玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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はてブしてもらったという事もあり、昨日の日記に以下の文言を追記しました。

確かに∀ガンダムはヒットしなかったんだけども、∀ガンダムがあるおかげでガンダムは無限に続けられるし、いつまでも現在進行形のドル箱コンテンツになった。だとすると、作品単体としてのヒットよりも経済効果は大きい。
バンダイビジュアルの人の話を聴く機会があったのだが、「全ての作品をヒットさせようとは思っていない。むしろ、金を稼げる作品を作って、それの金で作りたいものを作って、最後に帳尻だけプロとして合わせられたらそれでいい」
らしい。

でも普通の人に対していきなりガンダムを全部見ろ、ガンダムを理解しろ!というのはそりゃ、無理だ。
機動戦士ガンダムDVD―BOXが出た時のライトオタク層の一般的な感想として、「話は面白いんだけど、やっぱり絵が古いし、30年近く前のアニメに過ぎないなあ。」という風潮があったわけですよ。
それはそうなんがけど、それってもったいないぜよ。俺は24歳で、ガノタとしては若輩ものなのだが、ここ2年間自覚的にガンダムを見る訓練をしてきて、ガンダムの素晴らしさが分かってきたし、マジでみんなガンダムは面白いから見にこおおおおおい
だから、その、20世紀末の∀ガンダムガンダムを(一つの物語としては)全否定し、(一つの世界として)全肯定した上で、新しくそこに加わる新作は絶対に必要だという事なんだよな。
その時々の皆が見やすいレベルでの新作、みんなの入り口になるエントランス的な新作は必要。本屋さんの入り口付近にベストセラーが平積みされているような感じで、売れ線のガンダムはあるべきなのだ。

そして、そのような、新世代のための「ファースト(初めて触れる、触れやすい)」ガンダムはここまでガンダムを深くしてしまった富野由悠季本人には作ることが出来ないという事も分かる。
それに、富野以外の人がガンダムを作るのに加わらないと、千年も万年も富野の死後も日本の伝統文化になりうるガンダムを継承する事は出来ないし、そうするべきなのだ。

そう、ガンダムは多数にして一。
これが、他の仮面ライダーウルトラマンなどの、パラレルワールド的に分断された作品との違いであり、ドラえもん宇宙戦艦ヤマトのようなどこまでも一つで延々と続くものとの違いである。
スタッフも内容も世界観も変貌しつづけているのだが、それでいて一つの世界の歴史でもある。
これはガンダムシリーズの他に類例の無い、唯一無二の物だと言ってもいい要素だと思う。ガンダム凄すぎる。
これから先どのような新作ガンダムが作られたとしても、新しいファンがいかなるガンダムからガンダムワールドに入ってこようとも、それは富野由悠季の手の中に入るということだ。
ガンダムSEEDが最高だと思って富野ガンダムが古臭くておもしろくないと思っている若い子も、自覚していないだけで黒歴史によって繋がれたガンダムワールドの中で、富野の想念が作り出した一種のバイストン・ウェルの中で夢を見ている。
おお。ガンダム
これからどんなガンダムが広がっていくのか!どんなガンダムでも富野のものだと安心している僕は、非トミノガンダムでも純粋に楽しみになりましたよ!

そして、ロランも母親に永遠に甘えるだけの息子ではなく、母親の死を予感しつつ受け入れる覚悟を持った息子になったのではないかと。
つまり、ロランはディアナと一緒にいるけど、ディアナからは自立してるんじゃないかなあ。

つまり、宇宙一カッコいい男のハリー・オードが、自分の母親であるディアナ・ソレルから分かれてロランに渡して、キエルさんの隣につく事になったという。母親になったキエルさんの女としての部分を知って認める事が出来ているというのは、ディアナ様が一人で母親をしていたのよりも心強い事なんじゃないかなあと言う訳で。

それに、ガンダムシリーズを見返し始めてからは∀ガンダムをまだ再見してないし。まだまだ理解が足りてないとは思う。