玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野由悠季、語る『Gのレコンギスタ』で学んだこと を、5つに整理

【青山教室】「監督富野由悠季、語る。~『Gのレコンギスタ』で学んだこと~」

機動戦士ガンダム」の生みの親、監督・富野由悠季。73歳にしてなお現役クリエイターとして創造し、発信し続ける監督が日本の今を生きる世代へメッセージを語ります。
NHK文化センター青山教室:【終了】監督富野由悠季、語る。〜『Gのレコンギスタ』で学んだこと〜 | 好奇心の、その先へ NHKカルチャー


帰りには、会場で知り合った富野ファンの方たちとともに中華屋さんで一杯飲みました。おいしかったです。
にけ・にっけるのやってみる価値ありますぜ! 「監督富野由悠季、語る。~『Gのレコンギスタ』で学んだこと~」を受講して@NHK文化センター
というか、インターネット富野ファンブロガー界ではそうそうたるメンバーが集まってらっしゃいましたよね。失われた何かのおはぎさん id:ohagi23 とか未来私考の id:GiGir さんとか。


で、楽しくガンダムや富野監督について語らったのですが。
イベントもとても楽しかったのですが。
僕がふと口にした。
「結局、今回のテーマの“富野監督がGレコで学んだこと”って何だったんだろう?」と。
周りの人も
「あ、ちょっとそこはわからなかったですね」と。


2時間も講演会があったのに、我々愚かな弟子は師匠のおっしゃった意味をその場で理解できなかったのだ!!
いや、富野監督の喋り方も良くなくて、富野監督の脳内にはいろんな概念があるんだろうけど、それをいっぺんに口に出そうとした上に落語家のように冗談も交えて受けを狙おうとするので、聞いていると「なんだかよくわからないけど、面白い事を言うおじいさんだなあ。なんだかよくわからなかったけど」「なんだかよくわからなかったけど有名な監督と握手できて幸せ」と、なんだかよくわからない感想しか抱けなかったのです。ニュータイプに成れてない!


なので、どういうことをおっしゃったのか考えなおそうと思いつつ、忙しくてまとめるのが1カ月遅れになってしまった。凡俗だと自覚しながら、考え直し、まとめてみたい。



ミスルトゥの中で 富野由悠季監督の講座「ガンダム Gのレコンギスタから学んだこと」①~制作スタッフにお礼のステップ
富野由悠季、語る。~『Gのレコンギスタ』で学んだこと~ - Togetterまとめ
手元のメモだけでは心もとないので、こちらのまとめ記事も参考にして、さらにまとめ直してみます。時系列ではなく話題ごとにまとめ直すので、富野監督のお言葉そのままではないので申し訳ないのですが、録音が禁止だったんだい!
あと、ガンダムエース6月号のGのレコンギスタパーフェクトパックブックとアニメージュ4月号のロングインタビューも参考。


色々と話していただいたが、「富野監督が学んだこと」を中心に整理して、まとめ直していこうと思う。


では早速

  • 学びその1 現場のスタッフワークから学んだこと

富野:えー、このたびはお集まりいただき、ありがとうございます。所謂2ちゃんねるレベルで言う所の禿です。(会場笑)でも、僕は芸能人ではないのでダンスも歌もやりません。(会場笑)
えーと、それで、皆様方のおかげで、Gのレコンギスタは終了できました。
でも、皆様がいらっしゃったから、だけではありません。
馬車馬みたいに働いて下さったスタッフが400人を越えていて、彼らのおかげです。


・制作進行などスタッフ
サンライズ第1スタジオにも60~70人のスタッフがいてくれました。
特に制作進行のスタッフがよく頑張ってくれた。
アニメ業界では制作進行と言われる若手スタッフを雑に扱っているんですが、彼らが制作のラインを支えている。
監督が一人でどなり散らしても彼らがやってくれなければ仕事が進まない。
どんなに上手い日本一の原画マンでも、絵を描いている所を引きはがしてスケジュールを守らせてくれる制作進行がいなければ意味がない。


