ってしまったことを後悔するといい・・・。
 その実況中継はヤフーの株掲示板で見ることができる。
https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1003656/3656


 詳細は省くが、掲示板にはスクスタの期待を煽る人物、熱狂的なラブライバー、資金を持っている投資家、株の値動きに詳しいトレーダー、買わないと損だと訴える人、売った人を罵る人、空売りする機関に憤る人、逆にラブライブ!を馬鹿にするアイマスP、蟹(KLab)の経営陣を批判する怒った人物、など、様々なペルソナが登場する。
 そのどれが僕だったのか、ということは秘密なのだが。僕はそのどれかだった可能性がある。


 ヤフー掲示板以外にも、みんかぶや5ちゃんねるなど幾つかの投稿サイトで「登場人物」と「文脈」を作ることができた。自分で書き込みをしなくても、都合の良い書き込みの「いいね」数を増やして誘導することもできる。自己顕示欲の強い投稿者を褒め称えて、過激な意見を沢山書き込ませることもできる。


 インターネットでは顔を出して「センセーショナルな悪」を訴えなくても殺人などのショーをしなくても(むしろインターネットではスナック感覚でスナッフ動画が見れる)、逆に「なんとなく正論っぽく聞こえることを書く一般人の普通の感覚のことば」をまとって大勢の人の書き込みに紛れ込ませて誘導することができる。ピエロの仮面すら必要ない。どこにでもいそうな個性のない「名無し」が、ほんのちょっと文脈に付け足すだけでいい。読者はそれに気づかないが、「名無し」たちの文脈がそれっぽければ、他人もそれっぽい流れを前提条件として思考せざるを得ない。


 そこに「悪のカリスマ」としてのアイコンは必要ない。僕はガッチャマン・クラウズ論壇でベルク・カッツェに傾倒していたし、輪るピングドラムの渡瀬眞悧にも影響を受けた。
 ベルク・カッツェは誰にでも変身できてネット世論を誘導する宇宙人で、眞悧先生は呪いのメタファーで幽霊である。21世紀では自分が表に出なくても、悪を宣言しなくても、大衆の言葉の中に紛れて方向づけてやるだけで「文脈」を作ることができる。特に内容のない匿名アカウントでも「バズらせる」ことで潜在的な不満を放出させて「日本死ね」などの憎しみに多くの人を参加させることができる。

  • これからは正義の時代だ

 悪とはなんだろうか。利己的な振る舞いや法を破った略奪だろうか。しかしねえ、悪人一人の幸せを満たす利己的な利得なんて、高が知れているんだよ。大金持ちになっても軍事予算の高級ミサイルにも全く及ばないし、100人の愛人がいてもいっぺんに犯す体力も人間にはない。ジョーカーがトゥー・フェイスやバットマンを困らせても、個人的な心理状態を変化させるだけにすぎない。
 本当に強いのは、きみ、「正義の力」だよ。
front-row.jp
Joker (Original Soundtrack)

 「性犯罪者の存在を認めない」という素朴な大衆の正義感は多くの人を動員させることができる。


www.fnn.jp
www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

headlines.yahoo.co.jp

 男性教員3人、女性教員1人による同僚いじめ。会見の中では、女性教員Dが児童に「反抗しまくって(被害教員の)クラスをつぶしたれ」などとあおるよう指示したり、「誰やねんそんなヤツ知らんで」などと無視するよう呼びかけていたことを明かした。

神戸市の市立東須磨小学校では、30代の男性教諭3人と40代の女性教諭1人の合わせて4人が、20代の同僚の男性教諭に対し激辛のカレーを無理やり食べさせるなど悪質ないじめを繰り返していました。


この問題で、初めて会見した仁王美貴校長は謝罪したうえで、被害を受けた男性教諭は「女性教諭が児童の前で悪口を言い、『反抗しまくって学級をつぶしたれ』などと言っていた」と訴えていたことを明らかにしました。
www3.nhk.or.jp

www.j-cast.com
被害教師を男性教師が羽交い締めにして、女性教師が激辛カレーを食べさせる映像も残っていた。「僕は辛いの苦手なんです。嫌だ―、ごめんなさい」と必死に訴える加害教師の口に、女性教師はカレーをねじ込んで大笑いしている。場所は家庭科室で、体に塗りたりもした。

