玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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メモ帳が重くなった。

ドンだけかくねん。
今まで仕事付けだった鬱憤をなあ。
しかし、高村薫氏が今日の朝刊で言っていたが、今は情報が過剰になって一般人でも刺激にさらされている。
そういうのを聞くと、俺はこんな日記で憂さを晴らしてどうすると思う。日記を書くほうがうつ病になりやすいとも聞くしな。
簡単に情報の送受信が行える・・・。すぐに人とつながれると錯覚する…。本当は自分のくだらない人生から得られた分相応の係わり合いしか持ち得ないし、その程度しかオールドタイプの人間は処理できない。ロランにはなれん。
最近のニュースを見ていてもそうだ。
地震に会った人たちのインタビューを見る。素人の癖に文を整理してまるで即席リポーターのように実況してくれる。
デジタルカメラなどを使いこなしてな。
今までの記者など情報産業界人のアイデンティティや優位性は所詮、珍しいツールが使えた、というだけのことだろうか?
情報機器が不特定階層に浸透した後にはすべてが中野独人となって均質化する?
昔は紙も貴重品であったからなあ。
そのように、メディアも石、巻物、などなど、から新聞、TVと来てオープンソースのブログ集積体になる?
僕はそれが気持ち悪いものだと思った。なぜかテレビの前で流暢に話す被災者が気に入らない。
自分の家族を殺されても聖人ヅラしたコメントを出す不感症野郎の被害者が気に入らない。
どいつもこいつも役割を演じやがって。言葉とはもともとそういうものかもしれんが。
疲れていたら寝たらいいし怒ったらいいし泣いたらいいし怯えたらいいしほおっておいてくれと叫んでもいいし関係のないものは突っぱねたらいいじゃないの。
やはり、真実の感情からの言葉は自分や文句を言わない弱者、あるいは虚像の神に語ればいいんだろうな。
強い社会には自分が無害な社会構成員としてふさわしいものだとアピールして、あるいはある程度の権力や能力を持つものだとアピールして自分の居場所を得るための道具に過ぎない。
たとえば子供を殺された人は本当に子供の死が無駄にならないと思っているんだろうか?
地震に会った人は本当に地震が未来永劫語り継がれるとでも思ってるんだろうか?
なんだか俺の書くブラフ文章を読むような印象を受けた。
本当は「私たち家族をそっとして置いてください」とか「めんどい」だけ書けばいいような文章だ。あとはカラッカラだ。
高度化しているがサルのマウンティングと変わらないね。
そのサルが、情報を発信するという。
腹が立つ。
そういうのは俺が筒井康隆ばっかり読んで育ったからかなあ。中学まで。でも全集は 家 脱走と追跡のサンバまでしか読んでないんだよなあ。思えば高校あたりから遅読になったなあ。
そういうわけで、俺が大衆の発言にうっとおしがるのかもしれんので。これも自由意志ではなく単なる脊髄反射なのかも知れんなあ。
でも、昔のNHKアーカイブとかで見る素人の人のほうが品が在る気がするんだが、錯覚かなあ。なんとなくだしなあ。
ただのメディア馴れの問題だろうか。
なんか素人嫌いやねん。芸人は若手よりも爺のほうが好きやねん。
そう言う俺が素人の癖に日記を長々と書く・・・。それは何のためだ?
ただのメモ帳に書いていたときよりも格段に構成を気にするようになった。これでもな。
やはり、人に見てもらいたいのかなあ。
面白いと何人かに言われてしまったしなあ。
笑わせてるのか笑われてるのかは知らんが。
でも、人に影響や迷惑をかけたくないなあ。
どういうことだよ。
結局、自分がだめだから素人出演者を見るとダブって嫌悪感を感じるんだろうが。
普通の人はもっと明るく皆と以心電心して、異文化コミュニケーションしてなかよくなって幸せになって差別とかもなくなるように良い方向に行ってるんだよね。
俺が乗り遅れているだけで。