後半の作画、特に最終話あたり、こんなにスケジュールが無かった中で、あんなに高いクオリティで上がってくるとは全く思わなかった。(良い意味で驚いた)
アイーダのラストカットの新衣装と、その彩色もものすごい速さだった。
100カットの戦闘シーンを1週間で仕上げてくれたスタッフを褒めてやって頂きたい。



メカデザイナー
シナリオが出来上がっていれば第1スタジオのスケジュール(?)が空いた(よく聞き取れず)と、思う。
だが、キャラとメカができあかっていなかった。安田のデザインが出来ていなくてもやるしかなかった。
シナリオ上がった一週間後に安田が「Gセルフにコレ入れたい」とバックパックをたくさん持ってきた。
安田が!シナリオに一ミリも書いてないのに!バックパックを!たくさん!シナリオが出来た後に!!!
そんなのメガファウナの中に最初から入る訳がない!
富野監督「どこに入るのよ?」
あきまん「いやー分かりません。よろしくです」って感じ!
26本シナリオできてコンテ入るぞって時にバックパックたくさん持って来られたら凹むぞ!言葉で語らず3話でメガファウナに運び込んだ絵作るのは本当に苦労した。じいちゃんの苦労を分かって!!!!


メカニックではマックナイフが好き。かわいくないけど、カットシーも好きになった。最初は好きになると思えなかったが動かしてみるとシルエットが違って見えた。
こういう子供たちが触りやすい面白いデザインが良いのだと気付いた。
既存のガンダム作品のデザインの延長のようなものはただカッコいいだけで、デザインがうるさくて、パーツがちょっと違うだけなので面白くないと思った。
安田の作ったバックパックはファッション。ガンダムの体はそれ以上いじれないので、体をいじる代わりに服を着換えるという発想でバックパックを使った。


また、バックパックを使った事で、子供が見やすくなったと思う。自分としては子供に向けての子供用の言葉は持っていないし持つ必要もない。だが、自分の演出論に偏ったらシリアスになり過ぎてしまうとも気づいた。だから、それを制御するために安田のバックパックを起用した。
(実際、あきまんはG-セルフの顔のデザインについても「子どもはデカい目のロボットの方が好きなんだ!」と企画段階からおっしゃってた)
子どもというのは、動画で目先が変わったものには反応するから、複数のバックパックを使ったのは正解だったと後から思った。周りの人やネットの反応でも、お世辞かもしれないけど、「うちの子供が見ています」という話を聞いた。
逆に、台詞で追いかけて何か意味があるのではないかと思っているような大人のアニメファンからは評判が悪かった。何も考えないで見てくれた人の方が楽しめたと思う。
実際は、シナリオになかったバックパックを無理くり演出に入れていくのは10話くらいまではとても辛かった。でも、1クール作り上げられてから以降(アサルトパックと中盤の宇宙パックとパーフェクトパックあたり?)の仕上がりは良かったと思う。
これについて、傲慢を言うとキャリアのある僕にしかこういう作り方はできないだろう。仕事師になりたいとも思ったし、バンダイナムコ関係会社を幸せにできるような作品にもしたかった。

HG 1/144 ガンダム G-セルフ(アサルトパック装備型) (ガンダム Gのレコンギスタ)


キャラクターデザイナー
オンエアの一ヶ月前に吉田健一君からキャラデザが上がった。
吉田氏「23話の衣装変えようと思ってるんです」
出来上がったことだけでも褒めて!!!