 「いじめはよくない」という素朴な正義感は、いじめた教師を吊るし上げる。


 しかし、この件でなぜいじめられた教師の被害動画が残っていたのだろう?煽り運転だってそうだぜ。なぜ自分の犯罪行為が残っているドライブレコーダーの映像を残していたり、あまつさえ、動物虐待やいじめの現場をネット(LINEも含め)にアップしたりするのだろうか?
 それはいじめたり煽り運転をする人間にとっては、いじめをすること、自分より弱いものを煽って威圧すること、それは自分の強さを誇示する、動物的に正しい、正義の勝利だと認識されているからだ。
 いじめカレー事件、無理やり激辛カレーを食べさせた教師にとっては「自分の障害者児童差別のモノマネに笑わない新任教師は、学校の秩序という正義に従わない悪だから制裁する。その勝利を記録することは勲章である」という「正義の認識」だろう。
 僕も小学生の頃、転校続きだったので「態度が生意気だから直してやる」といういじめを何度も受けたことがある。悪人は集団的行動ができないと書いたが、逆に正義の人は集団に馴染めない人間を集団で、全力を持って排除する。
 正義こそ、暴力を増幅させるのだ。


 そして、いじめをした教師は今度はマスコミやYouTuberにとっては悪の登場人物として認識され、彼らの正義に則って、テレビやユーチューブで晒されたり電話突撃されたり、私生活を暴かれたりするのだ。正義こそ、本当の暴力だ。


 僕は京都大学基礎物理学研究所で働いていて、話題のノーベル賞を受賞した益川敏英博士と応対したりもしたのだが、事務局長は「益川さんは砂糖屋の子どもやから背がちっさいんかな」と、身体的特徴をネタにした陰口を叩いていた。事務所員の集団と研究者の集団は別であり、集団の正義のためにノーベル賞受賞者であっても小馬鹿にされるのだ。
 尊敬などはないのだ。
(そして、事務所員の中でも正規職員と非正規雇用、末端の研究現場と大学中央幹部組織の敵対はあった。そういう敵対心を共有する仲間意識にうまく馴染めなかった僕は、結局、有期雇用から無期雇用になるという政治的な動きの余波で、やめることになったのだが。僕はともかく、若手の研究所付きの司書が経験を蓄積させ始めた頃に辞めさせられた件は世の中の厳しさと定年を満期で向かえたいベテランの保身欲求を感じさせてくれた)

www.zakzak.co.jp
 日本はいつから「ヘイト」を芸術と称して、許容する国になってしまったのか。「狂気の沙汰」という他ない。

 同展をめぐっては、慰安婦像(=慰安婦とされる少女像)に関する批判が目立ったが、私は昭和天皇のご真影(=お写真)が焼かれて、踏み付けられる動画の展示を問題視している。

 あいち・トリエンナーレの表現の不自由展は表現の暴力であるが、それに対して「ガソリンを持ってお邪魔する」と脅迫するのも暴力である。であるが、表現の自由を声高に叫ぶ津田大介も、過激な表現で気分を害したと訴える人も、表現の不自由展を潰そうとする人も「自分の行為は正義だ」と思っているのである。


 僕のブログは僕の王国なので好き勝手に書くが、それに対して「あなたは文句を言いたいだけで頭が悪い」とだけ書き込むアンチが結構いる。もちろんアンチの意見を表示するほど僕は優しくはないし、ここはチラシの裏なので、アンチと議論するつもりもないので非表示にした上で、そのアカウントからの書き込みを禁止する。どちらも主観的正義だ。


