玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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宮台真司は何にも分かってない。

宮台自体は、そんなに悪い人でもないし、言う事に頷く点もあるのだが、エヴァをバカにする奴許さない。まあ、許さないですけどね。あと、脳内恋愛を否定する奴も許さない。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=403

宮:ガンダムアムロの成長物語。他方、エヴァのラストは「こんな僕でもいいんだ」で、碇シンジには何の成長もないし、社会ともつながらない。唐突に自己承認を獲得するだけなの(自己承認の獲得を成長と呼ぶ言い方もあるけどね)。僕は憐れだと思うよ。「こんな僕でもいいんだ」って思った瞬間、試行錯誤に乗り出す必要は免除されちゃうから。生身のコとつきあうには「こんな僕じゃダメ」という修行が不可欠なのになあ。

なわけねーだろ!
だいたい、憐れってなんだよ。成長しなければならないと言う強迫観念、成長すればいい、努力すれば良いとお題目に囚われているほうが憐れだと思うよ。
映画のエヴァンゲリオンを見ると、「これじゃダメだ!がんばろう!」「これじゃダメだ!どうしよう・・・」とちゃんと思いましたよ。
まあ、しこしこ自習してるだけで今のところは女の子とセックスしたいとは思いませんでした。とりあえず、できることからこつこつと。
宮台はテレビ版だけでものを語ってるのか?ふんとにもう。THE END OF EVANGELIONは「これじゃダメだ!」と全身で言ってるような映画だと思うけどなあ。
「本当は生身の女に愛されてエッチしたいくせに。 」
「くせに」と言う人は嫌いです。というか、ここだけ、論理の飛躍があるよな。
でも、女の子と物欲ゲームじゃないゲームをするのは楽しいよね。それは認める。脳内ゲームとか。
そして、エッチゲームじゃない別のゲームも模索しているのだ。本当に自分が女の子とエッチをしたいのかと言う事を突き詰めて考えもしないで、漠然と「人間はいっしょに繋がりあうために生まれてきたんだ」と思い込んで、自分の本当の発想ではなく、「人間はそういうものだから」と、「私はエッチをしたいものなのだ」と思う前に責任転嫁してのSEXはダメだと思うの。童貞萬画植芝理一主義。
それに、「人間はいっしょにつながりあうために生まれてきた」のなら、繋がった後はどうするんだよ?繋がった結果、副生新生物が発生したり、こじれたり、するじゃん。そーいうのを忘れる態度はやだなあ。
いや、俺は極端にダメな奴だから、まあ、いいです。そういう係じゃないんです。係の人が女の人と付き合えばいいと思います。おたくが恋愛をボイコットしたくらいで女は余らないとおもうなあ。
僕以外の人類はもっと頑張れ。
ぼくはがんばってる!がんばってるんだよ!
というわけで、ちょっと宮代を縦軸に書いてみようと思う。気まぐれで。