・アニメーター
画面を見ているアニメファンからは分かりにくいかもしれませんが、作画がのびやかで、作画スタッフがみんな喜びながら仕事をしてる。スタジオで聞いたら「最近こういう作品が無いので現場が喜んでる」と言われた。

スタッフのスキルが上がって嬉しいというような、単純な問題ではないんです。
スキルを持ったスタッフは皆、20年30年選手なんですよ。40代後半から50代の職人たちで、彼らを今後10年食いつながせるにはどうするかという事を考えると大問題です。
今オンエアされているアニメのタイトルを見ればわかるように、必ずしも彼らのスキルに見合った作品があるとは思えない。むしろ、その憤懣が今回一気にぶちまけられたような気がするんですよ。吉田健一くん一人とっても、ここまで我慢していたのかって思います。
~~~
この技術や能力をもう少し上手に使ってあげられないのか・・・。制作者や出資者にはその策を講じてほしいんです。
ダムエーのインタビュー)

「Gレコみたいな作品は久しぶりで楽しい。そうじゃ無かったら、こんなキチガイみたいな絵コンテは作画できませんよ」と、アニメーターに言われた。



・声優
Q.俳優さんの声を聞いて最初から変えた部分はあるか
A.一杯あります。
声優とのキャッチボールで変えたということはないが、オーダーの時点で相手の能力を見抜いてやった面もある。
声優の人物査定ができない反省もあったが、しかし3、4回で芽が見えた人のキャラについては変更した部分もある。
絵で描いたものでさえ変わってくるので、芝居は作りながら変わって行った。
ハッパさんはシナリオになかったがバックパックのために仕方なく出した後付けのキャラクターだが、良くなった。


ギゼラ、ステアもアダム・スミスも登場回数が多くなってくる。
演出権限でこのねーちゃんとやりたいから(笑)



・絵コンテ
シナリオが出来ていても設定が後付で出来ていなかった。しかし、現場はそういうのを乗り越えていかなければいけないと了解するものだ。
絵コンテを作りながら、設定も作っていた。カリブ海洋研究所も作りながら設定していった。制作の状況でコンテを直しました。


5話以降、他人に書いてもらったコンテを直す作業に手間取った。設定も含めてコンテの段階で直すものが多かったので、見づらいものになった反省がある。


・シナリオ
ストーリーの組み立ての段階から、年寄仕事はしないように気を付けた。
特に、「過去を振り返らない」「昔の話やアニメ屋程度の年寄りの屁理屈は言わない」、これをGレコの全般で気を付けた。


コンテや絵の設定で色々と変更する場面があったが、シナリオは変えるつもりはなかった。
テーマ主義でやってきたから、語るべきものは全部置けたと思う。

ティーンエイジャーやローティーンが引っかかってくれて、20年後に思い出してくれればいい。そのための種まきをした意識はあるから無駄な仕事ではなかった。
ダムエー


台詞回しでは最低限の説明セリフも日常台詞にする努力をしました。論文口調にしないということです。
今回のG-レコのテーマは「脱ガンダム」だったので、つまりどういうことかというと、過去のガンダムの名セリフやアニメ口調の知った風なセリフは使わないということ。
2ちゃんねるで「Gレコには名台詞が無いよね」と批評されたが、アニメファンが思っているようなガンダムシリーズの過去の名セリフの引用などはしなかった。全部日常台詞にするようにした。
それなのに、何人か絵コンテマンが過去のガンダムの好きな台詞を入れて来た。脚本にはないのに。
自分は登場人物の日常会話に成るようにと気を付けて劇を組んでいても、「俺の言いたいことを分かれ」というセリフを入れる演出家がいた。
ここで気付いたのだが、メカ物の演出の人が苦手なことというのは、「キャラの肉体を活かす」ということだ。メカアニメの演出をしているような人は、ビシッと指差すような決めポーズの構図や決め台詞を入れるのが得意。しかし、富野はそれをやりたくなかった。
なぜかと言うと、「お芝居」というものは元々「身体で表現する」物だからだ。昔は物を表現するというのは言葉ではなく体でやっていたのだ。なので、キャラ固有の身体性を表現しようと試みた。