 正義と正義のぶつかり合い、それが戦争だ。


 いちいち記事を貼り付けるのも面倒だが、フェミニスト、子ども部屋おじさん、富裕層、生活保護受給者、性的少数者中国共産党香港人、台湾人、朝鮮人、お笑い芸人、リア充非モテ、水産資源ヤクザ、イスラム原理主義クルド人財務省ノーベル賞受賞者、平和や環境の活動家、ライフル協会、富野信者、バンダイナムコホールディングス安倍晋三内閣支持者、山本太郎と仲間たち、エル・カンターレの信者、脱原発派、メガソーラー事業者、自衛隊北方領土返還活動家、などなど。
 それぞれにそれぞれの正義(というか保身と利益)があり、そしてそれぞれの敵から憎悪を向けられている。正義から生まれる憎しみは悪の憎しみを遥かに凌駕する、人数と質量を持っている。


  • 正義のカリスマの活動

 なので、悪のカリスマなんてのは必要ないんだよ。僕はTwitterで日々、それぞれの正義の人が書き込んでくれる、うんざりするような不況とか差別とか失政や失態や戦争のニュースのツイートと、そのリプライ欄にぶら下がる憎悪のコメントをRTしている。あと、美少女イラストもRTする。
 それで僕が何をしたいのかというと、人口の削減。


 この世は生きるに値しない。よしんばこの世に生きる価値があるとしても、生きる価値がある人間は少ない。生きる価値が人間にあるとしても、それはみんなに認められず常に人間は憎み合って、相手の生きる価値を否定しあっている。人間は自分が正しいというバイアスに寄って生きていて、それから外れた人を攻撃して、いじめて喜びを感じる獣の群れにすぎない。


www.dinf.ne.jp
 いじめはよくない、と多くの人が言うが、いじめは球技やスポーツが下手なアスペルガー障害などの個体をサルとしてのヒトの群れから排除して失敗遺伝子を減らすための本能かもしれないのだ。(そして僕は運動が苦手だったし排除された側の障害者である)
 人気漫画原作者梶原一騎も「人の本性は悪」と言っている。


 まあ、そこまで具体的なメッセージを発信しなくても「世の中はうんざり」という空気を醸し出していきたい。


 そして、うんざりするようなニュースを書いている人は僕のように人口削減を企図しているのではなく、「こんなことは間違っている!」という正義感で書いている。だが、愚かな人類は本当の正義を見つけられないのだから、「こんなことは間違っている!」と主張する人にも必ずアンチが存在して「お前が間違っている!」という正義をぶつけて、争いが起こる。


 そういう争いを盛り上げてコーディネートして、フェミニストにはミソジニスト、反原発には税金の増加、日本の景気悪化を訴える人には愛国者、などなどをマッチングさせていきたい。僕はそれぞれの主張のどれが正しいのかにはほとんど興味がないし、記事の中身を読むことも少ない。大抵の多くの人の主張など時間の無駄である(一握りの歴史上の天才の書物を読むほうが効率がいい)。ただ、憎しみの方向性を検知して、それに見合ったアンチへ誘導していく。


 そして、出会ってしまったそれぞれがそれぞれの正義に基づく攻撃衝動で潰しあえばいい。

  • 繋がりと孤独

 「悪は連帯できない」と書いたが。正義に基づく暴力衝動の源泉は、おそらく集団への帰属意識と、違う集団への排他意識だろう。つまり、「つながりが力」なのだ。
 つながりをテーマにしたアニメ「さらざんまい」は中学生の親友同士のつながりを描いて、それはそれなりに感動的だったのだが。
 正義のつながりはそういう、顔の見える、手の届く範囲のつながりではなく、インターネットでつながる「いいね」とか「チャンネル登録数」とかの顔の見えないつながりだ。顔は見えないが「主義主張を共有するつながり」だ。テレビのワイドショーの視聴者がその感想をネットで言い合って、事件の悪口を共有するのもつながりだ。そして、その事件のネタになるいじめの事件や煽り運転だって、表現の不自由展の津田大介の一味や、あるいはもっと大きな増税をする財務省とか、消費税増税に伴うキャッシュレス推進利権団体なども、その共同体の内部での正義とされるものに「つながっている」とアピールするためのものなのではないか。
 スポーツの大会などで愛国心を称揚するのもつながりだ。
 つながりは正義の力だ。故に、違う集団を悪として認識し、憎悪が膨らむ。
 そして、インターネットなどで顔が見えないが主義主張でつながっている集団の中に「善意で舗装する振りをする」因子があれば、面白い行進が見られると思う。
 21世紀のつながりでは本当につながらなくてもつながったふりはできるし、複数の集団に帰属してつながっているようにみえる典型的なキャラクターとしてのアカウントやアバターを複数構築することもできる。