・監督として気づいたこと
4話までのワイワイした気分で子供向けに見せたい話が演出できなかった。そのせいで中盤は分かりにくい物になってしまった。実際、もともとの設定から難しかった。
そのように難しい設定を子どもに見せるように作っていくことは、年寄りの傲慢で、突破できるだろうとは思った。
だが、10年ぶりにスタジオに入るという気負いが反映されたせいで見づらいものになってしまったと思う。
劇よりも世界の構造を見せるということが先走っているから、物語としては面白くないという批評は真摯に受け止めます。
Gレコにはトイレとか、フォトンバッテリーなどの描写を使って技術論など、色んな理論や現代への批評を詰め込んだので、自分の作家性だけで作っているわけではない。
しかし、新しい技術が絶対に便利なのかどうか、ネットやエネルギー開発も新しいものが正しいのかということも考えてほしい。
アメリア帝国、キャピタル・ガードとスコード教という物も置いたので、組織論や宗教論についても考えてほしいと思った。
こんな風にリアルに対象を定めて批判すると角が立つようなことを、魔法を使っても良いような嘘八百のアニメというファンタジーな媒体で語ることで、若い人が考えてくれるんじゃないかと思った。


・他の創作家について
自分は100年生き残る作品を作りたいと思ってたが考えが変わってきた。
いま書いてる人たち、ライトノベルを書いているような人は30年前の文壇界で言うところの作家なのかと言えばそうではない。
その時どきに自分の気が済めばいいというつもりの若い作家がいて、そう言う人は自分の作品を長く残そうという気持ちが無いように見える。単発的にコミケで3000部売れて気が済む同人作家もいる。しかし、それは世に知らしめようとする作家と立ち位置が違う。
現代は半年、一年で売れたらいいという安易な構図が出版界にもあるので作品になっていない作品も出されていると思う。
かと言って、若い作家が全部ダメということは無くて40代以下の作家でも舌を巻く才能の持ち主はいます。


アニメやシナリオは図式のもの。一人の頭の中で勝手に嘘をやっているだけの同人誌的なもの。それはそれで有っても良いものだが、自分の作るGレコはパブリックなものになってほしい。
パブリックというのは、チビにも分かる人の肌触りであって、シナリオ上の図式ではない。


  • 学びその2 仕事と人生

この年、73歳にもなってアニメの仕事しかできない。
しかし10年ぶりにスタジオに入った時に思ったことだが、仕事ができることは鬱にならずにすむって安心がある。
仕事をして、明日もすることがあるというのは、鬱にならないですむ気持ちになれる。


一人で自宅でシナリオを組んでいる時も、なるべく歩いたり水泳したり、体を動かすようにした。
ノレドを動かしていると鬱にならないで済むんですよ!


仕事は人を救ってくれる。


30年前は、労働者対会社という構図があった。労働は辛いものだという感覚があった。
当時の考えの労働組合は資本者との戦いとして、仕事を捉えていた。
今の時代は奴隷的に働くのではなく、仕事を通じて自己啓発ができる。
そんな風に、一生仕事をしていける天職を持てる人はいくつになっても元気です。


逆に今の時代は、小中学生も10人に一人は鬱だとテレビの報道で見た。僕が小中学生の時は、うつなんていう言葉を聞いたこともなかった。そう考えると今の時代はプレッシャーがきついのだろうか。


しかし、プレッシャーはあるものの30歳を過ぎて、自分が「仕事」と思える丁度いい事に向き合っていられると、それを通じて自己啓発が出来ていく。それはいいことだ。
今回、Gレコ程度の仕事をして、この7~8年、5年前とか生きてる事がつまらなくなかった。
「このバカども!」とスタッフ相手に言えて「はいっ!」と言ってくれる人がいる環境に自分が混じれたことは存在の証明にもなって幸せだと思った。


そんなアニメ村は、やっぱり今も社会の底辺だ。のし上がっていくゲーム業界やIT系の人はキラキラしているが、アニメ業界の労働者は底辺で貧乏。