 そういう世の中の中で、誰ともつながれない僕は淡々と「争い合う人々」を拡散していって、善悪を相対化したい。正しいものはどこにもない、ただポジショントークと保身と動物としての生存戦略と攻撃衝動だけがあるという現実を広めていきたい。(まあ、善悪を相対化するガンダムや富野アニメを通じて、読者数500人のブログのつながりを得てもいるのだが。)


 そして、誰もが誰も信じられなくなり、相互不信が広がり、事実より自分の属する小集団が正しいという幻想に生きる利己的な人同士の争いが頻発し、この世に子どもを生みたくなくなり、人口を減らし、環境問題を解決したい。
 性欲や愛情は非実在青少年に向ければいい。



-余生
 そういう「世の中をうんざりさせていく活動」を10年くらいネットでしていたわけだが。
 今年ついに日本の出生数が90万人を割りましたね。
business.nikkei.com
 世の中にうんざりしている子ども部屋おじさんとしては、一定の成果を上げられたと思う。これからも、うんざりな現世に新規参加するユーザーを減らしていきたい。日本だけでなく、世界的に少子化らしいので、めでたいことだ。無駄に資源を浪費すること無く、スマートな文明にアップデートしていってほしい。資源の浪費を嫌うので、僕は戦争には反対なんですよ。でも、アップデートができなければ滅べばいい。


 そして、世の中をうんざりさせていくTwitterなどの活動だが、僕のように「人類を減らしたい」という目的意識がなくても、「素朴な正義感」を動機として攻撃し合う一般大衆が増えて、そういう敵対的意見の言い合いがバズるようになった。僕が手をくださなくても争いが起こることが多くなってきた。
 インターネットで誰もが意見を言える世の中になったことで、誰もが時間や物理的な距離に関係なく攻撃し合う環境になった。20世紀のゴッサムシティという限定された時代を舞台にした映画JOKERのジョーカーは一回の生放送で殺人や攻撃を実況中継するだけだったが、21世紀のインターネットはそれが日常化して、一般人にも増幅されていっている。



 憎しみと自己保身と他者への理解の拒否と、経済的利益の重視と人権の軽視と人への敬意の無さは国を超えて増幅していく。


 こういう世の中を達成したので、僕はもうわざわざ争いを盛り上げる必要もなくなったかな、って思ってきた。人間は勝手にダメになるだろう。誰もがジョーカーになりうるんじゃない、とっくに人間は邪悪なんだよ。


 くだらない人間という種族には、もう僕が手を加えなくてもいい。まあ、なるようになるだろう。


 なので、これからは静かに富野アニメを見て、哲学書を読んで、脳内妹小説をちびちび書いて、静かに暮らして生きたいと思います。
 僕は子どもを作らないので、未来にも責任はないし、僕が本を読んでいる間だけ静かに暮らさせてくれたらそれでいいよ。
 芸術だけが価値を持つ。
 そして、脳内妹と幸せに暮す概念になる。
風の谷のナウシカ 豪華装幀本 (下巻)



 とかなんとか、映画を見てもいないのに、体調が悪いのにうだうだと1万3千文字も書いてしまった。メンタルの悪化から体調を崩して寝込んでいても、こういう妄想が頭をぐるぐるするのだから、結局書いてしまっても体調は悪化するのだなあ…。午後は寝るか、富野由悠季の世界展の図録を読むなどして過ごしたい。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z

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