だからといって、アニメ村の人たちが不幸かと思ったがそうでもない。仕事は人を救ってくれる。


  • 学びその3 アニメキャラクターと身体性 アニメの絵の効果

今回、ロボットアニメで絶対にやらないことをやった。どういうことかというと、キャラクターの固有の身体性を表現しようとした。決めポーズやテンプレ的な演出は排除するようにした。皆さんがよく見ているようなCGでクルクル回るようなアニメ的演出のキャラクターは画像であって、身体性ではない。富野は、「動画でクリエイトする意味」を付けたかった。
なので、MSのコックピットにトイレを付けたことも身体性とつながっている。従来のアニメのロボットにトイレが付いていなかったのは、画像の上の格好よさだけしか考えていなかったから。カッコいい画像を作っておけば、制作者は出資者や客からクレームを付けられない。スポンサーが言った事を守るだけの作品を作れる。
トイレのないロボットというのは、画像でカッコよければいいというアニメ専門家の目線で、芝居の目線ではない。しかし、出資者は芝居の要素が分からないので今まで入れられなかった。
30年前のガンダムのころからトイレの問題は入れたかったが今までできなかった。
今回は画像ではなく、身体性を持たせることを重視して考え、科学技術論に立脚して設定したので、トイレをロボットに付けることができた。
しかし、実際の現代の戦闘機にもトイレは無い。
昔のゼロ戦のパイロットは排泄をしたが、今は高性能化していて作戦に3時間もかからないのでトイレが無い。しかし、モビルスーツは宇宙で3日くらい閉じ込められることもあるから、トイレは必要だとリアルに考えてみた。


・動画の効果について
宇宙での戦闘シーンは、絵コンテの段階では理論的に位置関係を整理して書いていたのに、動画の段階になると誰と誰が戦っているか分かりにくくなってしまった。
そもそも機体が多すぎる。富野の作品以外でも宇宙でロボットが空中戦をするアニメはあるけど、ああいうのも位置関係が分からない。
そういう意味では、背景にキャピタル・タワーやトワサンガのシラノ-5(やシー・デスク)のような目印になる巨大構造物を置いておくと分かりやすくなるという手法が使えた。しかし、トワサンガのシラノ-5はCG作画なのでアングルが変化すると使えなくなってしまった。だから、途中からはトワサンガを映すことを辞めた。
そういう意味では、やっぱり空中戦は位置関係がメチャメチャになるのでやってはいけないと気付けた。しかし、背景の作画の労力を考えると地上戦より空中戦の方が楽なんだ…。


・記号について
アニメーションとは基本的に記号化という概念を手に入れられた。
これによって、
子供のために明るい雰囲気のテレビアニメで、
慣れ仕事であるロボットアニメでありつつも、そうではないリアルに話をすると角が立つ色んな概念を詰め込むことができた。
子どもに向けて、現実や未来を考える上でのヒントを、アニメだからこそ散りばめることができた。
そのような記号性を持ったアニメという媒体は優れていると思った。だから、死ぬまでアニメの仕事をやって行くということは低俗だとは思わなくなった。


  • 学びその4 常識を疑うこと 技術論 社会論

「現在の常識を疑う」ということが、Gのレコンギスタのテーマだった。
宇宙エレベーターはやったらいけないことだし、できないと思っていたので、あえて中心に据えた。30歳を過ぎてミノフスキー粒子が現実にあると思っている文系の人もいるが、ミノフスキー・マグネットレイ・フィールド(MMF)を設定しないとキャピタルタワーのように一本のテザーケーブルの周りに144ものナットが並ぶわけがない。
宇宙エレベーターを研究している人もいるが、アニメの絵として置くと、こんなものはあり得ないということが分かる。
そもそも、宇宙エレベーター静止衛星軌道まで上がる意味のある交通機関にならなければ、こんなものは作れない。(なので、フォトンバッテリーという物を設定した)こんなものを作って良いのか?という意味を問いかけたかった。


Gレコで4大タブーを設定した。
・クンタラで匂わされているカニバリズム
・アグテック(アグリカルチャーとテクノロジーの造語で、テクノロジーは一次産業として扱って進歩させてはいけない、というタブー)
・キャピタルタワーは壊してはいけない。
フォトンバッテリーは触ってはいけない。


特にアグテックのタブーをテーマ的に重視した。
みすず書房(2014/10/11)発刊 池内了(いけうちさとる)著:『科学・技術と現代社会』(上巻)の720Pを読んで学んだ。

科学・技術と現代社会 上

科学・技術と現代社会 上

何を学んだのかというと、技術者は技術を進歩していくという一本の思考しかない、ということ。そうやって技術者によって常に技術が更新されてメディアやコンピュータのプログラムの企画やバージョンが進歩していくのが現代社会だ。そのせいで、データが消えて読めなくなって歴史の空白が生じるかもしれない、ということも学んだ。
100年間切れない電球はあるが、それを作った会社はつぶれた。なので、現実的に企業が生き延びるためにマイクロソフトのWordやWindowsが更新されて、過去のデータが消えるという現象がたくさんある。自分としては古いデータが消えるのは困るが、技術者は技術を革新させるという名目で勝手にインフラを書き換えたりする。
逆に、データが永遠に残り続けることが監視社会に繋がるのではないか?という懸念もあるので、マッシュナー・ヒュームの画像をそのように演出した。技術は恐ろしい。
(グダちんの個人的には、メディアはパピルスも木簡も草書も活版印刷もタイプライターもフィルムも滅んだので、メディアが定期的に滅ぶのは仕方がないかなーって思うし、滅びと共に歩んできたのが人類史だと思うんだが。でも、石碑が最強で古代を現代に伝えるということがあったし、デジタルデータは滅んだ後の復元が難しいのかな)


その最たるものが原発事故で、原発の技術者は「大丈夫」って言っていたけど、やっぱり大丈夫じゃなかった。

グーグルもすべての文献をデータ化すると言ったが、それは嘘だった。


技術者や経済界の人間は「技術を常に更新させないとしょうがない」と言うが、富野としては「本当にしょうがないのか?って考えろよ」、「常識を疑え」という気持ちでGのレコンギスタを作った。
自分では解決策が考えられないので、若い人に「考えて下さい」という気持ちでGレコを作った。
富野自身には「技術の行き過ぎた進歩は止めなきゃ」と言う論調に成るクセがあるとも気づいたので、声高に言う気はない。でも、やっぱり言いたい。


  • 学びその5 戦争論 歴史論

Gレコを作るにあたり、第一次世界大戦から第二次世界大戦の時代のことをかなり学んだ。特にナチスについて調べた。アドルフ・ヒットラーのようなただの軍人がなぜ政治の表舞台に立てたのだろうか?ヒトラーも市民からの後押しを受けたのではないか。


また、1941年生まれなのでB29の空爆も体験している。それで、負けかけた日本人として大阪、東京の大空襲について、「アメリカさんはすごいんだねえ」と思っていた。しかし、近年になって調べるとアメリカの空襲作戦は不必要な人を殺すものだと分かった。ヒロシマナガサキの原爆も実験がしたいという技術者の理屈があった。
当時、ドイツが目論見より早く降伏したので、アメリカにはB29も爆弾も余ってしまった。それで、納税者を黙らせるために、398機のB29で爆弾を東京にばらまくというキチガイじみた東京大空襲を行って爆弾を消費した。爆弾を製造して消費するという工業力の論理だから、これは軍人の(戦うための)発想ではない。
そして、アメリカの政治家は戦後に空襲の効果や原爆について選挙で利用した。その政治運動が戦後の日本の核の傘にも影響しているから、日本の政治家は中国韓国のようにアメリカに賠償責任を求めたりはしていない。


大日本帝国軍国主義も欺瞞だったが)、アメリカの物量戦争も戦術論的にはバカなもので政治や経済に引きずられたものだった。だから、そういうことをこれから千年後まで物を考えるヒントになるように、「常識を疑え」というメッセージを込めてGレコを作った。
コードギアスパトレイバーのように?)リアリズムで物を語ると表現が迂回するようになって欺瞞になる。なので、Gレコはファンタジーロボットアニメという体裁で作った。
しかし僕には文芸作品として50年100年残す作品を作る能力が無かった。社会論を考えてほしいというメッセージをロジックとして入れたので、ブレストレベルで作品になり切れていない。


・締めくくりに
子供向けアニメとして、子供に伝えたかったこと。
ユートピアニズム(理想主義)に陥った大人たちは、リアリズムの欺瞞性を持ち込む」だから、問題点を上げておいた。我々は解決策を持ち合わせていないから、次の世代に考えてほしいという作りにした。


参考書籍『危機の20年 -理想と現実』岩波書店 E.H.カー著

危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

この本は第一次世界大戦第二次世界大戦の間の20年間の歴史政治学についてユートピアンとリアリスト双方の重要性・欠点の両方を指摘し、書いたものです。


リアリズムで人が物を考えられるようになったのは、第一次世界大戦以降。(Gレコで言うと、大陸間戦争やピアニ・カルータ事件が起きた後かな?)
それ以前の人間には「~~したらいいことがあるだろう」と信じる夢とロマンしかなかった。夢を見て国家や社会を運営していた。
しかし、第一次世界大戦で初めて物流や補給、そして志願兵が五百万人戦死するという現実をリアルな数字で考えるようになった。それ以降、リアリズムで国家を作るようになった。(ナチスや日本軍が台頭したり、米英ソが軍拡をするなどした。)
しかし、国家がリアルになると志願して戦場に行くのが幸せだ、というリアリズムの思想が生まれた。(弱肉強食で人間を鍛えるべき、というピアニ・カルータやアーミィの思想とか?)
戦艦大和のように資産をつぎ込んだ兵器に賛成する人がいたということ。だから、科学技術は危険だし、それを支持する社会もどうかということ。


理想主義は良いんだけどね。そこには嘘もあるんだよ、ということは作品に散りばめた。

今、近代史の本を読んでますが、第一次世界大戦の原因や、なぜヒトラーのような人物をドイツ国民が受け入れたのかというような、今までよくわからなかった部分が理解できるようになってきました。
(中略)
『G-レコ』でああいう世界観を構築し、世界の構造というものを学ぶことができた。それで第一次大戦前夜のことがよく分かるようになってきたんです。
ですから、『G-レコ』を見た上で実際の歴史に戻ると、歴史というものがかなり分かるようになると思いますよ。
(中略)
ファーストガンダムは太平洋戦争の戦術論だけです。対して、『G-レコ』は技術論、文化論、政治論までを含めたもので、自分ひとりの頭で作ったものではないんです。
(中略)
外の世界のリアルを引きずり込んで作ったから、僕自身も勉強させられたし、見ている人にも現実社会や歴史みたいなものを考え直すヒントを発見できると思っています。
ガンダムエース2015年6月号)

  • まとめ

作品を作ることを通しての気づき、反省点、作って学んだこと、作るために学んだこと、周りの人に言われたこと、など、いろいろなことを富野監督は学んだようです。
そして、富野監督は自分が学んだように視聴者にも学び、考えるようにおっしゃっています。
現実に対抗する力を考えるために、『ガンダム Gのレコンギスタ』を現実の歴史や現代の情勢と照らし合わせながら、もう一度見て見るのも有益でしょう。Gレコを参考に近代現代思想史哲学の本を読み直すのもいいでしょう。
だから、『G-レコ』は絶対に次の世代まで生き残ります!(アニメージュ2015年4月号)



Gレコって富野作品には珍しく、核兵器を全面禁止したアニメだったけど、キングゲイナーのオーバーフリーズがICBMのメタファーだったように、G-セルフは水爆や原子力潜水艦のメタファーだったのかもしれないなあ。とか、Gレコを現実の過去に照らし合わせてみると、そう言う気付きがあります。
みんなも かんがえたり まなんだりしよう!